2004年7月のプチ日記

7月30日(金曜) 午後

 有給休暇をとっておりますが。

 おお忙しい。余裕持って行動してるはずが、いつもなぜか切羽つまる。

 で、近所でみかけた看板です(どういう展開だ)。

 駐輪しないでくださいという旨の、よくある看板だが、その下の落書きはなんだろう。嫉妬。

 自転車やバイクを駐めるような人気スポットに対しての嫉妬か。それとも自転車を持ってることへの嫉妬だろうか。

 …まったくワケが分からず、しばらく看板の前で立ち尽くしてしまいました。通行人から怪訝な視線を浴びながら。

 それでは失礼します。

 

7月29日(木曜) 夜

 そういえば学生時代、一度だけ死にかけたことがある。

 その日は夜遅くまで友達と飲んで泥酔していた。で、終電もなくなったので、たまたま近くに下宿していたT君宅で飲み会の続きをやろうということになったわけですが。

 いざT君宅に行ってみたら、彼も酔っ払って下宿のカギを落としていたのだった。当然ながら部屋には入れない。

 どうしようかと困っていたらT君が「ベランダなら開いてるんやけど…」と言い出した。おまけに部屋は最上階。

 よっしゃ! マンションの屋上からベランダに降りたらええんやんけ!

 …というわけでT君と一緒に屋上にのぼったぼくは、下記の図のように飛び降りようとした。

 だが、いざ飛び降りようとしたら、T君があわてて止めにきたのだった。「それアカンて! 地面まで落ちるって!」

 ぼくとしては「上手に回り込むように落ちてベランダに着地する」シミュレーションが頭の中に完成していたので、「大丈夫!」と言い張った。が、あまりにもしつこく止められるので、ついに面倒くさくなって中止することにした。そして結局、マンションの廊下で飲んでそのまま寝てしまったのでした。

 翌日、目が覚めて青ざめた。泥酔してフラフラの状態で飛び降りてたら、間違いなく地面にたたきつけられていた。下手すりゃそのまま死んでただろう。というかシラフだったら、いくら金を積まれたってこんな真似はしないと断言できる。

 ぼくの命を救ってくれたT君。人間ってこんなに簡単に死ぬものだったとは。

 以来10年近くが経つが、機嫌がいいときは彼に感謝し、気分が落ち込んでるときは逆恨みしている昨今であります。

−−−

 さて、Go smoking の連載コラムが更新されてます。

 今回のタイトルは「100円ライターよもやま話」。 たばこをカートンで買うとおまけでもらえる100円ライターのマイコレクションについて書いてみたレポートです。我ながら恐ろしいくらいにショボいレポートです。

 よろしければご覧くださると嬉しいです。いつもショボくてすみません。

 

7月28日(水曜) 深夜

 昨夜はけっきょく、らもサン死去のせいで朝方まで寝られませんでした。嗤ってやってください。

 おかげで今日もエラい目に遭った。

  1. 寝るのが異様に遅かったせいで目覚まし時計に気づかず寝坊。
  2. 飛び起きたら出社時刻の5分前。おおいに遅刻。
  3. あせって出社したのでズボンのチャック全開のまま社内をウロウロ。
  4. 駅前に自転車を路駐したら今日にかぎって撤去される。
  5. 帰宅したらクーラーつけっぱなしになっていた。

 最後のはちょっと嬉しかったんですが。汗だくで帰宅したら冷え冷えの我が家。

−−−

 ところで、いよいよ夏も真っ盛り。ぼくにとっては苦難の季節がやってきた。

 どうしてかと申しますとですね。

 ぼくは「タマブクロ」が平均よりも大きい(バーのほうは別に大きくないので誤解なきよう)。で、殿方諸兄ならご存知のとおり、タマブクロは暑くなると放熱しようとしてダランと垂れ下がる。

 大きなものがだらしなく垂れ下がる結果、ひだの間に空気の層ができる(ゴム製のカーテンみたいなものである)。そのまま座ったりすると間の空気が急に押し出されて、ブゥーッとこもった音が鳴る。

 そして問題は、これがおならの音にソックリだということ。

 今日もそうだった。職場のイスにに腰掛けたとたん、「ブゥーッ」とくぐもった音があからさまに鳴ってしまったのだ。

 当然ながら上司や同僚からの視線を一身に浴びて。おまけに音源はぼくの股間である。

 そうじゃないんだ! 神に誓ってちがうんだ! ちがうんだってば!!

 ただ、原因がタマブクロであるだけに、正直に弁明するのもはばかられる。若い女子社員も多いなか、「垂れ下がったタマブクロが押されて鳴っただけです!」なんて口走るのもどうだろう。余計にマズい雰囲気になってしまうことは想像に易い。

 かといって、ここで謝罪すればおならを認めてしまうことになる。ああ、悔しい。猛烈に口惜しい。どうすればいいんだぼくは!?

 …という葛藤のすえ、けっきょく黙ったまま仕事を続けたのでありました。

 きっとみんなからは、「職場で屁をこいたくせに黙ってる人」だと思われてるんだろうなァ。自分が不憫でなりません。

 

7月27日(火曜) 深夜その2

 お恥ずかしい話ですが、中島らも死去が気になってちっとも寝付けません。目が冴えて冴えて。

 あまりにも目が冴えて寝付けないので、

 らもサンが死んだおかげで、いろんなことが順調に片付いております。

 HIDEさんや尾崎豊さんが死んだときも、取り巻きの方々はこうだったんでしょうか。

 

7月27日(火曜) 深夜

 うわー。中島らもが脳挫傷で死にましたか。享年52歳。

 思い返せば「本を買う」という習慣があまりなかった高校入学当時。はじめて自分で買い揃えようと思った作家が中島らもだっただけに、なんだか久々に衝撃を受けております。

 肥大した自我と劣等感との間で身動きがとれなくなっていた思春期当時のぼくにとって、まさにあつらえむきの著書たちだったのだ。おまけにバカ話は滅法おもしろいし。で、ぼくもこんなヨタ話を書いてみたいなァと思って、国語の課題作文や学校新聞のコラム欄なんかに 「ぼくちゃんのとほほエピソード」を書き始めたのが、このプチ日記のそもそもの始まりだったような気がする。

