10月31日(金曜) 夜
隣の部署の同僚に、A4半ページ分くらいのコメント文章を書いてもらうことになった。
で、とりあえずメールでお願いしてみたところ、その日のうちに1ページ分くらいの長文メールが返信されてきた。あれ? 半ページ分くらいでいいって言ったのに。それともコメントを書く仕事がよほど楽しくて、ついついたくさん書いてしまったか。
怪訝に思いながらメール本文を読んでみて、卒倒しそうになった。書いてあった長文メールのはすべて、現在の自分がいかに多くの仕事を抱えていて、いかに忙しいか、他部署のためにコメントを書くのがどれだけ無理かに関する文面だったのだ。そりゃもう、微に入り細にわたり、そんなことまで訊いてまへんがなっ! という事情まで懇切丁寧に述べられていて。
こんな長文をしたためる時間があるなら、たかが半ページ分のコメントくらい…。
と、喉元まで出かかりましたが、職場で波風立てるのもはばかられるので、こうして全世界に向けてこっそり発信しておる次第です。
10月30日(木曜) 深夜
少し前、大切な仕事が入っているときに風邪で体調を崩したことがある。
先方に提出しなくちゃならないレポートの期日が迫っているのに、まったく手を付けていない状態のまま高熱を出してしまったのだ。これでもしも間に合わなければ会社が大変なことになってしまう。ここは何としてもレポートを仕上げなくてはならない。
…とまァ、このような按配だったのだが、そのとき上司からこんなことを言われた。
「つらかったら会社は休んでもいい。ただし、仕事だけは寝てでもやってくれ!!」
寝てでもやってくれ。って、なんだ、この間抜けな感じは。
上司としてはおそらく、病床に臥せりながらでもレポートだけは完成させてくれ、と言いたかったのだろう。それは分かるのだが、それにしても「寝てでもやってくれ」である。「這ってでもやり遂げとげます!」なんていうセリフはよくあるけれど、寝ながらというのは明らかに迫力がないというか牧歌的というか、激励する言葉としてはどうにもおかしな雰囲気になってしまうのだ。
たとえば社長に呼び出されて「今度の新製品、もし完成しなかったらどうするつもりだ!?」と詰問されたとき、とっさに答えるだろうか。「寝てでも完成させます!」。あるいは極秘の暗殺計画を命じられた特殊兵員が、鬼軍曹に向かってとっさに答えるだろうか。「寝てでも暗殺を成功させます!」。
ちなみに、寝てでもやってくれと上司から言われた仕事のほうは、会社を休んで自宅にてレポート作成にいそしんだわけですが。
当初は文字通り、ベッドで仰向けに寝ながらノートパソコンで文書を作り始めたものの、あまりもつらい姿勢に身体が限界に達し、結局いつもどおり机に向かっての作業に落ち着いたのでした。
寝てでもやってくれ! という言葉が功を奏するのは、少子化政策のスローガンくらいかもしれませんな。寝ながらにして子作り。
10月28日(火曜) 深夜
思えば小学生のころは目立ちたがりだった。関西弁でいうところの「いちびり」である。
しかし、同じように目立ちたがりな同級生はクラスに何人もいて、そんな「いちびり」の間では日々、それほど熾烈でもないけれど穏やかでもない、まことに中途半端な競争が繰り広げられていた。
ウルトラマンやキン肉マンが流行していた当時、ぼくら「いちびり」の面々はそれぞれ、自分の名前に「〜マン」を付けて名乗ってヒーローを気取るという遊戯に取り組んでいた。いま振り返るとプッと吹きだしてしまいそうな児戯だけれど、当時は半ば本気で取り組んでいたのだから世話はない。
クラスに現れたのは「山内マン」「宮城マン」「名倉マン」の3名だった。皆ほぼ同時に出現したように思われていたが、神に誓ってぼくが一番最初だった。しかし全員がそろって「オレが最初だ」と言い張ったものだから、順序は力関係によってあっけなく決定した。
