2005年7月のプチ日記

7月31日(日曜) 夜

 なんかダルいのう。

 まァ小生の場合、ダルさこそが「生きてる証」なので。

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 某所で見かけた願掛けです。

 まったく身も蓋もない願い事だけれど、結局のところコレなのかなと思わせる潔さがありますな。

 では、A君が「全世界の女性が自分だけのものになりますように」と願掛けし、B君も同じように願掛けしたらどうするか? こういうときこそ、神様の腕の見せどころなんでありましょう。神様に不可能はないんですから。

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 ちなみにぼくは、願掛けなどしない主義なんですが、書くとすれば「なるべく全体的に楽な人生を送れますように」と。

 こういう人間が増えたら人類の進化も打ち止めという気がするけれど、進化が善いことと決まってるわけでもないですからねえ。

 人類が滅びたら、その代わりになにか「善いこと」が起きるかもしれません。核戦争で地球が放射能だらけになったら、そこから「放射能や熱にめっぽう強い新しい生命体」が誕生・進化して、逆にどんどん宇宙へ進出していけたりして。結果的に、地球で生まれた 「生命」が長らえることになったりして。

 今のところ、物の善悪は我々人間が決めているので、こういうのは「ダメな事」とされるんでしょうけれど。

 

7月30日(土曜) 深夜

 朝まで飲んでたのでクタクタになっております。

 朝5時までカラオケで飲んで閉店になった後、「次はどこで飲む?」とか言ってしまう暮らしをどうにかしたい。

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 先日スーパーで見かけた「うなぎづくし」です。

 全部あわせても、せいぜいうなぎ五分の一匹分くらいだろう。臆面もなく「うなぎづくし」と銘打てる厚顔さに、惜しみない拍手を送りたい。

 このぶんだと、マグロの刺身が三切れほどあれば「マグロづくし」が作れそうですな。

 では本日はこのへんにて。

 

7月28日(木曜) 深夜

 本日のエロくないビデオ。

 "The Hill"かと思って手にとってみたら(丘の話ってどんなのだろうと)、なんのことはない、血を吸う「ヒル」が巨大化して人間を襲う話でした。

 「ザ・蛭」

 クローネンバーグ監督の名作映画「ザ・フライ」も、この方式でいくと「ザ・ハエ」になりそうですな。

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 ところで、ヒルといえば雌雄同体の動物である。

 どの個体もそれぞれ、チンコとマンコの両方を備えているのだ(こういう形状ではないと思うけど)。

 これだけでも相当に羨ましい話だが、さらに彼らの交尾は、お互いの精子と卵子を両方とも交換しあうのだという。人間であれば、お互いに「入れつ入れられつ」のコンセント状態、P感覚とV感覚の同時来襲! まさに盆と正月が一緒においでなするような、怒涛の悦楽タイムではありますまいか!!

 ああ、私はヒルになりたい。

 …でも本当にそうなったら、つい己がマンコに己がチンコを入れてしまって妊娠して、自分のクローンができてしまうんでしょうな。

 「寂しいから今日も入れちゃおうっと」「やっぱゴム付けなきゃヤバいかなあ」「でも安全日っぽいし」「自己責任ってことで!」とかなんとか独り言ちた挙句に、できちゃったオナニー。

 自分がもう一人できるなんて真っ平というか、第一その子が可哀相すぎる。やっぱり小生はヒルでなくてよかったのかもしれません。

 

7月27日(水曜) 深夜

 最近、シモネタをあまり書いてないじゃないかというお叱りを受けたので。

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 先日、知人数人と飲んでいたとき、「マンションの隣室からアエギ声が聞こえてくる」という話題になった。

 で、「それっていいよなァ」「うらやましいね」などと喋っていたのだが、そのうちS君がこんなことを口にした。

 「でも考えてみたら、逆にウチの部屋の声も聞こえてるってことだよなあ」

 そして急に恥かしがりはじめたわけですが。

 こういうときこそ、アダルトビデオのせいにする作戦をとればいいのではないか?

 そういや某オークラ系の有名ホテルでバイトしていたことのある人から聞いた話だが、名のあるホテルにも必ずアダルトチャンネルが設けられているのにはワケがあるんだという。なぜなら、「隣の部屋から妙な声が聞こえるんだが」という客の苦情に対して、「有料チャンネルをご覧になっておられるんだと思います」という言い訳ができるようにという理由なんだそうで。

 S君の場合もこれと同じく、アダルトビデオのせいにすれば万事解決ではないか。これはこれで恥かしいかもしれないが、自分たちの生身の声だとバレるよりは数段マシだろう。そうすりゃ思う存分、声を大にしてプレイにいそしむことができようというものだ。

 ただし、普通に「いたして」いるだけでは、敵はビデオだと思ってくれない。アダルト作品だと思い込ませるには若干のテクニックが要される。

 最も効果的なのは、次のようなセリフをちりばめることだ。

 「まずはスリーサイズから教えてもらおうか」
 「ビデオに出演しようと思ったきっかけは?」
 「じゃあ、ちょっと脱いでみようか」
 「ほうら、もうこんなになってるよ…」
 「うっ、うっ! どこに出してほしい? 顔? 顔だね?」