 中島らもにかぶれてウイリアム・バロウズの本まで背伸びして買ったものの、まったくワケが分からず数ページでリタイヤした高校生当時。なのにクラスメートには「最近ビート文学にはまっててさー」なんて言い回っていた高校生当時。今となっては懐かしく芳ばしい思い出であります。

 それにしても死因が「酔っ払って階段から転げ落ちて脳挫傷」とは…。冗談かと思うくらいにピッタリすぎる死にかたですな。合掌。

 …いやまァ、ウチはニュースサイトでもなんでもないんですが。すみません。

−−−

 むりやり話を変えて、ラムネゼリー。

 透き通るような青緑色のゼリーは涼しげでとても美味しそうだけども。

 青緑色なのはガラス瓶がその色だからであって、ラムネ自体は無色透明である。つまりラムネゼリーは、「ガラス瓶も一緒にゼリーにしてみました」ってことなのかもしれない。

 こう考えると途端に、ラムネゼリーが不味そうに思えてくるのでちょっと楽しい。ガラス瓶ゼリー。

 …ええと、らもさん死去であまり落ち着いて書いてられないので、このへんにて失礼します。 なんだ、このソワソワ感は。

 

7月26日(月曜) 深夜

 何年も前のことだが、「おっぱい星人」というコトバが流行したことがある。

 「おっぱいがスゲェ好き!」という胸フェチの自称(ヒロミとかが連発していたけっか)。で、「オレっておっぱい星だからさァー」なんてって、みんながこぞって己の性癖を暴露していたわけですが。

 当時、この呼称がものすごく不愉快で嫌いだった。言ってることは性欲そのものなのに、それを「お茶目なオレ」ってな風にすり替えようとするさもしさが。

 AVのことを「エッチなビデオ」と表現するのに共通する気持ち悪さといいましょうか。女優の顔に精液かけたりしてるのに、なにをいまさら「エッチ」呼ばわりしてるんだよト。そんなかわいいもんじゃあないでしょうト。

 これと同じく、なにが「おっぱい星人」だよ、潔く「パイオツにピンコ勃ち」と素直に言えよ。とまァ、このように憤慨していたんであります。だってそうでしょう。「おっぱい星人」のおっぱいを別のコトバに置き換えてみると、このいびつさがよく分かる。

 「ボクって、といれとうさつ星人なんだよねー」

 おお、イヤだイヤだ。なんなのだこのイヤさは! 最悪だ!! てめえは人間のパンくずだ!!

 …という経緯があったにもかかわらず。

 先日、飲み会で泥酔して記憶をなくした翌日、同僚の女性から言われてしまったのでした。

「名倉さんって、おっぱい星人だったんですね」
「嬉しそうにそうおっしゃってましたよ」

 衝動的な自殺というのはこういうときに起きるのかもしれません。ダンプカーよ、オレの懐に飛び込んで来い!!

 

7月25日(日曜) 深夜

 今日中にやらなくちゃならない仕事があったのに、テレビで『プレデター』を見てしまった。なにやってんだオレ。

 でも、時間に追われているときに見る「毒にも薬にもならない娯楽映画」ほど楽しいものはないような気がする。今すぐにでも仕事に専念しなくちゃならないのに、こんな映画みて時間を浪費しているという罪悪感が、そりゃあもうたまらない悪魔の快感をもらたしてくれるのだ。

 『大災難P.T.A.』も『サボテンブラザーズ』も『ギャラクシークエスト』も(どれも個人的に最も好きな映画だけど)、仕事の山を抱えているときに見る『ランボー3』にはとうてい敵わない。ああ、ランボーが一人で勝つに決まってるんだけど、どんどんランボーに惹きこまれていく! だれか止めてくれえー!!

 こういう意味では、本棚にあるジャンプコミックスと青春出版社の本たちもかなり危険なんですが。

−−−

 ところで本日、新京極で見かけた駐輪風景であります。

 あまりにもひどい迷惑駐輪に業を煮やした商店街側が、パイロンとポールの囲いで自転車退治に乗り出したのだ。

 が、今度はそのポールの内側に自転車を駐める輩が出現したという次第。さては「駐輪スペースを確保してくれてる」と勘違いしたか。

 商店街側は「ぬぐぐっ、そうくるかっ!」と頭を抱えていることだろう。こうなったら巨大な発泡スチロールかなにかを置いて封鎖するか。

 …だったらまだ、自転車を置かれるほうがずっとマシだ。

 

7月24日(土曜) 夜

 悪酔い防止のウコン粒を食べながら安ウイスキー飲んでヘロヘロになっております。

 酔った勢いで、ふだん心の中にしまっている苦言を物申してやろうじゃねえか! 言うときは言うぞコラ!!

−−−

 科学戦隊モノの隊員はたいてい5人組である。ゴレンジャーしかりバイオマンしかり。

 しかし実戦的に考えると、5人では甚だ心もとないと言わざるを得ない。

 実戦では最低、十数人の小隊単位で行動するし、作戦などはさらに多数の中隊・大隊(数百人規模)が投入される。これらが集まった師団にいたっては、数千人の単位で任務を遂行しているんである。

 事実、元グリーンベレー作家の柘植久慶氏はゴレンジャーについて「私なら15人程度に増員するだろう」と喝破したし、軍事評論家の江端謙介氏は「戦略的に5人はあり得ない」と一蹴した(もちろんウソですが)。

 こう考えると、ゴレンジャーなんかもせめて、100人程度の部隊に増強すべきではあるまいか。

 100人だとインパクトに欠けるので「101レンジャー」でどうか。

  でもよく考えたら、こんなカラフルなメンバー構成だと敵に目立ってしかたない(なかにはすごい地味なレンジャーもいるけれど)。上述の柘植氏や江端氏なら「みんな迷彩ペイントしなさい!」とお怒りになること請け合いである。ついでに「あんなにピタッとした衣類は動きにくいからダメだ」「防弾チョッキも身に着けなさい」といった、ありがたいアドヴァイスもいただけることだろう。

