2008年4月のプチ日記

4月30日(水曜) 深夜

 近頃のマンションはベランダの洗濯物が外から見えないようになっているものが多い。

 「洗濯物がベランダにずらりと並ぶと、せっかくの新築マンションも一挙に生活感が出てしまって売れなくなる」という販売戦略上の理由からなのだろうが、外から見えない=太陽の光が当たりにくいということでもあり、とくに冬場や梅雨どきなどは乾くのが遅くなるから、住人にとっては不便以外のなにものでもない。

 ただ、こういったベランダ構造を無視して洗濯物を干しておられる猛者を見かけることもある。

 デカくて派手な敷布団が一枚どーんと干されているおかげで全て台無し。こんな風にされては、建設した業者も唖然とするしかないだろう。

 …とか言ってるぼく自身も、この方式でシーツを干したりしてたんですけどね。干してる本人は気付かないが、ここまでの破壊力だったとは。

 

4月29日(火曜) 深夜

 本日のセレブ。

 「セレブな!!残飯処理機」とのことだけれど、なにがどうセレブなのか見当もつかなくて、いっそ気持ちいい。

 …とまァ、こんなところだろうか(絶対ちがう自信アリ)。

 でも、それにしては「合理的・経済的!!」とも謳ってあるし、ますますよく分からない。セレブなのに考えるのは合理性とか経済性とか。セレブとは何なのかを改めて考えさせられる命題である。

 そもそも本当のセレブは、残飯処理のことなど気にするんだろうか。首をひねりすぎて一周しそうですわ。

 

4月25日(金曜) 深夜

 硫化水素での自殺ニュース。

 ガスを発生させるために用いられたのは、トイレ用洗剤のサンポールと、ある種の入浴剤だという。人生の最期を飾るのがサンポールというのは、いくらなんでも間抜けで哀しすぎるんじゃあないか。

 おまけに現在、両製品を購入しようとする人に対して、動機が疑わしい場合には販売しないようにという「お達し」が出ているとも聞く。たまたまサンポールと、ある種の入浴剤を同時に買おうとしている人がいたら、ひょっとしたら警察に通報されるかもしれないのだ。

 サンポールが販売禁止になって、闇市場で高値取引される日が来るんだろうか。街中で強面のオジサンから「…ええモンありまっせ」、手にはサンポール。

 人の気持ちや衝動なんて常に移り変わるものなのだから、もし死にたくなっても、とりあえず一年くらい先延ばしにしてみるのがいいと個人的には思うんですけどねえ。一年後にはきっと、「なんであの時サンポールで死のうとか思ったんだろ!?」と頭をひねっていること請け合いですから。

 三島由紀夫が正に割腹自殺しようとせんとき、サンポールと入浴剤をこっそり差し入れたところで、きっと使ってなかっただろう。 もしも当時、次のような大見出しが新聞の大見出しになっていたらどうだ。

 「三島、自衛隊駐屯地でサンポール自害!!」

 犠牲者をこれ以上増やさないためには、硫化水素とかぼかすよりも、サンポールという滑稽さを前面に打ち出していくほうがいいに一票。

 

4月24日(木曜) 深夜

 本日のマイホーム駐車場。

 前方の両端に置いてある鉢植えが、どう見てもクルマの車幅よりも狭い。

 ひょっとすると持ち主が「剛の者」の人で、ぶつかることなど気にせず豪快になぎ倒して発車しているのかもしれないが、それにしたって倒れた鉢植えを毎回立て直さなければならない。こんな地味な作業をしている人は、そもそも剛の者とは言えないだろう。

 だとするとやはり、クルマの盗難防止のためというか、盗む気を失せさせるための方策と考えるのが自然である。ただ、それにしてはちゃんとしたフェンスが設けられているし、本気で盗もうと思えば鉢植えをちょっと動かせばいいだけの話である。

 こういうよく分からない物件を目にすると、一日中「なんなのだろう?」と考えてしまって、時間を返せと言いたくなりますねえ。自業自得ですが。

−−−

 盗む気を失せさせるといえば、駐輪するとサドル部分がぴょこんと上を向く自転車がちょっと前に話題となっていた。

 しかし知人のFさんは、それ以前から、もっとプリミティブな方法で盗む気を失せさせる工夫をしていた。

 「自転車のタイヤをずっとパンクさせておく」

 確かに盗む気は失せるだろうけれど、パンクしたままだと乗り心地が悪すぎるのではないか? 

