9月28日(金曜) 深夜
わざわい転じて福となす、という諺がありますが。
以前、キャンプに自分の雪平鍋を持参したところ、運搬中におかしな力が加わったのか、微妙に変形してしまった。買った当初は真ん丸だった鍋が、横長になってしまったのだ。
使えるからまァいいかと自分に言い聞かせながらも、なんとなく悲しい気分になっていたのだが、先日この鍋でうどんを茹でようとして驚いた。
入る! 入るじゃないか!!
横方向に入るようになった!
縦方向には入らないまま
今までは横にも縦にも「ちょうど入らなかった」乾麺が、微妙に変形したことによって「ちょうど入る」ようになったのだ。
これもひとえに、鍋をキャンプに持参したおかげである。ちょうど入らなかった当初は、乾麺の片側が少し柔らかくなるまで待ち、そのうえで全てを投入してかき混ぜなければならなかった。しかし今や、そんな手間は遠い過去の話。もう入れたら入れっぱなしでいいんである。
人生も捨てたものではないな、と興奮冷めやらぬ昨今です。
9月27日(木曜) 深夜
酔っ払ったときのセクハラ発言の典型例として、「今日のパンティーは何色かね?」というのがある。
大学院に在籍していた頃、飲み会の席で某教授が本当にこの通り言っていて驚いたことがあるのだが、相手の女子学生も手馴れたものだった。
「ところで、今日のパンティーは何色かね?」
「やだ先生、それってセクハラですよー」
「でも色くらい教えてくれたっていいじゃないか」
「ご想像にお・ま・か・せ・しますっ!」
「じゃあ…白かね?」
「もうっ、ヒミツですったら!」
いま思えば「白かね?」というのも間抜けでおかしいが、かといって「ベージュかね?」なんていうのも生活感がありすぎて妙だから、こういう場合、「フフッ黒かね?」とニンマリするのが正しいパンティー問答だったのではないか。
それはさておき、問題は昨今のローライズである。ジーンズもズボンも腰の位置が低いものだから、ウエストからパンツの上部がちょろっと見えるのが当たり前になっている事実は、賢明な諸兄たちにおかれましてはもはや常識でありましょう。
実際、世のご婦人たちの「パンティーの色」など、訊くまでもなく7割がたは判明している。こういう時代にあっては、「今日のパンティーは何色かね?」という質問はもはや、そのレーゾンデートル自体を喪失していると言わざるを得ない。
今の時代においては、「今日のパンティーは水色じゃろう?」「ワシは物知りじゃろう!?」てな風に訊くべきなんでしょうな。
パンティーっていまだに、実生活で口にしたことないですが。口に入れるほうじゃなくて、言うほうね。 あっ…。
9月26日(水曜) 深夜
酒を飲んでいるときに汗をかくと、体が酒臭いと言われることがある。
気になって調べてみたところ、酒の大部分は体内で分解されるが、一部はそのまま汗となって排出されるらしい。どうりで汗が酒臭くなるはずである。
しかし考えてみれば勿体ない話だ。そのままアルコールとして排出されるなら、再利用して酒を造らない手はない。
原理はウォッカや焼酎などの蒸留酒と同じであるから、がんばればできるに違いない。一週間くらい続ければ、ショットグラスに1杯くらいは作れるんじゃなかろうか(再利用といいながら普通に作るよりコストがかかりそうだが、それをいっちゃあ昨今のリサイクル製品たちも似たようなものでありましょう)。
汗を採取する部位によって、微妙に味わいが異なるなんてこともあるかもしれない。顔の汗だけで作られた「顔酒」、脇の汗だけで作られた「アポクリン酒」、冷や汗だけで作られた「冷酒」などなど。
人気芸能人の「汗酒」を売り出したら人気を博すこと間違いなしである。といっても「グッチ裕三の汗酒」などは遠慮したいところだが、たとえば「滝川クリステルの汗酒」ならマニヤ達が泣いて飛びつくんではないか(本人が製造を承諾するかどうかはさておき)。
そして道楽は、どんどん無駄遣いの方向に突き進むのが世の道理。芸能人の汗酒をバイオ燃料にしてクルマを走らせるのが金持ちのステイタスになる時代は、もう目の前に来ているのかもしれない。
「オレのポルシェだけどさァ、今日はクリステルの脇の下で走ってんだよね」
貧乏人はその排気ガスを胸いっぱいに吸い込むのみ。まさに後塵を拝す。
9月25日(火曜) 夜
ストレス社会と言われる昨今。
しかし考えてみれば、原始時代とか縄文時代とかのほうがストレスはずっと大きかったことだろう。森の中で狩りをしていたら猛獣に遭遇して逆に狩られるかもしれないし、寒波がやってきたらそのまま凍え死ぬかもしれないし、運悪く結核にでも感染したらそのまま成仏するしかないのだし。
こんな過酷な状況で暮らすほうがよっぽどストレスフルだと思うのだが、世の識者たちはこぞってストレス、ストレスと口を揃える。現在の日本の住宅事情なんて、原始人がタイムスリップしてきたら気絶するくらい快適に違いない。なのにどうして、ストレス社会なのか!?
