2005年5月のプチ日記

5月31日(火曜) 夜

 セーターを自分で洗ったら、えらく縮んで、すっかり細身な「今風」になってしまいました。

 次の冬をどう乗り切ればいいのか今から不安です。クリーニングに出したら元に戻らないものか。

−−−

 「お客様から訊かれたことには正直にお答えするように」と上司から言われている。

 どんな小さなことでも、その場しのぎのウソを言ったり、曖昧にはぐらかしてはいけない。こういうことの積み重ねが、お互いの信頼関係に影響するというわけである。

 そして本日。

 取り引き先と打ち合わせをしていたら突然、股間に痛みが走った。陰茎に陰毛がからまって、引っ張られたんである。イテテテテッ!

 思わず顔をゆがませてしまったぼくを見て、相手の人が心配してくれた。「どうかされましたか? 大丈夫ですか?」

 …こういうときもやはり、正直にお答えしないといけないんでしょうか。

ぼく:「えー、この製品のラインナップは表1のようになっております」
先方:「たとえばこの製品Aを1000部で発注した場合、お見積もりはどのくらいになります?」
ぼく:「そうですねー。1000部ですと…うっ!」
先方:「どうかされました? 大丈夫ですか?」
ぼく:「陰茎に陰毛がからまっただけです。すみません」
先方:「それならいいんですが」
ぼく:「で、お見積もりのほうですが〜」

 社会人になるというのは、ひとえにこういうことであります。違いますか。
 

追記: 昨日の日記についてご指摘を受けました。爪の主成分はカルシウムではなく、たんぱく質らしいです。人の爪は皮膚の延長みたいなものだそうで。もう恥ずかしさを通りこして、どうにでもしてくださいという気分です。 今後も「嗤える日記」を目指します。

 

5月30日(月曜) 夜

 「もっと自信持たなきゃダメだよ」なんて言われたら、ますます自信がなくなりますがな。

−−−

 昨日の日記で紹介した店について、何人かの方からご指摘をいただきました。

 「うまくいく」とぼくが書いた部分、実際には「うまい、うまい」と書いてありました。看板を茶化してるぼくのほうがポカミス。赤面。

 今後も、こういう恥ずかしさを大切にして生きてゆこうと思います。

 でもせっかくなので、昨日紹介し忘れたカット(同じ店)をもう一枚だけ。

 「日本一のごはん」というのはまあいいとして(日本一怪しいような気もするし)、気になるのが「手づくりカルシウム入り」である。

 カルシウムって手づくりするものだったのか。小魚とかって「手づくり」とは言わないしなァ。

 「ウチのカルシウムはな、ぜーんぶ自家製なんや!」

 なんか、店主の指の爪とか入ってそうで気持ち悪いのは小生だけでしょうか。

 

5月29日(日曜) 深夜

 大阪の某所で見つけたお店です。

日本一 ごはん 腰 人生 一番 幸 杉坂 一枚 作食べてびっくり 弁当 ハンバーグ定食
 
日本一ごはん うまくいく 普通タレ カレー 健康 ハンバーグ定食 青魚 カルシウム入 弁当
 

 「分からない」ことは人を不安にさせるものだ、と改めて痛感させられますな。

 店に入ったら、何かが分かったのかもしれないけれど、どうも踏ん切りがつかないまま現在に至っております。

 でも、こういう不安はちょっと心地いい。日本一ごはん、うまくいく。

 

5月28日(土曜) 夜

 本日のハマさん日記。

 某フードショップ店の前に掲げられていた店員日記ですが、こんなこと、いちいち知らんがな。これが道行く人々に向けて発信することか?

