5月30日(金曜) 深夜
本日の豆腐です。
「京都 かわいい 絹 心の味」
これって…かわいいんでしょうか。女子高生なんかが見たら、「きゃー、かわいいーっ!」「ちょっと大きいけど携帯ストラップにしちゃおー」みたいな大騒ぎになるんでしょうかねえ。
kawaii !!
実際にストラップにしてみたら、ちょっとかっこいいかもと思ってしまいました。非常時には開封して食えるから一石二鳥ですぞ!!
5月29日(木曜) 深夜
同僚の女性Sさんがいい感じのカーディガンを着ていたので、「そのカーディガンいいね!」と素直にほめてみた。
で、ちょっとは喜んでもらえるかなと期待していたら、当のSさんから返ってきたのは、
「これですか? 色とかダサいし、全然気に入ってなくて、もう捨てようかと思ってたんですけど…」
ええと、あのですね。ほめられての返答に、謙遜で「そんなことないですよー」とか言うならまだしも、素で「捨てようかと思ってた」はないでしょうよ。
思わぬ不意打ちに、けっこうなダメージを食らってしまった本日。そして教訓はふたつ。
…というわけで、皆様もよければ使ってみてください。「それいいねー」とほめられたら、すかさず「捨てようと思ってたんだけど」と返す。
5月28日(水曜) 深夜
ゴールデンウィークに広島・三原で作った「だるま」が我ながら気になり続けている。
見れば見るほど、アボカドに似ているのだ。
だるま作製光景(写っているのは「だるま工房」のだるま師匠)。師匠の眼前で作らせていただきました。
アボカドに両脇を固められて憮然とするだるまさん。「一緒に並べんといてくれ!」とお叱りを受けそうですが。
やっぱり似てます。どうせなら、だるま工房で色付けするとき、全面アボカド色に塗ればよかったかもしれません。
アボカドの表皮にだるまさんの絵を描けばそっくりになりそうですが、一週間後には目を覆いたくなる惨状が訪れそうなのでやめておきました。
追伸:上のアボカドは、もちろん美味しくいただきました。詳しくは今週の「貧乏レシピ」コーナーにて。
5月27日(火曜) 深夜
気持ちがヘコむと、つい悪いことばかり考えて、ますます暗い気分になってしまう。
これは仕方のないことだろう。なんとなれば、我々はピンチに陥ったときに「考える」よう本能的にプログラムされているから。気持ちがヘコんでいるとき=ピンチのときであるから、ピンチから抜け出そうとして、無意識のうちにいろいろ考えるのは当然のことだと言っていい。
ただ、暗い気分のときに考えると、どうしたって悲観的になる。すべてのコトが悪い方向に進むような気がしてくるし、これからもどんどん悪くなる気がしてくるし、自分だけが悪いような気がしてくる。その結果、ますます悲観的になって、ニッチもサッチもいかなくなる。
要するに本能的なプログラムがよくないのだ。こういう例は他にもいろいろある。
たとえば水に溺れた人が、恐怖心から本能的にもがく。でも、もがけばもがくほど、どんどん水に飲み込まれて溺れていく。水に落ちたところで、何もせずにいれば自然と体は浮かんでくるにもかかわらず、本能的なプログラムのせいで溺れてしまう。
過呼吸発作などもそうで、呼吸ができなくなる恐怖のあまり本能的に息を吸い続けるから、それ以上呼吸ができなくなる。さらに、息を吸いすぎるせいで、体内の酸素と二酸化炭素のバランスが崩れて(酸素過剰&二酸化炭素不足)、体のしびれや心拍上昇といった症状が現れる。その結果、恐怖心が募って、ますます過呼吸になってしまう。
こういうとき、一番大切なのは「何もしない勇気」なのではないか。
だから気持ちがヘコんだときも同じで、いつものように悪いことを考え始めている自分に気づいたら、「ぽんこつ本能プログラムがまた作動し始めたかァ…」くらいのつもりで、基本的には放置することにしている。経験的にも、気分なんて数日もすればすっかり変わるものだと知っている。
もちろん、問題はなにも解決しない。でも、主観的状況がどんどん悪くなるよりは、そのままのほうがずっとええやろっ! どやっ!?
