2007年8月のプチ日記

8月31日(金曜) 深夜

 先週末アマゾンで本を買ったのだが、毎日帰宅が遅いのでちっとも受け取れない。

 ホンモノの本屋って、すぐに現物が手に入るからすごいなあと思う昨今。

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 指先を怪我したので(包丁で爪ごと落としてしまった!)、指先専用のバンドエイドを付けていた。

 なんとなくガンダムのシャアに似ているなァと思って、描き足してみたのが下の写真。

 あんまり似てなくてガッカリしました。そして、バンドエイドを取ってみたら…

 ヘルメットを脱いだシャアがこんなのだったらびっくりです。

−−−

 そういや初代ガンダムでは、赤いものはたいてい「シャア専用」ってことになっていた。

 シャア専用コンドーム(誰も使いまわさないだろうから、専用ってのも当たり前だけど)。

 赤い彗星もエイズには勝てませんからねえ。性教育の一環として、シャアがこれを装着するシーンを入れたらよかったかも。

 

8月30日(木曜) 深夜

 職場に遅刻した後輩が、上司の前で言い訳していた。

 「…あの私、その、本来は遅刻するような人間ではないんです」
 「それがなぜか寝坊してしまいまして。もちろん寝坊するつもりなど毛頭なかったんですが…」
 「ただ今朝は、ちょっと気が緩んでしまったといいますか……」
 「正直、自分でもなぜ遅刻したのか分からないといった感じで…遅刻した実感がないというか…」
 「こちらの部署の暖かい雰囲気につい、リラックスしすぎてしまったと申しましょうか…」

 言い訳を並べ立てるよりも平謝りするほうが得だ、というごく普通の打算をしないあたりに、純粋さを感じた本日でした。

−−−

 世の中の「直球」って、直球のほうが結局メリットが大きいから、というような一周した結果が大半であるような気がする。

 そういう意味では、言い訳するとか、ウソをついてごまかすとか、そういうのが我々にとっての「真の直球」なんでしょうな。

 もちろん、ぼくは直球派です。どちらの「直球」なのかは、直球派なので言いません。

 

8月29日(水曜) 深夜

 圧力鍋を衝動買いしてしまった。

 以前からなんとなく欲しいなァと思っていたところに、立ち寄ったデパートで安売りしているのを見かけて、矢も盾もたまらず購入してしまったという次第。 いやァ、やっぱりいいなあ圧力鍋は。この重さが頼もしいし、メカニカルな感じもいい。買ってよかった。

 …とニヤニヤしながら、さっき念のためアマゾンで価格を見てみたら、今日買った値段より5千円近く安かった。えっ……。

 しかし、こういうときこそポジティブシンキングである。いくら泣いても叫んでも、買ってしまった事実は変わらないのだから。

 このように思い直して頭に浮かんだのは、「今日から使えるじゃないか!」。もしもアマゾンで買っていたら、自宅に届くのは3日後とかになっていた。あと3日間も圧力鍋なしの無為な生活を送っていたことを想像すると、まったく身震いを禁じえない。ああ、本当に危ないところだった。まさに危機一髪である。

 で、さっそく使おうと思ったのだが、本日の夕食は昨日の残りのカレーなので、これ以上作りようがない。かといって、5千円と引き替えに手に入れた圧力鍋を使わずにいるというのは心理的に耐えられない。ううむ、どうしたものか。

 …というわけで、先ほどウーロン茶を沸かしました。

 いやー、圧力鍋で沸かすとアッという間やね。第一、湯の沸き具合からして全然違う。もうね、こう、プシューッと豪快な音を立てながらね、ものの数分で沸騰しよりますから。モチロン、お味のほうもばっちりOK! 今まで作っていたウーロン茶と全く変わらない出来映えと断言してもいい。

 ああ、今日買って本当によかった。アマゾンで買った連中が本当に哀れだ。涙が出てきそうです。

 

8月28日(火曜) 夜

 本日の決定的瞬間です(NHKニュースより)。

「皆既月食の瞬間をカメラがとらえました!」

部屋の電気を消してみたものの…

 いくら目を皿のようにしても、見えるのはただの真っ暗な画面。ふつうだったら放送事故である。

 皆既月食って要するに「何にも見えなくなる」現象だから、これほどテレビ映えしないものも珍しい。言ってみりゃあ「透明人間の撮影に成功しました!」みたいなものだから、それがカンペキな映像であればあるほど、なーんにも写らなくなってしまう。

 …と頭では分かってるんだけど。興奮したナレーションでこういう画を見せられると、ついつい微笑んでしまいますわ。

−−−

 ちなみに、Googleイメージで「皆既月食」を検索してみたら、案の定「不完全月食」の画像ばかりでした。

 関係者には猛省を促したい。本当の皆既月食の画像とはこういうものだ!

