2006年6月のプチ日記

6月30日(木曜) 深夜

 取引先の一人にジョウコウさんという人物がいるんですが。

 用事があったのでジョウコウさん宛てのメールを書き、送信しようとしたそのとき、思わず身震いしてしまった。

 最初の一文を「情交様」と誤変換しているのに気づかず送信しようとしていたのだ。

 第一変換が「情交」になるぼくのパソコンも問題なわけですが。

−−−

 さて、本日の貼り紙です。

 軟便もれる、腰ふらつく。正に弱り目にたたり目であるが、それにしても何ですかコレは!?

 びっくりして見上げてみたら、薬局でありました。

 ちくしょう、まんまと敵の術中にはまったわけか。悔しい。

 

6月29日(水曜) 夜

 先日の岐阜探検の際、自分用への土産に「ひょうたん」を買って帰った。

 養老の滝といえば酒、酒といえばひょうたん、くらいのつもりで何も考えずに買ってしまったものの。

 帰宅して改めて手にしてみると、いったい何に使えばいいのか途方に暮れております。

 かばんにぶら下げたりしたら一挙にダメな感じになりそうだし、携帯ストラップにするのもダメさ加減では同じだろう。ああ、げに恐ろしきひょうたんの破壊力。鋲やらチェーンやらぶら下げたパンクの人たちだって、腰にひょうたんをぶら下げるだけで全てが台無しである。パンクキラー、ひょうたん。

 となれば、ひょうたんの本来の用途は酒を入れるためであるから、飲料や調味料を持ち歩くためのモバイルグッズとして使うのがいいのかもしれない。

 …このように考えて本日、ずっと頭を抱え続けておったわけですが。

 料亭でおもむろにひょうたんから七味を振りかけるなんて恥ずかしすぎるし、怪我人にひょうたんから液体をかけたりしたらビックリして死んでしまうかもしれない。また、いざ自決の覚悟をきめたとしても、ひょうたんのフォルムを目にした途端、腰砕けになって決意が失せてしまうような気がする。

 核爆弾の発射ボタンなんかは、ひょうたんの中に入れておくのが一番かもしれませんな。

 

6月28日(火曜) 夜

 年休を利用して、岐阜・養老の滝を訪ねてました。

 今回は、そのミニ旅行記にて。

◆養老公園のウインナーで腹ごしらえ

近鉄・養老駅で下車して、歩くこと10分少々。養老公園に到着する。

露店が並んでいたので、まずは腹ごしらえに「いのししウインナー」と「しかウインナー」。

馬と鹿なら「バカ」だけれど、猪と鹿で「猪鹿」のほうがバカっぽいですな。

ちなみに「やくそうウインナー」というのも、健康的なのかそうでないのかよく分かりません。
 

◆トイレと同列の扱い

公園の遊歩道を進むとこんな案内板を発見した。「養老の滝とトイレはこちら」だそうで。

養老の滝といえば、酒が湧き出ると言い伝えられている名勝である。だが本当に酒が湧き出ていたら、周囲は酔客のゲロで大変なことになっていることだろう。

また、酒を飲むと小用が近くなるから、トイレの存在は必要不可欠とも言える。

…なんてなコトを考えてたら、養老の滝とトイレは、自分の中ですっかり不可分の取り合わせに。
 

◆ついに養老の滝が!

山道をさらに15分ほど歩くと、ついに養老の滝が見えてきた。

おおー。これが、「若い木こりが年老いた祖父のためにせっせと酒をくみましたとさ」という養老の滝ですか!!

年老いた祖父にせっせと酒を飲ませるなんて、まるで楢山節考のような素敵な話であります。

ぼくも年老いたら、ますます酒を注がれるんだろうなあ、とふと思った。たくさん保険金かけられて。
 

◆滝、そしてセルフタイマーのカップル

滝って、つまらないけれど、なんとなくジーッと見てしまうものでありますが。

そんなぼくを尻目に、カップルたちはセルフタイマーで撮影に興じておりました。

「はい、撮るよ、撮るよ!」
「もー、早くしてよー」
「はい! シャッター押したよ!」(猛ダッシュ)
「チーズッ!」(二人とも満面の笑みで)

セルフタイマーは人間を莫迦にする装置だ。


 
◆看板あれこれ

周辺にあった看板が非常に味わい深かったので。

いったい誰が描いたのか訝りたくなるような絵柄であるが、意外と沢野ひとしとかが描いてるのかもしれません。

あと、妙に巨乳な女性の絵には案の定、お決まりの落書きが施されてました。

なんでこんなにデカいのだ。

 そして本日。

 同僚に「きのう養老の滝に行ったよ」と自慢してみたら、「ふーん」という生返事で会話が終了してしまった。

 そして後から気づいた。あ、その「養老の滝」じゃなくて、ぼくが行ってきたのは本物のほう……。

 

6月25日(土曜) 深夜

 本日のペペロンチーノです。

 イタリア人に食わせてやりたい。 これが日本のペペロンチーノやっ!!