 …でも考えてみたら、ぼくの日記も人のこと言えないことに気づいて大いにガッカリ。

−−−

 おまけ。昨日のMEN SHOPです。

 店主がどういうつもりでネーミングしたのか、まったく分からず頭を抱えたまま現在にいたっております。

 ああ、考えるのに費やした無駄な時間を返せ。

5月26日(木曜) 深夜

 本日のお魚です。

 ベラ近海物。こんな毒々しいモノが近海で獲れるのか。

 食べたことがないので味のほうは知らないけれど、この色を見て敬遠してしまうのはぼくだけではないだろう(実際たくさん売れ残って半額になっていた)。「ベラ」という名前も、妖怪人間ベム・ベラ・ベロを彷彿とさせる。

 こんな魚が懐石料理なんかに出てきたら、それだけで箸を置いてしまいそうである。

 一般に、美味しい魚は人類の乱獲によって激減してしまう傾向があるが、ベラのような派手な魚はその限りでないような気がする。いくら美味しくても、彩りの気持ち悪さから、あまり人気が出ないと思われるからだ。マグロだってこんな色合いだったら、きっと今のようには売れていないんではなかろうか。

 そういや「平家ガニ」というカニは、甲羅の模様が人間の顔に似ているというので、昔からみんなに不気味がられてきたという(海に散った平家の亡霊だとされたのが語源となっている)。で、そのおかげで乱獲をまぬがれ、他のカニよりも有利に繁殖している事実があるらしい。

 人類が異常繁殖している現在、人間が好んで食べるかどうかが大きな「淘汰圧」になっているのだ。

 これからの動物界は、ドクロの模様があったりする魚が、有利に展開するのかもしれませんな。人に食われずに済むものが繁栄する。

 そのうち、表皮に「うんこ」とか「死ね」とかの文字を浮かび上がらせた魚たちが登場するかも。

 

5月25日(水曜) 夜

 職場で、ある報告書(2枚組み)を提出した。

 しばらくして大きなミスに気がついた。1枚目は問題なかったのだが、2枚目に全然ちがう報告書を綴じて、そのまま提出していたんである。

 「1枚目はAというプロジェクトに関する報告なのに、2枚目はBというプロジェクトに関する報告」

 これはマズい。バレたら大変なことになる。

 てなわけで、大慌てで他部署の上司のもとに走ったわけですが。

 「あのー、さきほど提出した報告書なんですが…」
 「ああ、読ませてもらったよ。シンプルかつ正確に書いてあってバッチリやね」
 「は、はァ…」
 「また次もよろしく頼むよ!」

 全然ちがう報告書を綴じていたなんて今さら言えるワケがない。そんなこと言ったら、他部署の上司のメンツ丸つぶれである。

 こうしてぼくの報告書は、そのまま採用されてしまったのでありました。罪悪感に胸が痛むが、世の中、罪悪感よりも大切にしなくちゃならないものがあるのだ。

 そういやマティスの「舟」という絵は、美術館で間違って上下逆に展示され、誰も気づかないまま一ヶ月以上経過したことがあるらしい (マティスが生きていたらどう思っただろう)。

 ぼくの報告書もマティスの絵のようなものだと思うことにしよう。

 どの報告書にも同じようなコトを書いてたのが怪我の功名というか。

 

5月24日(火曜) 深夜

 成田山って全国各地にあるんですか。

 ぼくはずっと、京都・伏見にあるんだと思っておりました。ひょっとすると、みんなそれぞれ、成田山は地元にあると思ってるんじゃないか?

 「ミートショップきむら」が全国にあるのと似たようなものか。違いますか。

−−−

 異性よりも同性との友達づきあいを優先させる人、を尊敬する風潮がある。

 生殖本能よりも友情を重んじる点において、理性的=人間らしいという評価がくだされるようである。思えば世の中、その行為が本能に反すれば反するほど、崇高だということになっている。

 たとえば断食や禁欲、寒中水泳などなど、動物なら大いに嫌がることを自ら進んでやろうとする。人間の場合、「禁欲をアピールしてモテよう」などと邪なことを考える連中もいるから油断はできないが、それでも「克己」はおおむね善いこととされている(本能に反するのを善しとするなら、近親相姦も尊敬されるべき行為ということになるけれど)。