皆既月食

完全なる皆既月食

 やはり、カンペキなものには感動がありますな。

 

8月27日(月曜) 夜

 ブラウザの「お気に入り」の整理をしていた。

 数年前までは時折読んでいた個人サイトを久しぶりに訪れてみたら、そのほとんどが閉鎖していた。"Not Found"とあるから、おそらくプロバイダとの契約自体が破棄されたのだろう。その中には「名作」と思えるような文章もたくさんあっただけに、もう読めないのかと思うと少々寂しい。

 その一方で、いろんな事情で亡くなった人のサイトがまだ残っていたりもする。遺族の方が残している場合もあるし、無料スペースでそのまま放置されている場合もある。こういうサイトを見るのもまた、なんとも辛いものがある。

 でも、現存するサイトの内容も、その大半はいずれ消え去っていくのだろう。国会図書館が一般サイトについても収集・保存すると言いながら、その対象は結局かなり限定されたサイトのみになったようだし、"www.archive.org"にしたってキャッシュされていないサイトはいくらでもある。正規刊行物は国会図書館が半永久的に保存するが、ミニコミその他の私的刊行物はそのまま消えていくのと似たようなものなのだろう。

 いやまァ、インターネットの歴史なんて実質20年にも満たないわけだから、この先どうなっていくのかなんて分からないのだけれど。

 たとえば百年後に現行のサイト情報がどれだけ残っているのかと考えると、いくらアーカイブキャッシュが発達しても、やはり大半は消滅しているんではないか。ぼくの日記みたいな雑文までキャッシュしていたらキリがない。整理できない膨大なソースは情報として機能しない。

 こうなると、「あなたの死後も半永久的にサイト情報を保持します」てな有料サービスがそのうち登場するのかもしれませんな(もう既にあるのかもしれないけど寡聞にして知りません)。自分が死んでも「我が名文」だけは後世に残したい、なんていう気持ち悪いことを考える人が現れるのは想像に易い。

 でもひとつだけ言えるのは、こうやって永久保存されている文章など煙たがられて、誰からも永遠に閲覧されないだろうことだ。

 …それってどうせ、一般人のどうでもいい『波乱万丈なりし我が人生』とかでしょ。

 

8月26日(日曜) 深夜

 ヨーロッパ旅行から帰ってきた知人に、こんな土産をもらった。

ガーリックカード

 何かと思えばなんてことはない、「これを使えばニンニクをすりおろせますよ」というグッズである。

 今回はせっかくなので使ってみた小レポートです。

まずはニンニクを用意。もちろん国産です(中国という国が気に食わないので)。ひょうたん形のニンニクも憎めないネ!
 
皮をむいて早速すりおろしてみる。…おろし金にはずっと劣るが、たしかにすりおろすことは可能。きめも細かく仕上がります。
 
でもこれって……という素朴な疑問から、別のカードの文字部分で同じことをやってみたら、案の定ちゃんとすりおろせました。
 
このカードを財布に忍ばせておくメリットやいかに!?
 

 結局のところ「ニンニクはクレジットカードでもすりおろせます!」という、伊藤家の食卓のような話なのでした。

 でも、この商品のすごいところは、本来は副次的な目的であるはずの用途を、それに特化して売り出している点にある。たとえば「ウスターソースで10円玉を磨くとピカピカになります!」というネタで言うなら、 それに乗じて「10円玉磨き専用ウスターソース(食用には使えません)」を発売してしまう感覚というか。

 皆さまにおかれましても、うっかりおろし金を携行し忘れたまま外出して、出先でニンニクをすりおろす必要に迫られたら、迷わずクレジットカードの文字部分をお使いいただければと思います。こんな機会、人生に一回あるかないかだとは思いますが (いや一回だってない!)。

 

