2006年4月のプチ日記

4月30日(月曜) 夜

 まだソウルにいております。サムゲタン喰いまくってました。

 で、本日のソウルです。 

街を歩いてると、おかしな日本語がいくらでも見つかる。このデパートには「うなぎの皮革専門」店があるようです(そうじゃないことは分かってますが)。あと、手がきジーパンって何なんでしょうねえ。風俗店の一種でしょうか。
 
コンビニに入ると、いかにも日本製品のパッチもん、という商品が堂々と顔を並べている。これなどはそのままハングルで「生茶」。飲んでみたら、日本の「生茶」を粉末にして水で薄めtがような味でした。
 
韓国でも「生」がブームなようで。たまたま手にしたポテトチップスにも「生」と冠されてました。ちょっと待ちよし。これは生じゃないだろう!? あ、でも「生茶」だって生じゃないのか。

 

4月29日(日曜) 夜

 ソウルに来ております。

 韓国の新幹線こと、KTXにて釜山(かまやま)からソウルにやって来ております。新幹線っぽいものに乗ると興奮するのは、小学生当時から変わらぬ習性。

 それはいいとして、いやー韓国は美味しいものが多いですねえ。ロッテリアで購入したプルコギバーガーは、とくに最高でした。 ケンタッキーフライドチキンもかなりイケる。日本のより脂っこくて旨い。んー、我ながらグルメです。

 それはそうとして、こちら韓国ではちょっと田舎に行くと、日本語はもちろん英語すら全く通じない。なので、ハングルのみのやりとりと相成ってしまうわけでありまして。

 もちろん小生、たびに出る前に付け焼刃で覚えたハングル。ああ心もとない。

 先ほどもソウル市内を歩いていたら、韓国の人に思いっきり靴を踏まれた。その衝撃でかかとが脱げて、靴下も汚れてエライ目に遭ったわけでありますが。

 とっさにぼくは口にしていた。「カムサハムニダ!」

 カムサハムニダとは韓国語で「ありがとうございます!」の意味である。でも靴を踏まれて動揺した結果、知ってるハングル語を思わず口にしてしまい。

 現地の人にしてたって、相手の靴を踏んづけたらいきなり「ありがとうございます!」なんて言われて、どう返したらいいか分からないのが当然 だろう。それとも、変に関わりあいにならないほうが得策だと思われるかたか。

 外国に来ても、なんにも変わらないな、という思いにて本日はコンビニ(ファミマ)にて夕食を購入。

−−−

 せっかくなので、本日撮った写真など数点。

ソウル市内にて。代官山なんかもこういうのを見習って、ストレートな表現をしてほしいものです。
 
ソウルの「戦争博物館」にて。
日本人の観光客など全然いない中、現地の家族連れの中で普通に溶け込んできました。
ちなみに写真は、米国空軍の戦略機です。紺色のコートのがぼくですが、まるで親戚のおじさんのように当たり前の顔して写ってます。
 
ソウルの渋谷とも称される「明洞」にて。韓国を旅してて思うのは、女性同士が腕を組んで歩く姿が目立つこと。
なんとなく、イイネと思います。

 そして本日も、宿に帰ってから焼酎(ジンロ)を飲んだくれております。

 旅行って、いくら酒を飲んでもいいから楽しいね。

 

4月28日(土曜) 深夜

  ピョッロ メプチ アンケ へ チェセヨ! (あまり辛くしないでください!)。

−−−

 相変わらず韓国をブラブラしております。また焼酎のみすぎてヘロヘロ。

 巨済島は昔、豊臣秀吉が犯領したところで、我々日本人は非常に気まずく「巨済捕虜収容所博物館」を閲覧してきました。あまりに楽しかったので、詳細については後日談としてまたアップします。

 で、本日は、ポシンタン(補身湯)を食べました。ええと、すみません。犬の肉です。ワンワン!!

つぶらな瞳でこちらを見つめるワンちゃんたち。うーん、かわいいねえ。ワンワン!
 
…と思っていたら、いきなりこんなお姿になられて。あられもないワン!!
 
で、犬肉を煮込んだ郷土料理ポシンタンです。おそるおそる食べてみたら、ラムと猪肉の美味しさを抽出したような、非常にクセになるような旨さでした。また食べたい!

 いやー、ポシンタンほんと美味しかったです。

 ポシンタンを喰うなというなら、豚肉も食うなよケンチャナヨ。

 

4月27日(金曜) 深夜

 しばらく更新できないかもと言いながら、さっそく更新しておりますが。

 韓国は釜山(かまやま)に来ております。すいません、単なる観光旅行です。

 本日は関空から釜山に飛んだのち、ジャガルチ市場と亀浦市場を徘徊してきました。

 マッコリをしこたま飲んで酔っ払っているので、撮った写真を数点、手短に。

JALの飛行機に乗ったら、プレステ2みたいなゲームが座席についてました。
ヒマなので途中から将棋をプレイし始めたんですが、関空から釜山までは2時間弱。いよいよこれから、という段になって着陸して、強制的にプレイ終了。
ちくしょう、あと30分あったら勝ててたのになァ、と言い訳できるので非常に嬉しい。
 
