2004年12月のプチ日記

12月31日(金曜) 夜

 今年最後の日なので、ようやく部屋の大掃除を。

 普段は散らかし放題のくせに、やり始めると結構とことんやってしまい、気がつけば大きなゴミ袋4個分。部屋に置いてると狭くて生活に支障をきたすほどである。かといって、年末年始なので、次のゴミ回収は1月6日である。

 ああ、やってもうたがな。あと一週間、デカいゴミ袋4個と同居して暮らさなければならないのか。

 がんばって掃除した結果、部屋が狭くなるという不条理感。とりあえず一人で、「なんじゃこりゃー!」と呟いてみる。

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 全然関係ないが、パソコンの修理をしてる業者が自称、「パソコンのお医者さん」とか呼んでいるだろう。

 確かに「調子が悪くなったものを治す」という点においては、修理屋と医者は似たようなものである。サイクルショップは「自転車のお医者さん」だし、調弦屋は「ピアノのお医者さん」である。配管工はさしずめ「トイレのお医者さん」あたりか。

 こういうアナロジーを非難するつもりは毛頭ないのだが、ってことは、逆もまた真なりではあるまいか。

 「医者=人体の修理工」

 いやまァ、自転車や配管なんかに比べると人体は複雑で難しいうえ、人命に関わるだけに失敗があまり許されないから、「お医者さんはエラい」ってことになってるんでしょうけれども。だからこそ、国家医師免許という難しげな資格を取得しないとやってはいけないのでしょうけれども。

 ええとですね。

 人を機械のようにだけ見定めて手術したり投薬したりしてる医者たちは、ホントに「人体の自転車屋」とか呼んでもいいように思う次第でありまして。医者と修理屋との違いは、「相手の訴える(医者からすればツマラナイけど患者にとっては切実かもしれない)言葉をちゃんと聞く」「それを言いなだめたりおだてたりして、 患者を安心させる」必要の有無にもあるんではないかト。

 …すみません。いかにも阿呆が言いそうな短絡的な皮肉っぽいですね。でも、酔っ払っていたらふと思ったもので。はい。

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 そういや何年か前、国家医師試験にも「患者の心を理解できるかどうか」という設問が加えられたそうですな。

 単純なのでいうと、「うつ病っぽい人には励ましてはいけない」みたいな問題とか。マークシート方式らしいけど。

 こういう問題を「面倒臭いけど試験に出るみたいだし丸暗記しとくか」てな医学生が増えないことを祈りつつ。

 

12月30日(木曜) 夜

 先日、飲み会のあと、デジカメにこんな画像が残っていた。

 酔っ払っていたので全然記憶にないのだが、そういや皆でシャブリを注文しようという話になった気はする。

 しかし、それにしてもこれはなんだ。せっかくのシャブリが、上に「お」をつけるだけで見事に台無しである。

 いやまァ、高級ワインだけに、丁寧に「お」を付けて呼ぶものなのかもしれないけど。お酒、おビール、おシャブリと。

 どうも自分の字に似ている気がするが、断じてそうではないと信じたい。

 

12月29日(水曜) 夜

 年賀状を書いたりしてました。

 イラストも宛名もプリンタで印刷してるので楽ではあるんだけど、それだけではナンなので、手書きの文章を少しだけ添えることになる。

 ただ、自分の字があまりにも下手くそであることを再確認してがっかりする。プリンタの字があまりに達筆すぎて、その差が歴然としてしまうのだ。

 そしていつも思うのが、「手書き風のフォントがあったらいいのにな」ということ。

 いや、手書きフォントについては、さまざまなモノが出回っていることは知っている(今から20年以上も前に「手書き連合」なる手書き風フォントを開発しているつボイノリオ氏こそ先駆者と言えよう)。ただ、それらは極端に下手な字だったり、あるいはペン習字のように達筆だったり、はたまた「自分の字をフォント変換したもの」であったりして、いずれも「本当の手書き」としては難があるように思う。

 というか、ぼくの場合、「相手に本当の手書きと思わせられるフォント」が欲しいわけでありまして。自分の字よりも少しだけ上手で、それでいて巧すぎず、「そこそこの字を書く人だなあ」と相手に思わせられるような。

 同じ文字が毎回まったく同一だとフォントであることがバレてしまうだろうから、同じ字について10種類くらいの微妙に異なるフォントを用意する必要があるだろう。そして字の大きさや方向も、毎回微妙に変えるようにプログラムしておくのが望ましい。

 ものすごい情報量のフォントになりそうだけど、こうすれば本当に手で書いたようにプリントできるんではなかろうか。

 メーカーさん、どうぞよろしくお願いします。

 

12月28日(火曜) 深夜

 忙しくて寝不足だという人がいる。

 確かにそういうこともあるだろうが、その逆というか、正確には逆ではないんだけれど、そのようなこと(なんと曖昧な!)もあるんではないかと。

 「寝すぎると猛烈に忙しくなる」

 12時間も寝てしまったので、いろんなことが切羽詰ってきております。ああ忙しい!