5月26日(月曜) 夜
週末は居酒屋「静」で飲んだくれてました。
「居酒屋・静」
四条通の北側、寺町通と裏寺町通のあいだにある柳小路にひっそり佇む一店。
「お座敷」
一面落書きだらけの店内が落ち着きますが、現在は落書き禁止なんだそうで。「酒家は日本最後の聖域なり!!」
いくらなんでも、それは違うと思います。最後の聖域は、どう考えても自宅に決まってます。
「チョークがおれてチョークやしい」
お、うまいね! と実は一瞬思ってしまいました。今度チャンスがあったら使ってみよう。
「ペ・ヨン・ジュンコ」
まるでAM放送のペンネームのようなセンス。ここに書く必然性はゼロというよりマイナスです。
「ひらがな五十音」
よほどヒマな飲み会だったんでしょうか。忙しい飲み会というのも想像がつきませんが。
「四六死苦!!」
恐いんだか平和なんだかよく分かりませんが、とにかく苦しそうなことだけは伝わってきます。
「東北にも人間は住んでいます」
ぼくは東北を旅したことがあるので知ってますが、知らない人も多いと思われます。
「私、山口出身。でも岩手そだち」
なぜこれを書こうと思ったのか理解不能です。「岩手」を当初書き間違えてるのも謎。
「よくでますねー。きれはいいですか?」
男性用小便器の前にて。用を足すたびに、いつも読んでしまう一文。トイレは男女共用です。
5月23日(金曜) 夜
腕時計を買った。
セイコーSBTM055(スモール大仏は別売)
時刻合わせも電池交換も不要、という便利さの誘惑に負けて、「電波時計+ソーラー電池」モデルを購入したわけですが。
電波時計が便利なのはさておき、ソーラー電池というのは太陽や電灯がそれなりに当たらないといけない。とくにずっと長袖を着ていると、ほとんど光が当たらず充電切れになってしまう から気をつけないといけない。
…というようなことを購入後に店員から言われ、だったら初めから教えてくれよと思うも時すでに遅く。この「便利時計」に替えて以来、朝起きたらまずベランダに置いて太陽光を吸収させる、通勤中も腕まくりする、仕事場に着いたら外して蛍光灯に当てる、帰宅したら電灯のふもとに置くという具合で、ものすごくタイヘンなことになってしまった。
ここまで神経質にならなくてもいいとは思うのだが、元来が心配性なものだから、ちょっとでも光が差していると「時計にエサやらなきゃ!」感覚になってしまうのだ。 母性本能みたいなものだろうか。
こんな時計のどこが便利なのか皆目分かりません。同僚から「三千円くらいに見えるけど幾らしたの?」と言われたのも軽くショック。
でもこの調子だと、キネティック時計(腕を振る運動で充電される)など買っていたら、もっと重篤なことになっているところだったと身震いしております。
5月22日(木曜) 深夜
デジカメで撮った写真の整理をしていた。
写真は以前からわりと好きでちょくちょく撮っているのだが、改めて見直してみると、「なんでこんなモン撮ったんだろう?」と自分でも首を傾げたくなるショットが結構ある。
ちょっとでも面白く思ったとか、FUZEIを感じたとかなら分かるのだが、ちっともそんなことない。かといって、失敗した写真でもない。ちゃんとピントとか構図とかは考えて撮っているものの、どうしてコレをファインダーに収めたんだろう? というような。
今回はそんな写真たちを集めてみました。題して「なぜ撮ったのか自分でも分からない写真展」!
自室の机の下
居酒屋で食べてた串カツ
とくに言うことのない横断歩道
新幹線など何度も乗ってるんだけどなァ…
鉄条網が気に入ったんだろか?