8月24日(金曜) 深夜

 昨夜の日記は、かなり飲んで帰って書いたものなんですが、酔ってることを隠そうとがんばったら余計に恥ずかしいものになってました。

 −−−

 それはさておき、さっき京都市内を歩いていたら、観光客らしきカップルから声をかけられた。

彼氏:「あのー、鴨川ってどちらに行ったらいいんでしょう?」
ぼく:「そうですね…ええと、ここを50mほど北に歩くと、四条通っていう大きな道路がありますよね」
彼氏:「え、大きな道路ですか? そんなのあったっけ?」
彼女:「なかった…と思う」
ぼく:「ほら、3つくらい先の信号のとこですよ」
彼女:「あー、あれか! ほら、4条(ヨンジョウ)通りって書いてあったとこだよ」
彼氏:「そんなのあったっけ? だって大きな道路だよ?」
ぼく:「それですわ。四条通」
彼女:「こっちじゃアレが大通りなんだって」
彼氏:「あー、そっかそっか」

 ウソを教えて差し上げようかと本気で思いました。こ、この東京訛りの都会モンめがっ!!

 今後もし同じようなことを訊かれたら、今度は見栄を張って、「四条通っていう路地裏みたいな道がありますよね」と説明しよう。

 

8月23日(木曜) 深夜

 先日、ウチの職場紹介の記事が、ぼくの後ろ姿の入った写真とともに某新聞に掲載された。

 こういうのは心底恥ずかしいものの、実は嬉しかったりもする。自分が勤めている会社が紹介されているというのが第一に嬉しいのだが、それに加えて、自分の姿が写真に収まっているのが何となく誇らしい。ネームも文章も掲載されていないのだけれど、だからこそ純粋な嬉しさがあるというか。

 こちらプチ日記のほうは、おかげさまで幾つかの雑誌などに掲載いただいたけれど、本業のほうでも評価されるというのは新鮮な喜びがある。

 でも誰に言ったところで相手にされる話でもないし、まァいいかと思いつつ先日、実家に帰ったところ。

 帰るなり父親が、当該の新聞記事を手にしながら言ってきた。

 「おまえ、髪型ちょっと変えたんやな」

 本人を見る前に、新聞を見て髪型について言う。そんなもん、本人を見てから言え! と思うと同時に、こういうのって「芸術」っぽくていいなァと。

 でも言ってるのは髪型のこと。「メディアのほうが現実よりもリアルになる」云々の、小難しい話よりはずっといいなと思ったのでした。

 ナンプラーって美味しいらしいね、というような。

 

8月22日(水曜) 夜

 小学生の頃、牛乳の紙キャップを集めるのが大流行した。

 どんなコレクションアイテムもそうであるように、牛乳キャップの場合も、その珍しさによって価値にランクが付いていた。

 同じランクのキャップであっても、針器で開封されたやつは微妙に価値が下がる(穴が開いてるから)、破損したものはワンランク下がるといったルールもあたのだが、おおむね上述のランクに沿って「勝負」がなされていた。

 何人かの牛乳キャップを机の上に並べたうえで、順番に両手を叩いて風を送り、裏返ったキャップが自分のものになるのだ。

 手持ちの牛乳キャップでクラス内の「地位」が決まるようなところもあったので、そりゃあもう真剣勝負そのものだった。両手を叩く前は皮膚の湿度にまで気を配り、直前まで手をポケットに突っ込んだりもしていた。

 普通のキャップを「カラ面」に偽造するべく、「日付の打刻を漂白剤で薄くしたうえで巧妙に削り取り、さらに湿らせてアイロンがけする」なんていう巧妙な行為までもが横行していた。そして、こういった偽造品をいかに見破るかという技術についても日々研鑽が重ねられていた。

 たかが牛乳の紙キャップに、どうしてここまで情熱を注げたのだろうと今となっては思うけれど。

 オトナが躍起になって集めているプレミア品も、原点は牛乳キャップと同じことである。そこに金銭が媒介するかしないかの違いはあるにしても。

 それによく考えてみたら、金銭だって剰余分は牛乳キャップみたいなものなのかもしれません。悔し紛れ半分に書いてますけどね。

 

