2006年3月のプチ日記

3月30日(木曜) 深夜

 ですか。あう、今夜は飲み会帰りですっかり酔っ払っております。

 酔っ払てることを隠さずに、酔ってると言えるくらいに酔っ払ってないというか、いや酔ってるのか。

 で、言いたいのは、

 「あなた、小生のなんどいや!?」

 ほんとね、本当に書いたらあかんことは書かないくらいに、酔っ払ってないわけですけれどもね。

 ともかくキノコが生えるといいね。キノコが生えてなんぼじゃ。

 そらウンコも嘆くわ。っていうか、洗濯物とりこまんとあかんし。無頼派っぽくティーシャツ取り込みまくりますわ。

 あえて結論だこれども、いままでの人生で陰唇って言葉、何度使ったかと。それを問うて、問いたいね。問うだけやけれどもね。

 おまけにオレはコロポックルやし。

 

3月29日(水曜) 夜

 いつもは398円のキムチに「本日298円!」の掲示が張り出されていた。

 これは買いだと思ってレジに持参したところ、398円のまま精算されたので店員に文句を言った。

ぼく: 「あのー。このキムチ、本日298円って書いてあったんですけど…」
店員: 「え!? こちら398円になってるんですが…。少々お待ちくださいませ」

 あわててキムチコーナーまで走って帰ってきた店員いわく、

 「すみません! ええと、あの、店長呼んできますんで、もうしばらくお待ちください!」

 そうこうしてる間にも、客はどんどんぼくの後ろに並び始めて。

 数分後、店員は店長とともにやってきた。

店員:「どうしましょう…」
店長:「だから言ったでしょうが。POPのチェックは徹底するようにって」
店員:「すみません!」
店長:「それにお客様に対しても失礼だろ」
店員:「申し訳ありません…」

 店の奥にいた別の店員も、心配になったのかレジに駆けつけてきて。後ろに並んでいる客も、いったい何事かと遠巻きに聞き耳を立てていて。

 気まずく重苦しい沈黙が流れること数十秒、店長の一声が静寂を破った。

 「もういい! ここは私が出しとくから!!」

 そして店長は、ぼくの手に100円玉を握らせたのでした。

 100円玉とキムチを握りしめて、逃げるようにして店を出た。ギャラリーたちの声にならぬ失笑を背中に感じながら。

 

3月28日(火曜) 深夜

 ひさしぶりに鉄の中華鍋でチャーハンを作ったら、えらく焦げついてしまった。

 中華鍋は重いので、ついつい手軽なテフロン鍋を使ってしまう。何週間も使わない中華鍋はすっかり錆びてしまい、いざ調理してもすぐ焦げついてしまう。その結果、ますますテフロン鍋ばかり使ってしまうという悪循環。

 本当は中華鍋のほうが上手に作れるのだが、状態の悪い鍋を使うと大変な目に遭うのだ。

 まさに三重苦、ヘレンケラー・チャーハンである。

 …よく考えたら、「不味いチャーハン」の量が少なくなったといって嘆き悲しんでいるんだから、我ながら情けない話ですが。

 不味くてもたくさん喰いたいんだよう。

 

3月27日(月曜) 深夜

 めんどくさがりなので、パソコンではショートカットキーばかり使っている。

 今日も職場で、いつものようにショートカットキーでパソコンの電源を落としたところ(ウインドウズキー+U、U)、同僚の女性Aさんから驚かれた。

 「そんなことができるんですか」
 「名倉さんってすごいんですねー。見直しました!」

 こんなことで見直されてもなァー。正直いうと嬉しくなくもないのだが、普段のぼくがいかに能無しかを雄弁に物語るエピソードである。

 悔しいので、今度Aさんが両面コピーをとってきたら褒めておこう。

 「Aさんすごいやん! 両面コピーも使えるんや!!」

 人間関係を悪くする技術には多少、腕に覚えがあります。

−−−

 昨日の日記について、数人のかたからご指摘をいただきました。

 アボガドって、正確には「アボカド」なんですねえ(英語で書くと"Avocado")。全然知りませんでした。

 ギブスが本当はギプス、みたいなものでしょうか。

 今後もし知人が「アボガド」って言ってるのを見かけたら、ここぞとばかりに指摘しようと思います。

 

3月26日(日曜) 夜

 アボガドが好物なので、何個かは常に自宅でストックしている。

 で、ふだんは一個150円なのが時々100円で特売されるので、このときを狙って買いだめしておるわけですが。 

待ちに待ったアボガド100円デー

 アボガドは熟れ具合によって味が大きく左右されるので、どのようなコンディションのものを選ぶかで頭を抱えることになる。

 いちばん食べ頃なのは、「表皮が全体的に黒くなり、なおかつ適度な柔らかさがある」状態なのだが、あまり熟しすぎると、果実が黒く痛んでかえって不味くなってしまう。ちょうど食べ頃のものを買った場合、翌日には食べないと痛んでしまうのだ。