 …と尋ねるとFさんいわく、「でも盗まれるよりはいいでしょ?」。

 こういう生き方もいいな、と少し本気で思いました。

 

4月23日(水曜) 深夜

 足の爪にたまっていた垢を右手の指先でとったら、手の爪の中に入ってしまった。

 これはいけないと思い、右手の指先に入った足の爪垢を左手の指先でとったら、今度は左手の爪に足の爪垢が入ってしまった。

 ふと、昨今の環境問題が頭によぎりました。

−−−

 少し前まで"DKNY"をディクニーと読んでいたことを職場で話したら、同僚Aさん(24歳女性)から爆笑された。

 「アハハハ! それってドキニィですよね!?」

 目くそ鼻くそを笑うとは正にこのことだなァと、爽快な気分になりました。

 ちなみに小生、"LOC'CITANE"のことはずっと「ロシテーン」と読んでおりました。

 そして"4℃"は「フォー・ド・シー」。でもよく考えたら、「℃」を「ド・シー」と読むのって、ちっとも英語じゃないですな。

 

4月22日(火曜) 夜

 同僚からタケノコをもらった。実家から大量に送られてきたらしい。

 タダならごみでも貰うことにしているぼくとしては嬉しい限りなのだが、問題はタケノコが一刻を争う食材だということ。

 生のやつを自分で買ったことはないながら、確か「収穫したその日のうちに下茹でしないとエグ味が強くなってしまう」と聞く。おまけに、下茹でするときは米ぬかを入れて、じっくり火を通さないといけないとも聞く。

 今夜の食材はすでに昨日から購入してあるので(スペアリブ煮込み)、こいつを作ってから、さらにタケノコまで下茹でする羽目になってしまい。本日は残業を終えて帰宅したのち、嬉しい悲鳴をあげながらチマチマと作業していたのでありました。

もらったタケノコ2匹。夫婦タケノコっぽい佇まいがちょっと可愛らしい。
 
先端と根部を斜めに切り、中央に包丁を入れる。…と知った風ですが、ネットで調べました。
 
寸胴鍋に米ぬかとタカノツメを入れて40分ほど中火で下茹でする。これもネットで調べました。
 
茹であがったら、そのまま常温になるまで冷ます。もちろんネットで調べました。
 
皮を剥いてみたら、こんなに小さくなってしまいました。まるで子どものチンチン。夫婦チンチン。
 
ちなみに、下茹でする前に作った今夜の夕食。スペアリブ煮込み&春キャベツの姿煮です。

 今日はタケノコの下茹でに精魂尽き果ててしまったので、もう寝ることにします。

 みなさんも、忙しい独身サラリーマンには生タケノコを贈りましょう!!

 

4月21日(月曜) 夜

 数ヶ月に一度くらい、虚脱状態に陥りそうな、ものすごい快感が突然訪れることがある。

 当然のことならがらヤバい薬をやっているわけではないし、酒を飲んでいるわけでもない。仕事での大成功、念願の恋愛成就、宝くじで数億円などといった至高体験に巡りあったわけでもない。いつもどおりの平凡な日々の中で、ごくごく普通にいつも通りデスクワークしているときなどに、「そいつ」は突然やってくるんである。

 どんな感覚なのか言葉にするのは難しいが、トローンと全身がとろけるような心地よさのなか、ときおり脳天の裏側あたりにゾクゾクッ、ゾクゾクッと快楽の波状攻撃がやってくる。無理やり例えるなら、一日ハイキングなどして疲れたのち温泉に入ったときの「はァ…ウウッ…」という気持ちよさを百倍くらいに強くした感じだろうか。

 このような状態は10分前後続き、その間、手足の筋肉が弛緩してほとんど力が入らなくなる。パソコン入力くらいなら何とか可能だが、鉛筆で字を書こうとしても思うように力を加減できず、ミミズがのたうち回ったような字になってしまう。学生時代などは、授業中にこういう状態になると、板書を書き写せなくなって苦労したものだった。