釜山市内の駐車場ビル。
なぜか殿様バッタがおおきく描かれてました。何なのでしょうかねえ。殿様バッタ。
韓国では殿様バッタはご利益がある象徴なのかもしれません。
 
市場の屋台で購入した韓国餃子を買って帰り、宿にて晩酌。とても美味いんですが、写真で見ると貧相ですねえ。ハングルしか通じないので、まったく意思疎通ができないながら、なんとか死ぬ思いで購入した一品。
それはさておき、韓国の爪楊枝は「どろぼう削り」が主流のようで。両方削ってあるから危なくて仕方ない。
一本で二回使おうというエコ楊枝でしょうか。

 …とまァ、本日はこんなところにて。

 引き続き、宿で焼酎を飲まなければならないので、この辺にて失礼します。

 明日は巨済島に出向きます。

−−−

 追伸:

 いま話題になっている「竹島問題」ですけれども。

 現地の人たちにそれとなく訊いてみても、「あー、なんか言ってるね。でもいいんだ、いいんだよ。お互い仲良くしようよ。おれの妻のおじいさんは日本人だし。ケンチャナヨ!」てな感じでありまして。

 熱くなりやすいと報道されがちな韓国人ですが、まあ人それぞれです。こうでなくちゃ。

 

4月26日(木曜) 夜

 今朝、こんな夢をみた。

 雨の中、傘をさしながら知人Sさんと歩いていたら、強風が吹いてきて傘が逆さ開きになってしまった。

 するとSさんが話しかけてきた。

 「この、傘が逆さ開きになったときの名称って、時代によっていろいろあるんですよね。知ってます?」

 ぜんぜん知らないぼくはSさんに教えを乞う。すると快く答えてくれた。

 「起源は江戸時代だと言われてるんですけど、当時は『巾着』(きんちゃく)って言われてたんです」
 「へえー、そうなんだ!!」
 「で、明治維新が起きると、幕府時代の呼び方は禁止され、かわりに『逆さ袋』という名称が制定されて」
 「よく知ってるねえー」
 「さらに昭和に入ってからは、これは第二次大戦の影響なんですけど、『逆さ斬り』ってのが流行語になって」
 「うわー、勉強になる。しっかり覚えとくわ!!」

 貴重な情報を忘れないようにと、メモを取り出して書きとめるぼく。

 そして目が覚め、あまりにしょうもない夢を見たショックで二度寝したのでした。

 でも、夢の中で必死に覚えたことって、目が醒めてからも忘れないから難儀である。おかげで一日たった今でも、傘が逆さ開きになったときの「名称」を鮮明に覚えてしまっている。「巾着」に「逆さ袋」に「逆さ斬り」、かァ……。

 こんなこと覚えて、いったい何になるというのだ。おまけに夢だからデタラメだし。

−−−

 さて、明日からちょいと旅に出るので、しばらく更新できないかもしれません。

 更新できたらしますので、よろしくお願いします。

 一週間たっても更新されなかったら、そのまま野垂れ死んだと思ってあきらめてくださいませ。

 

4月24日(火曜) 深夜

 乳首のかゆみは、アトピー用の塗り薬(ステロイド入りケラチナミン)で治まりました。

 なくなったらなくなったで、少しさみしいものですな。

−−−

 ところで最近、"Brain-Machine Interface"の開発が花ざかりだと聞く。

 テレビでもよく放映されているからご存知の向きも多いだろうが、どういうものかといえばコレ、要するに「脳からの信号を直接読み取って解析する」とともに、「脳に信号を直接送り込んで疑似体験を知覚させる」という、さしずめ映画の『イノセンス』や『マトリックス』みたいなハイテク技術であるらしい。

 なので、腕を切断した人にハイテク義手を装着すれば、本人の意志の通りに義手が動く。手を動かそうとする脳の電位信号をマシンが正確に読み取ってくれるから、まるで自分の手のように義手が動くわけである(正確にはハイテク義手の動作特性に脳が適応するという側面も大きいのだけど)。

 また逆に、義手を物理的に刺激すると、あたかも「自分の手が触られている」かのように知覚させることができる。インターネットを介せば、地球の裏側に置いてある義手に与えられる刺激を、自分の手に与えられている刺激のように感じることもできのだ。

 はたまたビデオカメラによる映像信号を脳に送って、「実際に見ている」ように知覚させることにも成功しているらしい。いやー、こんな技術が実用化されているなんてすごいですねえ。

 ってことは、近い将来、「現実と区別のつかない知覚」が情報として売買される時代がくるかもしれない。電位情報をダウンロードして脳に送信すれば、そのまま現実世界と同じ視覚や触覚を体験できるのだ(こういうSF映画っていくつもあった気がするけれど)。

 多忙な仕事の合間にこういった体験を擬似知覚できるなら素晴らしいことである。科学の進歩万歳!!