 やはり「迷彩レンジャー」にするのが一番かもしれない。迷彩服を着た101人の隊員があっという間に敵キャラを殲滅する娯楽番組。

 なんだか反戦映画みたいになっちゃいそうですが、チビッ子の教育番組としてはちょうどいいかもしれません。

 …ええと小生は、ふだんこんなことを考えながら細々と暮らしておるわけであります。はい。

 ちなみに今夜の夕食は、ごはんと納豆とチーズとウーロン茶でした。チーズで飯を食える自分に感謝です。貧相でよかったー。

 

7月23日(金曜) 夜

 さて、この画像はどう解読するのでしょう?

 市内を歩いていたとき、軽トラのワゴン部分に書かれていたのでした。さてはCIAによる暗号メッセージか!?

 …と咄嗟にカメラに収めてから気がついた。右から読むと「こんにゃく、ところてん、うどんだし」なのだ。…なんだ、こんな平和なメッセージだったのか。一瞬身をこわばらせたりして本当に損した。

 いやまァ、CIAが軽トラに暗号など載せるはずがないんですが。それにしても。

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 ところで、晩ごはんを自分で作ると体調がいいことには以前から気がついていた。

 そして今日、気がついた。体調がいいから自炊する気になったのだ。なあんだ。

 本日はがっかりしっぱなしです。

 では、今から飲みに行くので、お粗末ながらこのへんにて。

 

7月22日(木曜) 夜

 会社帰りの駅で中途半端な知り合い(他部署の社員とか)に出会うと気まずい。

 うっかり目が合って会釈などしてしまうと一緒に帰るハメになってしまうからである。

 で、沈黙の重苦しさから逃れるためだけに、「それにしても暑いですねえ」「まったくミイラになりそうですねえ」なんつってどうでもいい会話を続けることに。「いかに当たり障りのない会話を続けるか」のためだけに、足りない頭をフル回転させながら。

 そうこうするうちに無難な会話のネタも底をつき、容赦なく訪れる沈黙の気まずい間。なんとか音を立てようとして、意味なく鼻をすすってみたり。ああ、会社帰りの電車は読書&睡眠のリラックスタイムだったのに! なんでこんな苦労を強いられなくちゃいけないんだ!!

 こんなとき、友人から携帯電話がかかってくると本当に嬉しいものだ。が、そうそう狙ったようなタイミングでかかってくることなどまずないと言っていい。

 そこで新たな携帯電話サービスを考えた。

 ポケットなどに忍ばせたリモコンを押せば、あたかも知人からかかってきたかのような擬似電話が届くというサービスである。名付けて「気まずさレスキューコール」。いよいよ雑談が窮地におちいっても、これさえ押せば万事オーケーなのだ。

ぼく:(トゥルルル…トゥルルル…)「はいもしもし?」
コール:「今だいじょうぶ?」
ぼく:「え、いいけど?」
コール:「急ぎの用事なんだけどさァ」
ぼく:「どうしたの!?」
コール:「実は交通事故おこしちゃって、いま警察なんだよ」
ぼく:「ええっ!!」(わざとらしく驚く)
コール:「で、身元引受人が来ないと警察から出られなくてさァ」
ぼく:「マジかよー。事情を詳しく話してよ!」
(以下、長々と擬似電話が続く)

 で、眼前の中途半端な知り合いには「ちょっと友達が事故っちゃって…。いまからタクシー飛ばします!」とか言って、その場からトンズラできるという按配である。これなら相手がどんなにイヤな上司であってもだいじょうぶだろう。よおし!!

 …と一人で興奮しておったわけですが。

 こんなサービスが広く浸透してしまったらどうなるか。知人と雑談していても、沈黙がおとずれた瞬間に相手の携帯が鳴りはじめるのだ。「ごめーん。ちょっと電話出るね」。はいはい、そういうことですか。もはやバレバレである。

 ぼくなんかの場合、いままで友達だと思ってた相手までも携帯が鳴りはじめて、改めて落ち込みそうな予感。

 このアイデア、やっぱり無しにしてください。どうせ騙されるなら最後まで……。

 

7月21日(水曜) 深夜

 大事にしているものが壊れる、もしくは大切なものを失うという夢をよく見る。

 そして先日、掃除機が壊れる夢にうなされて目が覚めた。二千円で購入した安物なのに。

 ぼくにとっての「大切なもの」は掃除機なのか。唖然。

−−−

 さて、プチ狂気コーナーを更新いたしました。

 今回も100通近くの投稿だけあって盛りだくさんの内容です。ありがとうございます。いやァ、いろんな人がいますねえ。

 中にはシリアスな内容の投稿もありますが、このコーナーに収まった途端、軽い冗談のように思えてくるのがいいところです。

 人生を深刻でないものにすること。それは難しいけれど偉大な芸術なのであります。

 よろしければご覧ください。楽しいご投稿も引きつづきお待ちしております。

 

7月20日(火曜) 深夜

 通勤電車の車内で、となりのサラリーマン2人組が話していた。

 「この暑さ、たまりませんねえ」
 「まったくねえ。ウチなんて結局、家でずっとエアコンかけちゃいましたよ」
 「ウチも一晩中エアコンでしたよ。ほんとにたまらん暑さですねえ」

 …ずっとエアコンつけてるんだったら、ちっとも暑くないだろう。なにが「たまりませんねえ」だ。

 ええと、暑さでイライラしております。

−−−

 ところで先日、読者のかたからこんなメールをいただいた。

> ちなみに私が一番好きな映画は『蛍の墓』です。

 あのう、これは本当なんでしょうか。蛍の墓。揚げ足をとるつもりじゃないんですが。

 高校生の頃、プロ野球が好きな知人に話を合わせて喋っていたときのことをふと思い出した。

相手:「ところで名倉ってどこのファン?」
ぼく:「ブレーブスひとすじやなァ」
相手:「……」

 当時オリックスは、既にブルーウェーブになっていたのでした。

 