−−−

 世の「一流」と呼ばれる人々は、小さい頃からその分野に親しんでいる場合が多い。

 野球選手しかり、卓球の愛ちゃんしかり、ピアニストしかり、プロ棋士しかり。

 ただ、こういった世界は「親しむ人の絶対数」が多いから、小さい頃から特訓したからといって一流になれる可能性は低い。競争相手が多すぎるのだ。

 しかし、誰も小さい頃からやらないようなマイナーなことに幼少時から親しんでおけば、大きくなったとき、その世界で一流になれるんじゃないか。

  …こうすることによって、「天才小学生ゲートボーラー現る!!」「驚異のカスタネット奏者がいた!!」なんてニュースになるんではないかト。

 将来もしも結婚したら、子どもにはスーパーボールでもさせようかと思います。一日10時間の猛特訓。明けても暮れてもスーパーボール。

 こんな奴には、子孫など残す権利はないのかもしれませんな。

 

6月24日(金曜) 深夜

 別のところで細々と「ブログのようなもの」を書いておるわけですが。

 其処で友人から、「酒バトン」なるチェーンものが回ってきた。先日の日記で書いたミュージックバトンの亜種である。

 で、酒について書くんだったら小生も! というわけで設問に答え、そのうえで5人ほどの知己にバトンを渡してみたものの。

 アップロードしてから後悔した。こういうのって、渡された人は不快かもしれないよなァ。なにしろチェーンものだからなあ。ああ、バトン渡すんじゃなかった。

 いや、いまからでも遅くはない。バトンを渡す部分だけでも削除しておこう!

 …というわけで、半日ほど経ってから文面を削除したわけでありますが。

 ぼくがバトンを渡した人々のうち、数人は既に、「名倉さんからこういうものが回ってきて〜」と前置きして回答をつけてくれていた。なのに、リファー元であるぼくの「ブログのようなもの」には、そんなことは一言も書かれていない(なにしろ既に削除されている)。バトンを渡された人からすれば、一体なんだよ? てな話だろう。

 気を使った結果、逆に相手に恥をかかせて自分の印象を悪くする。

 振り返ってみると今までの人生、こういうことばかりだったような気がします。自分らしく生きております。

−−−

 ちなみに、ぼくの「印象に残っている酒」は、学生時代に一気飲みした90度のウォッカであります。

 その時点ですっかり酔っ払っていたこともあり、コップ一杯ほど(180ml程度)の「それ」をグッと飲み干してみたところ。

 翌朝気が付けば、真っ黄色の液体を口から垂れ流して、身動きがとれなくなっていたのでした。さながら金縛り状態で、とにかく身体の筋肉が動かない。あまりのつらさと吐き気に耐え切れずトイレに立とうとするも、それすらできず、ただただ黄色い汁を口から垂れ流す芋虫のように。

 おまけに周囲の者に聞いてみたら、飲み干した直後から言動がおかしくなり、「人類がウンコを食べないのはセックスのせいだ。けしからん!」「このままでは人類はオシマイだ!」てなことを延々と説いていたそうで(オシマイなのはぼくのほうである)。

 90度のアルコールを180mlってことは、泥酔した状態でワイン1.5リットルを一気飲みしたのと同じであるから、これ仕方ないような気もするんですが。

 大脳皮質の抑制が外れた人間って、心底どうしようもないのだな、という当たり前のことを学んだ一件でした。

 いくら学んでも、酔っ払うと、学ぶ前の状態に逆戻りなんですけどねえ。学習消去液。

 

6月23日(木曜) 夜

 最近、ぼくの母が携帯電話を買った。

 ぼくが使ってる携帯と同じ会社の機種なので、親子での通話が半額になる。だから何かあったら携帯のほうに連絡するといいよ、というのが母の弁である。

 年に数回しか連絡しないに、わざわざ息子の携帯機種に合わせるなど気色悪い限りであるが、母としても携帯をやりとりするような人が他にいないのだろう。こういう友達の少なさとかだけ親子で似ているので、なんとも腹が立つ。

 それはさておき。

 先日、珍しく母に用事があったので買ったばかりだという携帯に電話してみたのだが、何度かけてもつながらない。しまいに癇癪を起こして実家の電話にかけてみたら、「はい、もしもしー」と母の声が。なんだよもう、いるんだったら携帯に出てくれよな。

 …と抗議したところ、母からこんな返事がかえってきたのでした。

 「携帯って電源入れてたら電池が減るやろ? 勿体ないから普段は電源切ってるんや」
 「でも、何日の何時頃に電話するからってあらかじめ言っといてくれたら、その時間帯は電源つけとくから!」

 ってことは母上。あなたの携帯に電話するときは、前もってハガキで日時を指定するか、当日に実家の電話に連絡するかしてアポをとらなきゃならないんでしょうか? 「今から電話するから携帯の電源入れといてね。用件はそのときに言うし」なんてって電話かけろとおっしゃるのでしょうか?