 ただし個人的には、次のような電位情報も是非とも欲しいところだ。

 この罪悪感がたまらないんだ。うんうん。で、「寝床でゴロゴロ」体験にハマりすぎて、ほんとに現実世界の仕事がやばくなって。

 あ、だったら初めから現実世界でゴロゴロしてりゃあいい話か。 疑似体験もいろいろ難しい。

 

4月23日(月曜) 深夜

 朝からずっと乳首がかゆくて仕方がない。

 さらに恐ろしいのは、いくら気をつけていても、無意識のうちに自分の乳首をギュッとつまんでしまうことだ。

 通勤電車に乗っているときも乳首をギュッ。職場でデスクワークしているときも乳首をギュッ。プレゼンしている途中でも乳首をギュッ。いったい何やってるんだと思われることだろう。

 こんな調子であるから全神経が乳首に集中してしまい、仕事でもポカミスを連発して上司に叱られてしまった。

 「休み明けだから気がたるんでるんじゃない!?」

 そうじゃないんです! 乳首がかゆいんです!! …と反論したかったが、こんなこと言えるわけがない。

 かゆさに耐えながらなんとか仕事をひと段落つけ、トイレに駆け込んで思う存分乳首をつまんでいたら、同僚が入ってきて無言のまま凝視された。

 こうなったら乳首に洗濯バサミを挟んで仕事にのぞむか。バレたときどう言い訳したらいいのか全然分からないが。

−−−

 でも、これが女性だったらもっと大変だろうなと思う。乳首がかゆくて仕方がない女の人は、いったいどうしてるんだろう。

 できることなら、こういう女性のそばでひとときを過ごしてみたい。男のロマンである。

 

4月22日(日曜) 深夜

 近所のスーパーのレジで千円札を出した瞬間、手元が固まってしまった。うわっ、なんじゃこりゃ!?

 お札に書かれている野口英世がおかしなことになっていたんである。

 記憶の糸をたぐり寄せると、そういや昨夜、酔っ払ってお札に落書きしていたような気がする。知人から「名倉さんって野口英世に似てるよね」と言われたのに気をよくして、手持ちの千円札にメガネを書き加えたりしてしまったのだ。

 眼前のレジ店員も、千円札を凝視したまま固まっていた。やばい。

 「す、すみません! 間違えました!!」

 …と咄嗟にフォローしながら店員からお札を奪い返し、あわてて別のお札を出したわけですが。

 いま考えると、何をどう「間違え」たのか皆目分かりません。ああ、二度と行けないスーパーを作ってしまった。

−−−

 ちなみにこの千円札、自販機で使えないかと思って入れてみたら、なんの問題もなく使えました。

 この千円札、今ごろ誰か他の人の手に渡っているんだろうか。ほんとにすみません。

 暴力団の裏取引の札束なんかに、この千円札が混じらないことを祈るばかりです。

 ※当然のことですが、通貨に落書きしたりするのは反社会的な行為であり、場合によっては法律に触れる可能性もあるみたいです。良い子のみなさんは真似しないでくださいね。

 

4月21日(土曜) 深夜

 ぼくの母親はケチなくせにブランド志向という、どうしようもない人間だったわけですが(だった、とか書いたけど今も生きてます)。

 おかげで、ぼくが洋服なんかを買って帰ると、いつも決まって言ってきた。

 「アンタそれ、メーカー品なん!? しょうもないモン買うてきたんと違うやろな?」

 ちょっと待て、「メーカー品」って。

 どんな品であろうが、誰かが作ってるんだから「メーカー品」ではないか。

 …いやまァ、母の言うのが「ブランド品」なんだろうとは分かるんだけれども。

 ユニクロだってアルマーニだって、「メーカー品」という次元では同じである。

 今後はぼくも、着てる服について訊かれたら、「一応メーカー品だよ」と答えようと思う。

 

4月20日(金曜) 深夜

 ああ、どうしてこんなに多いのだ…。

 と、本日も頭を抱えております。なにが多いって、三文字略語が。ローマ字のやつ。

 具体的に言うと、「USJ」と「UFJ」と「JSA」の区別が咄嗟につかない。冗談のように思われるかもしれないが、本当なのだからどうしようもない。今までの人生、なんど言い間違えて恥をかいたことか。

 たとえば会社帰り、飲み会に誘われたものの所持金が心もとないとき。

 「お金おろしたいし、ちょっとUSJ行ってもいい??」

 同僚からはクスクス失笑されたすえ、「勝手に行ってくれば?」「まだ電車間に合うよ」なんて言われる始末。

 あるいは関東在住の友人から、今度大阪に行くんだけど面白いところない? などと訊かれたとき。

 「個人的には通天閣がおすすめやけど、カップルで行くんやったらやっぱUFJでしょ」

 なんで大阪まで行ってUFJなんだよ! 馬鹿にするな! と呆れられて会話も終了して。

 あわてて「ごめんごめん、JSAだった!」なんてって、余計に墓穴を掘って。JSAといえば朝鮮三十八度線にある板門店である。大阪からは関空から行けるけれど、もちろんそういう問題ではない。