山内くんと宮城くんは腕っぷしが強かったのだ。それにくらべて、ヒーローの中で最もケンカが弱かったぼくは、必然的に二人の後塵を拝することになった。世の中どうにもならない不条理がある、という歴然たる事実を学べたことは、貴重な経験だったと今でも心から思っている。
それはさておき、問題は我々ヒーローたちの活躍ぶりである。
山内マンと宮城マンは腕っぷしが強いから、ケンカが起これば仲裁に入り、弱いものイジメがあると止めに入るといった具合に、実際的な活躍行動をとることができた。それに引きかえ我らの名倉マンは、腕力がないからこういった具体的行動をなにひとつとることができない。
ただ、いるだけで、なんにもしないヒーロー、名倉マン。ほかの多くの級友たちとの違いはただ一つ、自ら「〜マン」と名乗るか、名乗らないかだけである。
山内マンと宮城マンの両者とも遊戯に飽きて身をひいていく中、最後まで名乗り続けたのはぼく=名倉マンだった。
思い出すたびに哀しくなってくる一件です。
10月27日(月曜) 深夜
本日の厳禁。
ここまで注意しなくてはならないほど放尿されるって、いったい何なんだろう。
−−−
ぼくと同い年で、何度も何度も転職している知人がいる。
せっかく新しい仕事に就いても、数ヶ月も経つと「この職場では自分の能力を発揮できない」などと理由をつけては、すぐに辞めてしまう。いつになったら自分に合った仕事に巡り合えるんだろう、というのが彼の弁である。
短期の派遣社員やフリーターの人たちが増えている昨今、こういう生きかたも別に構わないと思うのだけれど、本人にとって仕事は「自分そのもの」であるらしく、妥協するなど考えられない。だから片時もリクルート情報誌を手離さず、いつも就職のことばかり考えているのだという。
「天職」探しに全身全霊を傾けた挙げ句、「転職」に落ち着いているのだから世話なしであるが、これって冷静に考えたら、仕事のことばかり思いつめているから逆に、いつまでたっても天職に落ち着かないんじゃないだろうか。
つまり、こういうことである。
- 「仕事すなわち自分そのもの」なんて風に考えると、仕事に対する要求水準が高くなりすぎる。
- しかし現実には、こんな過度の期待を満たしてくれる職場などまず存在しない。
- むしろ、「仕事は生活するための手段であって、稼いだお金で好きなことをしたらいい」くらいに考えている人のほうが、仕事が長続きする。
- その結果、気がつけば仕事が身について、手に職をつけていたりする。
- つまり、仕事に多くを求めすぎると、かえって長続きしないから、いつまで経っても天職にならない。
いやまァ、こういう当たり前の意見というのはショボいながらも定職に就いている身だから言えるんであって、ずっと天職だけにアイデンティティを求め続けてきた人たちからすると、それこそアイデンティティの危機に陥りかねないものなのかもしれないけれど。
期待しないでいられる力って、意外と大切なのかもしれまへんですね。世の中、期待通りになるコトなんて5%くらいのものです。
10月24日(金曜) 深夜
同僚Fさんは年に何度も、有給休暇をとって海外旅行に出かけている。
いまもヨーロッパに出向いておられるのだが、残された我々はただただ悲しい会話を繰り広げるのみである。
「Fさん、また海外旅行かァ…」
「よくあんな遠い場所まで行くよねえ」
「うんうん、長いあいだ飛行機に乗るの想像しただけでしんどいし」
「全然うらやましくない…よね?」
「うらやましくない、うらやましくない」
「私たち、海外まで行かなくたって毎日楽しいから!」
「そうそう、海外にいく必要性ってものがないんだよ」本当にうらやましくない人たちは、きっとこんなことグチグチ言ってないと思います。