7月19日(月曜) 深夜

 我々が感じる「におい」の感覚は、脳の原始的な部位がつかさどっているという。

 つまり動物的な感覚であるから、「言葉」という高等な機能に置き換えるのが難しいらしい。もともと言語で考えるようにはできていない入力情報だからである。

 言われてみると確かにそうだ。たとえば、「におい」と「人柄」がそれぞれどう表現できるか対比してみると、そのもどかしさがよく分かる。

【におい】 【人柄】
鼻をつくようなにおい→ 脳天にズドンとくるような人柄
なんともいえないにおい→ 表現しようのない人柄
腐ったタマネギのようなにおい→ 落ち込んだタイガー・ウッズのような人柄
当初はまろやかで柔らかいにおいだが、次第に本来のジャゲボっさを発揮し、嗅ぎ続けるとグァヌペーズされるようなにおい ←おしとやかそうに見えるけれども、その実自己中心的で感情の起伏が激しく、他罰的な人柄

 においと同じレベルで人柄を表現しようとすると、おそろしく莫迦っぽくなってしまう。一方、人柄と同じレベルでにおいを表現しようとすると、新しい造語を持ち出さないと進退きわまってしまう。

 だから、有名な某ソムリエがワインを形容して「体育館の更衣室を彷彿とさせる匂い」てなことになるのも無理からぬ話なのかもしれない。においに関する語彙があまりにも少なすぎるのだ。動物的な感覚というハンディ(?)は、人類の叡智で克服するべく努力しなくちゃいけない。

 いっそ、「体育館の更衣室っぽいにおい」は「ゾンゲリームシャッゼ」てな風に、どんどん新たな語彙を名付けれたらどうだろう。

 ウンコがついた「すえたにおい」のパンツだって、「エトラルマーランなパンツ」と表現できれば…。

 なんでどれも横文字なのか分からないけど。 つい横文字にしたくなるあたりに、いろんな問題があるのかもしれません。

 

7月18日(日曜) 深夜

 ツタヤが半額セールだったので、『ケンタッキー・フライド・ムービー』を鑑賞。おもしろい。

 ただ、ケタケタ笑い転げていたら首の筋をちがえてしまった。

 おかげで現在、視線を移すときは「目玉だけを動かす」か「身体ごと動かす」かの二者択一を迫られております。

 さっき携帯電話が鳴ったので取ろうとしたが、目玉を動かすだけでは場所が分からず身体ごと動かした。悔しい。

−−−

 そういや以前、職場で首の筋をちがえたときも同じ状態になった。

 ただ、職場のイスはキャスター付きの回転式なので随分と助かった。首が回らなくてもイスを回転させればたいていの事は解決するのだ。ああ、なんて便利なんだ回転イス! 

 …というわけで回転イスに頼る生活を送っているうちに、すっかり癖になってしまった。

 そして気がつけば、20メートルくらい離れた他部署の書棚まで回転イスのまま移動していて、みんなから「一体なにやってんですか!?」と呆れられたり。

 赤面しつつも、回転イスに乗ったまま退却しました。こんなヤツもいつかは昇進するんでしょうか。

 回転イスに乗ったままどこまでも移動してる上司に、威厳などこれっぽちもないと断言したい。

 

7月17日(土曜) 夜

 実家においてあった扇風機のロゴであります。

 超微風で"SUPER SLOW"。「スーパー」とかいって威張っているが、単に風が弱いだけだろう。

 しかし考えてみれば、何十年も前の時点ですでにSLOWなことが評価されていたのだ。

 スローフードとか言っても、ちっとも新しくないような気がしてきますな。

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 以前にも書いた覚えがあるが、「名倉さんって黙ってると、まともな人っぽいですね」と言われることがある。

 それは素直に嬉しいのだが、かといってずっと黙りこくっていてはどんどん「まとも」から遠ざかってしまう。かといって実際に口を開けば、挙動不審のせいかヘンな人だと思われてしまう。ああ、どうしたらいいのか。

 そこで思い至ったのがチャットである。文字だけのやりとりなら挙動不審がバレることなく、適度なコミュニケーションを保つことができるのではないか。

 …てなわけで知人とチャットしていたところ、しばらくしたら指摘されたのでした。

 「名倉さんって思っていた以上にヘンですね」

 はい、了承いたしました。

 

7月15日(木曜) 深夜

 ウチのアパートから徒歩数分のロケーションに、老夫婦が細々と営んでいる雑貨屋がある。

 いつ見ても客の姿はゼロ。それはいいのだが、気になっているのが店頭のステッカーである。

 こんなのが貼られたまま、何年も営業が続いているのだ。店の前を通るたびにワケが分からず考えこんでいた。

 だが最近、ようやく事情がつかめてきた。

 謎を解くカギは「70%引き」のステッカーが最も激しく色あせていること、そして「閉店」のステッカーが二枚あることである。

 以下はぼくの推論。

  1. 数年前、あまりにも客が来ないから「70%引き」のステッカーを出した。
  2. だが一向に売れる気配がない(そりゃそうだ。もともと客がゼロなんだから、いくらセールしたって客はゼロである)。
  3. そこで観念して「閉店」のステッカーを出した。
  4. それでも客はこない。
  5. 業を煮やした老夫婦、ホントに閉店するですよ! とアピールするため「閉店」ステッカーをもう一枚加えた。
  6. 当然ながらそれでも客はこない。
  7. 在庫を売りさばくまで店を続けてようと思ってたら何年も経ち、現在にいたる。

 なんか悲しくなってきて、罪滅ぼしに100円のキーホルダーをひとつ購入。余計に悲しくなった。

 こう考えると、巷にあふれる「閉店セール」もあながちウソではないのかもしれません。どんな店だって、あと100年も経てば無くなってる。

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 さて本日、Go smoking の連載コラムが更新されてます。