誰がどう見ても単なる蛇口
とくに市バスが好きなわけでもなし
駐輪お断りなのに駐めてるのが面白かったか
デパ地下の惣菜コーナー
…こうして並べてみて、自分との断絶を感じた本日でした。
5月21日(水曜) 深夜
職場の健康診断があった。
検尿から採血、X線撮影、心電図、そして今年から始まったメタボ診断まで一通り受けるわけだが、とりわけ苦手なのが心電図である。
実は結構なくすぐったがりで、とくに胸のあたりがビンカンなため、あの電極をピタッと胸の脇に貼り付けられる瞬間、どうやっても「アアンッ!」と身をよじってしまうのだ。いい年こいたオッサンがいきなり、青春映画のベッドシーンみたいなことになってしまうのだから、気持ち悪いことこの上ない。
そこで今年は、なんとしても「アアンッ!」とならないよう、満身に力をこめて心電図のベッドに臨んだわけでありますが。
あまりに力をこめすぎたせいで全身がピクピク痙攣してしまい、看護助手らしき女性から優しく声をかけられてしまった。
「そんなに緊張しなくても、痛くないから大丈夫ですよ」
ああ、もう何もかもイヤだ!!
捨て鉢になって、えいやっと力を抜いて再び横たわったところ、電極が胸に貼り付けられたとき声を上げて「アアンッ!」と笑ってしまいました。畜生。
5月20日(火曜) 夜
夜なのにマンションの隣室が騒々しくてかなわない。
男女数人で飲み会しているようなのだが、どうやら飲みながらテレビゲームで盛り上がっているらしく。
「ぎゃーっ、ぶつかるゥー!!」
「ちょっと、ちょっと! わあーっ、落ちる落ちるー!!」
「おいっ、そこで左! 左! ああー!!」
「きゃあー、無理ーっ!!」
響いてくる声はこんな絶叫ばかりで、聞いていてつまらないことこの上ない。普通の会話だったら聞いていて結構楽しいのに。騒々しいうえに喋らないとはどういうことだと、ますます憤慨させられますな。
ここはバシッと言ってやろうか。「ちょっと! 騒ぐなら喋ってもらえますか!!」
−−−
そして本日のTDRです。
最初見たとき誤字看板だと思って、鬼の首を取ったかのように撮った一枚。「東京ディズニーランド」を"Tokyo Disney Land" (TDL)ではなく、"Tokyo Disney Rand" (TDR)と書いてしまったものだと思ったのだ。アハハ莫迦だなァと。
で、日記にアップする前に念のためネットで調べてみたら、"TDR" は "Tokyo Disney Resort" の略だった。莫迦なのは完全にぼくのほうでした。
嬉々として写真を構えていた「したり顔の自分」を、自山の石として今後も大切にしていきたいと思う。
5月19日(月曜) 夜
招待券をいただいたので、写真展「エリオット・アーウィット展」に行ってきました。
静かで落ち着いた雰囲気の展示スペース。観客も皆、小声で会話している。鼻をすすったら音が響きわたったので恥ずかしい。
「裸婦像の絵を観る観客を撮った写真」を見る観客。入れ子構造の写真というのは、ついつい撮ってしまうから気をつけないといけない。
今回の写真展で一番気に入った写真。これがヤラセだったらツマラナさウナギ昇りですが。「もうちょっと右!」とか指示するアーウィット。 天井が吹き抜けになっていて風情ある5階の展示スペース。いま自分はオシャレな場所に来ているな…と静かに満足感をかみしめる。
係員がいないのをいいことに、こっそり屋上にのぼってみたら、さっきの吹き抜けはこんな風になっていることが判って、さらに満足。
古都の趣を美しく醸し出す祇園の街並みも、屋上から見ればエアコンの室外機が林立している。私はこういう光景が好きだ、と改めて思う。
和室の掛け軸になったアーウィットの写真作品。伝統と現代の融合と表現するにふさわしい空間である。私はこういう空間で闇鍋をしたい。 アーウィット近影。ガーゼマスクに開けた穴からタバコを吸っているさまは正にダンディズム。みんなの憧れに違いありません。
「エリオット・アーウィット展」は、何必館・京都現代美術館にて2008年5月18日(昨日)まで。