 彼女相手に毎回こんなこと言わなきゃならないとなれば、鼻白んで興ざめになって、自ずとプレイせずに済んでしまいそうですけどね。

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 そして、本日のAVコーナーです。

 「〜ほんとにあった! エロいビデオ」

 どうやら心霊モノのようですが、まあ特に言うようなことはありません。そりゃまあ、あるだろう。

 

7月26日(火曜) 深夜

 職場の後輩F君の食が最近細い。

 で、失恋でもしたのかと思って、喜びを隠しながら「どうしたの? 大丈夫?」と訊いてみたところ。

 「いやぁ。彼女から近頃おなかが出てきてるよって言われてね」と微笑みながら返されました。

 なあんだ訊くんじゃなかった。おまえなんか栄養失調にでもなれ。

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 ところで、週刊誌の「読者の声」みたいなのを読んでると、ずいぶんエラソーな投書をよく見かける。

 政治家に猛省を促していたり、有名人に説教していたり。アンタの説教どおり世間が変わるんだったら、とっくの昔に素晴らしい世の中になってるよと言いたくなるけれど、それはさておきふと思う。エラソーなこと言うのって楽しそうだなァと。

 そこで今回は、全くの門外漢であるぼくの立場から「弁護士の君たちへ」と題する投書をしたためてみたい。

弁護士の君たちへ〜

君たちはいつも大変だね。やれ相談だ、やれ裁判だと、日々がんばっているのは何となく知っている。

そりゃ辛いことだってあろうだろう。ビールでも飲まなきゃやってられない日だってあるだろう。赤ちょうちんに立ち寄りたくなる日だってあるかもしれない。自棄になって全裸で街に飛び出したくなることがあったって不思議じゃあない。

でもね、ぼくは人生の後輩として、これだけは君たちに言っておきたい。「その苦労は決して無駄にならない。いや、その苦労こそが君たちを成長させるんだ」って。

たとえば、被告を弁護して無罪を勝ち取る。これって、とてもやりがいのあることだと思うんだ。どうかその喜びを大切にしてほしい。そして、自信を持って欲しい。君たちの仕事は、みんなの役に立っているんだということを。

ときには戸惑うこともあるかもしれない。道に迷うときがあるかもしれない。そんなときは六法全書をひもとくがよい。そこにはきっと、法律に関する多くが書かれているはずだ。六法全書を読み解く力が、君たちには備わっているのだから…。うん、きっと大丈夫!!

でも、働きすぎには要注意だぞ。疲れているとしんどくなる。しんどくなるとがんばれない。これはぼくが学んだことだから本当だよ。

以上が弁護士の君たちへのメッセージだ。そうそう、夏カゼ防止には大根おろしがいいらしいよ!!

 …ひょっとするとこれは、セルフ羞恥プレイの悦楽なのかもしれません。

 

7月25日(月曜) 夜

 近所のファーストフード店頭で見かけた、本日の野菜。

 レタスとキャベツを描き分けるのに苦心の跡がうかがえるけれど、ちょっと妥協しすぎのような気もします。

 最後はついにあきらめたのか、キャベツは黄色にして区別化してるのがまた。

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 ところで、最近よく見かける、こういう農家名表示ってどうなんだろう。

 店側としては「個人名を出せるくらいに責任ある野菜を作ってもらってるんですよ」というアピールなのだろうが、見知らぬ人の名前をフルネームで書かれたところで、こっちとしてはだからどうなんだって話である。

 たとえばレタスの「小池さん」にしたって、彼が善人なのか悪人なのかなんてさっぱり判らない。どんな栽培方法がなされているのかだって、食べただけで分かるとも思えない。それとも、有名チェーンである自店の選別基準よりも、見知らぬ「小池さん」というネームバリュー(?)を信じろということか。

 農家名が書いてあると一見なんだか有り難くて安全そうだけれど、よく考えたらなんともおかしな代物だなァと。

 そもそも野菜だけ農家名を書くというのも不平等である。だったらミンチの牛肉生産者からパンの小麦農家から、すべて明記すべきだろう。

 ちなみに高校生の頃、某○クドナルドでバイトしていた友人Kは、自分のハナクソをハンバーガーにすりこんで客に出してました(残念ながら実話です)。ぼくがバイトしていたイタリア料理屋では、妙齢の女性客が注文したパスタを事前に噛んで「味見」して間接キスを目論む調理師M君というのがおりました(これも残念ながら実話です)。

 外食なんて所詮は「そんなもん」なのかもしれません。まあ、他人のハナクソ食ったって死なないから大丈夫でしょうけれど。

 …本日の日記が、皆様にとって一服の清涼剤となれば幸いでございます。

 

7月24日(日曜) 夜

 ボックス型のシーツを畳むたびに、もやもやとした不全感。

 どうがんばっても、ピシッと四角く畳めません。

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 スーパーのレジに並んでいたら、前の客(60歳くらいのおばさん)が店員ともめていた。

 「お客様、この硬貨はお使いになれないんですが…」
 「え、そうなの?」
 「ええ、これはちょっと…」
 「使えるって聞いたんだけどねえ」
 「申し訳ございません」

 レジを見てみたら、小銭にまぎれて、金色の小判が当然のように置かれていた。なんですかこれは!?