 かといって、毎日アボガドばかり食べるのも飽きるから、せいぜい2〜3日に一個くらいのペースである。特売のときに買いだめする際は、この点をしっかり踏まえる必要がある。ちょうど2日おきくらいに熟れ頃がくるよう、よく考えてチョイスしないといけないのだ。

 ただし、熟れ加減だけで選べばいいというものでもない。どうせなら大きい果実を選びたいし、キズがついているものなども論外である。たとえば「2日後に食べごろが来そうなやつ」を探しているときに、あまりいいものがなく、「3日後に食べられそうなやつ」で大きくしっかりしたものがあれば、もちろん後者をチョイスすることになる。

 さらに自宅には数個のストックがあるから、家にあるぶんの食べ頃も計算にいれなくてはならない。こうなると考慮すべき要因が多すぎて、ノイローゼになってくるんでありまして。

我が家のアボガド専用ラック(プリンターだけど)

 たとえば、今日の100円セールではどういう状況だったかというと、

 我ながら向こう見ずな賭け生活を送っているなと思う。明日は明日の風が吹く。 

熟れ頃のものは気持ちよく皮がむけます

 もちろん本日もアボガドを喰いました。刺身を0.5回喰ったくらいの充実感がありますな。

たまり+わさび+マヨネーズで食べる

 …というわけで小生、アボガドを選ぶときは、自分でもびっくりするくらいの集中力を発揮しております。

 この熱意を仕事に向けられたらいいんだけど、とたまに思う。でも仕事はアボガドじゃない。

 

3月24日(金曜) 深夜

 我が家に干し柿ができました。

 …というか、作るつもりは毛頭なかったんですが。

 さきほど冷蔵庫を掃除していたら、奥のほうから得体の知れないモノが出てきて、なにかと思えば去年の秋に購入した柿がひとつ。五ヶ月のあいだ冷蔵庫に放置されていたそれは、さながら干し柿のような風体をしていたという次第でありまして。

我が家の干し柿です。上部が平らなのは、冷蔵庫の床に置かれていたから。地球には重力があることを改めて実感。
 
裏返してみる。下半分が黒くなっているのが気になるが、上のほうは見紛うことなき干し柿である。
 
ひょっとして食べられるかも…と思って切ってみたものの。中身はピータンみたいになっていて、食べる勇気はさすがに出ませんでした。柿ピータン(柿ピー)。

 ちなみに我が家の冷蔵庫には、干し柿のほかに「干しヨーグルト」もありました。

 みなさまの冷蔵庫も、気がつけば乾物の宝庫になっているんじゃないでしょうか。って、ウチだけですか。

 

3月23日(木曜) 深夜

 人づき合いのコツは、相手になんにも期待しないこととみたり。

−−−

 少し前、育毛をテーマにしたテレビ番組を見ていたところ。

 パネラーから「育毛剤ってたくさん売られてますけど、本当に効くんですか?」という質問が寄せられた。で、毛髪学に詳しいという医学教授がコメンテーターとして回答する流れになったわけですが。

 テレビカメラを向けられたその教授は明らかに困っていた。ぼくが代弁するのもナンだが、市販されている育毛剤なんて、ちーとも効きやしないのだ。運よく効いたとしても、それに気付くのは本人だけだろうっていう。

 ただ、出演しているのはテレビ番組である。スポンサーには製薬会社がいくつもついているし、個人的なしがらみだってあるだろう。かといってウソの効能を言うのは学者として許せない。…おそらくこのような葛藤があったものと推察される。

 が、その教授は数秒の沈黙ののち、キッパリと断言した。

 「もちろん、どれも効果はあります!」

 そうですかー、と相槌をうつインタビュアーに対して、教授はこう付け加えた。

 「育毛剤に含まれるアルコールの刺激作用だけでも、十分に効能が期待できるんです!!」

 …ええと、あのう。だったら初めから、エタノールを頭に振りかけときゃいいんじゃないでしょうかねえ。

 これだから折衷案は楽しい。ああ、オレは折衷案が好きだァー!!

 

3月22日(水曜) 深夜

 自分の弱点や欠点を公言できることはカッコイイ、という風潮が昔からある。

 確かにまァ、こういうのは自分自身を客観視できる力の証であり、自分のダメなところを認められる強さの証でもあるから、悪いことではないと思う。しかし反面、自己言及されたその内容によっては、こりゃあ本当にダメじゃないかと感じてしまうことがある。

 たとえば劣等感がそうだ。

 「オレ、○○さんにはすげー劣等感を持っちゃうんだよ」

 おそらくこれは事実なのだろう。

 ただ、劣等感というのは相手に優越したい気持ちの裏返しであるうえ、相手が自分の手が届く範囲にいる(=同じ土俵にいる)人物であるという前提のもとに成り立つ感情である。