あまり幸せじゃないカップルに限って、幸せっぷりをアピールせずにはいられないのと同じようなものですか。
10月23日(木曜) 深夜
高級ホテルを飲み歩いている麻生首相に対して、「庶民感覚とかけ離れている」と批判したマスコミ記者。
この件について、知人のPさんがいみじくも指摘しておられた。
「そりゃそうだ。庶民じゃないもの」 「国を動かす立場の人間に庶民感覚でいてもらっては困るだろう」
ちなみに「庶民」を広辞苑で引いてみると、
しょみん【庶民】
もろもろの民。人民。
貴族などに対し、なみの人々。世間一般の人々。平民。大衆。もしも記者が言う「本当の庶民派首相」がいたら、どんな風になるだろうか。
- 「首相官邸に住むなんて不似合いですから、団地にて暮らします!」
- 平日は家電量販店の店長として勤務。
- 「今週は店が忙しくて、国家予算案をまとめる時間がとれなかったもので…」と弁明。
- バーゲンの時期には、公用があっても有休とって冬物ジャンパーなどまとめ買い。
- 「アメリカの大統領に会うだって!? 冗談じゃない! 庶民のオレが会えるわけないだろっ!!」
- マスコミに出るのは恥ずかしいとの理由で、「今後の首相見解は匿名で2ちゃんねるに書き込む」と公式宣言。
庶民感覚でいることと、庶民感覚を理解しようとすることとは、全く別物でありましょう。
というか、首相に対して臆面なく詰問してる記者だって、すでに庶民感覚じゃあないと思うんですがねえ。
10月22日(水曜) 深夜
またもや職場での昼休みにて。
同僚たちと3人で、親知らずを抜く抜かないの話に興じていた。当初は「抜歯するのって痛いよねえ」「そうだよねえ」といった穏やかな会話に終始していたのだが、そこで判明してきたのが、
- Aさんは上の親知らずを一本しか抜いていない
- ぼくは右側の親知らずを上下とも抜いている
- Cさんは下の親知らずを左右とも抜いている
親知らずを抜いたことのある方はご存知と思うが、上よりも下のを抜くほうが断然つらい。
そして気がつけば、3人の中にヒエラルキーが存在していたのだった。下の親知らずを既に左右とも抜いているCさんは「みんな、まだまだこれからやね…」と卓越顔、ぼくはといえば「上しか抜いたことがないAさんは、まだ本当の親知らずを知らない」と先輩顔。かわいそうなのはCさんで、下の親知らずを抜いたことがないというだけで、人生の若輩者として歯牙にもかけられないようなポジションへと凋落していたのだった。
抜いた歯が上か下かでこれなのだから、お金とか地位とかがからむと大変なことになるんだろうなァと、よく分からないけど納得した本日でした。
−−−
そういや職場と関係のない知人J氏は、口腔外科にて親知らずを左右同時に抜いて大変な目に遭ったことがあるらしい。
本日雑談していたとき、Jさんの例を引き合いにだして一発逆転を狙おうという気持ちがふとよぎったのだが、やめておいて本当によかった。
「でも、ぼくの知り合いのJさんなんて、口腔外科で左右同時に親知らず抜いたんですよ!」
こんなもん、考えてみたら3人のヒエラルキーにちっとも関係ないからである。
10月21日(火曜) 深夜
昼休み、同僚Sさんの「わあーっ!」という声で目が覚めた。
「どうしよう、どうしよう…」とうろたえるSさんに話を聞いてみたところ、厚紙で作られた新製品のモックモデルにコーヒーを飛ばしてしまったらしい。
見れば確かに、真っ白なモックの数箇所に茶色い染みが点在していた。製作するのにそれなりの手間と経費がかかっているうえ、先方に見せることもある代物だけに、このまま上司の目にとまったら雷を落とされること必至である。うーん、どうしたものか。ようし、一緒に考えようじゃないか!