 おばさんがどういうつもりで小判を使おうとしたのか、皆目分からず精神的に参っております。

 ひょっとして、タイムマシンで江戸時代からやってきた人ですか。

 でも、おばさんは食パンを購入していた。江戸時代の人が食パンを買うとは考えにくい。

 そもそも、江戸時代にタイムマシンがあるわけないんですけどね。

 

7月22日(金曜) 深夜

 近所のレンタル屋でエロチカDVDを借りた。恥かしいので詳しくは書かないが、某若手AV女優の単体モノである。

 だが、帰宅してパッケージを開けてみたら、全然違うDVDが入っていた。某ベテラン女優主演で「アナル調教○○」などと書かれているではないか。ああ、なにが嬉しゅうて、お金払ってまで他人の肛門を見なきゃならんのだ!?

 …と憤慨しつつ、さきほど返却しに行ってきた。ブツがエロチカものだけに文句をつけるのも恥かしいので、何も言わず黙って返却したわけでありますが。

 そしたら店員から言われてしまった。「お客様、パッケージと中身が違っているようですが…」

 事情を説明したら分かってもらえたものの、今度は店員が大きな声で。

 「申し訳ございません! さっそく『××の絶頂○○○○』(借りようとしていたAVのタイトル)をご用意いたしますのでっ!!」

 一斉にこちらを振り向く周囲の客。うわー、やめてくれえー!! エロチカDVDを一本借りるのに、なんでこんな目に遭わなきゃならんのだ。

 恥かしいので「もういいです」とご辞退申し上げたところ、無料レンタル券を一枚くれた。

 そして見栄を張って、ゴダールの映画を借りました。ああもう、勝手にしやがれ!! 

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 …コホン。

 気を取り直して、本日の犬です。

 近所の犬なのだが、いつもこの姿勢でたたずんでいる。段差が前足を置くのに「ちょうどいい」のだろう。

 犬もこうして「ちょうどよさ」を味わっているのだなァと思うと、なんとも気分が和んできて。

 「ちょうどよさ」に貴賎なし。エロチカDVDでの心の傷が癒されますな。

 

7月21日(木曜) 深夜

 昨日は柄にもないこと書いてすみません。ネットで文章書いてると腹が立つことも色々あるもので。

 それはさておき、「冷やし中華」と呼ぶか「冷麺」と呼ぶか、という問題がある。地域によって呼称が異なるようですな。

 ちなみに、こちら京都ではどう呼んでいるかというと。近所のスーパーで撮った下の写真をご覧ください。

 世で言う「冷やし中華」「冷麺」は、もっぱら「野菜炒め」と呼んでおります。京都で「野菜炒め」を注文するとコレが出てきますので。

 …すみません、ウソです。もうひとつ下の写真をご覧いただければ。

 なぜかこの一品だけが「野菜炒め」の値札になっていたという次第でありまして。

 おまけに「冷麺」は298円なのに対して、「野菜炒め」は198円。迷うことなく後者を購入したのは言うまでもありません。

 なお、レジは問題なく通過できました。何の疑問も抱かなかった従順な店員に感謝。

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 さて本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回 のテーマは「コントとしての嫌煙運動」。 タバコの害についての某テレビ番組で、「タバコを溶かした水にミミズを漬けたら細長く伸びた」という実験が紹介されていたことについて、あれやこれやと書いております。またマジメに書いてしまってお恥かしい。最近、なんとなくマジメブームです。

 よければご覧くださると嬉しいです。

 

7月20日(水曜) 深夜

 小学生の頃、特殊学級というのがあった。

 ずっと「ウー、ウー」としか言えない子や、読み書きが全くできない子、四肢がうまく動かせない子などなど。そして一般学級のぼくらは、そんな彼らの物真似をしたり、「オマエってなんでそんなのなん?」と囃したりしながらも、とくに頓着することなく一緒に遊んでいたものだった。

 かくいうぼくも、当時は今以上に吃音がひどかったので、「なななな名倉」というあだ名で呼ばれていた。で、「どうして名倉は特殊学級と違うん?」などとも言われておったわけですが、それはさておき。

 小学校5年生のとき、極端な「差別反対主義者」の先生が担任になった。そして、障害児の物真似をすること、囃し立てることなどが一切禁止になったのだった。

 その結果、それまではわりと自然に彼らと一緒に遊んでいたぼくらも、なんだか腫れ物に触るようなタブー意識を持つようになってしまった。そして次第に、個人的な付き合いから遠ざかるようになってしまった次第でありまして。

 いま振り返ると、極端な差別反対主義こそなんだか不自然で、障害児たちを逆に「自分たちのカヤの外」に押しやっていたような気がする。

 外見や動作、能力などが自分たちと全然違えば、その差異に注目したり、それを話題にしたり、時には馬鹿にしたりするのは自然なことだろう。そしてその上で、常識的な思いやりをもって一緒に遊んだりするのが、本当に自然な姿だったのではないかと。

 何事もタブーになると抑圧される。抑圧されるとロクなことにならない。

 …ということを学べた点では、小学校5年のときの担任に感謝すべきかもしれないけれど。

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 そういや、以前読んだ本『ヒトゲノムとあなた』(柳澤桂子・著)に書かれていた、先天的障害についての下りが印象に残っている。