 ただ、結婚すると冒頭の法則が消え去ってしまうことも経験的に知っている。妻をほったらかしにして男友達と遊んでばかりいる輩はあまり尊敬されないし、ましてやこれを「克己」と崇めたりはしないだろう。

 「ねえアナタ、最近すっかりご無沙汰よ。今夜は早く帰ってくるの?」
 「いや、今夜は男友達とオナニー大会をやるんだよ」
 「アナタって本当に崇高な人ね」

 なんてことには、まかり間違ってもならないのではないか。

 結婚した男女は、お互いに異性ではないということなのか。

 「結婚してからも私のことを一人の女として見てほしい」てな意見も時折見かけるけれど、だったら夫が男友達とのオナニー大会に出かけること、それが崇高な行為と認識されることを、もっと積極的に受け入れるべきではあるまいか。

 …先日、友人K(既婚者)を遊びに誘ったら、妻から反対されて困っていると聞き、義憤にかられて筆をしたためた次第であります。

 あ、でも、オナニー大会に誘ったわけではないので。念のため。

 

5月22日(日曜) 夜

 本日の看板です。

 食事中なんかもきっと、次のようなやりとりが展開されているに違いない。

子:(TVのニュースを見ながら)「わー、すごい列車事故だなあ!!」
母:「ほんとねえ。怖いわねえー」
父:「食事中はテレビつけるなと言ってるだろっ!」(ブチッ)
子:「もー、見てるのに消さないでよ父さん」
父:「バカモンっ! テレビより話し合いだ!!」
母:「でもアナタ、話し合いするの今週で5回目よ」
子:「そうだよー。話し合うことなんてもうないよ」
父:「だったら、なぜ話し合うことがないのか? について話し合えばいいだろっ!!」
子:「……」

 ぼくも子どものころ、親が「食事中はテレビ禁止」だったので、ずっと無音状態で黙々と食べていたのを思い出しました。

 テレビ見ながら家族で雑談しながら食事してたよ、なんていう人を見ると嫉妬で腹が立つ。

 みんな、この看板をしっかり受け止めやがれ畜生。

−−−

 さて本日、某ポータルサイトに連載しているコネタがアップされております。

 今回のタイトルは「 リカちゃん人形の聖地巡礼〜製造工場潜入レポート」。 リカちゃん人形マニヤたち「聖地と崇められている「リカちゃんキャッスル」に潜入し、リカちゃん人形が製造される現場などを取材してきたレポートです。 リカちゃんたちが何やらすごいことになってます。

 蕪島のウミネコ顔負けのリカちゃんづくし、よければご覧いただければ幸いです。

 

5月21日(土曜) 深夜

 さっきメールで、「人体の不思議展」と入力しようとしたら、「靭帯の不思議展」と変換されて力が抜けた。

 靭帯の不思議展ってどんなのだろう。

 「うわー、靭帯ってよく伸びるよなー!」
 「まったくだよ。この伸びは不思議だよな!!」

 …やっぱり、あまり積極的には行きたくないです。

−−−

 本日の喫茶店。

 「赤い屋根」と銘打ってるくせに、屋根は灰色の瓦ぶきで、赤いのは庇(ひさし)だけである。看板に偽りあり。

 これなら店名は「赤い庇」にするべきだろう。いや正確には「一部分赤い庇」。

 喫茶「一部分赤い庇」。これはこれで、なんかいいような気がしてきました。

 

5月20日(金曜) 深夜

 コンビニで発泡酒を買ったら、ストローが付いてきた。

 せっかくなのでストローで飲んでみたら、なんとも情けない気分になりました。

−−−

 ところで、このプチ日記。

 ただただ惰性で呼吸のように書いている今だから告白するが、書き始めた当初は自分なりに目的意識があった。

 「ネタ帳として毎日なにかWebに書き連ねることにしよう」

 もともと週刊誌の読者投稿コラム欄なんかに応募するのが好きで、掲載されて謝礼をもらうのが趣味と実益を兼ねた余暇活動になっていた(一回掲載されると五千円程度もらえる)。ただ、お金に窮していざ応募しようとしても、書くネタがなくて断念するということが度々あった。