ぼくはこういう、ちょっとした行き詰まりを解くのが滅法好きである。それも他人の問題だと、自分に責任がないぶん好き放題できるから一層いい。…こんな風に書くとずいぶん自分勝手と思われるかもしれないけれど、余裕をもって考えたほうが意外といいアイディアが出てきたりするものなのだ。
あー、これは困ったことになったなあ。どうやって解決したものかなあ。なにしろ厚紙だから、こすると剥がれるし、かといって上から色を塗っても違和感が出てしまう。ううむ、こりゃあいい感じに進退窮まってきたぞー。
…と、半ばウキウキしながら思案してみた結果、これでいきましょう! と提案したのが「キッチンハイターで色を抜く」。
実際にやってみたところ、結果バッチリだった。この、ちょっとした達成感がたまらない。
−−−
ここまではまァ、いい話である。
ただ、ぼくはいつも、ここからがダメなんである。なんとなれば、自分で抑えようとしても、まるでなにかの病気かのように「したり顔」が出てしまうのだ。
「ほら、これが解けたボクちゃんエライでしょ!」「褒めて! 褒めて!! ピヨピヨ〜」
こんな気色悪い「褒め待ち」の表情を浮かべながらニヤニヤしている自分に、後から気付いて吐き気がしてくるのだけれど。咄嗟に出てしまう「したり顔」だけは、いつの歳になっても治らない習性のひとつであ ります。
そら自宅のパソコンもクラッシュするわ。ピヨピヨ。(というわけでノートパソコンから更新しております)
10月20日(月曜) 深夜
先週末、前から読もうと思っていた本一冊と、借りてきた映画2本をやっつける予定だったのだけれど。
終わってみたら、何ひとつとして手をつけていなかった。我ながらビックリである。
いったい何をしていたのか不思議なのだが、振り返ってみると、料理作って、酒飲んで、あとはほとんど寝るかゴロゴロするかしていた。いずれも想定外の行動である。こんな江戸時代みたいな生活を送る予定ではなく、本と映画をたしなむ文化的な生活を満喫するはずだったのに。
「○○しよう」と思うと、とたんにイヤになってくるセルフ天邪鬼な性格を、そろそろなんとかしたい。
−−−
京都市内をブラブラしていたら、「株式会社ハマ一」と書かれた工場を見かけた。
ハマーとはまた工場らしからぬネーミングである。アメリカの軍用車を転用したSUV「Hammer」を彷彿とさせるし、ぼくが学生だった頃はM.C.ハマーという黒人ミュージシャンがブレイクしていた(近頃とんと噂を聞かなくなったが、さっき調べてみたら、自己破産して今は牧師をしているとのこと。へー)。
缶とか作ってる工場にしては、えらく今っぽい名前じゃないか。
…と思ってよく見てみたら、「ハマー」ではなく「ハマ一」(はまいち)だった。ちょっとの違いで大違い。
現在まかりとおっている横文字も、この方式で読むと大層マヌケなことになりそうですな。SUVはまいち。
10月18日(土曜) 深夜
取引先との話の進め方について、上司から叱咤激励をうけた。
「名倉くん、時にはもっと思い切って、本当の自分をドーンとぶつけてみようよ!!」
なるほど、確かにその通りである。今までぼくは、どこかで自分にウソをついていたのかもしれない。
本当の自分とは何か? …こう考えて達した結論は、「オレはやっぱり表面的な会話が好きだ!」。
これからはドーンと、猛烈に表面的な自分でもって話を進めさせていただきますぞ。ようし、勇気が出てきた!
−−−
全然関係ないが、いま住んでいるマンションは賃貸なので、月末になると家賃を振り込まねばならない。
毎月最終日が期限で、それまでに入金すればいいのだが、どうしてもギリギリ前日まで振込みをためらってしまう。
といっても、家賃の支払いも苦しいほど生活が窮しているわけではない。払おうと思えばいつでも払えるくらいの持ち合わせはあるのだけれど、それでもギリギリにならないと払う決心がつかないんである。
これはなぜだろうと顧みてみた結果、おそろしく馬鹿げた根拠に基づいていることに改めて気付いたという次第。
「もしかしたら月末までに何らかの天変地異が起こって、世の中がメチャクチャになるかもしれない」
「あるいは突然、いま住んでいるマンションが木っ端微塵に吹き飛んだりするかもしれない」
「そんなことになれば、混乱のカオスに乗じて、家賃の契約などウヤムヤになってしまう可能性が高い」