 我々人類は巨大な遺伝子のプールの中で消滅と再生を続けている。大局的には「適者生存」(自然淘汰)という生命の法則にのっとって、男女間で遺伝子を交換しつつ世代交代を繰り返しているわけだが、近年のゲノム研究によってさまざまなことが判ってきたのだと。

 言い換えば、先天的な障害者が一定の確率で生まれてくるのは、生存・進化のための「保険」ゆえなのかもしれない。ダウン症しかり、精神遅滞しかり、統合失調症しかり、筋ジストロフィーしかり。 これは我々の遺伝子が、「吉と出るか凶と出るか」というバクチ的な要素を温存していることの現われかもしれない。

 そして著者は次のように述べる。

 私たちは豊かな遺伝子プールの中から46本の染色体を与えられて、この世に生まれてきます。その染色体を自分で選ぶことはできません。誰が病気の染色体を選ばされてしまうか、また、発育の途上で染色体に突然変異が起こるかどうかは、まったくのチャンス(偶然)の問題です。人類では、重い障害児の生まれる確率は3〜5%です。(中略)

 障害を持って生まれた人は、あるいは「私」にあたえられたかもしれない病気の遺伝子を、「私」の代わりに受け取ってくれた人です。なぜ「私」にその遺伝子があたえられないで、あの方が受け取ってくださったのでしょう。それは誰も選ぶことのできない偶然の結果なのです。遺伝子というのはそういうものなのです。

 こう考えると、先天的な障害を持って生まれた人々に対して、その障害にタブー意識を持つよりもむしろ、損な役回りを引き受けてくれたことへの感謝の気持ちが湧いてこないだろうか。馬鹿にしたり笑ったりしながらも、心のどこかに感謝の気持ちを持っていれば、おのずと自然な人間関係につながっていくと思うのだけれど。

 卑近な例にたとえるなら、これは小学生の頃、損な役回りばかりな「遠足委員長」をクジ引きで当てられるようなものである気がする。誰もやりたくないんだけれど、クラスに一人は必ず選出さ せられるという。

 担任の小間使いばかりさせられる遠足委員長は当然ながら、「あはは、おまえだけ集合時間前に行かなくちゃなんねえのな」「かっこわりー」なんてって小馬鹿にされる。でも、みんなどこかで、「自分が当たらなくてよかった」「代わりにやってくれてるんだ」という感謝の気持ちを持ちつつ、その存在をごく普通に受容しているのではないだろうか。

 動物界であれば自然の法則でスポイルされてしまう障害個体。なのになぜ、人類だけがそうあってはいけないのか? それの答えは、我々がゲノム研究などによって先天性障害の正体を理解したから。誰かが必ず選ばれる遠足委員長のようなものと判明したから。…とも言えるのではないか。

 ぼくは障害者ネタも差別ネタも大好きである。「クジ引きで遠足委員長を引き受けてもらってるんだ」という感謝の気持ちを忘れないこと、その苦労を思いやることだけは忘れてはならないけれど。

 

7月19日(火曜) 深夜

 レストランなんかで、奥側のソファー席を相手に譲りあう習慣があるだろう。

「どうぞ奥にお座りください」
「いえいえ、貴殿こそどうぞ奥に」
 

 最近まで、これがどうしてなのか分からなかった。

 ぼくは手前のイス席のほうが断然好きなので(テーブルとの距離が自由に調節できるから)、相手が何も言わなければ手前に座っていた。「奥にお座りください」と言われたら仕方なくそれに従っていたけれど、心の中では「なんて自分本位な人だ!」と思っていた。

 そこで、どうしてなのか皆に聞いてみたところ、「だってソファー席のほうが快適でしょ」との返答。わあ、そうだったのか。

 なるほど、そう考えれば納得がいく。「人類はみな奥の席に座りがたるものだ」というのが前提ならば、まずは相手に奥の席をすすめるのが礼儀であろう。今まで、言われるがままに奥の席に座っていたぼくなどは、さぞかし礼儀知らずな輩だと思われていたに違いない(自己犠牲の精神だったのに…)。

 自分の感覚が多数派と異なると何かと齟齬が生じてくるけれど、でも考えてみりゃ、ぼくは大多数の人と共益共存の住み分けができるわけだ。

 これからは、レストランに行ったら胸を張って「奥の席にどうぞ!」とすすめることにしよう。思いっきり利己的な発言なんですけどね。

 

7月18日(月曜) 深夜

 個々人の音楽の好みは、胎内にいるときの母親の鼓動や胎教音楽によって決まる、という説があるらしい。

 胎児のとき頻繁に聞いていた音が、後になってからも心地よいと感じるという理屈である。音楽の好みなど歳とともにどんどん変化しているぼくとしては、こんな説はちっとも信じられないのだが(だいいちどんな根拠があるんだ?)、百歩譲ってもしそうだとしたら。

 基本的にぼくは、普段は静かな環境が好きなのであまり音楽をかけないのだが、たまに興に乗ると、アップテンポでハードなロックを聴きたくなる。しかし、ウチの両親はクラシックが好きで、ロックの類は一切聞かない。これ一体どういうことか?