 こんなことならいっそ、USJとUFJも合併してほしいと切に思う。「東京三菱USJF」でどうだ。

 ついでに板門店も合併して、「東京三菱USFJSA」にせよと猛省をうながしたい。誰にうながせばいいのだ。

 

4月19日(木曜) 深夜

 『医者がススメル安楽死』(柴田二郎・著/新潮社)という本が滅法いい。

 ぼく自身は今のところ死ぬつもりなどないのだけれど、年老いたときにスパゲティ・チューブ状態にされた挙げ句、自分の意思で死ねなくなることへの恐怖だけは、心のどこかにずっと抱き続けている。ついでに言えば、ボケて訳が分からなくなりながら、施設に閉じ込められて死ぬことへの恐怖も。

 いまの医療って、生命の「量」(長さ)を増やすことばかりに重点が置かれ、その「質」は軽んじられているような気がする。

 生命の「量」は治療業績として明示しやすいから、研究者たちも業績のためにがんばって成果を出そうとするのだろう。一方、「質」のほうは数値化しにくく研究業績につながらないから、誰も熱心にがんばらない。

 これではプロの延命家と言えないのではないかと思うのだが(麺を増量したら味付けもそれに合わせて調整するのがプロの料理人だろう)、いくらぼくのような門外漢が声を大にしたところで「わがまま言うな」と一蹴されるだけに違いない。

 だったらせめて、安楽死制度くらいは認めてもいいんじゃないかと常々思っていた(いくら保険費医療だからといって、勝手に麺だけ増量されてはたまったものではない)。…そんな折に読んで、「これやがなっ!」と感じたのが今回の本だったわけでありまして。

 いまにも破綻しそうな医療費を眼前にしている政府の本音としても、安楽死制度はきっとやぶさかじゃないと思うんだけど、どうなんでしょうかねえ。こんな制度を認めるような動きが現れたら、利権を守ろうとする製薬業界や医療業界から猛反発を食らって闇に葬られてしまうんでしょうか。

 「生命の重さは地球よりも重い」なんてって。だからといって、飢餓に苦しむ人々に私財を投げ打つ人なんてほとんどいないんでありますが。

 動物は安楽死制度が認められていて、実はちょっと羨ましい。

−−−

 さて本日、Go smoking に書かせてもらってるコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「小生のタバコ遍歴」。 …すみません、今までぼくが吸ってきたタバコの銘柄について、ぬるーく書き連ねているだけの文章なんですが。

 よろしければご覧いただければ幸いです。

 

4月18日(水曜) 深夜

 過去のネガティブなこと(自分に言われた悪口とか)をずっと憶えている人は、「根に持つヤツだ」と軽蔑されがちだけれども。

 こんなもん、いくら憶えてたって口にしたら莫迦にされるだけなので、自分の損得を考えて喋らないだけだと思う。

 もちろん小生もその一人。

 だから、「過去のネガティブなことを執念深く憶えている人」は、ぼくの中では「どちらかというといい人」である。損得計算せずに本音をポロポロ出してしまうような人なんだから。

 本当にいやなヤツは、きっとこんなに分かりやすくない。

−−−

 というわけでもないんですが、本日のセール。

 おもいきって値下げしたと豪語してるわりには、「店内一部SALE」という控えめさがいいですな。

 こういう、言ってることとやってることが違う人というのも、ぼくの中では「どちらかというといい人」です。

 

4月18日(火曜) 夜

 さっき帰宅して米を炊こうとしたら、電子ジャーが突然壊れてしまった。

 タイマーセットや炊飯メニューは選べるのに、いざ炊こうとしたらスイッチがまったく反応しないんである。いくらジャーを叩いてもダメ、だめもとで振ってみてもやっぱりダメ。ああオレは、このまま米を食えずに衰弱していくのか……。

 悲壮な思いで放心していたそのとき、ふと頭に浮かんだ。そうだ、ガスで炊けばいいんじゃないか。

電子ジャーから炊飯器部分だけ取り出して火にかける
 
ふたが蒸気でポンポン上がってしまうので茶碗を載せる
 
30分後には無事に炊き終わりました
 

 火加減にはちょっと気を使ったけれど、「沸騰するまでは強火。あとは弱火で15分。火を止めて10分ほど蒸らす」というシンプルな方式で無事に炊き上げることができた。お味のほうも非常に美味い(電子ジャーと同じくらい美味いという意味だけど)。

 今後、米はガス炊きすることになりそうである。

 来客があったときには、「米はやっぱガス炊きに限るよ」「電子ジャーなんてもう使えないね」と豪語することにしよう。後者は事実だし。

 

4月17日(月曜) 深夜

 もう時効だろうから書くけれど。

 学生時代、友人K君が合コンをセッティングしてくれたことがある。男女ともに四人ずつという、数だけで言えばまずまずの集まりだった。

 ただ、当初からK君は申し訳なさそうに口にしていた。「今回紹介する女性、みんなちょっと微妙な感じだから…」。みんな彼氏こそいないものの、思わずそれも納得というような面々が揃っているから、あまり期待しないでほしいというのだ。

