2008年11月のプチ日記

11月28日(金曜) 深夜

 職場で仕事していたら突然、コオロギらしき鳴き声が聞こえてきた。リィリィリリリリリ、リィリィリリリリリ…。

 こんな時期にコオロギが? それも部屋の中に!?

 20分ほど後、再び聞こえてきた。リィリィリリリリリ、リィリィリリリリリ…。

 一体どこにいるんだ! とデスクの下を捜し始めたのだが、一向に見つからない。しまいには仕事などそっちのけで、数人がかりで捜し回ったものの、やっぱり見つからない。ああ、気になってしかたがない。

 そして数時間後、犯人が判明した。またもやリィリィリリリリリ…と鳴き始めたとき、外回りから帰ってきたばかりの同僚Yさんが声を上げたのだ。

 「すみません、ケータイの着信音、切るの忘れてました!」

 まったく人騒がせな話である。こうなったらぼくも、蚊の飛び回る音を着メロにしてやろうか。

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 帰宅して夕食をたべたら眠くなってきたので、携帯電話をマナーモードにして少しだけ仮眠した。

 数分後、「ブルブルブルブルッ!」というびっくりするような轟音で飛び起きた。枕元のサイドボードに置いていた携帯が振動したおかげで、ものすごい音が耳元で鳴り響いたのだ。

 まったく、いろいろうまくいきません。

 

11月27日(木曜) 深夜

 契約期間が終わった看板広告は、たいてい真っ白に塗りつぶされる。

 不況のあおりを受けてか、こういう「募集中」の看板広告を最近とみに多く見かける気がする。塗りつぶされるとかえって内容が気になるもので、白いペンキの下にうっすら見える広告を躍起になって読んでしまったりするのだけれど、それはさておき本日の広告募集。 

 真っ白に塗りつぶそうとしたものの、どうやら白地が足りなくなったらしく、下のほうはオレンジ色の下地になっている。おまけに、オレンジ地さえも足りなかったようで、残りはそのまま露出しているという体たらく。ほとんど現代アートである。

 看板の持ち主も不況のあおりを受けて、白地を購入する余裕がないんだろうか。それともこうやって、わざと目立つようにしているんだろうか。

 よく分からないけれど、こんなに貧乏くさいものを見たのは久しぶりで、思わずカメラに収めてしまった一枚です。

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 この看板、なんだか気に入ったので、レタッチで自己顕示してみました。

 いつか、こんな看板を出せるようになりたいものです。

 

11月26日(水曜) 夜

 旅好きのSさんという同僚がいる。

 ただ、Sさんは旅行に輪をかけて酒も好きなので、旅に出ると必ず最初っから最後まで飲み続ける。

 電車に乗ったらまず一杯、飛行機に乗っても手持ちのウイスキーを一杯、現地に着いたら着いたでまず一杯、昼食時に一杯、二杯…。もちろん翌朝は迎え酒で一杯、という調子であるから旅中ほとんどフラフラで、旅から帰ってみると、いつも「ほとんど記憶がない」のだという。

 いろいろ遺跡とか巡った気はするのだけれど、どこに行ったのかテンで分からない。もちろん写真も撮っていないから、どんな光景だったのかもよく分からない。ただなんとなく、茶色い建物があって、あと木がたくさん生えてたなァくらいの記憶しかないんだとか。

 唯一クッキリ憶えているのは、旅に出る前日にパッキングしながら、忘れ物はないだろうかと不安になっているときの自分だけらしいから、なんとも豪快な話である。何日もかけて海外に出向いて、あちこち観光したあげく、記憶に残っているのは旅行前日の不安なひとときのみ。

 これだったら、旅行なんぞ行っても行かなくても同じではないかと思うが、それでも大の旅好きだというSさん。ひょっとすると、記憶なんてなくしたいから旅をしてらっしゃるのかもしれません。

 まァぼくも、酔っ払って調子に乗ってバーとかに入ってたりする「らしい」ので、人のことは言えませんが。翌朝はただ財布の中身が減ってるだけ。

 