いやまァ、答えはなんとなく分かる。現代社会は生活水準の向上にともなって、対人ストレスや過労、生きがい感の喪失といった新たなストレスが増えているというコトなのだろう。大量消費文化を維持しながら暮らそうと思えば、人口の多くが歯車となって社会を支えなければならない。そうなると当然、ノルマやら残業やらやりがいの喪失やらといった、大昔には存在しなかったようなストレスに直面する機会が多くなる。
我々の身体は原始時代からほとんど変化していないと言われる。したがって我々の身体は、もともと猛獣などのストレスを想定してチューニングされている。たとえば恐怖を感じると心拍や血圧が上昇するのは、それによって身体を運動スタンバイ状態にして、眼前の猛獣から逃れる可能性を高くするという合目的的なメカニズムである。
このようなメカニズムを引き継いでいるから、我々は現在でも、たとえば怖い上司からイヤミを言われると心拍や血圧が上昇する。これが猛獣相手であれば、うまく逃げ おおせたら一件落着であり、逃げられなかったら食われて死ぬから、いずれにしてもストレスは長期化しない。だが、上司やノルマが相手だとそういうわけにはいかない。いくら俊敏に走り去ったところで、上司 やノルマとは今後も顔を合わせ続けないといけないからである。
その結果、会社にいくたびに心拍や血圧が上昇するハメになる。我々の身体は「常に猛獣と顔を合わせ続ける」なんていうシチュエーションは想定していないから、敵から逃げるためには適応的だった反応がそのうち慢性化して、高血圧や狭心症といった「ストレス病」へと陥っていく。
…乱暴にまとめると、こういうのが現代を「ストレス社会」たらしめている所以なのだろう。
ならばどうすればいいか? 答えは単純、もとの原始時代のような生活に戻ればいいだけの話だが、現代人はゼイタクになっているだけに一筋縄ではいかない。我々は生活水準が向上することには寛容だが、その逆にはすこぶる非寛容であるから、もしも原始時代にタイムスリップしたらショックと失意で「ストレス死」してしまうかもしれない。
となると、もはやお手上げ。「だから言わんこっちゃないでしょ!」と自然回帰主義の御仁たちが大喜びしそうなところだが、現代のストレスそれ自体は良くも悪くも命に関わらないのが特徴である。気の持ちようでうまくやりすごすことさえできれば、あとは別にどうってことないのではないか。
そこで登場するのが「自虐日記」。我が身の不幸をしたためた日記を日々公開するわけである。他人の不幸は蜜の味と言われる通りであるから、あまりにも可哀想な日々を書きつづれば、きっと広く読んでもらえるのではないか。
こうなれば、ストレスに遭遇したところで日記のネタがひとつできただけの話であるから、むしろストレスに遭遇する度に、「ああ…これで今日も書くネタにありつけた!」と感謝するくらいの気持ちが訪れることだろう。
−−−
思えばこのプチ日記も、こんな動機で書き始めたような気がする。書くことがなくなる日が早く来るといいんですが、なかなかそうもいかしまへんもので…。
9月24日(月曜) 深夜
滋賀県は近江高島にある「ガリバー旅行村」に行ってきました。
妙にリアルなリリパットのお出迎え。
「ウェルカム、ようこそ」
滝を見るために岩をのぼる。
ついに姿を現した滝。全長2m!