 こんな母親の血を半分継いでいる我が身が不憫でなりません。どうか拾われた子でありますよう。

 

6月22日(水曜) 深夜

 友人のWは何かあるたびに、ぼくの携帯にメールを送ってくる。

 それはいいのだが、Wは本来が面倒くさがり屋であるため、いつもメールが中途半端なのだ。

 たとえば次のようなやりとりである。

W:「いま職場で、すごいことになってて。ちょっとパニックになってます。うわー大変!」
ぼく:「いったいどうしたんですか?」
(そのまま返信なし)

数日後。

W:「そういや君にあやまらないといけないことがあったんだった。とりあえずごめん。ではではー」
ぼく:「ええと、どういうようなコトですかそれは? 気になるので教えるように」
(そのまま返信なし)

数日後。

W:「昨日、飲み会があったんだけど、えらいことになってしまったよ! ああ後悔!!」
ぼく:「なにがあったの!? えらいことって?? 大丈夫やったん?」
(当然のように返信なし)

 なにかハプニングが起きて興奮状態になったWは、その気持ちを誰かに言いたくなるのだろう。で、「うわー大変だ!」なんてな文面をしためるワケだけれども、自分の気持ちさえ書いてしまえば、当人はそれで一段落ついて落ち着いてしまう。

 しかし困るのは、こんなメールをもらうほうである。大変なことになってたのは分かるけど、いったい何があったのかちっとも分からない。これでは、気になったまま放置プレイされているようなものではないか。

 そういやWは、作家を目指してライタースクールに通っているらしいが、小説のロジックとしてこういう手法があるんだろうか。

 このロジックを用いるなら、カフカの『変身』なども次のような展開になるだろう。

ある朝、グレゴール・ザムザがなにやら気がかりな夢から目を覚ますと、大変なことになっているのに気がついた。詳細は割愛するが、とにかく大変なことになっていたのだ。
(中略)
母親も彼が大変なことになっているのを発見した。父親も「大変だなこりゃ」と嘆いた。
(中略)
事態が大変なのは依然同じであったが、ザムザ一家は、とりあえず引っ越すのがいいかという結論に達したのだった。おわり。

 最後まで「なにがどう大変だったのか」皆目分からない。…こういう小説って、既にいろいろありそうな気がしてきました。

 でも、メールでやるのは禁止。

 

6月21日(火曜) 深夜

 本日のショーウインドウです。

ガン発生のメカニズムはまだ十分に解明されておりませんが、ストレスや日常の不摂生(喫煙過多、、食事の不規則etc...)とか、ねたみ・うらみといった悪感情を持つこと…が積み重なり、だいたい10年間ぐらいかけて正常細胞が、ガン細胞に変異するそうです。

 よくもここまで断言できたものだが、「ねたみ・うらみといった悪感情を持つこと」もガンの原因ですか!?

 人生から「ねたみ」と「うらみ」をとったら、ほとんど何も残らないぼくのような人間はどうしたらいいのだ。

 というか、人間なんて生きてりゃ、妬みや恨みのひとつも持って当然ではないか。こういう自然な感情を「悪いもの」として抑圧してしまうほうが、ずっと身体に悪いような気がするのだけれど(ネガティブな感情を押さえ込んでしまう「いい人」ほどガンになりやすい、というデータも実際にある)。

 ガンになりにくい人がいるとすれば、それは「妬みをそのままぶつける人」「恨みをそのまま晴らす人」ではないだろうか。

−−−

 …というような正論はさておき、いちばん気になるのは、掲示の下にディスプレイされているパンクみたいなジャケットです。なんですかこれは。

 いやまァ、アナーキーで波乱万丈なデカダンが身上のパンクロッカーなら、ガンになったって全然平気。むしろ一層のパンク邁進なのかもしれませんな。

 ガンなんて言ってみりゃ、身体の細胞が無政府・無秩序になってる状態なわけだし。オレの細胞たちは皆アナーキーさ! 誰にも止められないのさ!!

 こう考えると、ガンの転移だって、己の身体におけるパンクムーブメントの広がりと肯定的に捉えられる(アナーキーを標榜してるくせに、己の身体にだけは秩序を求めるようでは、それこそパンク精神の名折れだろう)。

 ガンになったら禅寺なんかで悟りを開こうとする人がいるけれど、パンクロッカーになるのも一興かと思います。

 ガン病棟やホスピスなんかは、寝たきりパンクの巣窟となって。病床の患者みな、鋲付き革パンツの下に老人おむつ穿いて。性器露出もフルタイムOKで。ウー!とかアゥー!とかいうシャウトも日常茶飯事で。雰囲気も全体として暗くネガティブで。

 あ、これって普通のパンクだ。退廃もやっぱり、本物志向じゃないとネ!!