11月25日(火曜) 深夜

 職場の飲み会で中学・高校時代の話題になった。

 で、向かいの席の人から「名倉さんはどうだったんですか?」と話を振られたので、「なにしろ中高一貫校だったんで、もう世間知らずというか、どうしようもなかったですね」などと答えていたら、隣の席からぼそっと言われた。

 「私も中高一貫校だったんですけど。…世間知らずで、どうしようもないですよね」

 その後、映画の話題になって。

 今度は隣人が「最近の宮崎アニメってあまり好きじゃないんです」と言うものだから、これは我が意を得たりと思って、「そうそう、最近の宮崎アニメってぼくもあまり好きじゃないです!」「あと、かもめ食堂とかも、いけ好かない感じですよね」と合いの手を入れたら、しばらくの沈黙あって隣人いわく。

 「あのう私、かもめ食堂、すごい好きなんですけど…」

 どうしてこうなるんでしょうかねえ。社交ってこんなに難しかったっけ?

 今後はもっぱら、お天気の話などに専念しようと思います。この一週間の気温変動とか、湿度の話題とか。

 

11月24日(月曜) 深夜

 連休中、天気がよくて紅葉もキレイだったので、近くの公園にてセルフ飲み会をしてきました。

 小型のガスコンロとフライパン、食材、お酒。これさえあれば、どこでも即席居酒屋になるから頼もしい。

 で、「とりあえずビールで」「あと餃子もひとつ」と自分に注文して、当初はいい塩梅だったんですが、次第にヒートアップしてしまいまして。

 「チキンのハーブ焼きひとつ!」「あとウイスキー、ボトルで!!」という展開になり、気がつけばボトル半分ほど飲んで、ひとりでヘベレケになりながらチキンをほお張っていたのでした。だんだん興が乗ってきて、近くで遊んでいたチビッ子に手とか振ってみたり。

 ほうら、阿呆のおっちゃんだよー、こんなオトナになっちゃダメだからねー。

 そして酔った勢いで、まわりに落ちていた銀杏の実を片っぱしから採取して、自分へのみやげとして帰宅したのでありました。銀杏のうんこみたいな臭いプンプンさせて。飲みすぎて便失禁した酔っ払いみたいな風情で。

 それにしても、桜が咲いたり紅葉が色づいたりすると、昼間っから飲んでてもあまり怪しくないのがいいですな。

 ちなみに持ち帰った銀杏、調べてみたら52粒もあった。酔っ払いの熱意はなんだか分かりません。というか、「ウイスキーのボトル片手に公園で猛然と銀杏を拾いまくる男」という図自体、ちょっと際どい感じにて、ああこうして秋も終わるんだなと。

 

11月21日(金曜) 深夜

 本日のセール。

 では「白菜」はいくらになるでしょう?

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 いま住んでいるマンションの隣人が気になる。

 いつも部屋にいる様子なのだ。いつだって隣室から物音がしたり、音楽が聞こえてきたりする。休日などは一日中ずっと、部屋にいる気配がする。引きこもりの青年ではないだろうか。

 …と心配していたのだが、考えてみたら、部屋にいる隣人がそれだけ気になるということは、同じ時間だけぼくも部屋にいるわけだ。ただ単に、お互い同じくらい部屋にいるだけの話であって、ひょっとしたら向こうも、ぼくに対して同じようなことを思っているかもしれない。

 「ウチの隣人、休日はいつも一日中ずっと部屋にいて変なんです!」

 それはオマエも一緒だろ、という話なので、あまり人に言わないようにしようと思います。

 

11月20日(木曜) 深夜

 寒くなってきたので、ときどき家でおでんを作っている。

 おでんというのは、あまり煮込みすぎずに火をとめて、一晩かけてゆっくり冷ますほうが美味しく仕上がる。なので厚手の鍋で煮たあと、そのまま蓋をしたうえに不要な布を幾重にも被せて、なるべくゆっくり温度が下がるように心がけている。

 「不要な布」などと婉曲に書いたけれど、要は着なくなったTシャツやパンツ(下着のほう)である。翌朝、下着の山からおでんを発掘するのは、自分でもあまり気分のいいものではないが、不要な布など他にないからこればかりは仕方がない。

 ただ、おでんを秘めたこの下着山、冬場は実に具合がいい。寒くて指がかじかんだ時なんかにそっと手を置くと、なんとも心地よい温もりが伝わってきて、ちょうどいい暖房になるんである。ああ、なんと甘美なぬくもり、すさんだ心を暖めてくれる灯火のような…(って、おでんを包んだ下着の山だけど )。

 そこで思いついた。これこそ、湯たんぽとして利用すればエコなのではないか? 