8月21日(火曜) 深夜

 電車のなかで化粧している女性をいまだによく見かける。

 テレビや週刊誌で「恥ずかしいからやめなさい!」とさんざん叩かれているのに、電車での化粧人口は一向に減っていない気がする。文化人面したオジサンやオバサンにいくら咎められたって、彼女たちにとっては痛くも痒くもないのだろう。「だってウチらの勝手でしょ」と言われれば確かにその通りだ。

 ちなみにぼくは、電車で化粧する人を観察するのが大好きである。通勤の楽しみといってもいい。赤の他人の顔が「使用前」から「使用後」に変貌していくさまは何度も見ても退屈しない。むしろ世の女性の全員に、電車での化粧を義務づければいいと思っているクチだ(こういうクチがあるのか知らないけど)。

 というか、ぼくみたいな「きもいオッサン」が増えたら、世の女性たちも自ずと電車の中で化粧しなくなるんではないか? 「やめなさい」と言われてもやめないけれど、「もっと見せてよ」と言われたら即刻やめてしまうのが人の道理というものだろう。

 電車での化粧を本当にやめてほしいと願っている文化人のオジサンたちは、逆の声をアピールするべきでしょうな。

 「公衆の面前で化粧する女性を見ると小生、大いなる興奮を禁じえないのであります」
 「恥ずかしながら、我が愚息も思わず屹立してしまうほどでありまして」
 「よって世のご婦人たちには、電車内でのさらなる化粧をお願い申し上げたい!」

 ぼくもこれに乗じて、「パンチラするのは恥ずかしいから厳に慎みなさい」と声を大にして言いたい。声よとどけ!

 

8月20日(月曜) 夜

 沖縄の飛行機炎上事故のようすが収められた映像。

 撮影したのは一般人の「石橋ジョージ」さん。

 本名なのかどうかずっと考えてて気がつけば夜。いくら考えたって分かるわけない、と頭では分かってるんですが。

−−−

 というわけで、今月の夕食でも。

「アサリのじゃりじゃり砂パスタ」
食欲に負けて砂抜きを焦るとダメだ。
 
「トマトソースとツナのパスタ風」
大量にトマトソースを作った。
 
「トマトソースの海鮮チャーハン」
余ったトマトソースで。not リゾット。
 
「北海道みやげラーメン」
もらい物はなんでも美味しい。
 
「豚の角煮・野菜控えめ」
食べ過ぎて吐きそうになりました。
 
「マンガンのタイタン」
これだけで夕食ではないですので。
 
「ハヤシライス・牛肉倍量」
牛肉半額のときの限定メニュー。
 
「ハヤシオムレツ・チキン添え」
この中途半端な量のメシはなんだ。
 
 
「お好み焼き・ヤキソバ風味」
ヤキソバソースで代用したら辛すぎ。
 
「グリーンカレー」
見た目不味そうですが心底うまい。
 
「クリームシチュー・わさび抜き」
パプリカを振るとそれっぽくなります。
 
 

 …なんで自分で作った食事などアップしてるのか分からなくなるときがありますが、それを言っちゃあおしまいです。

 

8月19日(日曜) 深夜

 昨日の日記はいったい何だ?

 恥ずかしいので即刻削除したいけれど、自分への見せしめのため、そのままにしておきます。

−−−

 先日、テレビのある小さな居酒屋で知人数人と飲んでいたときのこと。

 あまり会話もなく皆でテレビを見ていたところ突然、育毛剤のCMが流れてきた。

 ハゲている身としては、こういうとき妙に気まずい。どうリアクションすればいいのかよく分からないからである。何事もないかのように無視するのも恥ずかしいし、かといって自分のハゲにことさら言及するのも憚られる。皆が気を遣って話題にしていないのに、自らコトを荒らげてしまったとしたら、それこそ本末転倒ではないか。

 というわけで、中途半端に頭をさすりながら様子をうかがっていたところ、知人Aさんが発言した。

 「名倉さん、そろそろ育毛剤とか考えたほうがいいんじゃない?」

 確かにその通りである。普段は気を使ってなにも言わない人物だけど、酔うと正直になるから酒はいい!