(ウソです。本当は20mくらい)
近くで見ると美しさ半減
バーベキュー。焼いてる肉にタレをかけたら炎上して大ひんしゅく。
ガリバー旅行村の名所のひとつ。
ただ寝転がってるようにみえるガリバーさんですが…。
実は胴体を切断されてましたとさ。
嫌な感じ満点すぎて笑いそうになったクルマ。
ブティック「スミコ」。 衿付ポロシャツ!!
バーベキューで飲みすぎてヘロヘロなので、今日はこのあたりにて失礼します。
9月22日(土曜) 深夜
夕方はヒマなのに、夜になると急に時間がなくなってきますな。
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本日の自販機。
究極自販機。
なにかと思えば、ドリンクもたばこもラーメンも売ってますよ! ということだった。
「究極」に対する考えかたは人それぞれである。
「札幌らーめん缶」のほうは、「夜食に! おみやげに!」とのこと。
どういう場合の「おみやげ」なのか、分からなさすぎて痛快です。
「らーめん缶」の横には「おでん始めました!」の貼り紙。なにか違う気が…。
ためしに買ってみようかと思ったが、なんとなく勿体なくてやめてしまった。
こうやって「観察者」に終わってしまうところに、自分のダメさ加減を再確認した本日でした。
ラーメン缶で自分を責めながら、今年の夏も終わりを迎えようとしております。
9月21日(金曜) 深夜
本日のパン屋。
なあんだ、みんな「具が多いやつ」を選んでるじゃないか。
でも、最奥列だけすべて残っているのは、やはり譲れない最後のプライドがあるんでしょうかねえ。
そして、初めてのパノラマ撮影の被写体はサンドイッチにて。
9月20日(木曜) 深夜
職場に中嶋さんという後輩がいる。
先日ふと、「中嶋マジかな?」という回文を思いついた。当然ながら早く言いたくて仕方がない。が、回文というのはそれ単発で言うよりも、自然な文脈でサラッと言ったほうがカッコイイ。なので、言うべき状況が訪れるを虎視眈々を狙い続けているのだが、いつまで経ってもそういうシチュエーションに遭遇しない。
とうとうシビレを切らして、こちらから積極的にそういうシチュエーションに持って行こうと思ったところで気がついた。
そももそもぼくは、中嶋さんをそのまま「さん」付けで呼んでいる(気が弱いので後輩も呼び捨てにできないんである)。ということは、まずは本人を「中嶋」と呼び捨てにするところから始めないといけない。
あまりにも遠い道のりであることが判明してクラクラしております。
…そもそも、遠い道のりを乗り越えた末の一言が「中嶋マジかな?」だし。労多くして功ゼロ、いやむしろマイナスかもしれない。
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さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「ビジネスホテルへの片想い」。 実を言うとビジネスホテルがかなり好きなんですが、その熱きラブエールとともに、可愛さあまって憎さ百倍、でも結局はあばたもエクボ、てなノロケ話を臆面もなく書いております。
よろしければご覧いただけると嬉しいです。自分が楽しんで書いた文章は、第三者にとってはちっとも楽しくないの法則。
9月19日(水曜) 夜
電車なんかで隣の乗客が携帯メールを打っていると、ついつい盗み見してしまう昨今。
たいていは、「きのう○○とカラオケ行ったよー。すっごい楽しかった!」とか「うん、分かった。じゃあ6時に××で待ってるねー」とかいった雑談メールで、こういうのを垣間見るのもまたこころ安らぐものなのだが、今日電車で隣にいたオバサンのメールは一風異なっていた。
メール本文はまだ空白、しかし予測変換の候補がこんなのだったのだ。
再現写真です
候補の前半がぜんぶ「たぬき」がらみ。なんですかこれは!?