「ということは、家賃の振込みはギリギリまでしないほうが得策である」そういったわけで当方、マンションが吹き飛ぶ可能性を常日頃から考慮しつつ、家賃を納め続けている昨今であります。
パッションパッション。
10月16日(木曜) 深夜
職場の棚やデスクをちょっとだけ配置変えすることになった。
ぼくもその手伝いをしていたのだが、先輩Tさんのデスクを動かそうとエイヤッと持ち上げたら、天板がメリメリッと剥がれて、脚部分とほとんど分離してしまった(引き出しに重い書類がたくさん入ったままの状態で無理に持ち上げようとしたのがいけなかったらしい)。
そこで咄嗟に、首の皮一枚でつながっている天板を手離して、何事もなかったかのようなフリをしたのだけれど、間の悪いことにTさんから一部始終を目撃されていた。
「名倉さん…ひょっとして私の机、壊した?」
「まさか! 天板がちょっと持ち上がっただけですっ」
「持ち上がるってねえ、普通ありえないでしょう!?」
「でもほら、戻せばこれまで通り使えますから」
「そういう問題じゃなくて!」
「取り外し可能になったから便利ですって。そう、ほら、リムーバブル・デスクってね!」
「……」窮地に陥ったらユーモアで切り抜けろ、とアメリカ映画から教わったはずなのだけれどTさん、それ以降まったく口をきいてくれません。
−−−
さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「街角のタバコ屋さんにインタビュー」。 昨今のタバコへの締めつけ強化について、ありふれたタバコ屋さんの生の声を聞こうと思い立ち、インタビューしてみたレポートです。…が、あまりにも達観したタバコ屋さんだったため、大いなる肩すかしを頂戴して、これはこれで楽しかったという次第。
よければご覧いただけると嬉しいです。
10月15日(水曜) 深夜
これが何かお判りになるだろうか?(原寸大)
実を言うとこれ、職場のゴミ箱に入っていた紙片をスキャンしたものである。白い紙にボールペンで描かれているもので、同様のブツが週に何度もゴミ箱に入っているものだから、いったい何なのか気になって気になって、仕事どころではない毎日が続いていたのだ。
それが先日、ようやく判明した。
先日の昼休み、最近アルバイトで入ってきたMさん(女性)の手元が小刻みに動いているのでふと見てみたら、一心不乱にこれを描いていたのだった。普段はとても爽やかで愛想もいい職場のマスコット的存在 であるMさんが、よりによってどうしてこんなものを!?
「うわっ、これ何!?」と咄嗟に訊ねたところ、突然のことに向こうも動揺したのか、「す、すみません! 暇つぶしです! 私の癖なんですっ!!」。
詳しく訊いてみたところ、どうやら昔からの癖で、ちょっと空いた時間があると無意識のうちに描いているのだという。中心点から小さな円を連続して描いていき、ときによっては上の画像の何倍もの大きさになるらしい。 週に数回は描いているというから、年に100個くらいはこれを描いておられるわけだ。
なんだか見てはいけない暗黒面を見てしまったような罪悪感。ああ、いつも爽やかなMさんがこんなものを……。
とか言いつつ思わず大笑いしてしまったのだけど、見れば見るほどなんとも味わい深い。なんの意味も目的もないのに、ここまで緻密な「えも言われぬもの」を描き続けてしまう人間の業。こういうものこそ、芸術の原点ではあるまいか。
すっかりM画伯の絵のファンになってしまったので、今度は「作品」にサインしてもらおうかと画策中です。
今後もずっと描き続けてほしいし、描きためて展覧会とかやったら楽しいのにとも思うけれど、意味とか価値とかが出てしまったら途端にダメになりそうな気もする。
こんなパラドキシカルな感じがまた素敵なのかもしれません。
10月14日(火曜) 夜
飲み会続きで更新できませんでした。
12日(日曜)の夜は、各界でご活躍中の作家さん、翻訳家さん、編集者さん、アルファブロガーさんなどなどが一堂に会する、総勢18人もの飲み会に参加させていただいた。まさに盆と正月、豚の角煮とカレーライスのような豪華さである。