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 そして、街で見かけた大ピンチです。四条寺町のユナイテッドアローズ前にて。

 血液大ピンチ。さてはこの人、敗血症なんかにかかってるのか? だったらこんなとこで訴えてないで、早く病院に行きたまえよ。

 …と一瞬混乱したが、事情はすぐに飲み込めた。おそらく献血を呼びかけているのだろう。それは分かった。でもしかし。

 「大ピンチ」なんて言われても、、どうも間が抜けて切迫感がなくなるように感じるのはぼくだけだろうか。「大ピンチでやんす!」「どっひゃー」みたいなノリになってしまうというか。

 そういえば、とあるエラソーな人が「ピンチの時こそチャンスと心得よ」とかおっしゃっておりましたですが。

 献血って「人々の善意でボロ儲けしやがって!」と思ってしまうので、どうも苦手なんでありますよ。いやまァ、必要なのは分かるんですけれども、どこかで納得いかない気持ちが残るというかなんというかモゴモゴ…。

 大手の製薬会社なんて不景気知らずのようですからね。献血したらハーゲンダッツのアイスも食べ放題にもなるわけだ。

 どうせならステーキ食べ放題くらいやってほしいものだ。「いまならビール飲み放題キャンペーン中。ぜひ血液を!」

 

12月27日(月曜) 深夜

 「進級がかかっている数学の問題を解けなくて悶絶している」という夢をいまだに何度も見る。

 中学・高校の頃から数学が苦手で、そのせいでかなりの焦燥感を味わったことが大きいんだろうと思う。で、当時の経験が、現在の不安や見通しの立たなさとどこかでつながって、こんな夢として現れているんではないか。

 …というのが自分なりの推測である(まァ夢なんてそもそもよく分からないだし、どんな風にでも解釈できてしまうんだけど)。

 ただ、数学の夢ばかり見るのには、「あいまいな答えが許されない」ことも関係しているような気がする。たとえば、ぼくが比較的得意だった「社会」や「国語」といった教科であれば、実はちっとも分かっていないくせに、あいまいな答えをノラリクラリと書いてなんとか切り抜けてきた感がある。

 英単語問題や選択肢問題なんかについても、「あいまいな文字」で対抗してきたのを思い出す。

 たとえば、こんな風にである。

 左側は"degree"だったか"digree"だったか暗記があいまいだったときの対処法、右側は"temdency"か"tendency"か自信がないときの対処法である。いずれも、どちらにも読めるように筆記している。

 選択肢問題であれば、こんな具合である。

 これは「2」か「3」か迷ったときの模範解答だ。「2か3か分からない」という理由で答案がバツで返されたら、うまく正解のほうに修正して「正しいのにバツになってます!」と先生に異議を申し立てるわけである。

 ただ、こういった戦略の成功に味をしめて、調子に乗りすぎたのがいけなかった。選択肢の「2」か「3」か「4」か迷ったとき、つい下記のような回答を記入したら、とうとう先生から呼び出しを食らってしまったのだ。

 まるで「元プリンス」みたいな代物である(それとも「万能じゃんけん」か)。教師もこれにはさすがにキレたようで、「学校をナメとるのか!」と雷を落とされた末、2倍の減点を差し引かれてしまったのでありました。

 …ええと、ついつい話が逸れてしまいましたけれども。

 結局なにが言いたかったかというと、「あいまいな中でごまかしつつ切り抜ける」のが通用しない世界では、ぼくのような人間は生きてゆけないんだなァということ。だからこそ、こういったごまかしが効かない数学なんかの夢を、今でもよく見るんじゃないだろうか(だってそうだろう。数学の回答で「元プリンス」マークの羅列など許されようはずがない)。

 …とまァ、このように思ったりもする次第でありまして。

−−−

 ただ、こんなセコい小細工をチマチマやっている傍らで、悪友の面々は「間違った回答をキレイに消しゴムで消して、上から正解を書いて先生に持っていく」という荒業を何度か行使していた。そして、それが見事に通用していたのだった。