 それが証拠に、ふつうの人は大リーグの松井選手なんかに劣等感を抱かないだろうし、ドラえもんや火星人に対しても同じくだろう。劣等感を抱くのは同僚や友人、恋人といったあたりが相場ではあるまいか。

 つまり、「○○さんに劣等感を持っちゃう」と公言することはすなわち、「オレと○○さんは同じ土俵にいるよね」と吹聴することに等しいのだ。これはかなり恥ずかしい。こんなことを言われた○○さんが気を悪くしたとしても当然である。

 ちなみにぼく自身、人よりも劣っているところなど山ほどある。スポーツの類がまったくできない、人とロクに口をきけない、口をきこうとすればドモって痛々しいことになる、etc etc...。

 それでも今は、これらの点に劣等感を持つことはまずないと言っていい。自分の能力が世の人々とは全くの別次元に低いから、「人と比べる」という発想自体が根絶されてしまったんである。ああ小生も、できることなら劣等感とか持ちたいよ! でも無理なんだよ!! 

 だから、「オレって顔に劣等感があるんだよね」なんつってる人に出会うと、口では「そんなことないってー」なんてヘラヘラしつつも、内心では反射的に毒づいてしまう。「劣等感っておまえ、誰と比べてだよ。全世界の人類と比べてか!?」「みんなと同じ土俵にいるってことを言いたいのかよ!!」と。

 …とか言いつつ、たまに軽い若ハゲの人なんかに出会うと、もやもやとした劣等感を抱いている自分がいたりもするわけですが。

 劣等感を抱いている自分に気づいたら、いつもあわてて突っ込んでいる。「てめえ、劣等感を持てるようなタマじゃねえだろ」「相手を自分の土俵に引きずり落とすなよ莫迦」と。

 ま、劣等感持ちは、勝負を降りてないという意味では前向きで素晴らしいんでしょうけれど。

 …フォローっぽいことを書いてまとめようとしたら、余計に感じ悪くなったところで失礼いたします。

 

3月21日(火曜) 夜

 職場の先輩へのギフトを買いに行った。

 後輩数人(自分を含む)からのお祝いで、住んでる場所がデパートに近いからという理由だけでぼくが買いに行くことになったのだが、品物を選び終わって「のし」を付けてもらう段になってハタと困ってしまった。

 数人からの贈答品なので「のし」を連名にしなくちゃならないものの、どういう順番で書いてもらえばいいか皆目分からないのだ。

 背に腹はかえられないので、恥を忍んで店員に訊ねてみた。

 ぼく: 「これって連名のとき、どういう順にするもんなんですかねえ?」
 店員: 「そうですねー。年齢順に右から書いていくの一般的でしょうか」

 なるほど、じゃあその通りにしてください。というわけで、右から順に「名倉、○○、△△、××」と書いてもらったのでありますが(後輩の中ではぼくが最年長だった)。

 ここでふと気がついた。年齢順ってことは年功序列ってことだろうから、自分は謙遜して最後に持ってくるべきではないか。こうするのが我が国の美徳ではあるまいか。

 このままでは末代の恥だと大焦りして、あわてて店員に申し出た。

 「よく考えたらぼくが最年少でした。名倉を最後にしてください!」

 なにをどうよく考えたら年齢が入れ替わるのかよく分からないが、ともかくこのように書き直してもらったところ。

 今度は別の不安が募ってきた。年齢順に書くのが一般的なのに、自分の名前だけのうのうと最後に持ってくるなんて、年齢詐称に他ならないではないか。後輩をさしおいて若ぶるなどこれ、恥の上塗りではあるまいか。

 しばらく逡巡したすえ、勇気を出して店員に再び申し出たのだった。おそるおそる、しかし毅然とした態度で。

 「やっぱりぼくが最年長でした……。な、名倉を最初に戻してくださいっ!」

 店員はただただポカーンとこちらを見つめたまま、ぼくの指示どおり書き直してくれた。ああ、これでいいんだ。事実どおり自分が最年長ってことでいいんだよ。うん、うん。

 うーん、本当にこれでいいんだろうか。ああ、また分からなくなってきたよ!! …と頭がぐるぐるし始めて。

 「やっぱり4人の名前を円形にならべて書いてください」と喉元まで出かかったのをグッとこらえた。生きるって難しい。

 

3月20日(月曜) 深夜

 さすがに酒を控えて、野菜ジュースとか飲んでゆっくり寝て。

 下品な話で恐縮だけど、身体が回復してくるにともなって、ものすごい濃い尿が出るのがいつも頼もしい。弱りきっていた内蔵系の処理能力が回復する結果、たまりにたまっていた老廃物が一挙に排出されるのだろう。ああ、喜びのダークイエロー。