 

6月20日(月曜) 深夜

 職場の飲み会があった。

 しかし週初めであるうえ、体調もいまひとつだったので、自分では珍しく酒に手をつけずに過ごしていた。ひたすら黙々と食事をついばむばかり(こうしてどんどん、ただのつまらない中年になっていくのだろう。って、とっくになってるか)。

 ただ、どんどん酒を飲んで酔っ払っていく周囲の人々をシラフで見ていたら愕然とした。同じことを何度も言うわ、つまらない駄洒落を言っては自分で大笑いするわ、意味なく床を転げまわるわ……。

 今まではぼくも決まって酔っ払っていたので分からなかったが、酔っ払いってこんなにも莫迦っぽかったのか。ぼくもシラフの人たちからは、こんな風に見られていたのか? これではまるで阿呆ではないか! ああ、もはや世も末だ。

 飲み会をシラフで過ごしてると、これまでの我が身に対する自己嫌悪ばかりが募ってくる。精神衛生上、非常によろしくない。

 なので今後は、飲み会のときはさっさと酔っ払うことに決めました。慣れない真似はやるもんじゃない。

教訓:鏡を見る前にはメガネを外すに限る。

 

6月19日(日曜) 深夜

 仕事がらみのことで自宅に電話がかかってきた。

 で、先方とのちょこちょことした交渉のすえ、ぼくは次のように答えようとした。

 「その件については、見積もりが終了した時に、こちらから折り返しご連絡させていただきます」

 ただ悲しいかな、ぼくは吃音持ちである。「その件については、見積もりが終了した」までは滞ることなく流暢に発語できたのだが、次の「時」に差しかかった瞬間に詰まってしまい、続く言葉が出てこなくなってしまった。げっ、これはマズい!!

 あわてて「時」に代わる語彙を探したのだが、焦っているせいか、ちょうどいい単語が出てこない。そして気がつけば、ぼくはこんな風に対応していたのでした。

 「その件については、見積もりが終了した時代に、こちらから折り返しご連絡させていただきます」

 とっさに「時」を「時代」と言いかえてしまったのだ。うわー。これじゃあまるで、見積もりが終了するのは22世紀とかみたいじゃないか。孫の代になって折り返しご連絡。

 こうして順調に、日々の仕事を減らし続けております。

−−−

 さて本日、某ポータルサイトに連載しているコネタがアップされております。

 今回のタイトルは、「気」を映像化する〜「オーラ写真」体験レポート。 人体の周りを覆っているという「気」を、写真に焼き付けることができるカメラがあるというので、取材に出かけて実際に撮影してきたレポートです。結論からいうと、胡散臭さ満点の素敵なスタジオだったわけですが。

 よければご覧いただければ幸いです。

 

6月17日(金曜) 深夜

 古くからの薄い知り合いである宮本さんから、「ミュージックバトン」なるチェーンメールを頂戴した。

 既にご存知のかたも多いだろうけれど、どういうものかといえばこれ、

海外のブログに端を発する、音楽に関する企画。音楽に関するいくつかの質問が「バトン」として回ってきたら、自分のブログ上でこれらの質問に答え、次の5人を選びその人にバトンを渡す、というルール。

 なんだそうで。

 音楽にはとんと疎い小生。なぜこんなものがウチに回ってきたのかよく分からないが、恐ろしい勢いで広まってるようなので、他に回す人がいなかったのだろう。まったくご愁傷様であります。

 タダでもらえるものはゴミでももらうことにしているので、とりあえず企画への回答を。正直に答えます。
 


【質問】


◆Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

 手持ちのCDからノートパソコンに落としたファイルがCD2枚分だけなので70MB程度です。

 ぼくはウォークマンの類を持ってないので、せっかくノートパソコンを買ったのだから
 ウォークマン代わりに使おうと思ってファイルを落としてみたんですが。

 音楽を聴くためだけに1Kg以上あるノートパソコンを持ち歩くなんて、
 莫迦らしくてやってられないことに後から気づきました。


◆Song playing right now (今聞いている曲)

 音楽をかけるとうるさくて耳障りなので、なにもかけてません。換気扇のゴーッという音のみ。最高です。


◆The last CD I bought (最後に買った CD)

 マクセルのブランクCD-Rです。音楽CDだと、くるりの『ファンデリア』だったような(古い!)。


◆Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある 5 曲)

 特別な思い入れのある曲と言われると「ない」のだけれど、なんとなく好きな曲としては、

 デビッド・ボウイ/「サフラジェット・シティ」
 ローリング・ストーンズ/「リスペクタブル」
 くるり/「家出娘」
 トム・ウェイツ/「レインドッグス」
 キョンキョン/「切ない片想い」←(後記:これって「木枯らしに抱かれて」ですな。失笑)

 あたりでしょうか。というか、なんですかこの選曲は!?


◆Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す 5 名)

 バトンを渡せるような気安い知人は5人もいません。

 ので、次のバトンはとりあえず、コラムや音楽の雄、Web冷え汁の四万十川さんにお渡しします。ほんじゃ!

 

 1人にしかバトン渡さなかったら、やはり不幸とかに見舞われるんでしょうかねえ。楽しみです。

 

6月16日(木曜) 深夜

 育毛とかのテレビ番組をつい見てしまう情けなさ。

 ところで、薄毛に悩んでいることを同僚に相談してみたところ。

同僚:「そんなの大丈夫だよー。うん、全然大丈夫!!」
ぼく:「そ、そうかなあ。そうだといいんだけど…」
同僚:「私の知ってる別の男の子も、20代で名倉君くらいの薄毛なんだけどさ」
ぼく:「へえー。その子はどうなの?」
同僚」「そのせいでノイローゼになって出社できなくなっちゃったんだよ」
ぼく:「……」
同僚:「だから名倉君は大丈夫。うん、精神的に強いよ!」