 通常の湯たんぽは、そのために湯を沸かさなければならないから余計なガスを消費するけれど、おでん湯たんぽは食事をつくる際の放熱を利用するから余計なガスを消費しない。おまけに、ふとんの中に入れるから、ますますゆっくり冷ますことになり、ますます美味しくなると期待できる。素晴らしい!!

 …と自画自賛していたのだけれど、よく考えたらこれ、湯たんぽ型の鍋で、なおかつ本体と蓋を密封できる構造にしなくちゃならない。実際に作るとなるとかなり大層な構造になりそうだから、やはり実現は難しいかもしれません な。

 これならまだ、湯たんぽ型のノートPCを製品化して、ふとんの中に置けるようにするほうが現実的でしょうか。

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 さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「顔認証たばこ自販機よもやま話」。 最近タスポ自販機に代わって増えつつある、顔認証で年齢確認するタイプのたばこ自販機について、あれやこれやと勝手なことを物申しております。

 よければご覧いただけると嬉しいです。

 

11月18日(火曜) 深夜

 以前どこかに書いた気もするけれど、なんとも気に入っていて時折思い出す逸話でもひとつ。

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 心配性な性格が高じて調子を崩し、心療内科に通うことになった某さん。

 あるとき、どうにも不安が強くて眠れないと医者に訴えたら、その日から見知らぬ薬が追加処方された。うわ、いったい何の薬?? もしかして性格を変えてしまうような恐い薬なの!?

 ますます募る不安に辛抱たまらなくなった某さん、意を決してお薬相談のネット掲示板に書き込んだのだった。

 相談者:「新しい薬が突然処方されたんですけど、どんな薬なのか分からず不安で夜も眠れません。どうしたらいいでしょう」
 回答者:「お薬にはなんて印刷されてますか?」
 相談者:「デパスって書いてありますが…」
 回答者:「それは不安を軽くするお薬ですから、こういうときこそお飲みになってはどうでしょうか」
 相談者:「そうだったんですか。ありがとうございます!」

 見知らぬ抗不安薬を処方されて、ますます不安になる。インフォームド・コンセントの大切さを改めて思い知らされる一件ですな。

 

11月17日(月曜) 深夜

 少し前にはジャストサイズだったズボンが近頃、きつくなってきた。

 お腹まわりが太くなったせいである。運動不足&ビールのせいで脂肪がついてきたのかとも思うが、そういやここのところ便秘気味で、そのせいでお腹が張っているだけかもしれない。いや、きっとそうだ。ズボンがきついのはウンコのせいに違いない! どうかウンコであってくれ!!

 自分自身の肉ではなく、ウンコであってほしいと願う。おかしな時代になったものだ。

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 本日のケース。

 「バナナの携帯に」その名もバナナケースである(百円ショップで見つけた)。なんだかペニスケースみたいなのはさておいて。

 バナナダイエットとかのブームに乗じて製品化されたのだろうけれど、バナナなんてわざわざ専用ケースに入れて携行するようなモノなんだろうか。普通のビニール袋とかだとなにか不都合があるんだろうか。

 ずいぶん昔のことだが、エビアンを入れる専用の「エビアンホルダー」がブームになったのを思い出す。あのときも、ペットボトルなんぞそのままカバンに入れときゃ済む話だろうと疑問に思っていたのだが、今度はバナナである。ますますよく分からない。

 それとも、ケース・ビジネスというのは意外とおいしい市場なんだろうか? ちなみにぼくが持ち歩くことの多いグッズとしては、リップスティック、USBメモリ、サイフなどが挙げられるが、これらにも専用ケースがあったりするのか。

 ま、ぼくとしては柳の下のドジョウ狙いで、「バナナケース・ホルダ」を売り出したいところですな。

 