 「黄色は生命の色」と言われるのは、このあたりに由来があるような気がする。そういや回復期の痰も黄色いし。

−−−

 …コホン。話題を変えて上品なことを。

 昨夜の日記を読んでくださったかたから、こんなメールをいただいた。

BVLGARIの"refreshing towel set"(ブルガリの香水がついた使い捨ておしぼり)のパッケージには"Oshibori"と表記されています。

 調べてみたら、本当に発売されていた。

 "Eau Parfumee, Oshibori au the vert" BVLGARI。まさに「ブルガリのおしぼり」である。

 外国では日本語がもてはやされていると聞くけれど、"Oshibori"もカッコイイってことになってるのかもしれませんな。

 「分からないコトバっていうだけでかっこよく思えてしまう」という好例かもしれませんが。

 

3月19日(日曜) 深夜

 這うようにして東京から帰ってきました。3日間で1ヶ月分くらいの酒を飲んだ。

 で、本日のおしぼりです。都内のタクシーから撮影。

 さすがは首都・東京、レンタルおしぼりも横文字表記なのだなあと感銘を受けますな。

 どんなことも横文字で書けばかっこよくなる、という認識は根強く残っているようで。OSHIBORI。

 …本日も疲弊しているので、このへんにて失礼します。

 

3月18日(土曜) 深夜

 東京に来たからにはと思い、目黒は寄生虫博物館に足を運んできました。ふつう。

 サナダムシのランチバッグ。いいですねえ。

 このランチバッグで是非、パスタとか食べていただきたいと思います。

−−−

 すみません、東京の友人宅で飲みつぶれているのでこの辺にて。

 

3月17日(金曜)

 出張で東京にきております。

 ビジネスホテルに泊まっているのだが、昨夜、ひとりで飲みに出かけたらすっかり酔っ払ってしまった。気がつけばベッドのうえで寝ていたという体たらく。

 そういえば昨夜、酔っ払ってコンビニでジュースやらお酒やらを5〜6本買い込んだ記憶がある。で、そのまま冷蔵庫に入れた気がするので見てみたところ。

 いろいろ入っているものだから、自分で買ったのがどれだか皆目分からないんである。間違ってホテルのやつを飲んでしまったら、えらく高価だから大変なことになる。うわー、どうするよ。

 …と、ひとしきりパニックになった末、しかたなくティーパックのお茶を飲んでおります。

 しかたないから、買ったお酒はそのまま冷蔵庫に置いて帰ろう。

 翌日泊まる客がぼくの買ったやつを飲んで、フロントに申告して妙な顔をされても、ぼくの知ったことじゃあない。

−−−

 さて本日、Go smoking に書かせてもらってるコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「厄日」。とあるレストランで、タバコを吸おうとしたばかりにエラい目に遭った日のことを書いております。ぼくなりに、いろいろ大変な毎日を過ごしております。

 よろしければご覧いただければ幸いです。

 

3月15日(水曜) 深夜

 いやー、探せば楽しいサイトがたくさんあるものですねえ。

 ところで、はじめてインターネットに触れたのは、今からちょうど10年くらい前のことである。初めて買ったパソコン(Windows95マシン/Pentium166MHz)で大学のダイヤルアップにつなぎ、モデムの「ピー、ガー、ボンボーン…」という接続音とともに、たいそうスローな「ネットサーフィン」を楽しんでいたのだった。

 今から思えば、サーフィンというよりプールで水遊びしていたようなものだが、それでも当初は新鮮な世界だった。Yahoo! で当時趣味だったカメラのサイトとか見て、個人サイトに自分のカメラレビューを投稿したら採用されて大興奮したりしていた。

 デイリーアクセス20人くらいのサイトに掲載されて興奮していたのだから情けないものだが、とにかくそういう時期だったのだ(まだログが残ってるかと思ってさっき検索してみたけれど、案の定、跡形もなく消えていた)。「掲示板」というシステムさえ普及していなかった当時、「自分の書いた文章がどこかに掲載される」というだけで物凄いことだったんである。

 感動のあまり、自分の文面がアップされているページをカメラで撮影したのは、今でも秘密にしていることの一つである。

 ただ、趣味のページやエロ画像サイトをひととおり見てしまえば、あとに残るのは「インターネットなんてこんなものか」という気持ちだけだった。一部の人たちは革新的なメディアだと騒いでいるけれど、ネットなんて所詮、カメラの記事を投稿したり、エロ画像を見たりできるだけじゃないか。なーんだ、と。

 半年ほど経つと、ぼくは周囲に吹聴しはじめていた。

 「インターネットって、ひととおり見たけど大したことないね。もう飽きたわ」

 思い出すたびに、恥ずかさのあまり「ワーッ」と叫びたくなる一件である。ああオレ、なに達観してんだよ! これって赤川次郎の本を立ち読みして、「出版界って底が見えちゃうよね」とか言ってるのと同じではないか。モロクソ恥ずかしい!!