 当時から慎重派で鳴らしていたぼくらは、K君との間にあらかじめ取り決めをしておいた。「もうどうしても帰りたい!」という気運になったときのために合言葉を決めておき、その言葉を誰かが発したら、K君の尽力ですぐさまお開きの方向に持っていくというわけである。

 K君:「OK。じゃあ合言葉なににする?」
 ぼく:「うーん、『サイコロステーキ』はどうや?」
 T君:「あかんあかん! 盛り上がってんのに間違ってサイコロステーキ注文したらどないするんや!」
 K君:「確かにねえ。じゃあ、『うっしっし』ってのはどう?」
 ぼく:「唐突に『うっしっし』なんて言うの恥ずかしいよ」
 K君:「ほんじゃ、『ミライノウタ』にしよう」
 一同:「お、いいね。それにしよう!!」

  …というわけで合コンに向かった我々であったが、結論からいうと「どないもこないもならしまへん」お手上げ状態だった。向こうの女性陣も同じことを思っていたかもしれないが、とにもかくにも「やってもうてまいましたな!」ということだけは確かだった。

 それでも酒ばかりガブガブ飲んで酔っ払っていたのだが、二時間ほど経った頃、隣席にいたT君が突然口を開いた。

 「なあK、ええとアレ、ええと…あの言葉なんやったっけ?」

 すっかり泥酔したT君は、肝心の合言葉を失念してしまったのだった。一方のK君のほうもヘベレケになっているものだから、言葉の機微がちっとも伝わらない。それに、あまりに唐突な言葉であるから、女性陣の注意もすっかり彼に集中している中で。

 K君:「あの言葉ってなによ!?」
 T君:「言うてたやつ! アレやん、アレ!」
 K君:「えー、なんだよ??」
 T君:「もー、ほら合言葉!!」
 K君:「あーっ、そろそろ帰りたいときに言うやつね! ミライノウタ、だっけ!?」
 T君:「……」

 ぼくはその場の空気がフリーズドライされたのを肌に感じつつ、これはこれでよかったのかなとボンヤリ考えておりました。

 そして5分後に店を出ました。

 

4月16日(日曜) 深夜

 街を歩いていたら、ちょうどA4サイズくらいの野良猫を見かけた。

 出会った瞬間、「あ、A4だ」と思ったのだ。動物の大きさはあまりこういう表現をしないけれど、「全長○○センチメートル」と言うよりも直感的に分かりやすいのではないか。

 …と、とりあえず書いてみたけれど、全然どうってことないですね。

 本日は体調不良のため、このへんにて失礼します。

 

4月14日(金曜) 夜

 久しぶりに実家に帰ってきました。ただし日帰り。電車で15分だけど。

 親としては息子がときどき家に帰ってくるのを望んでいるようなのだが、面倒くさがりなぼくは、実家の近くの散髪屋に行くついでに気が向けば立ち寄るのみである。

 親も直接「たまには帰ってきなさい」というのは気恥ずかしいようで、少し前からおかしな留守電が親から入るようになった。

 「散髪はまだいかないの? そろそろ行ったほうがいいと思うよ」

 親元を離れて暮らしているのに、どうして散髪を催促されなくてはならないのだ。

−−−

 …というわけで、本日も散髪ついでに帰省してきたわけでありますが。

 せっかく実家に帰ったので、写真を撮ってきた。

 バラの造花に、なぜか鬼のミニチュアお面。いったいどういうセンスだと思うけれど、「入手したものは飾らなくちゃ損」というのが親のポリシーのようで。

 あと、居間に洗濯物が山積していたのが面白かったので撮っていたところ。

 母親が血相を変えて飛んできた。

 「いったいなに撮ってるの!?」
 「まさか…載せるんじゃないでしょうね!!」

 実は親もこのプチ日記の存在を知っているので、最近ぼくの行動に警戒心を抱いているのだ。

 でも載せます。母上、自分の「勘の鋭さ」を存分にご自賛くださいませ。

 

4月13日(木曜) 深夜

 靴下が擦り切れて穿けなくなると、レンジ台やら靴やらを磨けるので嬉しいですな。

−−−

 先月、アボカドの種を水耕栽培してみようと思い立った。

 で、水を張った瓶に種を入れてみたものの、そのままずっと忘れていた。

 今日ふと思い出して見てみたら、こんなことになっていた。

 水位が低下してギリギリ種につかない状態のまま1ヶ月放置。いわゆる「寸止め/じらしプレイ」である。

 あと1ミリで水に届くのに、種は自力では動けない。ああ、自分が種でなくてよかった。

 植物虐待は罪にならないようなので。

 