11月14日(金曜) 深夜

 隣部署の同僚の名前は覚えてないのに、ムバラク大統領とかのどうでもいい名前だけは覚えている自分にふと気づく。

 自分の脳みそはいったいどういう優先順位のアルゴリズムをしているのか。我ながら頭をかしげたくなる。

 そういや、ローマの選挙制度が「コンクラーベ」と呼ばれることも覚えてます。「根比べ」とかける人、続出だったやつ。

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 ダジャレといえば、町おこしのホームページなんかで、「○○どっと混む」という風なやつをよく見かける。

 言うまでもなく「.COM」とかけているわけだ。検索するとそれこそ山のような数のサイトがヒットするが、この呼称を考えた人たちはきっと名案を思いついたと大いに喜んだことだろう。周りの人たちも「こりゃ素晴らしいアイデアですな!」「うまいこと考えましたな!」なんて盛り上がって。

 実際にページを見てみると、いずれも「どっと混」んでいる雰囲気など微塵もないのでションボリした気分になってくるのだけれど、それはさておき。

 この名称のいいところは、その強力なとっつきやすさにあるのではないか。「○○どっと混む」とさえ表記してあれば、小難しいことなど100%皆無な、自分たちの手に届く、安心して見られるサイトという印象を与えることができるだろう。「知っ得コラム」なんか にも、これと同様の効果があるかもしれない。

  …念のために申し添えると、ダジャレを嘲笑しているわけでは決してありませんので。

  少なくとも、他人のダジャレを上から目線で軽蔑するだけの人よりは、がんばってダジャレ言ってる人のほうがずっと好きです。

 

11月13日(木曜) 深夜

 灰色のモケモケしたカーディガンを着ていた後輩F君に「おじいちゃんみたいなカーディガンやね」と言ったら、素直に嫌がられてしまった。

 こちらとしてはホントに悪気はなかったので、あわてて「いや、いい意味で!」と付け加えたのだけれど、それでも納得していない風だったので、つい不毛な議論を重ねることになってしまった。

 「いい意味でって言われても、おじいちゃんみたいとか言われたらヘコみますよ」
 「いや、そうじゃなくて。言葉通りに解釈するからオカシなことになるねん」
 「へえ!?」
 「だから、おじいちゃんみたいっていうのはあくまで比喩であって。言いたかったのは、落ち着いていて人生経験が豊富そうな雰囲気ってこと!」
 「…ほんとですか??」
 「そう、落ち着いて人生経験が豊富そうなカーディガン! どう考えても褒め言葉でしょ」
 「なんか嬉しくないなァ」
 「F君はちょっとばかり被害妄想の気があるね」
 「ええー、そんなことないですよ」
 「これだけ褒めてるのに、それを悪いほうにばかりとる」
 「そんなの、誰だって悪いほうにとりますよ!」
 「ほうら、頑固だ。こういうところも、おじいちゃんっぽい」
 「やっぱり、悪い意味じゃないですかっ!」
 「あ、いや…。これは、いい意味で頑固ってこと」

 気がつけばF君は、「落ち着いていて人生経験が豊富でありながら、被害妄想の気があり、いい意味で頑固」という、何がなんだか分からない人物像になっていたのでした。こんなマルチな並存を果たしている人がいたら見てみたい。

 思いつきだけでモノを言う悪癖、そろそろ何とかしなくてはと思います。F君のゾウ色のカーディガンはホントに悪くない感じだったんですけどねえ。

 

11月12日(水曜) 深夜

 楽しい時間は早く過ぎ、退屈な時間はなかなか過ぎない。

 ちなみに本日、近所のツタヤが半額レンタルをしていたので、前から観たかった「面白いに決まっている映画」を仕事帰りに借りてきたわけですが。

 これを観てしまったら、きっと楽しいから、アッという間に寝る時間になってしまう。…こう考えると、アッという間に今日が終わってしまうのが勿体なくなってきたので、映画を観るのはやめて部屋でゴロゴロすることにした。これなら割と退屈だから、寝るまでにたっぷり時間がある。

 というわけで、何をするでもなくゴロゴロしていたら、知らない間に居眠りしていて、気がつけば深夜。おお、もう寝なくちゃいけない時間ではないか。

 楽しい時間よりも短いものをとうとう発見してしまった。それは睡眠である。

 当たり前のことにこそ、真実があるのです。寝ると時間が経つとか、冬は寒いとか、食べないと腹が減るとか。

 ああ、この世は真実だらけだァー!! 