 すると別の知人Bさんいわく

 「いやー、名倉くんは育毛剤なんて関係ないと思うよ」

 ええ!? ひょ、ひょっとしてまだ大丈夫ってことですか?? そんなワケないとは思うけど、こういう言葉ってお世辞でも嬉しいものですねえ。

 …と、ひとりで喜びをかみしめていたら、間髪いれずBさんが言い足したのでした。

 「名倉くんには育毛剤じゃなくて、発毛剤でしょ」

 正直すぎるにも程があります。酒はキライじゃ。

 

8月18日(土曜) 深夜

 缶ビール9本飲んで酔っ払いました。

−−−

 …と書いた時点で大いに満足してしまい。酔うと要求水準が低くね、なるからね。というか、理屈っぽくなるからね。

 こういうのはイケナイので、直感的に。いこうと思うと、やっぱりシュワちゃんやね。コマンドーですわ、結局のところ。

 コマンドーがいてくれたら、うちらもそれなりに安泰なわけですし。

 コマンドーね、なんで「ドー」って語尾伸ばすのかよく分からないけど。ちゅうかね、「よくわからへんねんけど」って入力したら、「よく和から編年ケド」って変換されて、ああ所詮、関西弁はマイナーなんやなあと、ね。そら、ああ…ってなると思うよ。万人が。関西の。

 で、コマンドーね。コマコマしてるかもしれへんけどね、タイピングはなんとかね。フォトショップは何とか前から手に入れて。

 画像が大きいとカッコ悪いですねえ。コマンドー。古満堂。

 酔ってても冷静に見ると、すっごいシラケますけれどネ、さっきは面白いと思ったんだよね!!

 そら、ワシらもモトリークルーの一員になるわ。なりまへんか? すんまへん!! すんまへんいうて済むんやったらポリスはいらんのじゃ。

 もう、なにがなんだか分からないけれど、酔うとバイナラって言いたくなるよね?  バイナラとバイアグラって似てるようで似てないね。

 佐助にやられる感じが行頭を。そして今日もね、蚊を。

 

8月17日(金曜) 深夜

 本日の棒。

 この臆面のなさがむしろ新鮮だ。「10本+4本(サービス)」というのがまた。

 でも考えてみたら、今まで類似製品が出回ってなかったことのほうが不思議なのかも。

 さらに「美味な棒」「味のよい棒」「めちゃうま棒」「モロクソうまい棒」等々、後続選手の登場を願いたいところですな。

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 さて昨日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「ジッポーとチャッカマンが出会うとき」。 先日新幹線の車中で、隣の客のジッポーライターが着かなかったせいでエラい目にあったエピソードについて熱く語っております。

 よろしければご覧いただけると嬉しいです。

 

8月16日(木曜) 深夜

 あらかじめお断りしておきますが、今回の日記はもっさり社会風刺です。

 恥ずかしい文章が苦手なかたはご遠慮ください。

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 というわけで、賞味期限の偽装が問題となっている「白い恋人」。

 そもそも商品名が小っ恥ずかしいので、個人的には一度も買ったことすらないのだが、こういう事件を見聞きするたびに思う。

 賞味期限って誰が決めてるのか? そんなに目くじら立てることなのか?

 「消費期限」は期日を過ぎると腐敗したりする可能性があって危険な食品に設定されるものだが、「賞味期限」は比較的長期にわたる保存が可能な食品に設定されるものだ。したがって、精肉の消費期限が購入日の翌日だったりする一方で、缶詰の賞味期限は購入日の2年後だったりする。

 だからこそ、消費期限は守ったほうがいいけれど、賞味期限はそんなに気にしなくていいと言われるのだろう(ぼく自身、消費期限はプラス一日くらいで守るけれど、賞味期限は平気で数週間とかオーバーしている)。

 ただ、消費期限はいいとしても、賞味期限をどうやって設定するのかがよく分からない。たとえば缶詰なんて、2年後まで大丈夫な製品が3年経ったらダメになるとは考えにくい。むしろ魚の缶詰なんかは経験上、賞味期限を過ぎたくらいのほうが味が馴染んで旨くなるほどである。

 となると、缶詰の賞味期限の根拠はどこにあるのか? 品質低下は段階的ではなく曲線的に生じるのだとすれば、その区切りは個人の味覚なんかに左右される、甚だあいまいなものではないか。それとも、脂肪成分の酸化率などといった「科学的」基準が存在するのか?