 さらに、こういう状態のときは、特定の音刺激が快楽をさらに増幅させる場合が多い。たとえばチョークで板書するときの「コツ、コツ」という音、あるいはボールペンで字を書くときの「トン、トン、トン」という音などなど。ただでさえ多幸感に包まれているところに、こういう音が響くと、もう「堪忍して…」と悶えたくなるようなお手上げ状態になってしまうのだ(ちなみに自分で立てる音に対しては、いまひとつ快感を感じない。くすぐられるのと同じようなものか)。

 そして本日、数ヶ月ぶりに「そいつ」がおいでなすったわけでありまして。

 そのときぼくは打ち合わせの仕事をしていて、先方に契約書を書いてもらったりしていた。すると突然、全身がトローンとした快楽に包まれ、相手の書くボールペンの音がさらにその快楽を増幅させるという、いつものパターンになっていたのだった。

 先方が書類に記入するたび、失禁しそうなほどの快楽が全身を駆けめぐる。もはや快感の奴隷と化していたぼくは、相手が契約書に記入し終えたとき、気がつけば口走っていた。

 「あの…、まことに恐縮ですが、契約書は2枚書いていただくことになってるんです」

 もちろん本当は1枚でいいのだが、己の快楽のために2枚書かせるという、職務違反をしてしまったわけである。向こうもよもや、自分が契約書に記入する音で、相手がトロトロにとろけそうになっているなどとは思いもしなかっただろう。

 なぜこんなことになるのか分からないが(おそらく報酬系=A10神経の分泌にノイズが起こっているのだろう)、こんな状態がずっと続けば、廃人になってしまいそうで嬉しいような恐ろしいような…。

 なにしろ「誰かがペンで記入するときの音」依存症になってしまうのだから。悲壮感のなさが、悲壮感を一層際立てる。

 

4月18日(金曜) 夜

 もしもタイムマシンが手に入ったら何をしたいか?

 そんな話を同僚としていて咄嗟に思い至ったのは、せっかく洋服を買っても数年経ったら流行遅れになって、あまり着られなくなるなァということ。

 で、いつも「もったいないのう…」と深くため息をつくばかりだったのだが、タイムマシンさえあれば一挙解決である。数年後の街中をぐるっと観察してきた上で、先々まで大丈夫そうな服を選べばいいのだから。

 さらには、たとえば2年後に大ブレイクするアイテムを今から購入して着ていれば、「ようやく時代がオレに追いついたね」なんていう一度は言ってみたい憧れのセリフを口にすることだって可能なのだ。ああ、言いたい! 時代がオレに追いついたとか言いたい!!

 ちなみに先日、知人とレストランで食事していたとき、ズボンの半チャックを指摘されて赤面したのだけれど、2年後に半チャックが「来る」ことを知っていたらもっと堂々とできていたのに…と思うと残念でなりません。

 半チャックブーム、来ると思うんだけどなあ。来ませんかねえ?

−−−

 ところで同僚たちは、千年後の未来に行きたいとか、恐竜時代に戻ってみたいとか勝手なことを言っておりました。

 千年後の未来なんて、到着した途端、酸素マスクをしてなかったせいで死んでしまいそうで恐い。恐竜時代も、行ったはいいけれどロクな食べ物がなく、けっきょくコンビニ弁当とか恋しくなりそうで足が進まない。

 …とかなんとか、夢のない話ですみません。こんなぼくには数年後とかがお似合いなのだと心から思います。

 

4月17日(木曜) 深夜

 社員食堂で同僚たち数人とランチを食べた。

 その中のHさん(女性)が真っ先に食べ終わり、しばらくしてI君とぼくが食べ終わり、最後にSさん(女性)がかなり遅れて食べ終わった。するとHさんが突然、こんなことを言い出した。

 「女性なのにアッという間に平らげちゃってお恥ずかしいです…」
 「子どもが産まれて以来、食べれるときにガッと食べとこうっていう習慣が身についちゃって…」

 で、たいそう恐縮しておられたのを見て、これはいけないと思ってフォローを入れたのが運の尽きだった。

ぼく:「食べるのが早い人は仕事がよくできるって昔から言われてるらしいですよ!」
Hさん:「へえー、そうなんですか。私もそうだといいんですけど…」
ぼく:「きっとそうですよ」
Sさん:「じゃあ、食べるのが遅い私は仕事ができないってこと!?」
ぼく:「あ、いえ、そういうわけじゃなくて。ゆっくり食べるひとは育ちがよくて上品ですよ」
Hさん:「ってことは、食べるのが早い私は、育ちが悪くて下品なんですね!」
ぼく:「い、いや、そうじゃないんです。ええっと、食べるのが遅いのも早いのも、どちらもいいというか……」