5月16日(金曜) 夜
「丙午」(ひのえうま)の言い伝えというのがある。
丙午というのはご存知の通り、干支の組み合わせが丙と午になる、60年に一度巡ってくる年のことだ(近いところでは1906年と1966年)。この年に生まれた女性は異常に気性が荒く、しまいには夫を食い殺してしまうという迷信が広まったおかげで、丙午の年だけ出生数がガクッと落ち込んだり、丙午産まれの女性が理不尽な差別を受けたりしたエピソードがあるらしい。
ぼくは迷信の類をまったく信じないので、そんなわけないだろうと反射的に思ってしまうクチなのだが、ひょっとしたら迷信が真実を作ってしまうことはあるかもしれないとも思う。
たとえば、「丙午生まれでない人」と「丙午生まれの人」との間に違いがあるかどうかを検証するために、大掛かりな統計調査をしてみたらどうなるだろうか? 両群のあいだに何の違いもないことを願うばかりだが、結果的には違いが出てくるかもしれない。丙午が忌避されているにもかかわらず出産したという時点で平均的な両親ではないかもしれないし、産まれてからも丙午生まれであることで周囲からいわれなき誹謗を受け続けた人だっているかもしれない。
これだけいろんなバイアスがかかれば、丙午生まれの子どもたちに何らかの統計的差異が生じたとしても、なんら不思議なことではない。しかし、だからといって丙午の伝説が証明されたことには決してならない。迷信の存在が結果に影響を及ぼしているだけ、という可能性のほうが高いからだ。
だから、たとえば「5月17日に梅干を食べると変人になる」なんていう迷信を流布させれば、実際に真実がついてくるかもしれない。そのせいで大半の人がこの日に梅干を食べなくなったとしたら、それなのに堂々と食べる人は良くも悪くも「外れ値」になってくるだろうから。
このプチ日記を読んでいると善人になれる、というのは全く知られていない迷信ですが、なんとか世のなかに広まらないかなァ。
−−−
さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「シッコとタバコとアメリカと」。 先日、DVDでマイケル・ムーア監督の『シッコ』を観て、医療制度のことやタバコのことなどいろいろ思うところがあったので、映画の感想とともに私見をだらだらと書き連ねてみました。
今さら感満点ですが、よければご覧いただけると嬉しいです。
5月15日(木曜) 深夜
千利休の「侘び寂」精神が大好きだ。
たとえば茶碗の端がちょっと欠けてしまっても、それで価値がなくなったとするのではなく、世界にひとつしかない欠け具合によって、ますます味わい深くなったとする。まさに発想の転換である。
どんなものでも、使っているうちに汚れたり傷がついたりしてくるものだ。この事実はどうしようもないけれど、それだけに肯定的な方向へとリフレーミングできれば精神衛生にすこぶるいいし、モノを長く使おうという愛着が湧いてきたりもする。昨今のエコブームにもぴったりの考えかたと言えるだろう。
ぼくも買ったばかりのデジカメを落として大きな傷をつけてしまったとき、直後は一瞬落ち込んだものの、「これで世界にひとつしかないオリジナル侘びデジカメになったんだ!」と考え直したら、ほとんど気にならなくなったことがある。
ボロくなればなるほど、侘び寂の味わいが深くなるという考え方は、決定的に強い。
そういや以前、新居に引っ越した同僚宅で飲んでいたとき酔っ払って、買ったばかりだという外国製のじゅうたんに赤ワインを景気よくぶちまけてしまったことがある。あのときも「これで世界にひとつしかない侘びじゅうたんになったってことでひとつ!」と賢明に説得したのだが、家主の同僚はそれから数日間まったく口をきいてくれなかった。
新品のじゅうたんに赤ワインをこぼしてもらえたんだから、もっと感謝すべきだと思うんですがねえ。
5月14日(水曜) 深夜
子どもの頃についたウソ。
…と思い返すと、本当にいろいろある。