 ぼくの薄毛は、世間では出社拒否レベルだったのか。

 こんなこと言われても、ちっともハゲみになりません。破れかぶれオヤジギャグですよもう。

−−−

 さて本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回 のテーマは「禁煙ノイローゼと先祖帰り」。昨今の嫌煙運動と強迫神経症、そして生命の進化とは? …てな問題について、柄にもなく力を入れて書いてしまいました。こんなにマジメなことを書いたの久しぶりで、顔から火が出そうなんでありますが。

 よければご覧ください。読まれたいのか読まれたくないのか、自分でもよく分かりません。

 

6月15日(水曜) 深夜

 本日の飯星さんです。とある雑誌にて。

 インタビューに答えて飯星さん、「新しいハミガキ粉が出ると一度は試してみないと気が済まない、そんな性格なんです」。

 どんな性格ですかそれは。

 いやまァ、写真につけるライトなんて編集者が勝手に決めているんだろう。

 しかし、これはどうなのか。飯星さんとしても、「こんなセリフを強調されても」と思っているんではなかろうか。

 会話の一部分を任意に抜き出してライトにしていいなら、なんだってアリである。

 本人の人格までもが違った風に思えてくるのは気のせいか。

 …そういやぼくも、以前ある掲示板で、書いた文章の一部分だけ抜粋されてヒドいことを言われたことがありました。

 

6月14日(火曜) 深夜

 精神的なストレスが、そのまま身体的な不調や症状として現れる人がいる。

 たとえば、学校に行きたくない生徒が腹痛を訴えて休んだり、仕事をしたくない人が身体のだるさを訴えて会社を休んだり。

 こういう人たちは精神的に繊細と見られがちだけど、なんだかズルいなあともどこかで思ってしまう。

 いや、心と身体のつながりを否定するつもりは毛頭ない。ぼくだって緊張などのストレスがたまると胃が痛くなるし、殿方であれば「エロ本を見たら愚息が大きくなった」経験の一つや二つはお持ちであろう。これだって、心と身体が直結している証拠である。

 緊張すると胃が痛くなるという現象は、自分なりに納得しているつもりだ。

  1. 緊張すると交感神経が活発になる
  2. すると消化器系への血流量が減少する
  3. その結果、胃の粘膜が減少して胃潰瘍っぽくなる

 エロ本と愚息の関係については、いちいち説明するのも莫迦らしいけれど、

  1. エロ本を見るとエロいことを想像して大脳が興奮する
  2. その興奮が勃起神経に伝達される
  3. 海綿体に大量の血液が流入する
  4. 愚息が大きくなる

 といったところか。

 だから、緊張が続いて胃が痛くなっても「なるほどね」と思いつつ出社するし、エロ本を見て愚息が大きくなっても「なるほどね」と思いつつ然るべき対策をとるのみである。当たり前のことだから、べつにとりたてて気にしない(ことにしている)。

 でも、仕事をしたくない人が、ただ身体症状だけを訴えて会社を休むというのはどうなんだろう。これって言ってみりゃあ、何も知らない小学生がエロ本を見て、「うわー、なんか愚息が大きくなってきたー!」「たいへんだー!」などと騒いでいるのと似たようなものではあるまいか(本当に身体疾患がある人は別として)。

 自分がなぜこういう状態になっているのかを知らない、あるいは知ろうとしないから、単なる身体兆候としてしか自覚されない。…のだとしたら、精神的なストレスがそのまま身体症状だけに現れる人というのは、繊細というよりむしろ鈍感とも言えるんではないか。

 …とか書いてみましたが、ただ単に、不調で会社を休んでる人がうらやましいだけです。はい。

 エロ本を見て愚息が大きくなっても、「なんか分かんないけど大きくなってきたー!」と無邪気に言えるような、そんな大人になりたい。

 

6月13日(月曜) 深夜

 各所のプロフィールにも書いているが、ぼくの趣味は「臥床」である。

 世の中、臥床ほどいいものはない。場所さえあれば実行できるし、余計なエネルギーも消費しない。臥床しながら書を読むことだってできるし、空想にふけることもできる。じっとしているのもいいし、たまに転がったりするのも心地よい。寝てよし、読んでよし、転がってよしの三拍子そろった良質娯楽。

 というわけで本日も、職場の同僚と臥床談義にふけっておったわけですが。

 同僚のAさんは臥床するとき枕を用いない、と聞いてびっくりした。そんな阿呆な。

 ごろんと横たわったうえで、頭が枕にフィットする感触を得てこそ、臥床の快楽を得られるのではあるまいか。

 ああ、なんて可哀相なんだAさん。臥床が好きといいながら今まで、枕無しの楽しみしか味わっていなかったなんて。

 …と同情申し上げたところ、「枕がないと臥床を楽しめないなんて可哀相ですね」と返されてしまい。ぐうの音も出ず。

 

6月12日(日曜) 夜

 昔、「日色なる」というAV女優がいた(今も活躍中だったらすみません)。

 一風変わった芸名である。なぜこんな名前になったかといえば、「日色なる」→「ひいろなる」→「ヒーローになる」。つまり、AV女優をステップにして有名になりたい!! という気持ちを名前にお込めになったらしい。