 結局、HさんもSさんも敵に回してしまい、非常に気まずい雰囲気のままランチを終えたのでありました。

 慣れないことをすると、まったくロクなことがありません。

−−−

 さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「手巻きタバコ で紅茶を吸う」。刻みタバコに紙を巻くマシンを購入した勢いにのって、紅茶の葉っぱを紙巻きにして喫煙してみたレポートです。結論としては、紅茶タバコはけっこうイケました。

 よければご覧いただけると嬉しいです。

 

4月15日(火曜) 深夜

 「なか卯」で食べるうどんはいつも美味しい。

 たかがチェーン店なのにどうしてだろうと悔し紛れに考えていたら、ふと気がついた。

 皆さまにおかれましても、手料理など振る舞われるときには先方を数日間監禁して、あらかじめ兵糧攻めにしておかれることをオススメします。

 飢餓という最高のソースがあれば、きっと大丈夫♪

 

4月14日(月曜) 深夜

 本日のバーゲン。

 ファイナルバーゲン! かと思えばファイルバーゲン! でした。確かにファイルだ。

 どう見ても「狙ってる」感じだけれど、ファイナルと見せかけてファイルだったときの静かな落胆は琵琶湖疎水よりも深い。

 …と、しょうもない感傷にふけりながらシャッターを押していたら、店長とおぼしき男性が飛び出してきて。

 「お客様、失礼ですが何を撮ってらしたんですか!?」

 唐突な展開にすっかり動転してしまい、咄嗟にテキトーな言葉を並べてしまった。

 「い、いや、このファイルの色合いがとてもキレイだったもんでつい…」

 店長っぽい人は、何度も首をかしげながら店の中に帰っていきました。うん、これでいいのだ。

 

4月11日(金曜) 深夜

 「○○でデートしたカップルは別れる」式のベタなジンクスをよく耳にする。

 京都でいうと、代表的なものとして、「宝ヶ池のボートを一緒に漕いだカップルは別れる」というのがある。これは地元の人々には結構知られていて、実際ぼくの知り合いカップル氏も、宝ヶ池だけは警戒して近づかないようにしていたのを思い出す。

 でも、ちょっと待てと言いたい。世のカップルなんて、その多くは結婚まで至らずに別れるのだから、この手のジンクスはどんなのだってアリではないか。

 いずれも的中率はかなり高いことだろう。

 ちなみに宝ヶ池を警戒していた上述のカップル氏は、その半年後にお別れになっていた。こうなるともはや、「宝ヶ池のことを意識したカップルは別れる」というジンクスに訂正しなくてはいけませんな。宝ヶ池のことは考えないようにしよう! と考えた時点でアウト。

 恐喝まがいの新興宗教は反吐が出るほどキライだけれど(この壷を買わないといつか不幸になるとか、入信しないかぎり最高の人生を送れないとか)、こういう当たり前のジンクスは牧歌的で、実はけっこう好きです。 

 

4月10日(木曜) 深夜

 子どもの頃、「なんで?」という質問がぼくの口癖だった。

 たとえば「おかあさん座りをしたらなんで足がしびれるの?」「テレビってなんで映るの?」という具合である。これら質問の矛先はたいてい父親に向けられ、それぞれ「足の血の流れが妨げられるからだよ」「空中の飛んでいる電波を拾うからだよ」といった回答が返ってくるのだった。

 理系人間だった父親は、子どもからの「なんで?」という質問に対して、できるだけ「科学的」に答えてやらなくてはいけないと考えていたのだろう。当時のぼくはそれで好奇心が満たされてすこぶる心地よかったのだが、今になって思うと、それが後の人生に災いした面もあったような気がする。

 というのも、そんな父親のおかげで、「何ごとにも原因と結果があるのだから、それを分からないままにしておくのは恥ずべきことだ」みたいな信念が知らず知らずのうちに培われていたように感じるのだ。