 

11月11日(火曜) 深夜

 少しでもセキをしたり鼻をすすったりすると、「お風邪ですか? 大丈夫ですか?」と心配してくれるF君という後輩がいる。

 ちょっと神経質だけれど、それだけに他者への配慮も行き届くんだろうか。F君、いいヤツじゃあないか。

 …と当初は思っていたのだけれど。

 その後の情報によると、どうやらF君は自分が風邪をうつされないために、相手が風邪かどうかを確認しているらしいのだった。相手が風邪だったら、あまり会話したり近寄ったりしないように警戒する。で、相手が風邪でないことが判ったら、余計な労力を払ってまで警戒しなくて済むというわけだ。

 うーむ、やっぱり神経質な人は自分本位である。ぼく自身、神経質なところがあるからよく分かる。

 そういやマスクも、自分が風邪ひいているときにする人と、周りが風邪をひいているときにする人の二種類に分けられますね。

 

11月10日(月曜) 夜

 家路に向かいながら京都市内を歩いていたら、後方から大きな声が。

 「ちょっと、ぼく! そこの坊ちゃん!! カバンから何か落ちたよ!!」

 もしや自分のことかと思って、とっさに振り向いてしまったのが猛烈に恥ずかしい。当然のことながら、声をかけられていたのはぼくではなく、小学生くらいの男の子だった。「ぼく! そこの坊ちゃん!!」に反応してしまった当方 はといえば34歳のハゲ中年。ああ、顔から火ィ吹きそうやがな!!

 声をかけた主であるおじさんは、振り向いたぼくを一瞥して立ち去って行かれました。その表情が「アンタのことちゃうでっ!」と失笑しているように思えたのは、どうか被害妄想だと信じたい。

 きっとぼくは、心のどこかで自分を少年だと思ってるんでしょう。気持ち悪いでしゅねー。

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 本日のレストラン。

 自宅の近所になるオシャレなレストランで、若いOLさんなどに人気なのだけれど、前を通りがかったらちょうど入り口に犬のフンが落ちてました。

 犬のフンって、すべてを台無しにするからいいね。

 ヴィトンのショップだって、入り口に犬のフンがひとつあるだけで、いい感じになること請け合いです。

 

11月8日(土曜) 深夜

 三菱東京UFJ銀行(それにしても長い名前だ! タイピングするのも面倒くさい)のキャッシュカードを利用しているわけですが。

 ここのところ統合によるシステム変更作業のためとか言って、ATMがしばしば何日間にもわたって休止してしまう。おまけに、たいてい金曜日から月曜日という週末にかけて休止するものだから、ヒマな週末にちょくちょくお金をおろしている身としては結構困ったことになってしまう。

 本日などが正にその典型で、昨日からATMが休止していたことなど露知らなかったため、今日・明日・明後日の3日間を1254円の所持金で過ごさねばならないという、誠にテンションの下がる展開になっておるのでした。

 で、こんなときに限って、倹約自炊に欠かせないサラダ油がちょうどなくなる、おまけにティッシュペーパーまでなくなるという憂き目に遭い、これら生活必需品は買わないわけにいかないので購入した結果、残高658円となってしまい。

 さらに週末は酒を飲むことにしている。ここで一応は逡巡し、まともな食材を買うか酒を買うかでかなり迷ったのだが、「栄養はいつでも摂れる。でも酒は今日しか飲めない」という、自分でもよく分からない結論に達して焼酎を買い込んだ結果、とうとう残るところ158円という悲しいことになってしまい。

 所持金158円で明日・明後日をどう乗り切るか思索中です。缶ジュースなど、もはや眼中に無し!!