 今回のタイトルは「どんどん彼方へ追いやられ」。 いつも通勤で使っている駅ホームの灰皿がどんどん端っこに追いやられていく切なさについて書いてみたレポートです。そして災い転じて福となり…。

 よろしければご覧くださると嬉しいです。

 

7月14日(水曜) 深夜

 新発売のC2コカコーラを飲んでみました。

 いろんな人がこきおろしているが、飲んでみたら普通においしかった。自分の味覚の鈍感さに意気消沈であります。

 世の中がまずいものばかりになりますように。そしたらぼくも、人生勝ち組の仲間入りだ。

−−−

 それはさておき、電気シェーバーを買い替えようと思って電器屋に行った。

 で、商品を手にとって見ていたら、ヌッと現れた店員が得意げに解説しはじめたのでした。

 「お客さま、お目が高い! これは従来品よりもカッターの動きが高速なんです!」

 はァ…と聞き流していたらさらに、「リニア形式で動作するので非常に早いんです。いいですよー」と。

 ぼく:「高速だとどんな風にいいんですか?」
 店員:「ええと、そのぶん早く剃れるとか…、よく剃れるとか…。そのようなメリットがあると思います」
 ぼく:「そうなんですか?」
 店員:「あいまいな説明で申し訳ございません。ええと、パンフレットによると、滑らかな剃り味ですとか…」

 訊いたぼくがバカでした。とにかく高速だったらいいに決まっているのだ。理由なんて必要ない。

 短距離走だって新幹線だって、速くなったらどういいのか? 突き詰めて考えるといまひとつ分からなくなってくるが、「速いと単純に嬉しい」という初心を忘れたらおしまいだと思う。

 もちろん、高速リニアの電気シェーバーを購入しました。意味なく動かして、速さを確かめてはニヤニヤしております。

 

7月13日(火曜) 深夜

 どんなことでも義務になるとイヤになる。逆に禁止されるとやりたくなる。

 …とよく言われるが、これが「自分で決めた義務」であっても同じなのがちょっと可笑しい。

 思い出すのが小学校の頃のエピソードだ。

 当時ぼくはエビが大嫌いで、給食の献立に「エビ入りマカロニサラダ」が出されるたびに大騒ぎしていた。それこそ鼻をつまんでお茶で流し込まないと食べられないものだから、クラスメートたちも面白がってぼくの姿を見物するようになった。

 気がつけば、「エビ入りマカロニサラダ」が給食に出る日は、クラスのみんなから注目されるようになっていた。「きょうはエビの日やぞ!」「ああ、名倉が半泣きになりながら食いよる日ィや!」「見たれ見たれー」なんてって。

 で、当初はみんなにウケるのが嬉しくて、ゲホゲホ言いながら食っていたわけです。ときには「オウェッ!」とか過剰演技して笑いをとって。

 でも次第に、これが重荷になってきた。給食にエビが出るたびに苦しまないといけないのだから。言ってみりゃあ「エビ嫌いでいなくちゃならない義務」である。

 そんなある日、突然、エビが美味しく感じるようになってしまった(おそらく義務の反動である)。あれ、エビって美味しいやんけ。…なのにクラスメートたちは、ぼくがゲホゲホ言いながら食べるのを期待して見物にやってくる。ああ、めんどくさい!! うっとうしいんだよオマエら!!

 そして何度目かのエビ給食の日、ついにキレてしまったのでした。

 「…オレが普通にエビ食ったっらアカンのかよ! ああエビは美味いよ! ほっといてくれ!!」

 いったい何が起こったのかワケが分からず、あっけにとられてポカーンとするクラスの面々。

−−−

 こういう習性は今もぜんぜん変わっていないなァと思う。

 最近でも、「子持ちシシャモが好物」と公言してしまったばかりに、飲み会のたびにみんなからすすめられるようになった。そして案の定、子持ちシシャモなど食いたくも見たくもなくなってしまったという次第でありまして。

 いっそ職場でも公言するか。「仕事が嫌いなんです!」「サボるのが大好きなんです!」

 これで仕事をしたくてたまらなくなるといいのだが。

 

7月12日(月曜) 夜

 祖母の家につるしてあった風鈴です。

 「趣味の風鈴」と書かれてはいるけれど、ほんとうに風鈴が趣味だという人はこんなのを吊るさないだろう。

 それともこれを見て、「おお、風鈴がご趣味でしたか!」なんてって感心する人がいるというのか。

 ちなみに広辞苑によれば、趣味は「専門家としてでなく、楽しみとしてする事柄」という意味。こう考えればまァ、上の風鈴だって趣味は趣味である。というか、専門家ではなく楽しみのためにやっていれば、どんなことだって趣味だと公言できるのだ。

 ぼくもつくづく多趣味な人間である。道楽者というべきか。

 ちなみに趣味の風鈴は、チローン、チローンと侘しい音をたてておりました。

 

7月11日(日曜) 夜

 祖父の法事でがあったので祖母宅に行っておりました。

 居間には祖父の遺影が置かれていたわけですが。

 気になったのは遺影が広辞苑で支えてあること。

 辞典といえばインテリアの代表と相場は決まっている。祖父はぼくに似て見栄っ張りな性格だったので(というか逆ですか)、読みもしないくせにやたらと辞書の類を購入する癖があったのだ。

 しかし今やインテリアを超えて、逆の意味で「実用品」になっている。辞書といえば重いものの代表でもある。

 生前の祖父もまさか、見栄で買った広辞苑に自分の遺影が立てられる日がくるとは思ってなかっただろう。

 天国の祖父の心中を思うと、ちょっと哀しい笑いがこみ上げてくる。「本棚に並べとくのや!」という祖父の叫びが聞こえてきそうである。

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 昨日の日記(メロディ検索)について、何人かのかたからメールをいただきました。