−−−

 その後、自分でサイトをやるようになり、いろんなメールをいただいたり、ネット論争に巻き込まれたりした。

 こういうことがあって、ネットとの「自分なりに快適な距離」がなんとなくつかめてきたようにも思う。情報収集の場であるとともに、延長された表現型の場とでもいいましょうか。

 となると、ぼくのサイトは髪の毛のエクステンションみたいなものである。我が国の文化でいえば文金高島田か。

 「個人サイト=文金高島田」論。もへえ。

 

3月14日(火曜) 深夜

 中国の地名にはいろいろあるけれど(当たり前だ)。

 蘇州や昆明は「ソシュウ」「コンメイ」と日本語読みなのに、北京や上海はなぜ「ペキン」「シャンハイ」と中国語読みなんだろう。「ホッキョウ」とか「ジョウカイ」なんて言ってる人に出会ったことがない。

 でも少し前、滋賀県の米原(まいばら)を「よねはら」と読んでいる人がいて、これはこれでいいなと思ったことがあります。

−−−

 本日の便器。

 小泉首相の顔写真が投げ込まれてました。

 こういう行為に対して、政治的な揶揄をくわえるのは嫌いなのでぼくはやらないけれど。

 便器に顔写真があるのって、なんともインパクトがあるなァと(実際みんな、この便器はなんとなく避けていた)。

 同じ有名人でも、これがアイドルの写真だったらまた意味が違ってきますね。

 

3月13日(月曜) 深夜

 夕食に自分で作ったカレーが猛烈に食べたくなり、会社帰りにスーパーで肉やら野菜やら買いこんで帰宅。

 で、家に着いてから気がついた。カレーのルーを買い忘れていたのだ。

 ってことは、再びスーパーまで買いに戻るしかないのだが、そうなるとカレーの出来上がる時間が大幅に遅くなってしまう。おまけにカレーは、いったん煮た後、火を止めて冷めていくときに味がなじむ性質がある。ああ、こんな悠長なことをやっている場合ではない!!

 そこでやむなく、肉と野菜をコトコト火にかけた状態のまま、スーパーまでルーを買いに出かけたのでした。

 家に火をかけたまま外出。スーパーまで自転車をこぎながら、「今は死ねない、今は死ねない…」と念じ続けておりました。いま交通事故とかに遭って死んだら、火事で死者が続出する騒ぎになるかもしれないではないか。

 ちなみに、レンタルで借りたアダルトビデオをかばんに入れてるときも、「今は死ねない、今は死ねない…」と念じている。事故検証のとき、かばんにこんなものが入っていたら恥ずかしくて死に切れないし、死んでからもレンタル延滞料が心配である。

 カレーとアダルトビデオに生死を左右される人生。まぁ、こんなものかなと思います。

−−−

 病床で死を間近にしている殿方に「まだ死なないで! もっと生きて!」と願うときは、彼のかばんにアダルトビデオを入れるのがいいですぞ。

 救急車にアダルトビデオを! ERに煮込み中のカレーを!!

 

3月12日(日曜) 深夜

 ずっとゴロゴロ過ごした日曜日でした。

 本日の様子を、写真日記の形にしてみました。

◆朝:11時に起床
郵便受けに入ったままになっていたチラシに目を通す。液晶テレビなど買うつもりもないけれど、なんとなく見てしまう。
ところで、画面に貼り付けてある大リーグの画像、どうして「バントのシーン」なんだろう。選手が見たら「スイングしてる写真にしてくれよ!」と立腹するんじゃないか。
 
◆昼:寝床で雑誌とか読む
エステの広告にこんなのがあった。全身をサランラップで包まれたまま一時間も過ごすとの旨。
…これって「気がつけばウトウト」するもんなんでしょうかねえ。
 
◆夜:借りていたビデオを見る
屈強の男たちが、眼鏡をかけるかかけないかで、殴り合いの大ゲンカをしていました。ジョン・カーペンター監督『ゼイ・リブ』のワンシーン。
いやー、映画って本当にいいものですね。失笑。
 

 ぼくは休日が好きです。キリンさんよりもずっと好きでーす。

 

3月10日(金曜) 深夜

 「自然の摂理」を大切にする人たちがいる。

 彼らは森林破壊や工場建設に大反対だし、人工中絶にも遺伝子操作にも大反対である。

 いやまァ、どんな意見を持とうと個人の勝手だからべつにいいのだけれど、こういうのを見聞きするたびにいつも思う。

 「自然」っていったい何なのだろう。人類だって自然の一部なのだから、人間がやることなすこと全て自然の範疇なのではあるまいか。

 「いや、地球本来の姿こそが自然なのだ」と反論されるかもしれない。だが、それを言うなら、生命の出現そのものが自然を損なっていることになる。もともと精悍な岩肌に覆われていた地球を、植物めが勝手に覆い尽くしてしまったのだから。