 そこで思い至ったのがWebサイトだったという次第でありまして。

 日々ちょっと面白いと思ったことなんかを書き連ねるのに、Webはちょうどいい媒体なのではないか? おまけに誰かに読んでもらえるなら、書き連ねる動機付けにもなりそうだし。よーし、ひとつ始めてみるか。

 …というわけで、そもそもは「紙媒体へのネタ帳」としてプチ日記を書き始めたわけですが。

 実際に始めてみたら、週刊誌への投稿なんかよりもサイト更新のほうが面白くなってしまい(だって書いたら100%の率で掲載されるのだ。当たり前だけど)、気がつけば「プチ日記のためのネタ帳」を持ち歩くようになっていた。ミイラ取りがなんとやらである。

 で、面白いのでしばらく続けていたら予想外に多くの人々に読んでもらえるようになり、サイトを見てくださった方から原稿の依頼をいただく機会も出てきた。

 おお、いよいよプチ日記がネタ帳として役立つ機会じゃないか!!

 …と一瞬喜んだのも束の間。サイト経由でぼくのことを知ってくださった方からの原稿依頼に対して、プチ日記の内容をそのまま使うなんて真似はできないことに、しばらくしてから気がついたんでありました。もっへー。

 こうなると、いよいよ何のために日記を書いてるのか分からなくなってくるけれど、その頃には「何のため」というより、日々の呼吸のように日記を更新するようになっていたという次第でありまして。

 今はただ、「書くことになってるから書いてる」という、なんだかよく分からないことになっている体たらく。

 そういいや学校なんかも、「何のために行ってるんだろう」とか考えはじめると面倒なことになるけれど、ただ「行くことになってるから」というので通っていたのをふと思い出しました。

 ルーチンワークって、なにかをやるのに一番楽チンなのかもしれません。呼吸するのに「何故ゆえに?」とか考えないし。

 

5月19日(木曜) 夜

 小学校なんかで「キレる子ども」が問題になっているらしい。

 こういう子どもには地道な再教育が大切だと聞くが、目の前でキレた子ども同士が大ゲンカしていたら、そんな悠長なことは言っていられない。

 とりあえずは「子どもをビックリさせて注意を逸らす」のがいいんだとか。

 で、その一例として「ホイッスルを吹く」等の方法が紹介されていたが(さっき読んだ雑誌に書いてあった)、ホイッスルなど何度も聞いていたらそのうち慣れてしまうんじゃないか。

 最初はホイッスルでいいかもしれないが、次はもっと子どもがビックリするようなことをしなければならない。

 でも、何をやっても、子どもたちはいつか慣れてしまうんでありましょうな。

 「担任の先生がウンコしてる横で、マジギレして殴り合ってる子どもたち」

 いやー、キレるって恐ろしいですね。

 そういや小学生の頃、キレて烈火のごとく怒っている妹を思いっきりくすぐったら、大笑いしたあと、改めてますますキレてたのを思い出しました。

−−−

 さて本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回のタイトルは「禁煙原理主義」。またもや微妙な問題について触れておりますが、今回は真面目に書きすぎてて読み返すのが恥ずかしいです。

 よければご覧くださると嬉しいです。

 

5月18日(水曜) 深夜

 海の近くに行けば「海の幸」、山の近くに行けば「山の幸」。

 …というのがお決まりだが、近くに海も山もない土地は、いったい何に「幸」を求めたらいいんだろう。

 そこで考えた。「空の幸」というのはどうか。海、山とくれば、空だけがないのは片手落ちともいえる。

 美しい青空ならどこにでもあるから、幸に困ればこれをアピールすればいい。

 「いにしえの時代から京都に受け継がれる青い空〜スズメの丸焼きを召し上がれ!!」

 京料理とかいって刺身の盛り合わせなんかが出てくる昨今、「空の幸」のほうがまだ良心的かもしれません。実際、京都の伏見桃山はスズメの丸焼きが名物ですし。

 個人的には「陸の幸」が一番好きなんでありますが。ハンバーグとか豚キムチとか納豆とか。

 そもそも人類は陸生動物なんだから、おとなしく陸の幸を食ってりゃいいんである。 いくらウニとかキャビアとか好きな人でも、豚肉が世の中から消えたら大層ションボリするんではないか。