その多くは関東からいらっしゃった方々で、無名のぼくなどはただキョロキョロしながら酒を飲んでいるしかなかったのだけれど、それでも翻訳家のかたに話をうかがえたり(ぼくが30ページほどの翻訳に半月以上かかったことを話すと「アハハ」と笑ってくださいました。プロは一日で30ページくらい訳すそうでビックリ!)、編集者のかたから拙著への忌憚無き手厳しいご批評をいただいたりと、本当に楽しい時間を過ごすことができた。
で、一次会(居酒屋静)から二次会(バー・ビオロン)、三次会(三条木屋町RAG)と夜は更けていき。さらに、最後まで残ってくださった方々と意気投合して、ぼくが「朝まで飲みましょう!」「ずっと京都に住んでるから店は任せてください!」と、先陣&大見得を切ったまではよかったんですが。
いざ次の店となると、どこもかしこも全て閉店していて、ひたすらダラダラ歩き続けるしかなくて。開いている店もあるにはあったのだけれど、「微妙ですねえー」などと逡巡してばかりで一向に店を決められないぼくの優柔不断さに、愛想を尽かして途中で帰ってしまわれる方もいらっしゃって(当たり前である)。
それでも根気強く最後まで同行してくださった方々、ついに見つけた名店マクドナルドに、「もうここにしましょう!」と全員一致。わざわざ関東から来てくださったのに、最後はマクドナルド。おまけにぼくだけ、この期に及んで「えー、マクドっすかァ…。うーん」などと渋っている空気読めなさ加減。
おまけにマクドナルドに入ったら入ったで、他の人たちはドリンクだけなのに、ぼくだけハンバーガーセットを注文してもりもり食べてる体たらく。「えー、マクドっすかァ…」とか言ってたくせに、いったい何なんだという話である。
ともあれ、ご一緒いただいた皆様、ほんとにありがとうございました。せっかくなので、翌日の飲み会で見かけた素敵な焼酎でもひとつ。
娘の初潮を知ったお父さんが、お祝いのために買ってきて、照れながら「おまえもちょっとだけ飲んでみるか?」などと家族団らんするんでしょうかねえ。
凍りついたような雰囲気の家族団らんになりそうで、素敵なことになりそうですな。
10月11日(土曜) 夜
ペットボトルの「茶花」(チャカ)を飲んでる同僚がいた。
咄嗟に「ヤクザが好きそうなお茶やなァ」と言ったら、相手から「もう、チャカさないでください!」と返り討ちにあってしまった。そしてさらに追いうちをかけるように、「名倉さん、そのギャグ前も酔っ払って口にしてはりましたよ」。
完敗に乾杯。…で、どやっ! あかしまへんか!!
−−−
ところで先日の、加勢大周さんシャブ逮捕劇。
この名前を見るたびに、「新加勢大周」騒動を思い出さずにはいられない。
加勢大周さんが事務所から足抜けして独立したとき、怒った事務所側が「ウチのつけた芸名をそのまま使うとは著作権違反だ!」と訴えたうえ、「だったらウチから新加勢大周というタレントを新たにデビューさせる!」と言って、本当にデビューさせてしまったという話である(ちなみに新加勢大周さんはその後、坂本一生さんとして芸能界に残ることとなった)。
新加勢大周。こうやって文字にしてみると、ものすごいインパクトだなあと改めて思う。今の芸能界で、こんなネーミングでのデビューがあり得るだろうか。
- 新二宮和也
- 新ベッキー
- 新中井貴一
どれもこれも、なんというか、もはやどうしようもない感じだ。品の無い冗談としか思えない。
そういや上記の騒動が収まりかけた頃、村上隆が悪ノリして「加勢大周宇プロジェクト」みたいなのを立ち上げていた。新加勢大周さんに続いて、新加勢大周宇、加勢大周宇Z、加勢大周宇AKIRAなどなどの芸人(すみません、名前はウロ覚えです)からなるユニットを突然デビューさせたんである。
村上隆のことだからもちろん「現代アート作品」として発表していたのだけれど、今や世界のムラカミも、当時はこんなチマチマした揶揄をやっていたのだなァと、なんとも穏やかな気持ちになってくるのでした。ぼくの記憶では加勢大周宇プロジェクト、なんの社会旋風も巻き起こさなかったけれど。
10月9日(木曜) 深夜
前から見たかった映画があったのでレンタルビデオ屋に立ち寄ったものの、目当ての作品がなかなか見つからなかった。
そこでたまたま近くにいた店員に声をかけて尋ねてみたところ、予想外に冷たい答えが返ってきた。
「へ? そんなん知りませんわ」
こ、こやつ…。店員のくせして、ぞんざいな口をききよってからに!