4月12日(水曜) 深夜

 ちょっと前に、「冗長な例文を簡潔に書き直してみよう」という趣旨の企画がネット上で流行っておりましたが。

 ぼくはどうも貧乏性なもので、せっかくたくさん書いた文章を短くしてしまうなんて勿体ないと思ってしまう。個人的に、そのまま書いたらたいそうアッサリしてしまう事柄を、無駄にダラダラ引っ張って書いたような文章が好きだというのもある。

 だいいちドラマだって映画だって、簡潔にしてしまったらつまらないこと必至だろう。

  こんな「あらすじ」など読みたくもなんともない。

  そこで今回は、「短い文章を長くする」というお題を自分に出してみました。
 


お題:「テーブルの上にリンゴが置いてある」という例文を、余計な要素を加えずに長くせよ。

 そのとき小生の視界に飛び込んできた大きい物体から説明せねばならない。

 厚さ数センチ・縦横1メートル四方程度の木板の下に四本の棒が取り付けられており、さらにそれぞれの棒が板に対して垂直かつ等間隔に配置されていた。そのおかげで木板は、地面から70センチくらいの高さで平行に固定されており、その上部に何かを置いても大丈夫なようになっているのであった。

 おそるおそる近づいてみると、こげ茶色の板には黒い木目がうっすらと浮かんでいた。叩くとコツコツと高い音がする。固くてしっかりしているうえ、風合いがよいというので各所にて人気を博しているオーク材(ブナ)だと思われる。つるつるに磨かれた表面、すらっとまっすぐに削られたライン…おそらくこれは工業製品であり、テーブルとして市場に出回っているものなのであろう。

 さらにつぶさに観察すると、テーブルのうえには丸みを帯びた赤い物体が鎮座していた。上のほうには茎の切れ端状のヒゲがちょろっと出ており、表面は赤色のほかに、黄色や茶色のこまかい斑点がついている。念のため匂いをかいでみたら、馴染みのある甘酸っぱい香りがほのかに漂っている。これは確か、スーパーや八百屋でよく見かける手合い…。

 そう、テーブルの上にはなんとリンゴが載っていたのだった!

 お粗末さまでした(本当に粗末だ)。

 とくに募集などはしませんが、よければ皆様も考えてみてください。

 

4月11日(火曜) 深夜

 先日買い替えたケータイで、テトリスをダウンロードしてみたらすっかり熱中してしまい。

 十年以上まえに大流行したときは小馬鹿にして見向きもしなかったくせに、今ごろになってすっかりハマッている。おもしろいねコレ!!

 …こういう「もっささ」をアイデンティティにして生きていくしかない。

−−−

 ちょうど一年くらい前、取引先のAさんという人に初めて会った。

 そのときひどい風邪をひいていて鼻水垂れ流し状態だったのだが、風邪であることを悟られたら相手に気を遣われて、歯に衣着せぬ商談ができなくなると思ったぼくは、とっさにウソをついてしまった。

 「実はひどいアレルギー性鼻炎持ちなんです」

 ちなみにぼくは、鼻炎などまったく持っていない。いくら花粉がやってこようと大丈夫である。

 で、それからもAさんに会う機会がちょくちょくあるわけですが。パタッと鼻水を出さなくなったぼくに対して、Aさんはいつも訊いてくるようになった。

 「名倉さん、鼻炎のほうは大丈夫なんすか?」

 そのたびに出てもいない鼻水をすすりつつ、「いまは小康状態ですわ」なんてって。いつも快調だと怪しまれそうなので、時には自分から咳き込んで「鼻炎が喉にきちゃって…」なんてって。

 ああ、もういやだ。なんでこんな真似をしなくちゃならないのか。

 かといって今さら、「鼻炎ってのはウソでした」なんて言えるわけがない。一年間も演技し続けていたことがバレるほうが不気味がられるだろう。

 春は花粉症と鼻炎のシーズンである。つらい季節がやってきました。

 

4月10日(月曜) 深夜

 先日参加したとある研修で、こんなテーマを出された。

 「みなさん、自分の中で好きなところをひとつ挙げてください」

 こういうのが一番苦手である。自分の好きなところなんて、いくら考えてもありゃしないし、あったとしても公言するなんて小っ恥ずかしすぎる。

 しかし、他の参加者たちは口々に、自分の好きなところを発言していた。

 「思いやりがあるところが好きです」
 「協調性があるところです」
 「責任感が強いところが長所だと思ってます」

 うわー、やめてくれえ。自分で自分のことを「思いやりがある」なんて思ってるやつらなんて真っ平だ。

 そうこうするうちにぼくの番が回ってきて。答えに窮して本当のことを口にしてしまって。

 「自分の好きなところとか言えない自分、…ですかねぇ」

 そしたら場の空気が静まり返ってしまった。おまけにクスクスと失笑の声まで聞こえてくる始末。

 奇をてらった冗談だと思われたか。悔しくて死にそうです。

−−−

 それにしても、自分の中で好きなところって。

 羞恥プレイに使えそうですな。

 

4月9日(日曜) 深夜

 買い替えたケータイばかりいじっていた。

 手持ちのCDから移した音楽データをケータイでも再生できる。嬉しいので何十曲も入れては聴いていたのだが、よく考えたらCDなんてコンポでもステレオでも聴けるんだった。

 でも、これだったらMP3プレーヤーを買わなくていい。…このままケータイの音楽機能が進化したら、携帯型音楽プレイヤーの売り上げが落ちるんじゃないかと思う。そのうちiPodにも、携帯電話機能やデジカメ機能が付いてくるかもしれませんな。

 あと、ラジオが聴けるのでびっくりした。これも嬉しがりで恥ずかしいのだが、ためしにケータイでラジオを聴きながら街に出てみた(なんの「ためし」なのかよく分からないが)。すると、やっぱり聴ける! 当たり前だ!!