 こういうとき猛烈に気になるのが、子どもの頃から取り置いている旧札の数枚。小学生の頃にお年玉でもらったお金で、将来価値が上がるかもと子どもながらに考えて、律儀に残してあるという代物。

 大人になってから、旧札には額面以上の価値などほとんど無いことを知り、だったらコイツらを使ってやろう! …と「ATM困窮」に陥るたびに考えるのだけれど、いざ店に持っていく段になるとどうしても手が止まってしまう昨今。

 普通の顔してレジに発泡酒とか並べながら、コイツらを出す勇気がどうしても出なくて。 どうして勇気が出ないのか、自分の胸に手を当てて考えてみると、「所持金がなくなった挙げ句、幼少時からのなけなしのタンス貯金をはたいて発泡酒買ってやがる」とか店員に思われるのが恥ずかしいんですが。というか、これはそのまま事実なんですが。

 ええっと、旧札って普通に使えるんですかねえ?

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 久しぶりに、書評のページ更新しました。

 たまに書いてみると滅法楽しくて、ついついロングな感じになってしまいましたが、よければご一読いただければ幸いです。阿呆の書評、無言に似たり。

 

11月6日(木曜) 深夜

 街中を歩いていると、「カメラ監視中」だの「センサー作動中」だのといった掲示によく出くわしますが。

 本日のセンサーです。

 「これより先に入らないでください。センサーが反応します」とあるけれど、どう見ても人が入っていて、何事もないのはどういうことなんでしょうかねえ。一休さんばりのトンチを使っておられるのか、それともセンサーは反応しているけれど、ただ「反応しているだけ」で何事も起きてないのか。

 センサーは猛烈に反応しているものの、反応というのはひょっとすると、人には聞こえない超音波が発せられているとか、人には見えない不可視光線が発せられているとかなのかもしれませんね。あるいは、周囲の気温が0.1℃だけ上昇する仕組みになっているとか。

 そういや以前、某メーカーの靴クリーナーを購入したら「目には見えない汚れを落とします」と謳ってあったことを思い出しました。目に見えない汚れだったら、そんなものは落ちても落ちなくても、どっちだって同じことではないのか? 

 そのうち、「目には見えないミクロ次元の画質にこだわった液晶ディスプレイ」なんていう代物が人気を博すかもしれませんね。

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 さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「タバコを吸う宮崎監督」。 先日ちょっと野暮用あって、宮崎駿監督についてネットで調べものをしていたところ、監督が喫煙していることを批判する文面があまりにもたくさんヒットしたもので、そのとき感じたことをとりとめなく書いてみました。

 よければご覧いただけると嬉しいです。

 

11月5日(水曜) 深夜

 自宅のトイレでうんこをすることがある。

 倹約という観点に立つなら、外でしたほうが得策なのだが(水道代の節約になる)、こればかりは分かっていても止められない。いま話題の小室哲哉氏なども、全盛期はおそらく毎日のように、自宅うんこをなさっていたことだろう。

 それはさておき。

 自宅うんこの欠点は、水道代がかさむこと以外にもうひとつある。それは、うんこが便器にこびりつく場合があるということ。いくら水を流しても、ちょびっとだけ付着したうんこがどうしても取れなくて、苦心なさった御仁もきっと多いのではなかろうか。

 こんなときにどうするか?

 もちろん、その場で便器タワシを持ち出して、チャチャッと汚れをこそげ落とすのもいいだろう。あるいはトイレ洗浄剤を垂らして、洗い流してしまうのもいいだろう。こういった現実的な方策に異を唱えるつもりは毛頭ない。

 ただ、私ならばそのままにしておく。なんとなれば、少し乾いたうんこの残骸を、その後の度重なる放尿によって少しずつ削っていく愉しみがあるから。

 これが滅法楽しい。

 便器に少しだけ付着したうんこに的を定めて、我がホースを固定しつつ、狙った標的を着実に溶解せしめていく。尿というのは体温と同じくらいに暖められているから、水洗では決して落ちないうんこであっても、努力の積み重ねによって着実に落城せしむることができる。難解なパズルをひとつずつ解いていく悦楽が、そこには密かに存在しているのである。

 便器タワシでこすれば即座にこそげ落とせるうんこを、あえてそのままにして娯楽とする。この精神は、昔の中国の貴族たちが、痒い部分をあえてそのままにして、それを引っ掻く悦楽に身を任せたのと同じようなものではないか。まさしく朕は貴族なり。 貴族でございま!!