さすがにムッとしたので、ぼくのほうも咄嗟にキツめの言葉を返してしまったわけですが。
ぼく:「ご存知なくても、タイトルで調べるなりできますよね?」
相手:「なんで私が、そこまでせんとあきませんのん!?」
ぼく:「それってお仕事の一部じゃないんですか?」
相手:「はァ? 私、店員とちゃうんやけど…」ハッ! として他の店員を見てみたら、みんな紺色のエプロンをしているにもかかわらず、眼前の男性は黒いエプロンであるうえ、ネームプレートも付けていない。どうやらぼくは、店員と間違えて、ただの客に声をかけて尋ねてしまったようだった。
ぼく:「す、すいませんでした。店員さんと間違えちゃって…」
相手:「ああ、そやろかとは思とったけどな。ったく、気ィつけてや!」
ぼく:「申し訳ありませんです」一挙に形勢逆転。それまで強気に出ていただけに、バツの悪さもフルスロットルである。
そのまま逃げるようにして店を出た後、何度も何度も心の中でひとりごちました。
「紛らわしいエプロン着てるおまえが悪いんじゃ! このウンコ!!」
−−−
ちなみに、今回の写真はホンモノのニセ店員です。
店員と勘違いされて声をかけられたうえ、写真まで撮り逃げされて、さぞかしワケが分からなかったことと思います。
今となっては、ちょっとだけ申し訳ない。
10月8日(水曜) 夜
たまに職場でラジオ体操の機会があるんですが。
これが何度やってもうまくできない。いや、自分ではうまくやっているつもりなのだけれど、同僚たちから決まって不気味がられる。「こんなの初めて見ました!」「どうやったらそんなオリジナリティが出せるんですか!?」などなど、そりゃあもう言われ放題なのだ。
これではイカン、後輩もいる手前、先輩として威厳を示さなければ! とその度に焦り、不気味がられないようにと精一杯がんばってみるのだが、そうすると今度は、あまりにも鬼気迫るラジオ体操に周囲の面々から怖気づかれ、なかにはクスクス失笑しはじめる輩まで現れる始末。こ、この不届き者めがっ!!
たしかに子どもの頃から、運動神経は並外れて鈍いほうだった。生まれてこのかた、鉄棒の逆上がりは一度たりとも自力でやれたことがないし、でんぐり返りの後転などはほぼ100%の確率で左右どちらかにクネッとなってしまう。
さらに輪をかけて苦手なのが球技で、中高生の頃から、サッカーにテニス、バスケットボール、バレーボールなどなど、どれをやっても周りの人たちを唸らせてきた。もちろん、「どうやったらここまで下手になれるんだ…」という感嘆の唸りである。
とくにバレーボールなどは、運動音痴に方向音痴が加わる結果、落ちてきたボールの下に入り込もうとする間に敵味方の方向感覚が分からなくなり、自陣の後方に思いっきり豪快なアタックを決めてしまったりする体たらく。バレーボールでオウンゴールを決める選手というのは当時から稀有な存在だったから、一躍「有名」になってしまったのは言うまでもない。
当然のことながら、地味なスポーツでも異彩はいかんなく発揮される。たとえばボーリングなんかだと、助走の最後にピョコン! と小さく跳び上がらないと球を投げることができない。自分でもなぜだか皆目分からないのだけれど、これではイカンと思って跳び上がるのをこらえてみたら、そのまま球を抱えてレーンに進入してしまったことがあるから、きっと何らかの理由と効果があるのだろう。これも周囲の面々を瞠目させるに十分なオリジナリティである。
昔からこんな調子だったから、せめてラジオ体操くらいは「まとも」にこなしたいと切に希求していたのだけれど、ラジオ体操もやはりスポーツなのだなあと、改めて肩を落としている昨今なのでありました。余の辞典に「例外」の言葉なし!