 子ども時代のぼくは実際、父親とこんなやりとりをしたことがある。

 ぼく:「なんでミカンの皮って黄色いの?」
 父親:「それは色素が入ってるからだよ」
 ぼく:「なんで黄色い色素なの?」
 父親:「カロチンとかビタミンCとかが含まれていて、その色が出てるんやろうな」
 ぼく:「なんでカロチンとかビタミンCは黄色いの?」
 父親:「…うーん、それは父さんにも分からんわ」
 ぼく:「なんで分からへんの??」
 父親:「……」

 こんな調子だったから、たとえば級友がカゼをひいたら「なんでカゼひいたの?」と本人に詰問し、算数が得意な友人がいたら「なんで算数が得意なの?」と問い詰めて、当然のことながらそのたびに煙たがられていた。

 こういう性癖は大学に入ってからも続いた。「なぜ?」という疑問は学問的探求の源になる、などとよく言われるけれど、(たしかにそういう一面もあるとは思うものの)そのせいで自分の首を絞めることも多くなってきた(よくあったものとしては、自分が怒らせた相手に向かって「なんでそんなに怒るわけ?」と尋問して、ますます相手を激昂させてしまったり)。

 ちなみに大学院時代は「なぜ人は気分が落ち込むのか?」みたいな研究を志していて、文献をあたっているうちに「それは、なぜ気分が落ち込むんだろうとか考えるせいだ」という主旨の報告に巡り会い、それに興味を持ったはいいが、今度は「なぜ気分が落ち込むんだろうとか考えると気分が落ち込むのはなぜか?」を追求せずにはおれなくなって、思考のマトリョーシカともいうべき袋小路に落ち込んだこともあった。

 だいたい、ちょっと頭を冷やして考えてみれば、世のなか原因が分からないことのほうが圧倒的に多いのだ。

 たとえば不幸にもガンになってしまったとして、その原因はなにかと考えたところで、想定される要因が多すぎてよく分からない。現在の科学では、免疫力(NK細胞活性)低下によってガン細胞がのさばってしまうのが主なメカニズムだろうと仮説されているようだけれど、じゃあ免疫力が低下したのは、タバコを吸っていたから? 人間関係のストレスを抱えていたから? 遺伝要因があったから? 大気汚染があったから? 食生活がよくなかったから? 睡眠時間が短かったから? 怒りをためこみやすい性格だったから? 外に出て日光を浴びすぎたから? 内にこもって運動不足になっていたから? それともアレコレ考えすぎたから?

 おそらく、そのうちの幾つか、もしくは全ての要因が複合的に影響しあって、さらに偶然が重なってガンが発生したというのが実際のところではないか。だったら、こんなことを考えるのは専門家に任せておいて、とりあえずこれから先どうするのがいいかを考えるほうがいいことは自明である。どうせ考えるなら「ガンのことなど気にせず楽しく過ごせるのはどんなときか?」などに気を向けたほうが、結局は人生得するんじゃないか。

 …とまァ、このような紆余曲折のすえ、三十路を過ぎてようやく、「なんで?」の呪縛からちょっとだけ解放されつつある昨今なのでありました。

 ところで、今日にかぎって妙にマジメなことを書いてしまったのはどうしてだろう? …あっ、いけない、いけない。 

 

4月9日(水曜) 深夜

 実を言うと先月まで、洞爺湖サミットのことを東横サミットだと思っておりました。

 同僚に向かって口にしたこともあるのだが、まったく気付かれることなく経過していたので、きっと滑舌が悪いのが幸いしたのだろう。

 でもよく考えたら、東横サミットってなんだ。東京か横浜かさえはっきりしないような場所でサミットが行われるというのか?