 「そうではなくてバランス・調和の問題だよ」とおっしゃる向きもあるだろう。だとしたら、かつて恐竜の絶滅を招いたとされる隕石衝突なんかはどうなるのか。隕石の衝突は自然の摂理に反する! なんて言いはじめたら、それこそワケが分からないではないか。

 地球の環境を変える力を持つのは、なにも人間だけではない。それをいうならビーバーだって、川にダムを作るなど自然破壊もいいところである。人類は環境を変える力がずば抜けて高くなったけれども、あくまで程度の差であって、つきつめれば質的な違いではない。

 それに、アフリカなんかの飢餓難民はどうすればいいのか? 特定の地域に大量発生した種は絶滅するのが自然の掟であるから、だったら彼らも、絶滅させるのが自然の摂理ということになる。自力では生きられない障害者だって、社会に貢献できないなら死になさいってことになってしまう。

 「そうじゃなくて。生命を大切にしながら、地球との共存をはかろうって言ってんだよ!!」とお叱りを受けるかもしれない。

 しかし、我々が工場排水を海に流せば、プランクトンたちは増殖できるのだ。プランクトンの生命を尊重するなら、工場排水だって大切にしてしかるべきだろう。プランクトンの命は自然の摂理に関係ないけれど、我々が食用としている魚たちの命が減るのは自然の摂理に反するのか。

 要するに、こういうことなんだろうと思う。

  1. 異常繁殖した種は滅びるのが自然の摂理である
  2. 人類は異常繁殖の最たるものだけれど、自分たちは滅びたくない
  3. でも、こういう言い方をすると恥ずかしいから
  4. 人類の異常繁殖がなるべく長く続きそうな環境を「自然」と呼んで大切にしましょう

  …いやもちろん、ぼくだって命を永らえたいし、人類も滅びなければいいなと思ってはいる。ただ、本来なら羞恥がちに述べるべきこういう利己的な主張を、「自然の摂理を守ろう」なんて風にすり替えて正義ぶっている人たちが、なんとも気持ち悪いなあと感じてしまうわけでありまして。

 「自然の摂理」の大切さを声高に訴える人たちの登場も、自然の摂理の最たるものなんですけどね。一周して有言実行。

 

3月9日(木曜) 深夜

 職場でちょくちょく行う計算業務がある。

 これまではみんな電卓を叩いて手計算していたのだが、パソコンが得意な社員F君が、イントラ上のウェブページに計算処理フォームを作成してくれた。ここに数値を入力して実行すれば、煩雑な計算を瞬時にして行ってくれるのだ。

 で、これは便利だというので社員の多くが使い始めたわけでありますが。

 このフォーム、F君が仕事の合間に趣味で作ったものながら、「計算を実行すると炎が燃えさかる動画の中、回転しながら数値が現れる」という凝った設定になっているのだった。もちろん彼なりの冗談なのだが、社員たちにとっては計算値さえ分かればいいのであって。

 その結果、「燃えさかる炎から回転しながら出てくる数字」がごく当たり前のようにパソコン画面に登場するようになり。

 でも、このことを誰も気にしない。「数値さえ分かればいい」という合理主義の中では、「なんで炎が現れるわけ?」という素朴な疑問さえも出てこないのだ。一方F君のほうも、いまさら作成しなおすのも面倒なのか、そのまま放置して我関せずである。

 定型業務なだけに、うちの職場では数年後もこのフォームが使われ続けているんだろうなァ。

 4月に入ってくる新入社員たちもきっと、先輩から当然のように、「このフォームを使うといいよ」と教えられることだろう。

 

3月8日(水曜) 深夜

 超音波の電動歯ブラシを使っておるわけでありますが。

 いままでのクセでつい、歯ブラシを激しく前後に動かしてしまう。超音波なんだから本体を動かしたって同じなのに。

 そういえば掃除機のノズルも、かなり激しく前後に動かしている。モップで床を拭くときの感覚が身にしみているのだ。

 無駄と分かっていても、激しく動かさないと気がすまない。

 こういう人間の性を、エネルギーとしてうまく利用できないものだろうか? つい手を前後に動かしてしまう習性を利用して、電力を使わずに歯を磨くとか、床を掃除するとか。このような道具を作れば大ヒットするのではないか。

 …書いてる途中でおかしな点に気がついたけど、気がつかないフリして突っ切ってみました。

−−−

 さっき「ちょびひげ」を漢字変換しようとしたら、「著美卑下」になった。

 三島由紀夫のような絢爛たる文体で、自分のことを悪く言ったりするんだろうか。

 ためしに、『仮面の告白』から一部抜粋。

幼少時代の病弱と溺愛のおかげで人の顔をまともに見上げることも憚られる子供になっていた私は、そのころから、「強くあらねばならぬ」という一つの格率に憑かれだしていた。そのための訓練を、私はゆきかえりの電車のなかで、誰彼の見堺なく乗客の顔をじっと睨みつけることに見出した。