 気になって調べてみたところ、厚生労働省による声明文を見つけた(消費期限と賞味期限の違いについても明記されているので、興味おありの向きはリンク頁の上部も読まれたし)。

 以下抜粋。

期限の設定は、食品等の特性、品質変化の要因や原材料の衛生状態、製造・加工時の衛生管理の状態、保存状態等の諸要素を勘案し、科学的、合理的に行う必要があります。このため、その食品等を一番よく知っている者、すなわち、原則として、

(1) 輸入食品等以外の食品等にあっては製造又は加工を行う者(販売業者がこれらの者との合意等により、これらの者に代わって表示をする場合には、当該販売業者)が、
(2) 輸入食品等にあっては輸入業者(以下、これらの者をあわせて「食品等事業者」という。)が

責任を持って期限表示を設定し、表示することとなります。

 なあんだ、やっぱり製造業者がほとんど恣意的に設定してるだけの話である。「その食品等を一番よく知っている者」ですか…。

 今回の騒動、社長は記者会見で「包装技術の向上もあって云々〜」と言い訳していたけれど。だったら最初っから、もっと長めの賞味期限を設定しておけばよかったんじゃないか? ウソをつくから叩かれるのだ。なんだか逆に、「莫迦正直さが災いしたヘッポコ話」に思えるのはぼくだけだろうか。

 いやまァ、長年にわたるプロがやってることだから、それなりの考えがあってのことだとは思うのだけれど。

 定義があいまいな賞味期限にこうやって振り回されていること自体、包括的な滑稽さがあって味わい深いのかもしれませんな。

 「ガンダム検定の結果を詐称していた男を書類送検!」みたいな。そして、マスコミこぞって大批判。

 

8月15日(水曜) 深夜

 束の間のお盆休みから一転、アッという間に日常生活。

 そして本日の祭です。

 残暑見舞「フラッシュメモリ祭」。夏の終わりを予感させられますな。

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 関東に住んでいる知人Mさんに聞いた話。

 先日の夜、自宅でひとり過ごしていたら、町内の一斉放送が流れてきたらしい。

 スピーカーの音質が悪いので今ひとつハッキリ聞き取れなかったものの、がんばって聞き耳を立ててところ、「凶悪犯が逃亡しているのでご注意ください」と放送しているようだったのだト。

 で、これは大変だというので、家中の窓を閉めて待機していたのだが、それっきり何の放送もない。それでもしばらくは息を潜めていたものの、あまりに状況が進展しないことにしびれを切らして市役所に問い合わせてみたところ、担当者いわく

 「台風が近づいているのでご注意ください、という主旨のアナウンスだったんですが…」

 これをきいたMさんはすっかり気が抜けて、思わずその場にへたりこんでしまったそうだが、アナウンスが凶悪犯云々でないのはそりゃそうだろう。凶悪犯が逃亡しているというのにパトカーの一台も出動せず、ただただ呑気に「ご注意ください」なんて放送だけ流しているほうがどうかしている。

 でもまァ、家中の窓を閉めるという対策は台風にも有効だったはずなので、今回はよしとしましょうやMさん。合掌。

 

8月14日(火曜) 深夜

 東京から帰ってきました。

 ビジネスホテルに宿泊するたびにバスルームの屋根裏探索を欠かさず行っている。けっこうな確率で、いろんなものが隠してあったりして楽しいのだ。

 ここしばらくは不作でなにも見つからないケースが続いていたのだが、今回は久しぶりに発見しました。

 缶入りウイスキーに歯ブラシが立ててある。いったい誰が何のために!?

 乏しい推理力を働かせてみると…

  1. ホテルに缶入りウイスキーを持ち込んで飲んだ
  2. 空き缶を放置してバレたら持ち込み料金を取られると勘違いした
  3. かといって持ち帰るのも面倒なので屋根裏に隠した
  4. そのとき空き缶を歯ブラシ立てとして用いていた
  5. 結果としてこういうことになった

 …といったところだろうか。

 「事実は小説よりも奇なり」とよく言われる。今回の屋根裏グッズも小説としてはあり得ない取り合わせだけれど、これはこんなしょうもないことを小説化する人がいないだけの話だろう。

 「事実は小説よりもしょうもない」というのが実際のところでしょうな。

 

8月11日(土曜) 深夜

 明日から野暮用で東京に行くことになった。

 帰省ラッシュの真っ只中なので、新幹線に乗れるだろうかと大いに心配していたのだが、関東出身の知人いわく「反対方向は全然混んでないですよ」。

 帰省ラッシュというのは全国一斉にみんなが移動する現象ではなく、東京から各地へと分散していく現象だったのか。京都から東京に向かうというのは、反対方向だったのか。

 ずっと京都に住んでいると、こちらが都会であるような錯覚に陥っていけませんな。でも、世の中と逆だと楽チンなので素直に嬉しい。

 …というわけで、明日から数日間、更新できないかもしれませんがあしからず。

 

8月10日(金曜) 深夜

 本日の安売り。通りがかったオーディオ専門店のディスプレイにて。

これが8万円? 12万円!? \164,000がナント、\12,8000に!!