 「ふだんは静かなのが好きなのに、たまにアップテンポなビートが聞きたくなる」

 ふと、妊娠中のセックスという言葉が浮かんだことだけ記しておきます。ええと、なんでもありません。

 …しかし、もしかしてそうだったのか!? そういや一曲(3〜4分)聞いただけで、けっこう満足するよなあ。

 わー、余計なこと考えるんじゃなかった!!

 

7月17日(日曜) 夜

 この週末、朝の8時半まで飲んだくれた末、這うようにして京都に戻ってまいりました。

 東京では目からウロコが落ちる情報をいろいろ知って茫然と。

 思えば今まで、メガネのレンズが少しでも汚れたらシャツで拭いていたし、ノートパソコンは電源につないでるほうがバッテリーにやさしいと思っていたし、ビタミン剤もよかれと思ってちょくちょく飲んでいた。なのにその全てがダメだったとは。

 なんとも自分らしい人生であることよ、と思うばかりです。

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 ところで、旅の楽しみのひとつに「ビジネスホテルの屋根裏観察」がある。

 …と話しても一発で分かってもらえたためしがないのだが、ほら、ビジネスホテルって浴室がユニットバスになっていて、上部がパカッと開くようになっておりましょう? で、それを開けてみると、かつて宿泊していた客がいろんなモノを隠したりしていて楽しいんでありますよ。

 ちなみに、今回宿泊した東京・蒲田のビジネスホテルでは、こんなものが隠されてました。

ジュースの空箱。しかしなぜ、わざわざ屋根裏に隠す必要があるんでしょうか。
 
さらに奥のほうにはエロ本が。ゴミ箱に捨てるのが恥ずかしかったんでしょうな。
 
どんなエロ本か気になって調べてみたら十年以上前の出版でした。ずっと屋根裏に眠ってたのか!?
 

 ちなみに数年前、福岡県のビジネスホテルに泊まったときは、とんでもないものが隠されてました。

女物のハンドバックが!!
 
中身は化粧品、名刺、通帳 etc...ヤバそうなものばかり。持ち主はデリヘル嬢と判明。しかし何故に? ひょっとして事件の匂い!?
 
こんな錠剤も出てきて。フラジール膣錠。性感染症の外用薬のようで。
 

 ビジネスホテルの屋根裏に隠された品々と向き合って、その背後にあるストーリーを思い描く。…独りで泊まっていて退屈な出張の夜長、これだけでちょっとした酒の肴になりますよ。

 皆様もよければ調べてみてください。もしかしたら死体とか見つかって、一生の思い出になるかもしれませんね。

 

7月15日(金曜) 夜

 現在、東京のネット純喫茶にて過ごしております。

 そして、さっき見かけた注意書き。

 この状況で「飛び出し注意」って何かと思えば、車が急に飛び出して来ますよ、ということらしい。

 車を運転してるいい年した大人だって、飛び出すのだ。飛び出しには通行者のほうが注意しなければならない。歩道を歩いてるチビッ子だって、車の飛び出しには注意しないといけないわけである。

 消防車を置いてる消防局なんかも、車庫に「飛び出し注意」と書いておいたほうがいいかもしれませんな。

 …と、東京まで来て、ひとしきり文句だけつけたところでこの辺にて。

 いまから飲みに出かけます。

 

7月14日(木曜) 夜

 まだ蒲田に泊まっております。

 さっき近くをブラブラしていたら、京都では140円する歯ブラシが80円で売ってあったので、思わず何本も買ってしまいました。東京まで来て歯ブラシまとめ買い。

 すごい得した気分を味わっているのだけれど、なにか間違ってるでしょうか。

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 さて、本日撮った写真です。

 まずは、大井町のマルイ(数年前まで「オイオイ」だと思ってた店)にて。

 こちらでは、西友とスタバは「女の館」で、マクドナルドとダイソーは「男の館」ってことになっているようです。なんだか猛烈に釈然とせず。どうしてダイソーが男の館なんだ!?

 お次は、蒲田で通りすがった建物。

 レンガ造りの礼拝堂のような建造、そしてランプが光るクリスマスツリーのような木。てっきり教会かと思ったら、よく見れば中庭に仏像が置かれてました。なんですかこれは。

 いやまァ、わが国は多神教の民族であるから、「キリストも神、仏様も神、養殖ウナギも神」という理屈で全然構わないのかもしれませんが。

 ちなみにぼくにとっては、今のところエアコンが神であります。設置場所も仏壇っぽいし。

 

7月13日(水曜) 深夜

 東京は蒲田に宿を定めて泊まっております。インターネット環境完備のビジネスホテルなもので。

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 ところで本日、打ち合わせの用事を済ませたあと学生時代の友人と飲んでいたわけですが。

 予約していたホテルに夜の11時半頃行ったら、「もう部屋はないよ」と言われた。

「だってアナタ、夕方6時にチェックインってことなのに、今まで連絡なかったでしょ。だからさっき、当日のお客さんの予約入れちゃったよ。つい20分前の話」

 そんなァー。いまさら宿無しなんて、いったいどうしたらいいんだよ!?