 おなじく『仮面の告白』の有名なくだりからもうひとつ。

その絵(セバスチャン図:筆者注)を見た刹那、私の全存在は、或る異教的な歓喜に押しゆるがされた。私の血液は奔騰し、私の器官は憤怒の色をたたえた。この巨大な・張り裂けるばかりになった私の一部は、今までになく激しく私の行使を待って、私の無知をなじり、憤ろしく息づいていた。私の手はしらずしらず、誰にも教えられぬ動きをはじめた。

 …たしかに「著美卑下」文学かも。生前の氏にこんなこと言ったら、切腹を命じられそうだけど。

 

3月7日(火曜) 深夜

 本日のピンクビラです。

 「いつか出現するだろうな」と心のどこかで思っていたものが本当に現れると、意外とインパクトがあるなあと。見たとたんヘナヘナと力が抜けて、なにをする気も失せてしまいましたよ。淫乱・オブ・ジョイトイ。

 ピンクビラってその場で捨てる最たるものだけれど、「捨てるものほど時代が経つと貴重になる」というのは、ぼくが人生で学んだ数少ない事柄である。ピンクビラもこうしてアップしておけば、10年も経てばけっこう芳ばしいことになるんじゃなかろうか。

 …こんな日記を10年後も書き続けてるほうが、よっぽど芳ばしい気もいたしますが。

−−−

 職場の同僚に、昼休みになると「仏教のありがたい説教」ばかり喋ってくるAさんという人がいる。

 たしかにいい話なのだけど、正直いって猛烈につまらない。「他人の苦しみが分かる人は自分も幸せになれる」なんて言われたって、はァそうですかとしかコメントのしようがないではないか。せっかくの昼休み、こちとらその場に居ない人の悪口で盛り上がろうと思っていたのに、これでは興ざめである。

 おまけにAさんは、ありがたい説教を一方的にしゃべるばかりで、相手の話をちっとも聞こうとしない。それでいて本人は「みんなのために素晴らしい話をしてやってるんだ」と思っている風であるから、もうどうしようもないなと思うばかりである。こんなやつに他人の苦しみ云々言われたかない。

 ただ、こんな困ったAさんをめぐる周囲の人間模様は、見ていて結構おもしろい。

 当のAさん(説教マン)は、自分のことを「みんなのヒーロー」だと勘違いしているわけだが、それはさておき。

 営業のCさん(口上手)もまた、自分のことを「Aさんのつまらない話を親切に聞いてあげてるヒーロー」だと思っている節が感じられる。

 しかし、同席しているBさんもDさんも、こんなCさんに哀れみの表情を投げかけるばかり。傍から見たら、調子よく話を合わせてるせいでAさんから集中攻撃されているCさんは、「スケープゴート」以外の何者でもないんである。

 「自称ヒーロー、他称スケープゴート」

 こういう人がいちばん可哀相だと心から思います。Cさん、なんだかしんどそうだし。

 ちなみにぼくは、「ニコニコと偽善の笑みを浮かべながら、ひそかに観察して味わう」派です。最低、の一言に尽きると思います。

 

3月6日(月曜) 夜

 本日は、お待ちかねの啓蟄(けいちつ)ですな!! どれだけこの日を待ちわびたことか。

 テレビでニュースをつければ、そこはもう。女性アナウンサーが口々に「けいちつ」「けいちつ」言って。いやー、たまりませんな!!

 …って、こんなこと、みんな(でもないけど)が言ってそうなことだけれど。昔から多くの人々から愛されていることには、やはり他にはない「良さ」があるのだなァと実感した一日でありました。

 ええともちろん、啓蟄のことです。

−−−

 ちなみに学生時代は、「賄賂」(わいろ)や「白色矮星」(はくしょくわいせい)も、同様に楽しみなコトバだった。

 だが気がつけば、こんなコトバではちっとも興奮できない自分になっている。今ではもう、「啓蟄」レベルでないと満足できないのだ。

 これがとりもなおさず、「三十路を過ぎて大人になる」ということなのだと思う。寂しいけれど、人間は成長するのである。

 …さて、もういちど女性アナウンサーの「けいちつ」を聞くためにニュースを見るとするか。ブランデーとペルシャ猫を片手に(これはウソ)。

 

3月5日(日曜) 深夜

 所用があったので、レンタカーで車を借りて。

 車を借りるとき、店の人から説明を受けた。

 「この車両は新型ですので、キーがクルマの近くにあれば動きます」
 「キーを携行して、そのまま始動ボタンを押していただければOKです」

 わー、すごいなあと感動しつつ。受け取ったキーをクルマに置いて、スタートボタンを押したみたら、そのままグオーンとエンジンがかかり。

 いやー、すごいですねえ。マイコンが内蔵されたキーを持っているだけで全てOKとは。なんだか、ドラクエとかで「○○の石」を持ってるだけで門が開くような、自分がRPGの主人公になった気分である。レンタカーだけど。

 …というわけで小生、すこぶる機嫌よく目的地までドライブしておったわけでありますが。

 途中で猛烈におしっこがしたくなって、コンビニに立ち寄ったときに大焦りした。あれっ!? キーってどこに置いたっけ!?