 いつも食べてるものが本当は一番美味しいのに、それに慣れると幸せと感じなくなってくる。

 …これって、いろんなコトに当てはまりそうな法則ですな。ポクポク。 

 

5月17日(火曜) 夜

 バジルのパスタを食べた。

 ところで、バジルの和名って「目箒」(めぼうき)なんですな。種を水に浸すとゼリー状になるので、目の掃除にいいんだとかで。

 目箒のパスタ。…こんなものを食ってたのかぼくは。オエッ。

−−−

 そして、商店街で見かけた花飾りです。

 桜の枝にピンクのラッカーを吹き付けたものを、ガムテープで壁に固定してあるようですが。

 美的センスって人それぞれだなあ、としみじみ。

 ちなみにぼくの部屋には、自分で撮ったドラム缶の写真を飾っております。滅茶苦茶いい。

 

5月16日(月曜) 深夜

 先日の日記で、ぼくがバラの花の匂いを感じられないことについて書きましたけれど。

 このことで未だに同僚から馬鹿にされるので腹が立つ。

 「名倉さんってかわいそうね。せっかくバラが放っている香りを感じられないなんて」
 「バラの花が草の臭いにしか感じられないんだもんねえ…。感受性が未発達なのよ」

 ちょっと待て。

 バラの花の「いい匂い」とやらは、そもそも虫をおびき寄せるためのものではないか。

 我々人類にとって、バラの匂いにおびき寄せられたところでメリットなどちっともない。いくらいい匂いだと思っても食えやしないし、せいぜい触ろうとしてトゲで怪我するのが関の山である。

 バラの匂いに惹かれるほうが、虫レベルの嗅覚にとどまっている証拠だと言いたい。むしろ、バラの花に草の臭いしか感じないぼくのほうが進化した嗅覚なんであって、あなた方のほうがよっぽど感受性が未発達なのだ。きっと。

 だってそうだろう。

 たとえば昆虫たちは性フェロモンや警報フェロモンといった匂いを分泌するけれど、我々が彼らのフェロモンにいちいち反応していたら大変である。

 いやあ、バラの花なんかに「いい匂い」を感じてしまう、アニマル以下の嗅覚を持った同僚たちこそかわいそうですよ。

 …なんてことを書くと、大勢の人たちを敵に回してしまいそうで怖いんですが。すみません。

 

5月15日(日曜) 深夜

 ウルトラマンだって歳をとる。

 この体型の緩み加減と弱弱しさから察するに、齢のころ還暦60歳くらいだろうか。

 ウルトラの星でも高齢化社会が問題となっているのかもしれない。寝たきりウルトラの増加と、その一方で減少し続ける若年層ウルトラ。年金問題も深刻化し、年老いてもこうやって地球に出稼ぎにこなければならない厳しい現実。

 毎日強壮剤とか飲んで、なけなしのスペシウム光線を出してらっしゃるんだろうか。ああ、ものの哀れ。

 地球上の老人たちを勇気づけるためにも、そして老齢ウルトラの生活のためにも、「ウルトラマンオールド」の放映開始を望みたいところですな。

 

5月14日(土曜) 夜

 本日のとうふ屋であります。

 当初は「手造り」だったとうふも、時代の趨勢にはかなわなかったものと思われる。

 というか、どうせ文字を消すなら、もっときちんと塗りつぶさないと。文字のとおりに塗りつぶすのは、消すことにならないと思いますよご主人!!