 あまりに突然の展開に茫然としていたら、ホテルの主人いわく。

「そうかー。うーん、ラブホテルでもいいなら知り合いに頼んで、同じ値段で泊めてあげられるかも」

 おお、そうですか! 一人でラブホテルに泊まるのは情けないけれど、でもきっとダブルベッドだろうし、お風呂も妙に広いだろうし、おまけにエロチカビデオなども見放題ではないですかっ! 

 …と俄然ハッスルしかけていたところ。再びホテルの主人、

「ただ、さっきのお客さんも20分前に今から行くって連絡があったきり、全然来ないんだよね。あと10分待っても来なかったら、アナタに泊まってもらうことにするから」 

 そして、幸か不幸か10分待っても当日客は訪れず、ぼくはこうしてラブレスホテルに泊まっておる次第であります。

 ま、宿にありつけたことに感謝しよう。シングルベッドでふて寝します。

 

 

7月12日(火曜) 深夜

 明日から出張でしばらく関東方面に出かけるのでバタバタしております。

 …といっても、新幹線の中で時間をつぶすための文庫本を選んだり、ノートパソコンに映画のDVDを落としたりしてるだけなんですが。

 文庫本2冊に映画3本。いったい何時間、新幹線に乗るつもりだオレは!?

 ただ、自宅にいるとゴロゴロしてるほうが楽なので、読書や映画鑑賞などといった面倒なことはやる気が起こらない。そして気がつけば、電車の中でないと読書も映画鑑賞もできない体質になっている。

 こういうのって「自宅だと勉強できない学生」みたいだけれど、「電車の中でないと何もできない」って、面倒くさい神経症みたいだなァと我ながら。

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 そういや、ストイックな環境のほうが勉強や仕事がはかどるとよく言われる。

 自宅にいればゴロゴロしてしまうし、図書館に行けば関係ない雑誌とか読んでしまう。ファミレスに行ったら行ったで、食いたくもない料理を逃避的に注文してばかりで仕事がはかどらない(いずれも実経験です)。

 その点、新幹線なら相当ストイックである。余計な雑誌など車内には置いてないし、料理も時折やってくる車内販売のみ。車窓からの風景だって、在来線に比べれば新幹線のそれはつまらないことこの上ない。

 いや、こう考えると飛行機のほうが一層いいかもしれない。なにしろ途中で降りれないし、窓からの風景は青い空のみ。携帯メールだって使えない。エコノミー席だとゴロゴロするなんて絶対無理である。

 これだけ世俗的な誘惑から隔離される空間というのは、他にあまり存在しないのではあるまいか。

 勉強や仕事をはかどらせるために図書館やファミレスに出向く人をたまに見かけるけれど、やはり飛行機だろう。

 勉強するためだけに音速で移動、自分を現代娯楽から隔離するためだけの科学技術。こういう歪みかたは「悪くないネ!」と思います。

※ただし、ノートパソコンからソリティアとかを削除しておく、という前提つきですが。あと、機内での映画上映なども本末転倒(?)であります。

 

7月11日(月曜) 深夜

 職場で「リポビタンDのDってどういう意味なんだろう?」という疑問が話題になった。

 で、「ビタミンDが入ってるんじゃないの?」「いや、ダイナマイトのDだろう」「デンジャラスのDかも」などと諸説入り乱れた挙句、じゃあネットで検索してみようというコトになったわけでありますが。

 「リポビタンD 成分」とのキーワードで検索しても、ビタミンDが入ってないことは分かったものの、何のDなのかは分からなかった。そこでぼくが「リポビタンD 語源」のキーワード検索を提案して、同僚が実行してみたところ。

 プチ日記が2番目にヒットしてしまったのでした(リポビタンDの語源についてなど全く書いてないのに)。わー、やってもうたがな!!

 上司はぼくのサイトのことを知っているので、見て見ぬふりをしてくれたのだが、パソコンを操作している同僚たちは「上位から順番に見ていこうよー」なんて言い始めて。そして部署の人たちみんなが見守るなか、ぼくの日記がブラウザに登場して…。

 「あれ? これってもしかして…噂に聞く、名倉さんが書いてるっていう日記じゃない!?」
 「わー、ほんとだ!!」

 ぼくが余計なことを言ったばかりに、瞬時にして部署内の全員にプチ日記の存在を知られてしまい。ああ、自分で自分を罵倒したい。

 …とりあえず先手を打って書いておきます。うんこ、ちんぽ、陰核、アナール! なんの先手だ!?

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 ちなみに、リポDの語源ですが。

 一番目にヒットしたページによれば、「デリシャス・ダイナミック・ドリンクの意味を込めた頭文字のDの合成語」とのことです。ふうん。

 辱めと引き換えに知った豆知識が、デリシャス・ダイナミック・ドリンク。

 なんとなく、これまでもこういう人生だったなあと思います。

 

7月10日(日曜) 夜

 夏のボーナスでサイクロン式掃除機を買った。おお、猛烈な勢いでゴミを吸い込むぜ! ロックだぜ!!