 女性ならヒーローではなくヒロインではないのかい? という素朴な疑問も沸くが、それはさておき。

 さらに疑問なのは、このようなネーミングで成功した有名人がかつて一人でもいたのだろうかということ。「日色なる」と名乗ればヒーローになれるなら、今の世の中、さまざまな「名は体を表す」有名人であふれているはずである。

 いや、こんなベタすぎる名前の有名人など聞いたことがない。だいいち、周囲のほうが恥ずかしくてやってられないだろう。

 日色なるさんも、実際にヒーローになったら改名するんだろうか。

 「はーい。今日のゲストは、このたびヒーロー女優になった、日色なっ太さんでーす!!」

 …こんな名前のヒーローなんて、とても想像できないのはぼくだけでしょうか。というかヒーロー女優て。

 

6月11日(土曜) 夜

 友人宅に招かれたので遊びに行った。

 はじめて行く家なので、あらかじめ渡されていた地図を頼りに駅から歩いていたところ、途中でダイエーがあったので酒などを購入することにした。

 で、買い物を済ませて店を出ようとしたら、方向が分からなくなってしまった。あれ、どっちに出たらいいんだろう?

 とにかく駅と反対側に進めば友人宅なので、とりあえず店員に訊いてみたわけです。

 「あのー、駅はどちらになりますか?」

 で、左方向を指差す店員に礼を述べた後、右方向に歩きはじめたら、店員から大層怪訝な顔をされてしまった。

 相当の莫迦だと思われていたに違いありません。こういうのは慣れてるから気にならないけど。

 

6月9日(木曜) 深夜

 職場の女性社員Aさんは、まゆ毛に刺青を入れている。

 といっても、まゆ毛がドラゴンになっていたり、桜吹雪になっていたりするわけではない。毎朝まゆ毛を描いて出社するのが面倒だというので、ちょうどいいまゆ毛の形に入れ墨したという次第らしい。

 「まゆ毛が薄い女の人って、けっこう入れ墨やってるよ」とはAさんの談。なるほど、その手があったか。

 毛が薄いことにかけては、ぼくのほうが深刻である。広くなり続ける額、薄くなり続ける頭頂部。だが、ここで思い切って頭皮に黒く入れ墨してしまえば、問題は一挙解決ではないか。おお、善は急げ! 真っ黒なヤング頭を一刻も早く取り戻しますぞ!!

 …と浮き足立っておったわけですが。

 考えてみたら、この先将来、自毛がほとんど消失してしまったときどうなるか? そこにあるのは「真っ黒のスキンヘッド」以外の何物でもない。こんな格好、人目にさらせるわけがない。ああ、やっぱりダメだダメ!!

 世の中、そうそう甘くないことを実感しております。

 こうやったら「へそのゴマ」でも刺青するか。

 

6月8日(水曜) 深夜

 読者の方からご連絡をいただきました。

 我が愛モヒカン山が、とうとう「お取り潰し」になっているとのこと。

 剃毛されて見事なパイパン姿になっています。悲しい。けど、なんかエロい。

−−−

 全然関係ないが、中学生の頃、川瀬君という級友はみんなから「カーセックス」というあだ名で呼ばれていた。

 「カワセ」→「カワセックス」→「カーセックス」という、まことに中学生らしい変遷のすえ、この呼称に落ち着いたのだった。

 電車の中なんかでも、「なぁカーセックス、今日の数学のノート貸してえや」なんてって大きな声で。さすが人生で最もダサい時期である。

 ところで、車の中でいたすことだけを、何故ことさらにカーセックスなんて言うんだろう。だったら、

 なんてことになるんだろうか。

 バイシクルセックスはどうやってやるのかよく分からないが、意外と画期的なアイデアかもしれない。

 タンデムのような二人乗り構造になっていて、男女のピストン運動をギヤ動力へと変換することによって前進するんである。これなら労せずして、というか、快楽を得ながら前進することができる。上り坂では激しく運動しなければならないだろうが、一層の快楽を得られるから、がんばり甲斐もあろうというものだ。

 性交のエネルギーをエコロジーに利用できれば、人類にとっても大きな前進となるのではあるまいか。

 …なんてことを空想して悦に入っていたんですが、よく考えたらこんな自転車、一体どこで乗るんだよという話である。

 おまけに10分やそこらで終わってしまえば、もはや前には進めず立ち往生だ。「イクッ!」と行った地点がそのまま目的地。正に言動一致であるが、これでは近所のスーパーへの移動もおぼつかない(そもそも、こんな自転車でご近所など走れないわけですが)。

 やはり、カーセックスあたりが人類の限界か。カーメイクラブ。カーへっぺ。カー肉体関係。カーC。カー情事。

 

6月7日(火曜) 深夜

 メガネを買い替えようと思い立って眼鏡屋に足を運んだ。

 …のはいいのだが、「メガネを買い替えるときのいつもの問題」にまたもや直面した。ぼくは視力が極度に悪いので(裸眼で0.01以下)、店頭に並んでいるメガネを試着したところで、鏡に映る自分の顔がちっとも見えないんである。

 顔を鏡から数センチまで近づければ見えるのだが、これでは顔の一部分だけしか分からず全貌がつかめない。目を思いっきりしかめれば多少はクリアに見えるようになるが、こんな鬼のような形相では似合ってるのかどうか皆目分からない。

 メガネの上に自前のメガネをかければ問題なくクッキリ見えるが、二重にメガネをかけていてはどうしようもない。

 ああ困った。似合うメガネを探すためには、まずコンタクトレンズを購入しなくてはならないのか? 