 なるほどー。どれもなかなか使えそうですな。あるていど鼻歌が上手、という条件つきではありますが。

 でも人力検索だと、知りたいのがあまりにも有名な曲だったら恥ずかしそう。「それ、ベートーベンの第九です!」なんてって。

 

7月10日(土曜) 深夜

 夜10時から深夜4時まで夜寝してしまった。やばい、健康的だ。

 いまからウイスキー飲んで寝ることにしよう。

−−−

 ところで、インターネットのおかげで「何かを調べる」のが飛躍的に便利になった。

 たとえば意味が分からない流行語なんかも、キーワード検索すればたいていすぐに調べられる。

 これがネットのない時代だと大変だった。辞書には載ってないし、かといってわざわざ知人に電話して聞くのも恥ずかしい。おかげでしばらくの間、どういう意味なんだあ!? と悶絶して過ごす日々が続くことになる。

 「顔は知ってるけど名前が分からない芸能人」だって、ネットならけっこう簡単に調べられる。出演テレビ番組などの情報さえあればOK。

 これもネットのない時代だと大変だった。本屋に行って芸能人図鑑みたいなのを立ち読みするも、ページ数が膨大で埒が明かない。しびれを切らして知人に訊いてみるも、みんな分からないと言う。

 ああ、これはもう永遠の謎のままなのか…と肩を落としていたらふと、その名が「石倉三郎」だったことを思い出して、虚脱したりしたものだった。

 こう考えるとつくづく便利な時代だと思うが、残る課題は「メロディ検索」だろうか。

 メロディは覚えてるんだけど、誰のなんていう曲だったのかどうしても思い出せない。恥を忍んで、知人の前でメロディーを鼻歌して曲名を尋ねるも、音痴であるせいか一向に分かってもらえない。かといって楽器も弾けない。…こんなとき、「ああネットで検索できたらなァ」と思うのだ。

 マイクに向かって鼻歌をうたえば、それを検知して曲名を表示してくれるようなサーチエンジン。

 でもよく考えたら、人にも分かってもらえないような鼻歌が、果たしてコンピューターに判別できるのかという疑問も残るけれど。

 がんばって鼻歌うたっても、ぜんぜん違う曲ばかりヒットして落ち込みそうな予感。

 

7月9日(金曜) 深夜

 週末なので飲みにいってました。喉元まで迫りくるゲロ、ゲロ、ゲロ。

 そして帰宅して電気をつけたら、部屋にゴキブリが。うわっつ!!

 ゴキブリは視線を外すと逃げると言われるので、じっと凝視しつつ殺虫剤を探す。通勤カバン提げたまま。

 たしか殺虫剤は本棚の裏に…。ようし、ゴキブリめ動くなよ。そろり、そろり…。

 痛てっ! ガッシャーン!! うわっ!!

 ゴキブリを凝視するあまり、食卓(卓袱台ですえけど)に思いっきり足をぶつけて皿やコップをぶちまけてしまったのでした。

 直後、見ればゴキブリは案の定、姿を消しておりました。やはり音にビックリしたか。オレと同じじゃないか。

 「今回は相討ち」と自分に言い聞かせつつ、次回の勝負がないことを祈ることにします。

−−−

 ええと本日、デイリーポータルという有名サイトでぼくの特集記事が掲載されております。

 「京都めぐり珍道中」と題する特集記事。Webやぎの目 の林さんと一緒に京都を巡り歩いたレポートです。なんというか、もう、自分を捨ててベタにがんばった記事。ぼくのもっさりした画像が載りまくりです。さっそく後悔しております。

 自己卑下以外に失うもののない、かわいそうな人の末期をご覧いただければ幸いです。

 「わざとやってるんだ。うん、わざとやってるんだから!」と自分に言い聞かせつつ。ああ、なんて可哀想なんだオレ。

 ゲロ吐いてきます。もうダメだ。ぼくの人生はこうしてどんどん…。

 というか、そんな大したものでもないんですが。ぼくのサイン本プレゼント企画もありますので是非、ご応募いただけると嬉しいです。

 本当に申し訳ありません。あらかじめ謝っておきます。あやまるのは得意です。はい。あうあう。早く死んだほうがいいですか。

 

7月8日(木曜) 深夜

 「世界で唯一の〜」なんていう表現をたまに目にする。

 なんとなくスゴいなァ、という気分になるけれど、どうなんだろう。

 先週末、お寺を散歩してたときも見かけた。

 世界唯一の鋳鋼製梵鐘。

 梵鐘といえば通常、青銅で作るものである。鋼で作るのは確かに珍しいのかもしれない。

 でも梵鐘て、青銅で作るのがいいからスタンダードなのではないか。鋼で作るのがいいなら、この合理化社会、とっくに鋼製の梵鐘が主流を占めているだろう。

 これだったら、いっそなんでもアリである。

 「世界唯一の〜」なんてのは、ダメなことしてるの代名詞なのかもしれません。

 

7月7日(水曜) 深夜

 仕事が忙しくなってきて困っております。

 ホームページは読んでくれる人が少々増えても、実生活は全然変わらないのでいいのだが、仕事は顧客が増えると忙しくなるから困る。今後の課題である。

 というか、こういう発想ばかりしてしまうのがぼくの課題か。

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 トイレットペーパーの特売を買うために、高いガソリン代を払って遠くまで出かける人がいる。けっきょく支出は同じ。馬鹿げてる。

 …というようなコトを言う人がいるが、まったく馬鹿げた話である。高いガソリン代を払ったとしても、当人がそれで幸せならいいではないか。幸せなんて所詮は主観的なものなのだ。他人が決めるべきことではない。これでいいのだ。

 …というようなコトを言う人がいるが、まったく馬鹿げた話である。ガソリンを使って遠くまで出向いて「同じ製品」を買う。グローバルな視点にたつと、これは資源の浪費に他ならない。限られた資源を無駄にしておきながら、「これでいい」というのは、甚だ安直な考えかたと言わざるを得ない。