あまりにも気になって続きをジーッと凝視してたら、気づかれてサッと隠されてしまいました。
世の中には、たぬきのことで頭がいっぱいなご婦人もいらっしゃるのだと思うと、なんとなく前向きな気持ちになってきますな。
9月18日(火曜) 深夜
近頃どんどん性格がズボラになっている気がする。
これでも以前は、人並みに几帳面なところも持っていた。たとえば、それは靴下の穿きかたに現れる。
学生時代は穿いたときに、このくらいのズレでも気になって修正していた。
就職してしばらくすると、この程度のズレは許容範囲になってきて…。
そして現在、これだけズレていても直そうかどうか迷ってしまう体たらく。そのまま強引に引っ張って「ちゃんと穿いたこと」にする、という荒技に出るときも。
ま、歳とともに寛容になってきたということでひとつ。どんどん子ども時代に返っている気もしないではないけれど。
皆さまにおかれましても、ズボラな穿きかたをしていると「足元を見られる」のでご注意くださいませ。
9月17日(月曜) 夜
北海道旅行から帰ってきた同僚から、妙なキャラメルを手渡された。
見れば「クリオネ・クリームキャラメル」と書かれている(写真を撮り忘れたので通販サイトから写真拝借)。
もしかして…と表示を見てみたら、原材料名にこそ「クリオネ」の文字は載っていないものの、「クリオネの魚介エキスを練り込んでいます」との説明書きが。オエー。いくらクリオネが神秘的で可愛らしいといっても、練り込んでしまうのはどうなのか。
生き物としての人気と、食べ物としての人気は決して相関しないどころか、むしろ逆相関ではないんだろうか? たとえば「パンダ肉100%使用まんじゅう」「コアラエキス入りビスケット」「出目金ちくわ」なんて代物がヒットするとは思えないし、現在食用として人気のある豚や牛、マグロなどは、そもそも動物園に入れてすらもらえないような不人気動物である。
クラゲは観賞用としても食用としても人気が高いけれど、海水浴場では絶大な不人気を誇ってますからね。
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WeBook Storeのコーナーを少しだけ追加更新いたしました。よろしければ、なにか買ってやってください。
9月15日(土曜) 深夜
昨日のお買い得チャンス。
一円に笑う者は一円に泣く、という言葉の重みをずっしりと感じますな。
9月14日(金曜) 深夜
どうしようもない言葉、というのが滅法好きでたまらない。
たとえば上司が部下に口にする常套句。「キミ、もっと自分に自信持たなきゃダメだよっ!」
ふつうに考えれば、こんなこと言われた部下は「自信のないオレってやっぱりダメなんだ…」と、ますます自信をなくすのは自明だろう。
本当に自信をつけさせたいと思うなら、部下の長所をほめて伸ばすなり、短所を克服するべくアドバイスするなりすべきではないか。もしくは、部下が自信をもって臨めている状況を探して、そういう時間を増やすようにしてやるとか。
そもそも、「自信のなさ」は短所と決まってるわけじゃあない。オドオドしているのがプラスに評価される場面だってあるだろうし、たとえば飛行場の管制官なんかだったら、心配性すぎるくらいのほうが向いているかもしれない。
こういう風にちょっと枠組みを変えてやれば、「自信のなさ」をそのまま自信につなげることだって不可能ではない(自信のなさに「自信」を持ってしまうと取り柄がダメになってしまう可能性もあるが、こうなったらなったで、本当の意味で自分に自信を持てたんだからメデタシである)。
なのについつい口をついて出てしまう一言。「キミ、もっと自分に自信持たなきゃダメだよっ!」
この身も蓋もない感じ、決して嫌いではない。むしろ大好きかもしれない。だから人間なんだよねえ、とちょっぴり斜に構えながら。
9月13日(木曜) 深夜
職場では以前から、経費削減の取り組みがうるさく言われるようになっている。