 ぼくのようなチマチマ族は、どうあがいたって「本物」には敵わないと痛感した一件でもあります。

 

12月26日(日曜) 深夜

 そろそろ年賀状を書かなくては…と思いつめたまま数時間経過。

 どうせパソコンで作って印刷するだけなのだが、プリンタの調子が悪いからますます気が重い。どうやっても印字がかすれてしまうのだ。

 世の中には「失敗した年賀状はどうでもいい知人に出す」という風習があると聞くだけに、印字がかすれた年賀状など出せば、相手からどう思われるかはおおよそ想像がつく。

 「やっぱりオレってどうでもいい知人なわけね。ま、お互いさまってことで」

 いやまァ、確かにその通りなんだけれども。

 今年の年賀状は、ものすごく正直な代物になりそうな予感です。

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 ところで、正月には実家に帰らなくてはいけないことを考えていたら、ふと思い出した。

 実家で暮らしていたころ、オナニーの後始末には難儀したなァと。

 なんとなれば、「鼻水をかみ終わったティッシュ」と「オナニーの後のティッシュ」とでは、その形態が大幅に異なってくるんである。

 鼻水は「かんでは折り畳んで」を何度も乱雑に繰り返すので、非常にワイルドかつダイナミックな形状へと変貌をとげる。それに対してオナニーのほうは、ピュッと出たものを受け止めたらそのまま素直に畳むので、非常に律儀かつトラディショナルな形状へと収斂する。

 それなりの観察眼を持った者なら、即座に違いが判明してしまうんである。

鼻水をかんだティッシュ
(イメージ画像)
オナニー後のティッシュ
(イメージ画像!!)

 そしてウチの母親は当時、毎朝ぼくの部屋のゴミを回収しに来ていた。両ティッシュの判別など、母親にとっては文字通り「朝飯前」だったものと思われる。

 ああ、こんなコトでいいのかオレは!? オナニーの回数まできっちり把握されてるくせに、母親に「今日のハンバーグ、不味いよー!」なんて文句つけてる場合なのか!? 内心では「昨日も一発ヌイたくせに、なにがハンバーグよ…」なんて思われてるんじゃないか!!

 そこで意を決して、ティッシュ偽装工作へと邁進したわけです。一見しただけではそうと分からないようにカムフラージュを試みたんである。高校2年のときの話。

 実際にやってみると、「オナニー後のティッシュをわざとクシャクシャにする」よりも、「鼻水をきっちり折り畳みながらかむ」ほうがずっと容易であることが分かった。というか、きっちり折りたたんだティッシュをわざとクシャクシャにすると、かなり不自然になってしまうのだ。

 そしてしばらく経つころには、ぼくの部屋のゴミ箱は毎日、きっちり折り畳まれたティッシュが4〜5個、鎮座するようになった。ようし、これでカンペキやがな! どれがオナニーでどれが鼻水か全然分からへんやんけ!!

 …数週間後、母親からボソッと指摘されたのでした。

 「アンタ、この頃ちゃんと勉強してる? なんか気ィがよそばっかりに行ってへんか? 心配やわ」

 やってもうた、と赤面した一瞬であります。

 今だから言うが、断じて違う。いくら高校生でも、一日に4回も5回もできしまへん。

 

12月25日(土曜) 深夜

 二日酔いで死んでおりました。

 案の定、忘年会の後半はまったく記憶がない。どうやって帰宅したのかもさっぱり分からない。電車のプリペイドカードに印字されていた乗車駅と降車駅から、自分の行動を推し量ってみるのが関の山という情けなさ。

 自分がどんな様子だったか心配になって参加者に尋ねてみたのだが、「いつも通り、どうでもいいことばかり喋ってはりましたよ」とのことだった。最近ヒヤシンスを栽培し始めたこと、最近100円ショップで割り箸を買ったこと、etc...。我ながら本当にどうでもいい話である。

 ぼくのような者には、記憶なんて別になくてもいいのかもしれません。

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 さて、本日のコップであります。

 ED(勃起不全)もこんな可愛らしい柄なら、みんなから親しまれるんじゃないだろうか。「ぼくちゃんEDなんでちゅー」「うわー可愛いー!!」

 だったら、こんなのだってアリだろう。

 「アナルくんカップだあ」「かわいいー!!」

 …小生のクリスマスは、このような日記を書きながら過ぎ去ろうとしております。メリー苦痢棲魔須!!