あと、テスト前になると決まって、「オレ全然勉強してへんねん…」と言う奴がいた(ぼくもその一人だった)。
こういうのは、「勉強してないのにいい点数を取れるんだもんね」という見栄っ張り精神だとされていたけれど、今思えばそうではなく、むしろ悪い点数を取ったときのためのエクスキューズだったのかもしれないなあと。
よく見られたい虚栄心よりも、悪く見られたくない防衛心のほうが、きっと強いのだと最近とみに思う(そういや大学院生の頃、そんな内容の心理学論文を読んだ気がする)。せっかくの知見、なんとか悪用できないものかと目下思索中であります。
ちなみに、ナイチンゲールが死の直前に「すべての知見は悪用されるために存在した」と漏らしたというのは、よく知られていないウソです。
5月13日(火曜) 深夜
そういえば、しばらくアップしてなかったので最近の晩ごはんでも。
「キムチ豚定食」
豚肉よりキムチのほうが多いので。でも実はキムチのほうが高い。
「ドライカレー&部外者たち」
なんとなくニワトリの餌っぽいですが、ニワトリは卵は食いませんね。「2時間かかった木の芽和え」
こんなもん一品作るのに2時間もかかってしまいました。発狂するわ。「春キャベツとかのスパゲティ」
食材費のあまりの安さに、なんとなく悲しい気分になってくる一皿です。
「筋肉ポパイ丼」
ほうれん草が入ってればポパイです。でも器はフルーツ皿。「ハンバーグ&長芋プレート」
余ってた長芋を炒めてみたら、割と美味しかったときのもの。「大量に作りすぎたナスマリネ」
毎日マリネばかり食べてると、生きる気力を奪われます!!
「ナスとカボチャのうんこカレー」
こういう名のメニューがあるレストランがもしあったら、私は絶対行かない。「鶏肉の高校炒め」
ただ焼いただけの要するにやっつけメニューです。堕落デカダン料理。「紅茶ポーク&剛毛ネギ」
「ティー豚」とも呼びますが、豚肉を紅茶で煮ただけの阿呆みたいな一品。
「スペアリブ煮込みとキャベツ」
どちらかというと、圧力鍋を使うために作っている一品ですが。「カボチャの煮物・WW2風」
夕食がこれだけだと気分はもう戦時中ですが、そうではないですので。「やきそば1.5玉入り」
健康を気遣ってキャベツ多めにしてしまう自分の小心さが心底イヤだっ!
「ふわふわオムレツに初挑戦」
邪道だとも言われる「ふわふわオムレツ」、一回作ってみたかったので。
5月12日(月曜) 夜
近所の小道を歩いていたら、曲がり角から突然、大きな熊が飛び出してきた。
「ひゃあっ!!」
思わず絶叫してしまったのだが、相手は熊ではなく、ダークブラウンのスーツに身を包んだ大柄のサラリーマンだった。地面に落ちた書類を拾うため四つんばいになっておられたようで、その態勢から急に立ち上がったものだから、とっさに熊だと思ってしまったんである。
ぼくがあまりに大きな叫び声をあげたものだから、相手のサラリーマン氏もすっかり驚かれたようで、お互い茫然とすること数秒間。会話の口火を切ったのは向こうだった。
「いやァ、なんか驚かせちゃったみたいですみません…」
しかしぼくのほうは、熊の恐怖がまだおさまらず、頭も混乱した状態のままで。とりあえず相手が熊ではなく人間だということは辛うじて理解できて、全身の力が虚脱するような安堵感につつまれながら口をついて出たのは次のような言葉だった。
(熊じゃなくて)「よかったです……」
サラリーマン氏は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたけれど、熊だと思ったことなど正直に話せるわけもなく、軽く会釈してそのまま場を後にしたのでありました。
そして今回、自分は熊に出会ったら「ひゃあっ!!」と叫ぶことが分かりました。
5月9日(金曜) 夜
先日の広島市内で見かけたハリガミ。
大切に育てた草花を勝手に持ち去られて怒り心頭のご様子である。気持ちはまァ分かるのだけれど…。