 ここで妙案を思いついた。店頭のメガネをかけて、デジカメで「自分撮り」すればいいのだ。撮影した画像を確認すれば、自分の顔をハッキリと確認できる。よっしゃ!!

 …というわけで、いろんなメガネをかけては、店内でパシャパシャと「自分撮り」していたところ。

 店員が駆け寄ってきて「あのうお客様、そのようなことはご遠慮申し上げているんですが…」。

 そのようなことって何ですか。ひょっとして、モデル気取りのナルシストと思われましたか。

 いやまァ、いろんなことを失い続けることには慣れているので、別にいいんですがね。

−−−

ええと、お恥ずかしい話なんですが。

隔週でコネタ記事を書かせてもらってるデイリーポータルZでTシャツを作るという話がもちあがり、小生もデザイン案をひとつ出してみました。以前の記事で紹介した、京都の邪悪な山「モヒカン山」をあしらった一枚です。投票が多かった上位4つが実際にTシャツとして販売されるようで。

エベレストとか富士山とかのTシャツをたまに見かけるけれど、山といえばモヒカン山だろう。

…とか言いつつ、英文字で"looks like a pubic hill"(恥丘のような〜)とか書いちゃってるんですが。ホントに着てもらうつもりがあるのか、自分でもよく分かりませんが。

万一入選したら、ぼくもこれを着て街に出る所存なので、よければ投票してやってください。 他にも有名な人の素敵なTシャツが並んでいるので是非どうぞ。

 

6月6日(月曜) 夜

 関東在住の友人知人がこちら京都にやってくることがある。

 で、せっかくなので餌でも入れるかという話になると、決まってこう言われる。

 「京都の美味しい店、どこか連れてってくれよ」

 困る。ぼくは常日頃「猛烈」にはテンで縁がない生活をしているが、こういうときは猛烈に困る。

 いやまァ、美味しい店ならいくつか知っているつもりだ。ただ、ぼくが好きなのは主にチェーン系の定食屋であって、それはたとえば「めしや丼」や「すき家」、「ザ・めしや24」といった類の店々である。このような店に連れていったところで、果たして客人の舌を満足させられるものかどうか。

 いくら莫迦なぼくでもであっても、来賓をチェーンの定食屋に案内するのがダメなことくらいは常識として知っている。なので、グレードアップして「和民」や「串八」といった店舗にご案内申し上げるのだが、ここまでしても先方の反応がどうもすぐれない。

 「この店って東京にもあるんだけど…」「いや別にいいんだけどさ」なんてな誹りを受け、こちらとしては「人の好意をなんと心得やがる」と毒づきたくなるのをグッとこらえて、曖昧な笑顔をニヤニヤ浮かべつつ「まあまあビールでも飲みましょうや」とか卑屈になって。

 だいたい、東京にもあるってことはそれだけ人気がある証左であって、換言すればそれだけ美味しいってことではないか。京都人しか知らない店なんてのは所詮それだけの味なんであって(例外もあるのは認めるけれど)、本当に美味しい店は東京、博多、青森、沖縄、ニューヨーク、ロシア、バングラディシュと世界各地に支店を展開して然るべきではあるまいか。

 それとも、誰もが知ってる店だと有難みがないから、こじんまりした町屋づくりの店なんかが希求されるのか。そんなにマイナーがいいなら、小生が得意料理のネギヂャーハンを作って差し上げようじゃないか。これなら京都人どころか、ぼくしか知らないから有難さ満点でやんすよ。

 わが国における「いいズボン」はリーバイスである。外国人も土産に買えばいいと思う。

−−−

 京都の「いい店」を知らない言い訳を並べているうちに、こんな文章になってしまいました。我ながら見苦しい。

 

6月5日(日曜) 夜

 街で時折見かける自転車のハンドカバー(?)を、時系列順にまとめてみました。

◆3月

厚手の中綿が入った、防風タイプのナイロン仕立て。

これなら手袋をしなくとも、快適なサイクリングが楽しめそうである。

デザイン的にはどうかと思うが(だってBianchiのクロスバイクなんかにコレが付いてたらおかしいでしょう?)、質実剛健の機能美は感じられる。

ハンドカバーはこれでいいのだ。


 
 
◆4月

桜も満開を迎えて暖かくなり始めた頃。

厚手のハンドカバーでは暖かすぎるのであろう。

中綿のない生地であるうえ、一部分が薄手のレース仕様になっている。

手袋をするほどじゃないけれど、素手で走ると手が冷える。…こんな微妙なニードにも応じる、魅力ある製品だと思う。

見た目がどうのこうの、などはもはや些細な問題なのだ。


 
 
◆6月

そして汗ばむような初夏の暑さを向かえた今月。

このようなハンドカバーを発見しました。通気性のを考慮した前面レース張り。清涼感抜群のシースルータイプである。

…ただ一つだけ疑問が。コレっていったい何のため!?