 こんなホースに当たり前の顔で10万円以上の値札が付いているので驚いた。いやー、オーディオ界もすごいことになってますねえ。こんなのぼくだったら、「ご自由にお持ち帰りください」と書いてあっても無視してるだろう。

 …と半ば呆然としていたら、隣にいた男性客二人組が「ここ結構安いねー」と。そうか、これが安いのか。

 10本ほどまとめ買いしている自分を想像したら、なんだか胸が苦しゅうなってきました。

 

8月9日(木曜) 深夜

 同僚のX君は、付き合っている彼女から「私のなにが一番好きなの?」と言われて即答したらしい。

 「そりゃカラダだよ」

 これだけだと身も蓋もない話だけど、その後どうフォローしたかを聞いてナルホドと思った。

 「オレは浮気しないから、カラダはおまえしかないんだよ」
 「もしかしたら一生モノになるかもしれないんだから、最優先するのは当たり前でしょ?」
 「それに会話とか趣味とかだったら、友達といくらでも共有できるわけだしさ」

 なんだかいい話じゃないか。

 浮気も風俗遊びもしないと決意しているなら、たしかにカラダは一大問題である。こう考えると、「一番大切なのは君の内面的な性格だよ」なんつってる男どもは、性格のいい女友達 こそ作らないかもしれないけれど、カラダは重要じゃないから他の女性と浮気してしまう可能性が高いことになる。

 「オレが愛しているのは君のパイオツと小陰唇さ」

 このようなセリフがきっと、本当の誠実さなのだろう。イッツ・ア・ピュアーラヴ。

−−−

 いやまァ、女性が「カラダ目当ての男」を嫌がるのはよく分かる。

 性交≒繁殖であり、繁殖におけるコストは女性のほうが圧倒的に大きい。自分の子どもだけ作って逃げられることへの警戒心というのは、古来より遺伝子レベルで組み込まれている、自然淘汰を生き抜くための形質だったのだろう。

 でも世の中を見てみると、カラダ目当ての男というのがいるのも事実だけれど、それよりも「寂しいから」「自分にかまってほしいから」みたいな理由で付き合っている男女が多いなァとも思う。

 自分だけでは自己存在価値を確認できないから恋人を作る。これは純粋に自分のためである。「カラダ目当て」ならぬ「自分目当て」。

 こういう手合いが増えると、副産物として子どもが産まれたりもするから、日本政府としてはやぶさかではないのかもしれませんが。

 自分だけでは生きられない人間を量産するのが我が国の急務と言えそうですな。もっさり社会風刺。

 

8月8日(水曜) 夜

 先日ひさしぶりに実家に帰ったら、庭がこんなことになっていた。

 一面に敷き詰められているのは卵の殻。

 なぜこんなことをするのかと母に尋ねてみたところ、「土の栄養になるさかい、捨てるのがもったいのうてなァ」。

 たしかに卵の殻は土質改善にいいらしいし、堆肥作りのとき実際に混ぜると聞いたこともある。しかしここは畑ではなく、家の庭である。作物を植えるわけでもないのに、どうして栄養をよくしなくちゃならないのか?