どう見てもこれって公道だろう。なのに「絶対に許しません」「きっと天罰があたりますよ」などと恐喝している勇み足。おまけにハリガミしてるのも街路樹だし。
毎日花を摘んでる人というのも実は、街路樹整備を担当している市職員とのいたちごっこだったりして。
5月8日(木曜) 深夜
しばらく頑固な便秘に悩んでいたのだが、今日になったらおもしろいほどポロンポロン出た。
うんこで想う、人体の神秘。
−−−
…と、これだけで終われば幸せなのだが、そうは問屋がおろさないのが世の常である。
ポロンポロン出てくださるのは嬉しいのだが、そのたびにお釣りがおしりに跳ね返って、すこぶる気持ちの悪い思いをしたのだ。
そこで一計を案じ、おしりを少しずつずらして「お釣りの返ってこないベストポジション」を探してみた結果、ずらすたびに別の場所に跳ね返ってきて、用を足し終わる頃にはおしりのほぼ全面がお釣りまみれになってしまった。
あまりに気持ち悪いのでティッシュで拭こうとしたら、手のひらにたっぷり付着してしまい。どんどん悪化する事態に茫然と立ちつくしていたら、今度は手のひらについた滴が足の甲に垂れてしまい。ベストポジションを探そうなどという出来心を起こしたおかげで、気がついてみれば全身うんこのお釣りまみれ。
敵から逃げれば逃げるほど追い詰められるという、まるで戦国武将のような経験をした本日でありました。もう何もかもイヤになってます。
5月7日(水曜) 夜
阪南市で3回も道路が陥没した事件。
住民の方々はさぞかし大変だろうと察するけれど、ニュースにインタビュされた近隣住人の答えについ笑ってしまった。
「だって3回も陥没でしょ? 陥没するって普通は1回か2回ですよ。3回はあり得ないとしか言えないですね…」
沈没って普通、2回もしないと思います。1回だってしない!!
−−−
しかし、こういう人を見るにつけ、自分も寛容な人間になりたいなァと改めて感じますねえ。たとえば何度も通り魔に遭って刺されて、おまけに犯人が同一人物だと分かったところで、口にする抗議は次のようなものなのだ。
「同じ人間に通り魔するって、普通は1回か2回ですよ。3回はあり得ないとしか言えないですね…。正直、もうやめてもらいたいです」
気は長く、心は丸く、腹立てず、口つつしめば命長けれと申しますから。
同じ犯人から3回も通り魔に遭ってる時点で馬鹿というか、とっくに死んでるような気もいたしますが。
5月6日(火曜) 深夜
広島から帰ってきました。
特筆すべき点はなにもない平凡な旅ながら、せっかくなので撮った写真などいくつか紹介してみます。
初日はJR三原駅にて下車。駅前の光景はほんとうにどうってことなくて、撮った写真はこれ一枚だけでした。GWなのに観光客の姿ゼロ。
三原の「だるま工房」にて。だるま和尚を冒涜しているとしか思えない、こんな愉快な作品たちが展示されてました。
レッドペッパーだるまも堂々たる面持ちで鎮座。だるまとは何なのか? という根源的な問いについて考えさせられる作品と言えましょう。
三原の居酒屋にはもちろん、だるまさんの姿が。どうやらミッ○ーマウスのようだけど、いろんな意味で不安を喚起させる御体であります。
二日目、「だるま工房」の体験コーナーで自作しただるまさんとともに列車で移動。周囲の乗客からも無視されて心なしか寂しそうです。
忠海駅で下車したら開催されていた「オイル祭り」。暫定税率が復活したせいで、世界一悲しいお祭りになってました。祭りだワッショイ!!
忠海駅から船で大久野島(通称・毒ガス島)に渡る。旧日本軍が密かに毒ガスを製造していて、当時は島全体が毒ガス工場だったとか。
島には工場跡や発電所跡の廃墟があちこちに散在していた。こういう場所をレンタサイクルで巡っていると、人生も捨てたもんじゃないなァと。
三日目、JR呉駅にて下車。駅前にはホンモノの潜水艦がドーンと気前よく佇んでいて興奮した。艦内も無料で見学できて、盆と正月でした。
潜水艦の隣にある「戦艦大和ミュージアム」にももちろん足を運ぶ。1/10スケール模型の迫力は圧巻の一言。すげー! 戦争反対!!