 
 
◆番外編

こんな素敵なハンドカバーも。

ハンドカバーは実用グッズではなく、装飾アイテムとして独り立ちしつつあるようです。

あなたのマウンテンバイクやオートバイにも、是非おひとついかがですか?

 

   

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 さて本日、某ポータルサイトに連載しているコネタがアップされております。

 今回のタイトルは「『斬る』を検証する〜スライスは薄いほど美味いのか? 」。オニオンスライスなんかは薄いほど美味いと言われておりますが、果たしてどんな食材でも、薄く切れば切るほど美味しくなるのかどうか、実際に検証してみたレポートです。

 よければご覧いただければ幸いです。包丁を研ぐコツについての豆知識付き。

 

6月3日(金曜) 深夜

 よく「ダイナマイト・バディ」なんて言うけれど。

 ダイナマイトは「筒」である。こんなバディはごめんでござる。

 百歩譲って手榴弾だとしても。

 B52W87H103。

 …よければ、携帯メールのアドレスなどにどうぞ。

−−−

 帰りの通勤電車、隣にすわっていたオジサン二人組が大きな声でしゃべっていた。

 「バーボンっちゅうのは、ウイスキーとどう違うんかいのう?」
 「まァ、わしに言わせりゃ、どっちも似たようなもんやけれども」
 「呼びかたが違うだけで同じもんか?」
 「うーん、よう似とるけど…バーボンのほうが濃ゆいわな」
 「なるほど、ウイスキーの濃ゆいやつがバーボンなんやな?」
 「まあ、おおかたそうや」
 「せやったら、バーボン飲んだほうが得やわなァ」
 「そうや。でも体には気ぃつけや」

 バーボンは、ウイスキーの「濃ゆいやつ」だそうです。ウイスキーよりも「得」らしいので、精だして飲みましょう。

 

6月2日(木曜) 深夜

 昨日の日記で紹介したヘビ、「マムシですよそれ!」というご指摘も何通かいただきましたが。

 調べてみたら、どうやらアオダイショウの幼蛇(ようだ)。成蛇になると体長2メートルにもなるんだそうで。

 今日もまだベランダにいます。

−−−

 話は変わって、本日のおふくろ。

 まずは、近所の定食屋にある「おふくろ定食」です。

 肉じゃが、だし巻き、さばの塩焼きというオーソドックスな取り合わせ。世の「おふくろ」はまァ、こんなもんかという感じである。

 さて次は、近所のスーパーで見かけた「おふくろ弁当」です。

 巻き寿司、ウインナー、ポテトサラダ、唐揚げという、なんともよく分からない取り合わせ。近年のおふくろ事情はこんなことになっていたのか。

 しかし考えてみれば、若い頃から洋食に慣れ親しんだママさんたち(クロワッサン世代とか言うのか?)が続々と「おふくろ」になりつつある時代である。今後はおふくろ料理の変遷がさらに進むことだろう。

 ちなみに、ぼくのおふくろ料理は、女体盛りとワカメ酒です。うそです。

−−−

 本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回のタイトルは「映画にコンドームを!」。映画から喫煙シーンを排除せよ! という某団体様のご意見を鑑み、今後の映画界についてぼくなりに考察してみました。

 本当はプチ日記に書こうと思ってた文章をそのまま載せてます。よければご覧くださると嬉しいです。

 

6月1日(水曜) 深夜

 ひゃあー。我が家にヘビが出ました。

 さきほど、ふとベランダのサッシに目をやると、なにやら長細いものが部屋に入ろうとしておりまして。

部屋の中に入ろうとしている彼

 当初はヤモリかトカゲと思ったのだが、それにしては大きいし、足もない。まさかヘビ!? 

 なんとかサッシから「彼」を落としてから、おそるおそる確かめてみたら…

うわ、うわわっ!!

 

ひゃああー!! でも意外と照れ屋な彼。

 恥ずかしい話ですが、小生もう、すっかりビビッてしまいまして。もう心臓ドキドキバクンバクンなってしまいまして。

 それまでやっていた仕事も手に付かなくなってしまいまして。こんな小さなヘビ一匹ごときで生活が破綻。

 ふだん酒とか飲んで減らず口ばかり叩いておる小生ですが、自分がどれだけ器の小さい人間なのか、改めて痛感させられました。

 ありがとう、ヘビくん!!

−−−

 しかし、このヘビ。いったいどうするよ。

 退治しようにも、下手に刺激したら噛み付かれそうだし、かといってこの先ずっと彼と同居するのも御免こうむりたいし。

 とっさにハエ・蚊用の殺虫剤に手が伸びてしまった自分を、まずは何とかしたいと思います。

 それにしても、市内のワンルームマンションの5階なのに、どうやっておいでなすったんだ!?  さては隣室の住人による嫌がらせか? 明日はオオアリクイ、明後日はワニガメあたりが放り込まれるのか??

 いくら動揺しても被害妄想だけは俄然たくましいです。

 


  2005年 5月のプチ日記 

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