その主要戦略のひとつとして、「使わなくなった裏紙を積極的に利用すること」というお触れが出された。閲覧し終わった文書なんかをストックしておいて、ある程度たまったら印刷用紙として再利用しなさいというわけである。
こうやって印刷された文書が回覧されると、どちらが表面なのか皆目分からず、けっきょく両面を読むことになって仕事の能率が大幅ダウンしたりしていたのだが、最近になってさらに大きな問題が勃発した。
裏紙を再利用していた部署のカラープリンタが一斉に紙詰まりを起こし始めたのだ。
あまりに頻繁に紙が詰まっていよいよ仕事にならなくなってきたので、業者を呼んで点検してもらったところ原因が分かった。裏紙を使っていたせいでセンサーにインク粒子が付着した結果、紙送り機能が異常をきたしていたのだった。
業者の出張料と修理代で、しめて十万円弱。
経費削減のため裏紙を再利用した結果、こういうことをするとプリンタが壊れることを学べたわけである。経費削減という点では大成功を収めたと言っていいだろう。今後は「裏紙を再利用しない」という、極めて効率的な経費削減策を講じることができるのだから。
ウチの会社としては珍しくうまくいった試みということで、ご紹介させていただきました。
9月12日(水曜) 深夜
社内で以前、コミュニケーション技術の研修というのを受けたことがある。
たとえば2人1組に分けられたうえで、図の書かれた紙を手渡される。そして命じられるのだ。
「この図形を言葉だけで相手に伝えてください」
具体的には次のようなルールである。
皆さんなら、どうやって相手に情報を伝えるだろうか?
ちなみにぼくは(情報を伝える側として)次のような方略をとった。
ぼくとしては、この方法が最も容易で合理的だと思ったのだが、そしたら講師から注意されてしまった。
「あのー、そういうコトされると研修の意味がなくなっちゃいますんで」
えっ…。言葉しか使ってないつもりなんですけどねえ…。
ちなみに講師によれば、「上から○○センチ」とか説明するのは人によって感覚が異なるのであまりよくない、それよりは「指の第○関節まで」という風に共通する材料を用いるのがいいんだとか。
だったら折り目だって…と喉元まで出かかったけれど、自分の損得を考えてグッと飲み込む。
−−−
そういや小学生の頃、三角形がひとつ印刷された紙と白紙とを渡されて先生から言われた。
「コンパスと定規を使って、この三角形を正しく書き写しなさい」
ぼくは三角形が印刷された紙を上にして2枚の紙を重ね合わせ、三角形の頂点をコンパスで刺して下の紙に写し取って3点を定規で結んだ。すると級友たちも真似し始めて、アッという間に全員が完成してしまったのだが、あのときも先生から叱られた。
「そういう授業じゃないんだから!」
社内研修にしても小学校の授業にしても、方法自体は間違ってなかったと今でも思っているけれど、それより何より、「相手の意図を汲む」という大切なコミュニケーション能力がぼくには欠如しているのかもしれません。ほんとに。
…こういうこと書いて、「ボクってトンチが効いてるでしょ〜」みたいなアピールだと思われるのが恐いので、念のため自分を下げておきました。 余計な心配しなくたって何のトンチも効いてないことは分かってるんですが、念には念を入れて墓穴を掘るのがオレ流です。
9月11日(火曜) 深夜
仕事を終えて帰ろうとしていたら突然、同僚から「みんなでちょっと飲んで帰らない?」と誘われた。
咄嗟のことに動転してしまい、気がつけば反射的に答えていた。
「ぼ、ぼく、今夜おでんがあるんで帰ります!」
相手はポカーンとしていたが、なんのことはない。昨夜から大量のおでんを仕込んでいて、今夜はこれを思う存分食べるのを楽しみにしていたのだ。
Too much Oden
おでんは翌日がいちばん美味い。なのに今夜飲みに行ってしまっては一巻の終わりではないか。今夜はクーラーをガンガンにきかせた部屋で一人、おでんをつつきながら日本酒を飲むことに決めていたんである。この熱い想いを一介の飲み会ごときに妨げられてなるものか。