 …それにしても、まさか自分がボーナスで掃除機を買う大人になるとはなァ。

 まだ稼ぎのなかった学生時代のぼくは、社会人になってボーナスが入ったら、オーディオとかマウンテンバイクとか楽器とか、そういう趣味的なものを買うようになるんだろうなと漠然と思っていたはずなんだけど。

 もしタイムマシンがあったら、学生時代の自分に言ってやりたい。おまえは将来、ボーナスで掃除機を買うんだよと。

 人生、なにか違う方向に進んでいるような気がする昨今。

−−−

 話は変わるが、ぼくは外見にあまり頓着しない人間だと思われているらしい。

 で、同僚の女性なんかがたまに言ってくるわけです。

 「眉毛とか手入れしてる男って、なんかイヤだよねー」
 「でも名倉くんとかは、そういうの変に気にしてないくていいよね」

 こういう風に言われると悪い気はしないのだが、実を言うとぼくだって、ムダ毛剃りカッターでチマチマと手入れしている。放置しておくとゲジゲジ眉毛がつながらんばかりの勢いなので、みっともなくない程度には整えているんである。

 …てなことを正直に申し上げたところ。

 「えー、そうだったんだ!」
 「でもなんていうか、名倉くんはそういうのじゃないから大丈夫だよ」

 ええとあの、そういうのじゃないってどういうことですかっ!? 言われ慣れてるから別にいいけどさ。

 

7月9日(土曜) 夜

 おしめって、漢字で書くと「襁褓」だったのか。

 なんだかすごい強そうな字面なのに、おしめ。すごい小難しそうな字面なのに、おしめ。

 がんばって漢字覚えても、おしめ。 覚えやすい字だからいいんだけどね。

−−−

 ところで、「ありがとう」は漢字で書くと「有り難う」である。

 この語源を調べてみると、「有り難い」が会話調になったものであるらしい。で、「有り難い」はそもそも、「なかなかありそうにない」「稀にしか存在しない」という意味の言葉である。

 確かにニュアンスは分かる。なかなか存在しないものは価値が出るし、価値あるものを手に入れたら嬉しい。そして、その嬉しさを表現する言葉として、「ありがたい」「ありがとう」が発生してきたのであろう。

 しかし、こう考えると。

 「部長、お茶が入りました」「ありがとう」なんてな会話によく遭遇するけれども、これは換言すれば「キミがお茶を入れてくれるなんて滅多にないことだね」という皮肉極まりないメッセージである。部下の日々のお茶汲み行為に感謝の意をあらわすなら、「お茶が入りました」「全然ありがたくないね!」と受け答えするべきだろう。

 「いつもありがとう」なんて言い回しに至っては、これ、皆目ワケが分からなくなってくるわけでありまして。

 本当に心から「ありがとう」と言うべきは、日常ではありえないような場面に遭遇したときなのだ。それはたとえば、「電車に乗っていたら突然、見知らぬ乗客から猛烈なチョップを見舞われた」といった場面だろうと想像される。

 見知らぬ乗客:「ぐおーっ! チョップじゃあああ!!」
 あなた:「グフッ。…ありがたい!」

 ちなみに先日、職場で上司からほめられて思わず「ありがとうございます!」と答えたけれど、これなどはまさに正しい使い方であります。

 

7月7日(木曜) 深夜

 最近買った服を職場に着ていったら、同僚Fさんから珍しくほめられた。

 「そのシャツ、おしゃれだねえ」

 こんな風に言われたらもちろん嬉しいのだが、ぼくは服をほめられることなど普段ないのですっかり戸惑ってしまい。なんて返せばいいのか分からず、半ばパニックになりつつ、気がつけばこんなことを言っていたのでした。

 「いや、このシャツ、バーゲンで売れ残ってたやつですし。もう全然ダメですよ」

 向こうとしては「せっかく新しいシャツをほめてやったのに何なんだよ!?」てなもんだったろうが、こちとら言われ慣れないことを言われたもんだから、すっかり頭が真っ白になってしまったんである。

 しばらく後、Fさんから同じくファッションを褒められたA君(かっこいい青年)いわく。

 「いやー、ありがとうございます。Fさんにそう言ってもらえたら嬉しいっす!」

 そして、「これでこそ褒め甲斐があったもんだ」という表情で満足そうなFさん。くー、褒められ慣れてるヤツはまったく上手く返しやがる。畜生。

 富める者はますます富む。…人生の寓話はいたるところに転がっているからイヤになる。

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 さて本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回 のテーマは「灰皿は誰のもの?」。 ある駅前に設置されていた妙な灰皿をきっかけに被害妄想をたくましくしたお話です。あと、居酒屋の灰皿にアサリの貝殻とか入れられて降参している件についてなど。

 よければご覧くださると嬉しいです。

 

7月6日(水曜) 深夜

 昨夜、なんとなく憂うつで気分が塞ぎこむなァと思っていたら。

 本日、風邪を発症しました。喉が痛くて熱が出て。

 気分が沈むとつい、「アレが原因か? コレが原因か? それとも変化のない毎日が原因か?」などと考えてしまうけれど、今回はどうやら風邪の前駆症状だったようである。

 人の気分なんて、しょせんそんなもんだと思えば。

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 そういえば。

 うつ病だと思って精神科を受診したら、まずは身体的要因による症状でないことをチェックされる場合が多いみたいですね。

 「長年の妻との不仲が原因でうつ病になったんだろう」と考えたある男性が精神科を受診したところ、肝臓ガンが見つかり、実はこれがうつ病を引き起こしていたという事例もあるそうですし。

 だいいちこの男性、妻とはずっと不仲だったのに今まで元気だったんだから、それがうつ病の原因じゃないことくらい傍目にも分かりそうですが。

 自分のこととなると、どうしても分からなくなるんでしょうな。だいいちぼくだって、「変化のない毎日」なんて、今までずっとそうだったじゃないか!