 あまりにも悲しくて、つい撮ってしまった一枚でした。

 

5月13日(金曜) 夜

 同僚の女性が野バラを摘んできた。

 「いい匂いでしょー」

 その場に居あわせた面々はみな、「うん、いい匂い!」「バラの香りだねー」と。

 ぼくも匂いでみたが、なんの匂いもしなかった。しいて言えば「草のにおい」か。

 ひょっとして、みんなしてぼくを陥れようとしているんだろうか? 本当は何の匂いもしないのに、みんなで申し合わせて「いい匂い!」なんてって。それにぼくが同調するさまをみて、陰で物笑いの種にしようってワケか!?

 陰で笑われるのも悔しいので、「ぼくは草のにおいしか感じませんけどっ!」と断言したんでありますが。

 そしたら一斉に指摘された。

 「名倉さん嗅覚おかしいよ」
 「色弱ならぬ嗅弱なんじゃない?」
 「そうそう、バラの匂いだけが分からないっていう」
 「たしかに野バラって、バラの匂いを抜いたら草のにおいだけが残りそうだよね」

 ますます悔しくて憤死しそうである。

 でもこれが事実だとすると…。「バラの匂いの香水をつけてる人」は、ぼくにとっては「草っぽいにおいのする人」なのか。

 

5月12日(木曜) 夜

 会社の事情で、郊外にある小さな営業所に出勤する日がある。

 人数が少なくて気楽なのはいいのだが、問題は敷地があまりにも狭いこと。

 ワンルームマンションかと見紛うほど狭い事務所で、数人が肩を並べてデスクワークしているのだ。おまけにトイレがデスクのすぐ後ろにあるものだから、用を足すと「音」が筒抜けになってしまうワケでありまして。

 小用なら二度流しでごまかせるけれど、屁の音はどうしてもバレる。みんな黙々とデスクワークに励んでいる中、トイレから「プウーッ!」なんてサウンドが流れてしまう情けなさ。アルバイトの女子社員もいる手前、これが恥ずかしくて仕方がない。

 なので、屁をしたくなったらなるべく屋外に出るよう心がけている。といって、何も用事がないのに外出すると怪しまれるので、率先してゴミを出したり、郵便を取りにいったりしている始末。

 ゴミ出しや郵便取りといった雑務はアルバイトさんの仕事なので、正社員のぼくが行こうとする度に「私が行きますから!」と止められる。だが、こちとら屁がかかっているのだ。こういときは、普段は優柔不断なぼくもキッパリと突き返す。

 「いや、私が行くから!」

 ゴミ出しや郵便取りに異様な執着を示す正社員に、ただただポカーンとするアルバイトの女子社員たち。

 いよいよ奇人だと思われている節もあるけれど、屁の音がバレるよりはこれでいいのだ。きっと。

−−−

 ところで屁の音って、たまに親のそれとソックリなことに気づいて驚くことがある。

 いやまァ、親子だから腸管や肛門の形状は似ているだろうし、食生活だって受け継いでいる。だから屁の音が似るのも、当然といえば当然なのかもしれないけれど。

 いくら肩肘張って親に反発してても、屁の音は似てる。こういうのって、なんとも情けないことであるよと。

 そういや、親の肛門って見たことないよね。親のアナル、子知らず。 それがどうした。

 

5月11日(水曜) 深夜

 ぼくは「情けないもの」が滅法好きである。

 だから街中の情けない物件を撮って小馬鹿にしたり、中学生時代の自分のエピソードを紹介したりしておるわけですが。

 最近ようやく気がついた。一番情けないのって、十九・二十歳あたりの自分ではないかと。

 だってそうだろう。中学生といえば「人生で一番ダサい時期」と世に公認されているから、それだけで既に免罪符が用意されているようなものである。

 しかし十九・二十歳となれば、もう十分にオトナとも言えるわけで。当時に書いた文章などを読み返すと、居ても立ってもおられないような気恥ずかしさにノックアウトされそうになるんでありますよ。