 …というようなコトを言う人がいるが、まったく馬鹿げた話である。よりワイドな視点にたつなら、ガソリンを使うことによる経済効果を視野に入れて考えるべきである。現在の人類が資源を消費しながら暮らしているのは自明の前提。いまさら資源の無駄などと述べるのは視野狭窄である。

 …というようなコトを言う人がいるが、まったく馬鹿げた話である。宇宙レベルでのエントロピーで考えると(以下略)

 長々とすみません。ええと、世の中の議論はだいたい、こういう感じで進んでいるんじゃないかと思う昨今であります。

 でも、当人がやってることは「トイレットペーパーを安く買うために遠出してる」だけ。なにも変わっちゃいない。

 本当に宇宙レベルで考えたら、地球の資源がどう変化しようが別に大したことじゃない、ってことになくなってしまう。グローバルも考えものである。 だったら上述の件も、「けっきょく支出は同じだから馬鹿げてるよねー」で留めておけばいいのにと思う。

 人はみんなと違うことを言うのが好きなだけ、なのかもしれません。

 

7月6日(火曜) 夜

 職場で風邪が流行っている。

 みんなゲホゲホいってるのだが、ぼくは今回なぜか大丈夫である。

 ただ、同僚たちは虚弱体質なぼくを気遣ってくれる。「名倉さんはだいじょうぶ?」

 みんな風邪なのに自分だけひいてないのも申し訳ないので、ついつい「そういやちょっとしんどいかも…」なんて言ってしまい。

 おかげで「早めにコレ飲んどくといいよ」と風邪薬をすすめられ、断りきれずに飲んでしまいました。なに飲んでんだオレ。

 さっそく眠くてダルくて調子わるい。風邪の初期症状と信じたい。病は気から。

−−−

 帰宅後、DVDでセルフ映画上映会。

 プレステ2でDVDを再生しているせいか、作品によっては画面が妙に縮められてうつる。シネマスコープサイズ(横長)で収録してあるのが普通サイズの画面で再生される結果、画像が縦長になってしまうのだ。

 シリアスなサイコサスペンスなど観ていても、登場人物の顔がみんな妙に細長いから間が抜ける。乗りつけられるキャデラックなんかも、車長が妙に短くなるから軽自動車みたいになる。これではまるでコントを観ているようなものである。

 で、立った姿勢で画面を見下ろす形で鑑賞したら、画像が上下にも圧縮されて見えるかと思って試してみたんですが。

 ものすごく悲しい結果に終わりました。思わず笑ってしまうくらい悲しい。

 でも、普通サイズで収録されたのをワイドスコープで見るよりはマシか。登場人物がみんなデブになる。

 

7月5日(月曜) 深夜

 他部署のベテラン社員、丸井美紀さん(仮名)がウチの部署にやってきた。

 丸井さんはぼくに打ち合わせの用事があって来たのだが、そのときちょうど手が離せない仕事があった。そこで彼女の社員携帯電話の番号を聞いて、改めて連絡することにした。

 机上のメモ用紙が切れていたので、たまたま手元にあった自分の名刺に彼女の名前と電話番号を書き込んだ。そして丸井さんは、「失礼いたします」とウチの部署を出ていった(…ものだと勘違いしていた)。

 僕の手元には、女性の名前と電話番号が書かれた名刺。なんかキャバクラ嬢みたいである(よく知らないけど)。

 で、これはちょっとウケるかなと思って、同僚に名刺を見せながら「これじゃあ丸井さん、キャバクラ嬢みたいですねー」と言ったところ。

 ドアを開けて出て行こうとしていた丸井さんが、チラッとこちらを振り向く姿が視界に入ったのでした。ああ! いや、そうじゃなくて!!

 ただ打ち合わせに来ただけなのに、あまり面識もない後輩の男性社員からいきなりキャバ嬢呼ばわり。

 今後、どんな顔をして丸井さんと接したらいいのか頭を抱えております。タイムリー・ミステイク人生。

 …正直に事情を話しに行くか。いや、ダメだダメだ。ものすごく苦しい言い訳と思われるに決まってる。

 

7月4日(日曜) 夜

 一日ずっと自室で作業してたのでクタクタに疲れております。

 こんなときはウナギでも食えばいいのかもしれないが、部屋から出る気力が湧かない。かといって冷蔵庫にあるのは、もずくとサツマイモのみ。

 本日の夕食は焼き芋ともずく。ひもじい。とくにもずくが。

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 ところで先日、職場の同僚と「パジャマをどれだけ洗濯するか」という話になった。

 ぼくの場合、夏場はパジャマではなくTシャツ&短パンで寝ている。Tシャツは毎日洗うが、短パンは週に一度くらいしか洗わない。

 ちなみにパジャマを着ないのは、休日などにそのままの格好でも罪悪感なく過ごせるからである。一日中パジャマ姿だと自分がダメ人間なことを実感させられるうえ、そのままコンビになどに行けないから面倒なのだ。

 …と、ここまではよかった。みんなから「そうだよねー」と言ってもらえた。

 が、冬場は週に一度くらいしかパジャマを洗っていないことを正直に話すと、「汚いですねー」と言われてしまった。冬場でも2日に1回は洗濯しているというのである。

 ちょっと待て。ぼくの話を最後まで聞いてくれ。冬場はTシャツの上にパジャマを着るから、そんなに洗わなくても大丈夫なのだ。

 このように弁明しても、いったん貼られた「不潔」のレッテルは変わることはなく。むっかー。

 だいいち、毎日洗濯するなんて水資源や電気のムダ遣いじゃないか。自分さえ清潔で快適に過ごせりゃ、アフリカの伐採で飢餓者が増えても平気なのか!? パジャマを一枚洗うたびに3.2人のアフリカ人が多く死ぬことになるんだよ! え、そんな話聞いたことないって? ああウソだよ! 真っ赤なウソだよ馬鹿野郎!! 