 

7月5日(火曜) 深夜

 近所の本屋で見かけたキャッチコピー。

 その昔、「Let's 飲みにケーション!」という小っ恥ずかしいフレーズが流行したことがあったけれど、未だにこういうのが健在だったとは。

 というか、本ばかり読んでいたら、コミュニケーションもへったくれもないだろう。こんなのがアリなら、ま行活用の動詞なら何だってOKである。

 「Let's 微笑みにケーション!」なんてのがベタにありそうなのはいいとしても、

 …すみません。全部ぼくのコミュニケーション・パターンです。 って、どれもコミュニケーションじゃあないですね。

 ひとりツッコミにケーション。合掌。

 

7月4日(月曜) 夜

 本日の夕食は、自宅でちょっと豪華に「マグロの中落ち定食」。

 近所の魚屋でマグロの解体ショー&即売会があったので買ってきたのだ。

 料理屋だったら、定食で1500円くらいするんじゃないだろうか。エッヘン!(マグロは半額になるまで待って300円で購入したんですが)

 …と自慢したいところなのだが、我が家には今、使える皿が一枚もない(最後の一枚を使い果たしたまま洗っていない。昨日の日記参照)。なので、中落ち定食はこんなことになってしまったわけでありまして。

 どれも売ってある状態のパックをそのまま利用。お米も勿論レンジごはん。味噌汁だけはどうしようもないので、食器棚の奥に唯一眠っていた、端が欠けたお碗を使用して。

 せっかくのマグロがこれじゃあなァ…。

 と思ったものの、いざ食べてみたら。

 「赤貧にあえいでるのに生活費切り崩してマグロ食ってる」という風な倒錯した感覚に包まれ、これまで以上に美味く平らげることができました。

 マツタケなんかも、発泡スチロールに入れて食ったら、倒錯した美味さにノックダウンされるかもしれませんぜ。

 料理の最高のソースは、空腹なんかではなく、食べちゃいけないものを喰う! なのかも。

 

7月3日(日曜) 夜

 洗い物が地獄のように大嫌いなので、ついつい後回しにしてしまう。

 まだ1〜2枚しか洗い物がないときは、「もう少しためてから一挙に洗ったほうが効率がいい」と考えて(というか合理化して)、とりあえず何日か先延ばしにする。

 そのうちに洗い物は5枚、6枚と増殖し、さらに汚れも頑固にこびりつき、こうなると「もう無理!」と作業自体を放棄してしまう。その結果、食べかすが発酵してにおい始めるので、それを消すために熱湯をかけたり、漂白剤をまいたりしている体たらく。

 気が付けば、洗い物を洗わずに済ますためにものすごい労力を費やしているが、すると今度は「これだけ費やした労力を無駄にしてなるものか!」という観念が働き始め、洗い物する気などますます消えうせてしまう。

 おかげで小生の台所は、オールタイム大盛況な状態をキープしておる次第でありまして。

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 なお、我が家には十数枚の皿があるものの、洗い物をしたくないので、手持ちの皿が底を尽くまで使い切ってしまう。

 今日はウインナーをレンジで暖めるために最後の一枚を使ってしまった。来客用の立派な大皿である。

 「来客用の立派な大皿に、ウインナーが数本」

 まるで高級レストランの前菜のようじゃないか。

 結果的になんだか贅沢な生活にたどりついてしまい、一人で照れて苦笑いしつつ。

 明日からの皿無し生活を想像して、ああどうしたらいいんだろうと漠然とした不安にかられております。(だったら洗え!)

 

7月2日(土曜) 夕方

 ひどい二日酔いで死にそうになっております。

 さては風水が悪いせいか。電気シェーバーを西に置いてみるか。

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 最近酒に弱くなっているのか、あまり無茶飲みすると、翌日だけでなく翌々日までしんどくなる。

 たとえば土曜日の夜に泥酔すると、日曜が二日酔いなのは当然として、月曜日までしんどさが残るから仕事がツライ。だったら飲まなければいいだろと言われそうだが、週末は飲むことになっているので、こればかりはどうしようもない。

 酒は飲みたいが、仕事がつらいのはイヤ。

 …こんな当たり前すぎる葛藤のすえ、現在のところ、「金曜日の晩に飲みすぎる」ことで落ち着いているわけでありまして。

 金曜の晩に飲みすぎれば、土曜日はしんどいのであまり飲めない。すると日曜日にはすっかり回復して、月曜日は元気に出社できる。つまり、金曜日の晩に飲みすぎるのは、仕事に対するぼくの真摯な姿勢の現われなのだ。

 なあんだ、そうだったのか! 自分をほめたい。

 


 

  2005年 6月のプチ日記 

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