 このように再び尋ねたところ母いわく、「いつか何か植えるかもしれへんやろ? そのときに役に立つんや」。

 そして、卵の殻が敷き詰められた実家の庭には、雑草がのびのびと生えておられました。

 「…母さん、雑草生えてるねんけど」
 「そやねん。どんどん生えてきて抜くのが大変なんや。アンタも気ィついたら抜いといてんか」

 卵の殻の面目躍如といったところでしょうか。

 

8月7日(火曜) 深夜

 暑いので家にいるときはずっとクーラーをかけている毎日。

 ただ、地球温暖化とか省エネとか巷で言われているので、なんとなく罪悪感があって設定温度を27度にしている。

 …のだが、ウチのエアコンは旧式なせいか、設定温度と室温がちっとも一致しない。たとえば27度に設定すると、だいたい25度くらいになる。

 でもこれは自分のせいではなく、エアコンのせいである。勝手に温度が低くなってしまうだけの話。

 おかげで非常に涼しく過ごせるので気持ちがいい。27度にしてるんだという道徳心と、25度の快適さとを同時に実現してくれる魔法のエアコン。

 これぞエコ時代の冷房であることよ、と満足しながら本日も設定は27度です。

−−−

 これでも暑いときは、エアコン付近の窓を少し開ける。

 すると窓から熱い外気が入ってエアコンのセンサーが誤動作する。その結果、ますます冷たい風が吹き出してくるという次第。

 ちょっとした生活の知恵ですな。設定は27度を守ります。

 

8月6日(月曜) 夜

 本日の警備員。

 こんな仕事だったら、ぼくも積極的にしたいと心から思います。

−−−

 どうして隅っこに座っておられるのか、よく分からないながら。

 せっかくなので「写真で一言」風にいくつか考えてみました。

「うんこしたいけど、あと2時間も仕事あるよ…」
 
「ああ、カズ子さんに遭いたい…」
 
「あ…。カレーの残り、冷蔵庫にしまい忘れてた!」
 
「見えない芋って…不可視芋だよな。クククク、うまいねワシ」

 ところでこんな空スペース、警備する必要あるんでしょうかねえ。不法侵入したけりゃ、させときゃいい。

 

8月3日(金曜) 夜

 今年はじめてスイカを食べた。

 ひさしぶりに食べると懐かしくて美味しいのだが、問題はたくさん入っている種。こっちはワシワシ頬張りたいのに、飲み込む前に口の中で種を選り分けないといけないものだから、じれったくて仕方がないんである。

 食べるまえに取り除いておくという対抗策はあるが、取れるのは表面付近の種だけで、奥のほうにあるやつはとても掘り出せない。厚さ1センチくらいに切れば全て取れるかもしれないが、こんな薄いスイカなどちっとも頬張り甲斐がない。

 こんなに美味しいのにこんなに種が多いとは、なんて残念なんだ!!

 …と、いくら一人で悶々としていても精神衛生に悪いだけなので、考えかたを改めることにしました。

 こんなに種が多いのにこんなに美味しいとは、なんて素晴らしいんだ! 

−−− 

 さて昨日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「タバコの置き場所よもやま話」。 先日、吸いかけのタバコを自転車のペダルに置いている人を見かけたのに触発されて、タバコの置き場所について愚考してみました。灰皿がないところで、いかにタバコを置けばいいのか!?

 よろしければご覧いただけると嬉しいです。

 

8月2日(木曜) 深夜

 本日のクラフトショップ。

 数年前までは、よくある小洒落たクラフト製品の店だったのだけれど。

 酸性雨のせいか近頃、店の看板の塗装が剥げて、次第に以前の店のロゴが浮かび上がりつつある。おまけに以前の店というのが仏壇屋だったものだから、なんともおかしな具合になっているんでありまして。

 「仏壇CRAFT CANDY JOY 仏光堂」

 和洋折衷ここに極まれり、といえば聞こえはいいが、どう贔屓目に見てもそんないいものじゃあない。間抜け、の一言に尽きる。

 さっさと塗り直せばいいのにと思うが、こんな看板では売り上げもあがらず、塗り直す費用さえも捻出できないんでありましょうか。

 

8月1日(水曜) 夜

 本日の書店です。

 大書きされた「トイレはございません」の掲示。「ライトノベル・フェア」なんかを差しおいて、こっちのほうがよほど目立っている。

 おまけによく見れば、傍らの張り紙にもこれでもかと「トイレはございません」。本を売るより、トイレを利用されないほうが大切なんでしょうな。

 自宅のドアにも「トイレはございません」と張っておこうかと思ったけれど、トイレを借りにくる通行人などいないのでやめておきました。というか、これじゃあ単に「トイレ風呂なし」の貧乏生活を露呈しているだけの話だ。

 ちなみに、我が家にはトイレがありますので念のため。トイレがあると暮らしがグッと快適になります。

 


  2007年7月のプチ日記 

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