 このように思索を重ねて、いささか自分に酔いしれている今宵であります。…すみません、ちょっと飲みすぎてホントに酔ってます。

 

11月4日(火曜) 深夜

 連休中は、大阪・新世界にて飲んだくれておりました。

 やっぱり新世界は、何度来てもタマラナイ魅力がありますねえ。

こんなカッコイイ(カッコワルイ?)ロゴが知らない間に登場していて、のっけから驚く。ある意味、新世界らしい雰囲気と言えますか。
 
新世界に足を踏み入れたとたん、道端でゴロ寝している人の姿があちらこちらに。生きてるのか死んでるのかすら判然としません。
 
スマートボールが若者からお年寄りまで、暮らしの一部として楽しまれているのが素晴らしい。ちなみに奥のおじいちゃん、上手すぎ。年の功。
囲碁将棋屋は昼間っから大繁盛。こういうのはやっぱり、ネット対戦ではなく対面じゃないとダメですな。将棋、一局打ちたかったけど勇気出ず。
 
定食屋はどこも昼間っから酒の応酬。みなさん見事な飲みっぷりで、我がことのように嬉しくなってくる。同類相憐れむの精神でしょうか。 「やまと屋」6号店にて軽く一杯。日本酒2合注文すると、おまけで1合ついてくる嬉しいサービス。けっきょく6合飲んじゃいました。
やまと屋ではトラブルが耐えないようで、こんな貼り紙が店内に。「店の客同士がけんかしてコップ割ったり」するのが茶飯事なんでしょうな。
 
新世界といえば串カツ。これに便乗した駄菓子も多数。でも170円は高すぎ。こんなモノが売れる新世界は、新世界じゃあない。 人気の串カツ屋には長蛇の列。ぼくは並んでまで食べる気力がないので、こういうときは迷わず、並んでいない不人気店に入ります。
天王寺で見かけたミッフィー。増殖ながら蝕まれる不吉なイメージを連想する、ホラーなミッフィーちゃんであります。
 
ガード下で売られていた財布。「コピー品ではありません」とあり、たしかにコピーではなくて、オリジナル柄でした。 いよいよ真打ち登場! 通天閣です。いつ見ても、なんか笑いそうになるたたずまい。今回はもう登るまいと思っても、つい酔って登ってしまう。
…というわけで、登ってしまいました。通天閣。大々的に「全国タワー高さくらべ」とか出してるくせに、ベベから数えたほうが早いという。笑。 登ってみたらこのありさま。よりによって…。と考えるのではなく、ビリケン様のいない珍しい通天閣を拝見できた幸運に感謝。酸っぱいブドウ。 傍らにはこんなモノが。ご本尊がアメリカに里帰り中なのに、堂々とレプリカを置くところが通天閣の醍醐味でありましょう。

 

11月1日(土曜) 深夜

 土曜出勤。残業にそなえて、カップラーメン持参で職場に臨んだわけですが。

 定時過ぎに「よしラーメン食おう!」と思って、容器に湯を注いでみたら、電気ポットの湯が少ししか残っていなかった。必死になって給湯ボタンを連打するも、落ちてくるのは涙のような雫のみ(当たり前である)。

 おそるおそるラーメンの容器を覗きこんでみたら、入っているお湯はたったの3センチ程度だった。麺すら半分くらいしか浸っていない。どうするよ!? 

 あわてて電気ポットに水を足してみるも、もちろんすぐには沸騰しない。そうこうしている間にも、麺はどんどんふやけてくる。ああ、もうダメだ…。

 とりあえず生沸きのお湯を少しだけ足して、水位5センチくらいまで上げて、そのまま撹拌したドロドロラーメンを口にしたところ。

 当然ながら猛烈に濃厚な風味にて、さしずめエスプレッソ・カップラーメン。大量のお茶でもって口直ししながら、なんとか全て食べ終えたのでした。

 で、こりゃあさぞかし身体に悪いだろうなァとゾッとしたのだけれど、考えてみたら、カップラーメンはいつも最後まで汁を飲んでいたのでした。

 カップラーメンって、あの粉末スープをそのまま喉に流し込んでるのと同じなんですよねえ。


2008年10月のプチ日記 

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