ミュージアム内にはその他、潜水艦などいろいろ展示されていて。黒人のチンコのようなモノもあって、シャイな小生、思わず顔が赤らみます。
中庭の池には戦艦大和がラジコンで巡航していたのだけれど、あまりの小ささにむしろ驚くという、貴重な体験をさせていただきました。
そのまま広島駅まで移動して、昼食は市内にある「みっちゃん」で広島焼き。いやー、美味しい美味しい。これ一個でビール三杯いけるね!
原爆のグラウンド・ゼロにある平和記念資料館にて。入場料50円と格安ながら、入口以外はご覧の通り、厳重極まりない立ち入り禁止。
街の自販機には「ピュアな自分らしさを感じる」ミネラルウォーターが。ピュアな自分らしさなんて感じようものなら、気持ち悪くて大変です!!
夕刻になると、「ピン子」の赤提灯その他。いくばくかの名残惜しさを抱きつつ、広島を後にして帰ってきたのでありました。
5月2日(金曜) 深夜
小学生のころ、誰もが嫌がることを自らすすんでやるのがカッコイイことだった。
たとえば「犬のフンを自ら踏む奴はカッコイイ」とされていて、ぼくも自分の勇気を誇示するため、登下校のときは率先してフンを踏んだクチである。すると、腕っ節が強くて普段はぼくなんかよりずっと「上位」にいる男児までもが、「おお、名倉すげー!」と言ってもてはやしてくれるのだった。
同様に、みんなが恥ずかしがることを自らすすんでやるのもカッコイイことだった。
そして気がつけば、道端に犬のフンがあれば飛んでいって踏み、学校でウンコしたくなったら「これからウンコしてくるからな!」と公言し、みんなの前でブーブーおならをこき、テストでは0点を取っていた。で、「おお、すごいやんけ!」と拍手を浴びて有頂天になっていたのを今でも鮮明に思い出す。
友達からハメられていたことに気付いたのは、ぼくが高校に進んだときでした。
−−−
明日から広島のほうに旅してくるので、しばらく更新できないかもしれません。よろしくお願いします。
5月1日(木曜) 深夜
職場にて、とある計画のプレゼンが顧客向けに行われた。
で、それを聴いた先方に意見や感想をうかがって、発言をそのまま書きとめたものを提出する、という任務を上司から任されたわけですが。
最初のうちは上司の命令どおり相手の言葉をそのまま書いていたものの、人数が多いものだからだんだん嫌気がさしてきて、後半は自分でもびっくりするくらい簡潔な要約になってしまった。次のような按配である。
Aさん:○○に関しては××の長所がとても分かりやすくて興味深かったです。でも△△のあたりは、やや分かりにくかったように思う。
Bさん:××のプランに関しては具体的な説明があって納得させられたが、全体のビジョンが見えにくかった。
<中略>
Wさん:分かりやすい。
Xさん:よい。
Yさん:よい。
Zさん: 、、。
でもまァ、あとからテキトーにそれっぽく加筆修正して提出すればいいかと思って、書きとめたレポートを自分のデスクに放置していたのがいけなかった。これを目にしたらしい上司から突然、呼び出しをくらったんである。
上司:「ちょっと名倉君、来てくれるかな」
ぼく:「はい、なんでしょうか」
上司:「今日頼んでた先方さんの意見のレポートだけど、ほんとに相手の言葉どおり記録した!?」
ぼく:「もちろんですっ!!」
上司:「ってことは……Xさんは『よい』って仰ったわけだね」
ぼく:「は、はァ」
上司:「次のYさんも『よい』とだけ仰ったわけだね」
ぼく:「そ、そういう感じでしたっ!」
上司:「よい、なんて言う人がいるわけないだろうがっ!!」
日常会話で「よい」と発言する人はたしかに見たことがないな、と感心しながら叱られていた本日でした。
−−−
さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「タバコ=無駄、論」。 タバコを吸うのは時間の無駄だから禁煙した! と触れ回っている知人について、あれこれとマジメに管を巻いております。なにごとも無駄と言っちゃあおしまいだ。
よければご覧いただけると嬉しいです。