 …というわけで今回は、ぼくが十九歳の頃に書いていたプライベート日記を一部公開してみたいと思います。

飲んだ末、興に乗って日記をしたためようとしたら、出だしかから「酔う」という字を書き間違えてヘコんでる。
「今けっこう酔ってるかも知れない」って、どう見ても酔っ払いである。心底の莫迦。

 

そういや学生時代は今以上に憂うつだった。
でも、「何をする気も起こらない」ことを、こんなに丁寧に縁取りして書いてるオレ。
よっぽどヒマだったんだと思います。

 
 一瞬、「ぼくもこれで記事一本書けるかな」と思ってしまったんですが、改めて読み返したらあまりにも恥ずかしいので、ちょっと保留ということに。

 だってしゃあ…。酔っ払って真顔で「自己存在とは?」とか「恋愛論」とか書いてんですよ。ひゃあー。恐ろしいー。

 今いちばん恥ずかしいのは十九・二十歳だ!! 

 …皆さんの当時は、もっと洗練されてましたですか。そうですか。あいすいません。

 

5月10日(火曜) 深夜

 このページにブックマーク用のアイコンを設定してみました。

 ただ今、プチ日記を「お気に入り」に新規追加すると、かわいらしいアイコンが登録されると思います(ただしIE限定)。

 自分が描いた絵を「かわいらしい」なんて自称してしまう情けなさ。

 …実は常々ダークな日記を書きたいと思っているのだけど、悲しいかな才能がないので、身辺雑記を垂れ流すだけに終始している。

 でもアイコンがこれだけほのぼのしてりゃあ、「パソコンに飛び蹴りを〜」とか書いただけで、なんだかダークな感じがしてきませんですか?

 「鳴かぬなら、もっと鳴かない奴を横において、これでも鳴くほうだってことにしようホトトギス」

 思えば今までの人生、こんなことばかりして切り抜けてきた気がする。

−−−

 久しぶりに絵馬です。

私は発展途上国における人々を助けるため、医師になる。
そして、誰にでも優しく接することができる人間になる。藤原紀香のようになる。

 藤原紀香って、誰にでも優しい人なんでしょうかねえ。

 

5月9日(月曜) 夜

 ノートパソコンを買ったはいいが、今のところあまり使い道がない。

 でもせっかくなので、入っている簡単なゲームをやってみたりしておるわけでありますが。

 たとえばオセロなどやってみても、パソコンの強さを上げるとぜんぜん敵わないので腹が立つ。こっちが何分も考えた末に打っても、0.5秒後には烈しく厳しい手が返ってくるんである。なんだか小馬鹿にされているような気になってくる。

 オセロは自分では割と得意なほうだと思っていたのだが、それが小さなノートパソコンにコテンパンにされてしまうこの情けなさ。

 そういやオセロって、とっくの昔にコンピュータが人間を遥かに凌いでしまったんだっけか。

 ちなみにパソコンには「神経衰弱」も入っている。…って、そんなもんパソコンが勝つに決まってますやんけっ!!

 神経衰弱でパソコンに勝てる人がいたら見てみたいものだ。

 パソコンに飛び蹴りをお見舞いすれば勝てるような気もするけれど、そんなことをしたら本当に「負け」な気もする。

 パソコンと勝負しようとするほうが馬鹿なんでしょうな。

 