 各首脳がオリエンテーリングで「どこかにあるサミット会場」に集まるみたいな企画を連想したけれど、こういうサミットのほうが意外とすんなり物事が決まるかもしれませんね。 なんとか到着した首脳たちだけで、「苦労してたどり着いた者同士、まァまァ仲良くいきましょうや!」と。

 いまこそ東横サミットの実現を!! 東横線はオリエンテーリングに必死の首脳陣だらけ。

 

4月8日(火曜) 夜

 本日の路上駐車(三条河原町界隈にて)。

不気味なほどの路駐シール ここまでくると可笑しい

 よく見ると数時間おきに巡回して、その度に警告シールを貼りつけているらしい。一体どれだけの人件費がかかっているんだろうと、ついつい心配してしまう。違法駐車しておきながら、これだけ人件費をかけてもらえるとは、まったく有難い話である。

 だったら早く撤去すればいいのにと思うが、まァいろいろ事情があるのだろう。あまりにもすぐに撤去されたら、シール貼りを生業としている人たちから「早期撤去断固反対!」みたいなシュプレヒコールが起こるかもしれない。

 ただ、こういうのを見るたびについ笑いそうになってしまう。いくらシールをたくさん貼ったところで、違法駐車の数は一向に減っていない。いつ通りがかっても、同じような光景を目の当たりにするだけなのだ。

 やってみて効果がなければ別の方法を試行錯誤するのが普通だと思うのだが、いまだに大量のシールを貼りつけ続けているのみという滑稽さ。

 ま、路駐が無くならなくても本当に困るわけじゃないだろうから、これはこれで色んなバランスが取れているのかもしれまへん。

 

4月7日(月曜) 夜

 昨日は下鴨神社のふもとで、どうにかお花見をしてきました。

 せっかくなのでその様子でも。

桜の木の下で。死体とか埋まってないかなァと密かに想像しながら、昼間っから飲む酒は最高!です。ちなみに設営した場所は、利便性を考えてトイレのすぐ近く。花見というよりトイレ見。
 
隣のグループの一人(女性)がトイレの前で寝ておられました。心配したグループのメンバーが「シートに戻ろうよ!」と介抱するも、「ここがいいの!」と言い張って埒があかず。よほどトイレがお好きなようで。
 
白ワインにひらひら落ちてきた桜の花びら。思わず「うわ汚ねっ!」と叫びそうになったけれど、場の雰囲気に考慮して、「いやァ風流ですなあ!」と申し上げておきました。
 

 陽が沈むころにはすっかりヘベレケになり、みんなが呆れるのもお構いなしに、「自転車のタイヤについて」ばかり延々と喋っておりました。ちなみに、みんなに話していた内容といえば、「自転車のタイヤは太すぎても細すぎてもダメで、中ぐらいのが一番いい!」というもの。誰も自転車になんて興味ないのに、「ちょっと聞いてもらっていいですか!」とか言って説教していた気がする。

 というわけで今年のお花見は、「自転車のタイヤは中ぐらいのが一番いい」という結論にて終わりを迎えたのでありました。

 

4月5日(土曜) 深夜

 なんとか散髪に行ってきました。

 毎回「いつもと同じ感じでお願いします」と言っているが、明らかに髪が薄くなっているから、だんだん「いつもと同じ」でなくなってきている。でも美容師の人は、そんなことなどおくびにも出さず、「ハイいつもの通りですね」と答えてくれる。余計な気を使わせているようで、なんだか申し訳なくなってくる一瞬である。

 前にも書いた気がするが、知人からこんなことを言われたことがある。

 「名倉くんと同じくらい薄くなってる学生さん、私知ってるよ。その人はそれが原因で大学に行けなくなっちゃったらしいけど、名倉くんはちゃんと出社できてるんだから大丈夫!!」

 なにがどう大丈夫なのか冷静に考えるとよく分からないが、頭髪のハンディがありながらも接客その他の仕事を他人並にやっているのは、確かにエライような気もしてくる。そりゃあ髪の毛フサフサなら何でもできて当たり前だろうけれど、こちとらハゲを抱えながらやってんだよ! と。

 まァ、そうは言っても所詮はハゲの話なので、いくら吼えたところで滑稽なだけなのが悔しいんですが。

 そういや数年前、当時お付き合いしていた女性とこんな甘哀しい会話をしたこともあった。

 ぼく:「こんなハゲが彼氏でいいの?」
 相手:「イヤだったら付き合ってないわよ。それに髪の毛で人の魅力が決まるわけじゃないしさ」
 ぼく:「そう言ってくれるのは嬉しいけど…。でも、じゃあぼくと同じ人間で髪の毛フサフサの男がいたら、そっちのほうにいっちゃうでしょ」
 相手:「髪の毛フサフサの同じ人間なんているわけないでしょ!」