「名倉さん、おでんって何よ!?」
「いや、その…。おでんをたくさん作っちゃったんで、今夜はそれを食べないといけないんです」
「ああ、そう……」
「ほんとは行きたいんですけどねえ。おでんさえなければ…」
「そりゃ仕方ないね」
こうしてぼくは、人付き合いよりもおでんを優先する非常識なヤツだという、正しい烙印を押されていくのでありましょう。
−−−
ちなみに週末は、いつ飲みに誘われてもいいように煮物を控えてるんですが。
そうそう誰かに誘われるわけもなく、仕方ないのでヤキソバを作って食べたりしております。がっかり。
ついでに書くと、「オデンの東」というのを思いついてグーグル検索してみたら、引っかかること山の如し。がっかりアゲイン。
9月10日(月曜) 深夜
社員食堂の日替わりランチが心底不味い。
焼肉はビーフジャーキーのようだし、ジンギスカンの具はなぜか豚肉とピーマンだけだし、添え物のブロッコリーは噛むとジュワーッと水が滲み出てくるし、スパゲティの麺は口の中で溶けるほどの柔らかさだし。
とにかく「どうやったらこれだけ不味く調理できるのか?」と感心するくらいの出来ばえなのだ。
ただ、毎日こうやって不味い定食をたべていると、自分で作った料理が滅法美味しく思えてくるから精神衛生にいい。焼肉を作ったら噛み切れる柔らかさだし、ジンギスカンには羊肉が入っているし、添え物のブロッコリーを噛んでも水が滲みだしてこないし、スパゲティーの麺は口の中で溶けないし。
ひょっとしてオレ、料理の才能あるんじゃないの!? と勘違いできるから、すこぶる気分がいい。これもひとえに社員食堂のおかげである。もしも日替わりランチが絶品揃いだったら、いくらがんばって調理してもうまく作れない自分にいらだち、憤慨し、失望して意気消沈の日々を送っていたに違いない。
勘違いこそ幸せの源ではないか。
−−−
そういや以前、実家に住んでいたころ、我が家では珍しくレンジご飯が食卓に並んだことがある。母親の帰宅が遅くなったのでやむを得ずそうなったのだが、家族全員が黙々と食事しているときに「事故」は起こった。
母親:「レンジご飯ってどう?」
父親:「やっぱり炊いた米よりずっと美味いけど…。値段も高いやろうから毎日は使えんよなァ」
凍りつく食卓の空気。たしかに我が家のご飯はいつもベチャベチャで、どれだけ虫歯が悪くなっても大丈夫な安心メニューだったのだけれど。
レンジご飯がご馳走に感じられるというのも、ひとつの幸せのカタチなんでしょうな。
9月7日(金曜) 深夜
クーラーをつけっぱなしで寝ると寝冷えする、という人は多い。
これがさっぱり理解できない。気温27度で室内が一定していると寝冷えするというなら、晩春や初秋の時期は毎日必ず寝冷えするはずだが、そういう話はとくに聞かない。むしろ、ちょうど涼しくて熟睡できるというのが実際のところだろう。
クーラーをつけっぱなしで寝ると寝冷えする。これがどうしてなのか考えてみると、次のような仮説にいきあたる。
クーラーはつけたり消したりするから寝冷えするのではないか? むしろ、入眠時にはちゃんと室温を冷やしておき、そのままちゃんと布団をかぶって朝まで寝たほうが、寝冷えしにくいんじゃないか。
ぼくは一晩中つけっぱなし派です。もちろん寝冷えなど一度もしたことがありません。
こういうことを言うと「地球温暖化がこれだけ問題になってるのに〜」云々と目を三角にする御仁もおられますが、だったらドライブもするな。
9月6日(木曜) 深夜
最近いきつけのパン屋に行った。
で、いつものようにツナクロワッサンを買おうと思って、棚の前に足を進めたところで進退窮まってしまった。
写真では分かりづらいかもしれないが、一番手前のやつよりも、一番奥のやつのほうが明らかにツナが多いんである。
ああ、一体どうすればいいのだ!? どっちに転んでも地獄ではないか!!