5月8日(日曜) 夜

 うわ、もうGW終わりですか。これで7月下旬まで連休がないのか…と暗澹たる気分で。

 ちなみに連休の締めは、DVDで『不思議惑星 キン・ザ・ザ』。めっぽう面白くて、あまりにも力が抜けたまま連休終了。

−−−

 そして、本日の丼。

 京名物MUTTERどんぶり。室町時代から貴族も食べた丼。

 長らく京都に住んでいるけれど、「MUTTER丼」が京名物だとは露知りませんでした。

 足利義満なんかもきっと、MUTTER丼を毎晩のようにほおばっていたんでありましょうな。

 かの『足利義満対明国書』にも、次のような一節が記されていたとか。

往古の規法に遵ひ、好を通じて方物を献ぜしむ。金千両、扇百本、屏風三双、MUTTER丼百杯、硯筥一合、同文台一箇なり。

 MUTTER丼なんて食ってたから、足利氏は滅びたのだ。きっと。

−−−

 さて本日、某ポータルサイトに連載しているコネタがアップされております。

 今回のタイトルは「ウミネコ島の恐怖〜鳥が人々を支配する島」。ウミネコの異常繁殖地である、青森は蕪島を訪れてきたレポートです。

 ヒッチコック顔負けの鳥づくし、よければご覧いただければ幸いです。

 

5月7日(土曜) 夜

 あるAV女優が親バレとか彼氏バレとかしたのを知ると、同じ出演作品であっても妙な興奮が加わったりする。

 「このムチムチプリンな姿態が親の目にも晒されちゃったのね…」という、やや倒錯した感覚というか。

 で、ですね。ええと、このプチ日記も上司バレしてしまいました。

 なので本日を持って更新を終了させていただくかというと、そうでもなく、今までどおりダラダラと続ける予定なんでありますが。

 「上司バレしてる日記」ということで、微妙な付加価値が出ればいいなァと。(ついでに書くと、とっくの昔に親バレはしております)

 …この期におよんで、何の努力もせず価値を出そうとする。こういう「見苦しさのようなもの」を今後も大切にしていく所存です。

−−−

 というわけで本日のトイレ。

 鬼気迫る攻防戦である。

 「生理用品等は備え付けの〜」が「性理用癌等よ備え付げの〜」に書き換えられ、それをまた元に戻すといういたちごっこ。

 多大なエネルギーが何も生み出さないところに注がれているのを見るのは、すこぶる気持ちが安らぎますな。

 

5月5日(木曜) 深夜

 追記:

 本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてました。

 今回は、たばこの値上げについていろいろ書いてます。微妙な問題というか、性懲りもなくというか。

 よければご覧くださると嬉しいです。

 

5月5日(木曜) 夜

 引き続き、東北のインプレッションです。

仙台の郊外にて。Fresh Shop はやさか。
赤いマークはロゴかと思えば「魚が」でした。

 

ゲームセンターにて。
とくに言うことはありませんが、緑色なのがいいですな。

 

八戸の土産店にて。まねき猫ならぬ「まねき蟹」。
いろんな不幸や禍を招いてくれそうな予感です。

 −−−

 ちなみに仙台名物の「牛タン」については、何人かの方から情報をいただきました。

 仙台の牛タンは、ほとんどが米国産や豪州産なのだそうで。

 なにがどう「名物」なのか、もはや皆目分かりません。「塩焼き」なる技法の発祥地が仙台なんでしょうかねえ。

 

5月4日(水曜) 深夜

 福島〜仙台〜岩手〜青森と巡ってきた東北旅行から帰ってきました。南に北上しながら。

−−−

 昨日は八戸に滞在しておったわけですが。

 ひなびた、というよりしなびた商店街をブラブラしていたら、こんな衝撃的なりんごを発見した。

 まんこ(少々キズ有り)250円。

 「今日はまんこが安いよー。250円!!」

 青森は恐ろしいところです。

−−−

 あと、スーパーではこんな菜っ葉が。

 何かと思えば、「JAZZの里、青森・南部で栽培された健康野菜」なんだそうで。

 「ジャズ」と「菜っ葉」という取り合わせにもクラクラするけれど、青森がジャズの里だったとは。

 そういや青森はキリストが骨を埋めた場所ともされている(キリストの墓というのが名所になっている)。

 ジャズの里であり、キリストが骨を埋めた場所である青森県。おまけにまんこも安い。

 旅すると生きる元気が出てきますねえ。

 


   2005年 4月のプチ日記 

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