 そういや小学生の頃、まだ高価だったウォークマンを買ってもらえなかった代わりに、父親のおさがりの「携帯型ラジオ」を持ち歩いていたことがある。ヘッドホンではなく、イヤホンで聴くやつである。

 当時愛用していた携帯型ラジオは、このケータイとほぼ同じサイズだった。なんとも懐かしい気分で、ラジオを聴きながら新京極を歩いたりした。

 あと、なぜか莫迦でかい充電スタンドが付属していて、何かと思えばスピーカーだった。

 充電スタンドにセットした状態で音楽をかけると、重低音ウーファーを内蔵したスピーカーから「ケータイよりも良質の音」が聞こえるという按配なのだ。

 こちらも聴いてみたら、音量だけは大きいけれど、くぐもっていて平坦でチープで奥行きのない、これまた懐かしい音が流れてきた。ああ、これこれ! ラジカセの音! ドデカホーンの音やがな!!

 なんて懐かしいんだ、新型ケータイ。

 

4月8日(土曜) 深夜

 居酒屋で、濡れた床に自分のコートを落としてしまった。

 あわてて拾い上げたら、案の定コートは汚れていて。おまけに、反射的に「すみません!」と叫んでいて。

 いったい誰にあやまってんだ。自分にか。

−−−

 携帯をツーカーからauに変えた。

 それに伴って新しい電話機に買い替えたのだが、お金を払おうとしたら、「充電器は別途お買い上げになりますので」と言われた。

 え? 別売り!? …と混乱しているうちに、請求額が千円ほど上乗せされていた。

 充電器なんて絶対必要なのに別料金。これってどうなんだろう。パソコンを買ったら「電源コードは別売りになります」と言われるのと同じようなものではないか。

 どうせなら、どんどん「別途お買い上げ」にして収益を上げればいいだろう。

 …などと愚痴ばかり書くのも情けないので、自慢話でも。

 今回買った携帯は、最新機種だけあって高性能なデジカメが付いている。300万画素+手ぶれ補正機能までついているのだ。

 で、さっそくデジカメ専用機と撮り比べてみたところ。

携帯電話のカメラ ソニー サイバーショット(カール・ツァイスレンズ)

 携帯電話のカメラのほうがずっとキレイに撮れている。手ぶれ補正機能の威力を実感。

 そして、携帯で撮影した画像をパソコンに取り込もうとしたら、二千円するソフトのダウンロードを要求されました。

 ああ、世知辛いのう。

 

4月6日(木曜) 深夜

 街外れを歩いていたら、こんな車に出くわした。

 ボディのうえに何枚もの座布団。レース前の勝利祈願かなにかだろうか。

 などと考えつつ、そんなわけないですやん、またご冗談を小生、ただ干してるだけでしょ、…と、まわりに誰もいないのをいいことに独りごちつつ足を進めようとしたところ。

 近づいて見てみたら、座布団だけでなく、寿司まで干してありました。

 やはりレース前の祈願なんだろうか。

 日常のなかで、何食わぬ顔をして口をあけている非日常。こういう光景に偶然出会えると、ああ生きるのも悪くないね、と妙に嬉しくなってくる。

−−−

 本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「タバコは遺伝子の夢を見るか」。…すいません、ティプトリーかぶれみたいな、思わせぶりなタイトルをつい付けてしまいました。

 でも内容のほうは、いつもと寸分たがわぬ貧相さでありまして。要は「タバコ吸うくらい、まァいいんとちがいますの?」というちんまりした訴えです。

  よろしければご覧いただければ幸いです。

 

4月5日(水曜) 深夜

 郊外の小さな営業所にときどき出勤している。

 以前の日記で、「この営業所は敷地が狭いうえ、デスクとトイレが隣接しているため、用を足す「音」が筒抜けになって恥ずかしい」という内容について書いたかと思う。これは今もまったく同じ状況である。

 そこで同僚数人とトイレ問題について話し合ったところ、「音姫を設置する」という案が出た。

 ただ、音姫はトイレに設置されているから、デスクワークに励む社員にとっては「用を足す音と同じ音源」ということになる。「用を足す音」が弱くなるのと同程度に、「音姫の音」も弱くなってしまうのだ。これでは彼らに、両方の音を聞かれてしまう可能性が高い。