明日からジムに通ってラジオ体操の猛特訓をしようかと、半ば本気で考えております。
10月6日(月曜) 深夜
山から帰ってきました。
ちょっとだけ遭難しかけたんですが、そのあいだ中ずっと、「ほんとに遭難してニュースになったら恥ずかしいなァ」とばかり考えておりました。「登山経験者とは思えない軽率な判断」だとか「あまりにも拙いルート・ファインディング技術」とか言われるんだろうなァ、云々と。
見栄よりも命のほうが大切だ、と頭では分かってるんですがねえ。
それはさておき、せっかくなので山の写真を一枚だけ。
頂上っぽく写ってますけれども、ただの山道。ガッツポーズすれば山頂っぽくなることを知ったのが今回の収穫です。
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翌日は久しぶりに京都の商店街めぐり。今回は下京の建松商店街です。
ほとんど判読不可能なサビれ具合にワクワクしながら足を進めます。
斜陽の親玉とも言うべき街のたばこ屋さん。副業が「各社アルカリ乾電池有ります」。涙。 斜陽喫茶店。この扉に「サンドイッチセット」の文字を入れようとする発想に拍手! 遠山の金さんバージョンの迷惑駐車追放キャンペーン。どういう意図なのか全く不明です。
間近で見てみても、誰にどういう効果を狙っているのかますます分からなくなっただけでした。 お昼寝7点セット、2,980円。お昼寝するには7点ものアイテムが必要だったのか。 商店街の警察署に出前が入っていく場面に遭遇。やはり中身はカツ丼でしょうか。
ついつい撮ってしまったFUZEI写真。こういうのを見直して赤面するセルフ羞恥プレイが好きです。 これはFUZEI写真というわけじゃないけれど、妙に気に入って撮ってしまった一枚。 この歳にしてようやく、スキャンティーという言葉を知りました。いつか穿いてみたいものですな。
10月3日(金曜) 深夜
数ヶ月前まで、'IKEA"のことを「イケヤ」(池家)だと思ってましたが。
そんなことはおくびにも出さず、同僚たちの"IKEA"談義に何食わぬ顔して参加しておる今日この頃です。
−−−
明日から近場の山に登るので、さっきまで登山の準備に追われていた。
今回は気がつけばぼくがリーダー的な雰囲気になっているのだが、なにしろ方向音痴なので、山に登るとよく迷子になる。だから本当はリーダーなどやりたくないのだが、経験者が他にいないから仕方がない。
しかし考えてみれば、リーダーといえば監督のようなもの。自由にメンバーを采配すればいいんである。「登山中、リーダーは一番後ろから見守るから、君が先頭を行ってくれたまえ」とか言って、誰かを指名すればいいのだ。よし、明日はこれでいこう!
野球の監督が采配権をフルに発揮して、「オレは打つから、おまえが監督をやれ」と言ってるようなものだけど。
10月2日(木曜) 深夜
口唇ヘルペスを持っている。
ふだんは何の症状も問題もないのだけれど、ヘルペスウイルス(単純ヘルペス1型)が神経節に潜伏しているせいで、風邪をひいたり疲れがたまったりして免疫力が低下すると口のまわりに疱疹ができるというやつである。疱疹ができると痛かったり痒かったりして、けっこう面倒くさい。
先週末からコイツが出ていたのだが、初期から抗ウイルス薬を塗っていた甲斐もあってか、昨日あたりからグッと快方に向かってきた。そうしたら途端に、同僚たちから「どうしたんですか?」心配されるようになった。
ヘルペスというのは、初期は肌色の水ぶくれみたいな感じであまり目立たない。しかし実は、この頃が一番つらい。で、治ってくるにつれて赤いかさぶたみたいになって、だんだん目立つようになってくる(下の写真参照。気持ち悪くてすみません)。
治りかけのヘルペス
つらいときには気付いてもらえず、治ってきて「やったー」と嬉しくなってきた頃になって心配され始めるから、なんだか気が抜ける。でも、せっかく心配してくれているのだから無下にもできず、「実はヘルペス持ちで苦労してるんです…」などとテンションを下げて振舞うことになる。
サイフを落として右往左往したすえ無事見つかったことを知人に話したら、改めて「大丈夫だった!?」と心配されるような感覚でしょうか。
セルフ・プレ快気祝いとして、とりあえず豚の角煮を作って食べました。大好物。
「病気がよくなってきたら自分を甘やかす」習慣を普段からつけておくことが、早く病気を治すコツだと半ば本気で思ってます。
−−−
さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「『ナグラる』作製の裏の裏」。 先日出した本の製作にまつわる「裏の裏」(つまり表)事情を、ごちゃごちゃと書き連ねております。ま、書ける範囲の裏話という感じでしょうか。
タバコとは何の関係もない文面ですが、よければご覧いただけると嬉しいです。