 探せば探すほど全然見つからない。たしかダッシュボードのあたりに置いたはずだけど、いくら探しても見つからない。しかし迫りくる尿意。ああ、もう限界だよ神様!!

 おかげで、貴重品やらノートパソコンやらすべて持参してコンビニに入って。トイレを貸してもらってるときも、車のことが心配で心配で。なにしろ今、だれでもアクセルを踏めば車は動いてしまうのだ。

 で、猛烈な勢いで尿を出して。あわててレンタル車までダッシュして。

 結果的には何事もなかったのだが、便利なモノには裏があるなあと実感した本日でありました。

−−−

 レンタカーを返しにいったとき、店員に「実はキーをなくしてしまって…」と正直に申告した。ちゃんと車に乗ってきてるのに。

 すると店員総出で車内を探してくれて。

 「車が動くってことは、この近くにキーがあるってことですから!」
 「あっ、ありました!!」

 ダッシュボードの下の隅に、キーは埋もれておりました。

 店員いわく、「こういうのって、よくあることなんでお気になさらないでください。お客様の無事が何よりですから」

 …ウソつけ。どうせ「今日もまた莫迦がいたよ」とかって、社員同士で莫迦にするんだろ!!

 

3月3日(金曜) 深夜

 酔っ払ったけど更新。

 大友良英さんのライブに行ってました。

 そりゃあもう、ギターの弦にナイフを挟んで弾いたり、ギュイイーンと高速でかき鳴らされるリズムが内臓に響いたりで、かっこう良いことこの上なくて。おまけにその音色が繊細かつダイナミックで、「ちゃんと音楽を知ってる人が演奏するノイズ」という、惚れ惚れする演奏だったわけでありますが。

 かっこいいモノを見ると反射的に、エントロピーが頭にもたげてしまい。

 ガーッ! と盛り上がってるかっこいいノイズを前に、ついつい勝手な曲名をつけながら聴いておった次第でありまして。

「モンゴリアン・ファック」
「母を亡くしたイルカ」
「ナウシカ危篤!」
「うどんが好きな妻」
「猪木・盆梅会(ぼんばいえ)」

 小生はとうとう、ノイズさえも素直に楽しめなくなってしまったのかと、兜の緒を締めておる次第にて。

 ああ、本当にかわいそうだ。自分が。

 

3月2日(木曜) 深夜

 小学校の頃、知り合いのおばさんから「ヤシの木の種」をもらったことがある。

 ヤシの木といえば、南国の海辺なんかに高々と生えてる「あの」木ではないか。あの木がいよいよ、ウチの庭に生えるのか!!

 すっかり興奮したぼくは、さっそく鉢に植えることにした。で、親にねだって直径50cm、高さ70センチくらいある莫迦でかい植木鉢を購入し、種を埋めて水をやったり肥料をやったりしはじめたのだった。

 1週間くらい経ったころ、かわいい双葉の芽が出てきた。うおっ!! …と思ったら2週間後、双葉は4センチくらいのまま枯れてしまった。

 残された莫迦でかい植木鉢には、しかたないので玉ねぎを植えた。

 …というのが、本日ふと思い出してしょんぼりしたエピソードです。

 このまえ実家に帰ったら、当時の莫迦でかい植木鉢は、庭のゴミ箱として利用されてました。

−−−

 さて本日、Go smoking に書かせてもらってるコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「警告づくし」。 たばこの箱に印刷されている警告メッセージに触発され、さまざまなモノに親切極まりない警告メッセージをつけてみた特集です。ああ、我ながら善意のかたまりです。

 よろしければご覧いただければ幸いです。

 

3月1日(水曜) 深夜

 電車に乗っていたら、前の席に座っていた40歳過ぎの中年男性が、部下と思われる若い男性に喋りはじめた。

「この前、村上龍って作家の小説を読んだんだけどね」
「はァ」
「私は人を褒めるってことをあまりしない人間だけども、村上龍ってのはなかなか面白いね!」
「は、はァ…」

  どう返したらいいのか困惑したまま固まっている部下の姿が、「久しぶりにええもん見させてもろたわ!」でした。

  でもまぁ、知らないものは褒めようもないですわな。

−−−

 そして本日のエビです。

 小さな車えびが、一尾だけパック詰めされて。車えびなのに80円。さみしいのう。

 一体どういう人がコレを買うんだろう。酔っ払ったお父さんなんかが買って帰るんだろうか。

 「おーい、みんな! 今日は車えびを買って帰ったぞ!!」

 


   2006年2月のプチ日記 

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