 …というわけで考えた。音姫をデスクのパソコン付近に設置しておき、用を足す者がリモコン操作で音を鳴らせばいいのではないかと。

 デスクワークに励む社員たちの眼前で「ザアーッ!」と轟音が鳴り響くわけだ。これならトイレでの「用を足す音」に打ち勝てるに違いない。

 パソコン付近から「ザアーッ!」と音が鳴るたびに、ああ○○さんが用を足しているんだな、と思うのみである。

 水洗の音じゃなくても、サイレンとか軍艦マーチとかでも構わないんだけど。

−−−

 ちなみに、当の営業所には旧式の大きな換気扇があり、付けるとゴオーッとすごい音がたつ。

 これを利用する手も考えたのだが、「そんなに臭いのか」と思われるのがオチなので、やはりデスク音姫しかないような気がします。

 

4月4日(火曜) 夜

 先日レストランで食事していたら、暴力団っぽい人たちが入ってきて恐かった経験をした。

 で、珍しく友人とやっていたメッセンジャーでこのことを書いたわけですが。

 なんとなく隠語で、「このまえレストランに893な人がいて大変だった」と書いたら、歯が臭い人がいたと勘違いされて大いにがっかり。

−−−

 ウチの職場では、学会発表や研究論文を出すと「粗品」がもらえるという噂が存在する。

 学会や論文誌に会社名が出ることによって知名度が上がるから、というわけらしい。

 ただ、こういった活動にがんばる人がいないので、その「粗品」がなんなのか誰も知らない(というか、粗品がもらえるのかすら分からないのだけれど)。

 ところで最近、ぼくが書いた報告がたまたま某所に掲載された。反射的に「粗品」のことが頭に浮かんだ。いったい何がもらえるんだろう?

 こりゃあ皆がんばらないはずだな、と思った。

 そもそも「粗品」が噂になるという時点でショボさ満開である。「粗品は噂でしかなかった」ときも、これまた虚脱感を禁じえない。

 でもタオルは欲しい。

 

4月3日(月曜) 夜

 「せっかくやし」が口癖の知人がいる。

 たとえば、バス停にいけば「せっかくやしタバコ吸っとこ」、飲み屋にいけば「せっかくやし日本酒も飲んどこ」といった具合である。

 広辞苑第5版によれば、「せっかく」とは「力を尽くすこと、骨を折ること、 心を砕くこと、めったにないこと」といった意味らしいが、彼にとってはバス停も飲み屋も、めったにない貴重な場面なのだろう。

 そんな彼が先日、コンビニで缶コーヒーを買った。やはり、「せっかくやしコーヒー買っとくわ」と言っていた。

 …いやまァ、かくいうぼくも、ビジネスホテルに泊まったりすると、「せっかくやし」とバスマットなど失敬しておるわけですが。

 世の中、せっかくだらけですな。むしろ、せっかくでないほうが珍しい。

 せっかく生まれたんだし、だいたいは部屋でゴロゴロしております。で、本日も、せっかくやし日記書いて。

 

4月2日(日曜) 夜

 …ここ数日、お見苦しい日記続きで失礼しました。

 昨夜は泥酔して自宅に帰ったものの、あまりに上機嫌すぎて、ひとりでシャドーボクシングをおっぱじめて。

 シュッ、シュッ!! などとたわけた声を発しながらパンチを繰り出していたら、足がパソコンに命中してフロントパネルがもげてしまった。あわてて素に返って修理を試みるも、接合部分がきれいに折れているのでどうしようもない。

シャドーボクシングの威力

 さいわいパソコン自体は問題なく起動したのでよかったのだが、とにかくもう自分が情けなくて。

 「32歳の男が酔っ払ってシャドーボクシングしていたら、パソコンに足をぶつけてパネルが壊れた」

 春ですな。

−−−

 しかし、酔っ払うとシャドーな行為を無性にしたくなるのはどうしてだろう。

 上述のシャドーボクシングしかり、エアギターしかり。ボクシングもギターも全くできないくせに真顔でやってるんだから、これほど恥ずかしいことはない。素養のある人が見たら、きっと噴飯モノだろう。

 しまいにシャドーカーリングとかやらかしてしまいそうで不安になってくる。

 シャドーオセロくらいにしておくほうが身のためなのだろう。…と、頭では分かっているんだけど。

 

4月1日(土曜) 深夜

 ああ、下の日記はいったいなんだ!? 書いた記憶がない。

 しかし本日も飲みすぎてるので、なんともかんとも。いかんともしがたいでちゅー。

−−−

 そういや本日は、エイプリルフールでしたね。

 「本日はエイプリルフールではありません!」

 …と、とりあえずウソをついたところで、義務を果たした気分になったところ。

 自分の体から畑のにおいがする。

 そしてね。どうしてもコルクが抜けないワインは、割り箸をコルク上部にあてがって、その上に重い本を置いてコンコン叩く。

 すると、コルクが瓶の中に落ちて、中の液体が飲めるようになりますよ!!

 ああ酷い文章。なんだこの日記は。

 


  2006年3月のプチ日記 

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