 ちなみに美容師さんは、「大きめのつむじと考えればいいんですよ」と言っていつも慰めてくれる。

 このままいくと、いつの日か「オールつむじ」のヘアスタイルに落ち着きそうですけどね。

 

4月3日(木曜) 深夜

 本日撮った写真2点。

五条烏丸の交差点 近所の家のフェンス

 だから何なんだ? と言われると返答に窮するんですが、カメラってシャッターを押す場所によって全然違った写真が撮れるから面白いなァと。当たり前の話ではあるけれど、逆に言えば、まったく同じ写真は一枚たりとも撮れないわけである。

 生活というのは毎日同じような繰り返しに思えるけれど、実はコピー&ペーストできない、一回きりの、再現不可能な現象なのだと思うと、何ごとも「これが最初で最後か」と思えるから新鮮でいいですな。

 あ、さっき息を吸って吐いたのも、そういう意味では最初で最後の呼吸だ。世の中プレミアだらけ。

−−−

 さて昨日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「手巻きタバコ奮闘記」。先日、海外旅行のみやげにもらった手巻きタバコの葉っぱを、なんとか吸おうと悪戦苦闘したレポートです。

 よければご覧いただけると嬉しいです。

 

4月2日(水曜) 深夜

 毎晩、寝る前に缶チューハイ(正確にはキリン氷結レモン味)を飲んでいるわけですが。

 さっき、もう全部飲んだと思って歯磨きをした後、帰ってきたらまだ半分くらい残っていた。

 「歯を磨きなおす手間」 VS 「飲み残したチューハイ」の葛藤。

 それで結局、予想通りチューハイを飲み干すほうが勝利して、そのまま残りを飲んでみたところ、あまりの不味さにびっくりしました。

 歯磨き粉で歯をみがいた直後に缶チューハイを飲むと、たいそう不味いので楽しいですよ! なんだ、このケミカルさは。

 自分だけ不味くて悔しいので、大いに宣伝しておきます。ほんとに不味いですよ!!

 

4月1日(火曜) 夜

 今年撮った写真から、いくつか紹介しちゃいましょう。

これは1月に開いた、オレの誕生日パーティーの写真。今年は200人くらいしか来てくれなくて、ちょいと寂しかったね。あ、ビンゴ大会したよ。
 

オレ専用のバースデーケーキ。値段はプライスレスだったかな。ロウソクは4本だけど4歳ってわけじゃないよ(笑)。京都・吉兆にて。
 

貯金してお袋に買ってやった別荘。未亡人になったら一人で住んでいいよって言ってんだけど、お袋のやつ、これじゃ狭すぎるって。
 

今住んでるワンルームマンション。特別に発注して、ジャパニーズスタイルで作らせたんだ。飼ってるペルシャ猫もここがすっかりお気に入りでさ。
 

これは夏用の便座カバー。一点ものだから結構値は張ったよ。いくらかは言わないけどね(笑)。冬場はこうやってショーケースに入れてるんだ。
 

我が家の卵入れ。これでも最近、ちょっと小さく感じてきてね。来年は3つくらい買い足そうかと思ってる。ま、こればかりは道楽だからね。
 

これは京都駅伝で2位取ったときの賞状。是非走ってくれって市長から言われて、断り切れず出てみたら2位になっちゃったときのやつ。
 

今夜の食卓。いつもよりはちょっと品数が控えめかな。これくらいだったら20分もあれば作れるよ。うん、料理は結構得意なんだ。

オレのアンブレラ・コレクション。傘が好きでね。エルメスとバーバリーがお気に入りなんだ。道楽には金を惜しまなのがポリシーでさ。
 

 

花嫁募集!ってブログで声かけたらこんなに来ちゃった写真。みんなモデルの女の子だったから、結構レベル高めだったけど…。
 

結局この子にしちゃった。初公開!オレのGF。あ、グッドフレンドじゃなくて、ガールフレンドだよ。彼女のお父さん、石油王なんだって。

 

 

 お察しの通り、エイプリルフールということです。はい。エイプリルフールというより単なる虚言癖。

 今年撮った写真からできるだけゴージャスな写真を選んだわけですが、精一杯のゴージャス写真がこれか……と肩を落とすばかりです。

 


2008年3月のプチ日記 

Otearai Webの表紙へ