 普段は環境のことなんてちっとも考えてないくせに、こういうときだけエコロジストになっております。よーし洗濯しないぞー。宇宙船地球号のためだー。

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 でも実際、いちばん地球に優しいのはホームレスの方々かもしれませんね。車にも乗らないし洗濯もしないし電気も使わない。

 だから、部屋でパソコン使ってネットでエコロジーとか言ってる人は(以下略)。

 

7月3日(土曜) 深夜

 ニフティのイベントで「デイリーポータルZ」が大阪に来るというので見に行ってきました。

 Z君と呼ばれる人形(着ぐるみだけど)が、ニフティのポータルサイトを宣伝する催しである。

 会場に行くと「よかったらZ君、かぶってみますか?」と言われたので、かぶらせてもらうことにした。ただ、そのままかぶろうとしたらスタッフの方から注意を受けた。「あ、メガネは外さないとだめですよ」

 で、言われるがまま、メガネを外して着ぐるみをかぶってみたところ。

 

 ぼくは裸眼の視力が0.01以下なので、メガネを外すとほとんど何も見えないんである。このままでは歩くことさえおぼつかない。かといって、着ぐるみの上からメガネをかけられるわけがない。

 そこでやむなく「のぞき穴」にメガネを密着させて、なんとか事なきを得たのが上の写真であります。ああ、これなら見える! 

 そういや、ゴレンジャーやガオレンジャーといった科学戦隊モノも着ぐるみを身に着けて活躍している。しかし中には、メガネをつけないと視力を維持できない隊員だっているんじゃなかろうか。弱視のまま戦っているというのでは、人類の将来も甚だ心もとない。

 かといって、メガネをしたままゴレンジャースーツをかぶると、外見的に大変なことになるのは想像に易い。

 そこで提案したいのが、今回ぼくがとった方法。「着ぐるみの外にメガネを密着させる」である。

 四方を敵に囲まれたゴレンジャー。そこでサッとメガネを取り出し、顔面の「のぞき穴」に密着させるのだ。

 おお、見えるぞ敵が! ようしチョップ、キック、ラリアート!! …顔面メにガネを密着させながら。

 ちなみにコンタクトレンズは連続装用に難があるのが欠点。24時間勤務であろう科学戦隊の方々には是非、この手法をオススメします。

 

7月2日(金曜) 夜

 金曜日なので、予定通り酔っ払っております。

 ビール×3、日本酒×2合、ウイスキー×2杯、ハイチオールC×3粒。

−−−

 飛行機の座席は狭くてつらい、という声をよく耳にする。

 ビジネスクラスなら多少は広いが値段が高い。庶民はもっぱらエコノミークラスであるが、これが狭くてかなわない。長時間じっと座っていると血行不良で死んでしまうという話も聞く。

 だが、エコノミーの値段で快適な座席をとる方法というのを知人Hさんに教えてもらった(常識かもしれませんが)。

 非常口 付近の特別席(前方には何もない。もしくは壁がある)に座りたいと指定すれば、空いてれば取ることができるのだ。おまけに、スチュワーデスの席と向かい合わせというスイートスポット。ああ、足を思う存分伸ばせるうえに、スチュワーデスのパンチラや秘貝、陰核などを見たい放題なんである!!

 ただ、このスペシャル座席を取るためには添乗員の手伝いをしなくちゃいけないと聞いた。そうかー。乗客が寒がってるときは毛布を渡したり、ビールを欲しがってる客には配ったりしなくちゃならないのか。ううむ、迷うところである。

 …と逡巡していたら、Hさんが呆れて言ってきたのでした。「そうじゃなくて、緊急時に乗客の避難とかを手伝うのよ!」

 ああ、そうだったか。そういうことでしたか。確かに、スチュワーデスに毛布やビールを頼んで普通の乗客に持って来られたら、「おまえ誰だよ?」てなもんだろう。

 ただ、スイートスポット席を取る場合、事前に「緊急時には乗客の避難を喜んでお手伝いします」と申し出ないといけないんだと。で、調書にサインすれば無事にスペシャル座席を取れるという次第らしい。

 そして、さらに注意を受けた。「非常口席には二種類あってね。前方が壁になってて狭い席と、何もなくて広い席と二種類あるから、壁があるほうの席だったら断らなきゃダメよ」と。

 なるほど、「緊急時には乗客の避難を喜んでお手伝いします」と申し出たとしても、壁がある席しか残っていなかったら断らないといけないのだ。「あ、やっぱり手伝う自信がなくなってきました…。いまのナシで!」なんつって。

 さっそく、小心者の自分には無理だなァと思っております。ぼくなどはエコノミーで死ねばいい人種なんだと心底思って激しくションボリ。

 

7月1日(木曜) 深夜

 「紅一点」という言い回しがある。

 たくさんの男性の中に一人だけ女性がいる状況を指す言葉であるが(野原に咲く一輪の花という意味だとか)、だったら、これと逆の状況を指す言葉はどうなるんだろうとたまに思う。

 たくさんの女性の中に一人だけ男性がいる状況。

 ふつうに考えると「白一点」になりそうだが、なにか違う気がするし、だいいちこんな言い回しなど聞いたことがない。イメージ的には「黒一点」あたりだけれど、紅の反対が黒というのもおかしな話である。

 そしてふと思い当たった。紅一点の反対は「両手に花」ではないか。女は少なくても多くても花、そして男はいつも引き立て役。

 …なあんてなコトを考えて悦に入っていた本日であります。いかにもオッサンが思いついて自慢そうな話だ。

 40歳くらいになったら飲み会の席で披露して、若手社員を困らせることにしよう。楽しみがひとつ増えた。

−−−

 さて、Go smoking の連載コラムが更新されてます。

 今回のタイトルは「過激な禁煙」。 ぼくの職場は完全禁煙になって久しいのですが、上には上がいた。知人の勤務先は「タバコを持ってくること禁止!」という、ものすごい規則が設けられたらしく。このことについて書いてみました次第であります。

 よろしければご覧くださると嬉しいです。

 


   2004年 6月のプチ日記 

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