パン掴みばさみを手にしたまま、ツナクロワッサンの前で固まることおよそ3分間。レジの店員が他の客に気を取られている隙を見計らって、猛烈なスピードで一番奥のやつを取り入れたのでありました。
ふと店員に目をやったら、じっとこっちを見ていた。もしかして…すべてがバレていたのか。
いや、自意識過剰の病だ。そう信じたい。
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さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「生きるための原動力」。 まったくお恥ずかしい感じなんですが、骨折した喫煙者老人が禁煙病院に入院したせいでナイスな結果になった事例をもとに、生と死についてマジメに語っております。莫迦の考え休むに似たり。
よろしければご覧いただけると嬉しいです。
9月4日(火曜) 深夜
高校時代、「クマ」というあだ名の女子生徒がいた。
苗字の一部分から付けられたあだ名だったのだが、1年くらい経ったころ、その「クマ」さんが突然激太りして、本当にクマみたいになってしまった。今思い返すと過食症かなにかだったのかもしれないが、とにかく尋常じゃない太りかただった。
周囲の面々も次第に、彼女を「クマ」と呼ぶことに抵抗感を抱き始めた。が、いったん定着したあだ名はそう変えられるものではない。ここで妙なあだ名に変更したら、それこそ気遣いが裏目に出てしまうという危惧もあったのだろう。
かくして、ものすごく太った「クマ」さんはそのまま、みんなから伏目がちに「クマ」と呼ばれ続けたのだった。
−−−
こうやって、はからずも「名は体をあらわす」ことになってしまったあだ名って、本当に気まずい。
そういや高校時代「ガンちゃん」というあだ名の男子生徒がいた。
もしも彼が末期ガンで入院したとして、周囲も病名を告知するかどうかで苦渋の選択を迫られていて、本人も薄々勘付き始めた頃。
そこに高校時代の同級生が見舞いに訪れたとしたら……。
「おお、ガンちゃん!」
ああ、考えるだけで恐ろしい。
既にガンちゃんと呼ばれている人はガンにならないよう、どうか摂生してくださいませ。
9月3日(月曜) 夜
ここしばらく、ステンレス鍋やらフライパンやら圧力鍋やらを立て続けに購入したことを同僚に話したら驚かれた。
同僚:「それって名倉さん、金遣い荒いですよ!」
ぼく:「うーん、自分でもそんな気はしてたんやけどね」
同僚:「最近ちょっと躁(そう)っぽいんじゃないですか?」
ぼく:「そうかなァ」
同僚:「ほら、そうやってすぐダジャレ言うところも躁っぽい!」
ぼく:「ちょ、ちょっと待てよ! ダジャレのつもりじゃないっつーの!!」
同僚:「ほら、そうやってすぐ怒るところも躁っぽい!」
ぼく:「……」
同僚:「ほら、そうやってすぐ浮き沈みするところも躁っぽい!」
ああ、もう躁でも鬱でもなんでもいいよ! …とか開き直ったところで、また何か言われるのがオチなので黙ってましたけれど。
こういうのってすごく悔しい。「おまえ頑固だよ!」「頑固じゃないって!!」「ほーら頑固だ」みたいなパターンの。
9月1日(土曜) 夜
東京は御茶ノ水に来ております。
JR御茶ノ水駅を降りたら、いきなりスーツ姿の男から声をかけられた。
「占いの勉強をしてるんですが、ちょっと手相を見せていただいても構いませんか?」
なんだかいろいろ面倒くさそうなので「ちょっと急いでるんで!」と断ったら、あっさり諦めてくれた。
…のはいいのだけれど、そのあと腹が減ったので駅近くの定食屋に入ろうとしたら、またもやさっきの「占い勉強家」と鉢合わせしてしまった。気まずいので逃げるようにして定食屋に飛び込んだのだが、「急いでるんで」と言ってしまった手前、ますます気まずい展開に。
おまけにその「占い勉強家」、なんと店の前で客をゲットしてしまった。その後は延々と手相を見始めて。
なんでここで!? ピリ辛野菜炒め定食
ぼくが食事を終えて店を出たときもまだ立っておられました。セルフ羞恥プレイ。
−−−
ちなみに、店を出た後も4人くらいの「同業者」から声をかけられました。
所属を問いただしたら、なにも言わず視界から消えてしまわれましたけれど。