 

12月23日(木曜) 夜

 抜いた親知らずの部分が再び痛んできて困っております。

 歯医者に行ってみたら、抜歯したあとの歯茎の空洞に食物がたまり、それが発酵して傷口を刺激しているんだろうとのこと。一週間前の食べかすが、そのまま歯茎の穴にたまり続けているのだ。うわあ、すごいことになってそう。

 とりあえず、たまっていた食べかすをバキュームで吸い取ってもらったんですが。

 「ちょっとそれ、嗅がせてもらっていいですか?」と喉元まで出かかって、なんとか抑えた。危なかった。

−−−

 で、気分転換にと、近所のお寺をぶらぶらしていたら。

 賽銭コーナーにいたオバサン数人連れが大きな声で喋っているのが聞こえていた。

 「金欠病が治るよう、お賽銭しとこっ!」
 「ウチも主人のボーナスがこれ以上カットされへんよう、お祈りしとくわ」
 「ほんまや。宝くじでもドーンと当たらへんやろか…」
 「お賽銭、ようけ入れといたほうがご利益ありそうやなァ」
 「そうやなあ。私、千円入れとこ」
 「ウチも。どうか支出が減りますように!」
 「主人のボーナスが減りませんように!」
 「宝くじに当たりますように!」

 がめついのか太っ腹なのか、てんでよく分かりません。

 ちなみにぼくは、「早く抜歯後の跡が治りますように」とお願いしておいたのだが、こういうのなら仏さまも気が楽だろう。

 放っておいても、そのうち治って感謝される。

 

12月22日(水曜) 夜

 小生、職場では寡黙なほうなのですが。

 本日、社員食堂で日替わりセットを食べていたとき、デザートのリンゴを床に落としてしまった。で、普段は無口なオレ、とっさに「うわっ!!」とかん高い叫び声を響きわたらせてしまったわけでありまして。

 周りからクスクス笑い声が聞こえて死にたくなりました。ああ、「普段からひょうきんな人」になりとうござる。

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 クリスマスが近づいてくると、街中にいろんな曲が流れてくる。

 そのひとつに賛美歌の「諸人こぞりて」があるわけですが。

♪主は来ませり〜、主は来ませり〜、主は主は来ませり〜。

 この曲、何度聴いても(ビール飲んで)「シュワシュワくるー!」という歌にしか聞こえない。ゴクゴクゴクッ、「♪シュワシュワきませりっー!」。聖歌隊がうら高い声で歌い上げているものだから、余計におかしくて一人でニヤニヤ笑いながら。

 ちなみに今年のクリスマスイブは職場の部署の忘年会であります。毎年度、勤務日の最終金曜を選んでいるようなのだが、今年はそれが12月24日なのだ。それでも全然欠席者が出ないウチの部署。

 いい職場だなァと、こういうときは思います。支え合い精神。

 

12月21日(火曜) 深夜

 歯のほうは、おかげさまで、ふつうの米飯が食べられるようになってきました。

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 アクションものの映画なんかで、こんなシーンをしばしば見かける。

これから冒険に旅立つ主人公に向かって、その恋人とか親友とかが彼を見送る際に一言。「この○○は私がずっと大切にしてきたものだけどアナタに預ける。ずっと大切に持ってて……」「ありがとう、お守りとして肌身離さず持っておくよ。じゃあな、また会おう!!」

 「○○」の部分は、先祖代々受け継いできた指輪であったり、不思議な言い伝えのあるナイフだったりするわけだが、ぼくの場合だったら、自分のなにを主人公に託せられるだろう? ずっと大切にしているものって何 があるだろう?

 …と考えてみた結果。

 もしぼくの親友が、いまから「邪悪な魔力を持つ麻薬密売組織」なんかに挑むというならば、上述の3点セットを惜しみなく貸し出すことにしよう。「これをお前に託そう……」「ありがとう、お守りとして肌身離さず持ち歩くよ!」。赤ちゃん布団と中華なべと電気ストーブと。

 こんなもん、持ち歩いていたら格闘にも相当な支障をきたしそうであるが、そこはまァ映画である。電気ストーブに宿る「聖なる力」が、ピンチに陥った主人公を救ってくれたりするんだ、きっと。

 ちなみに、彼が冒険から無事に帰還したら、赤ちゃん布団と中華なべと電気ストーブは返してほしいと思う。

 

12月20日(月曜) 夜

 某ファーストフードで食事を済まそう思って店に行ったら、店頭のミニ黒板に日記が書いてあった。

アルバイトの○○です。風邪をひいちゃったみたいで、今朝も38度の熱がありました。フラフラですが頑張ってます!!

 しんどくても頑張るのは勝手だけど、それってインフルエンザかもしれないだろう。そうじゃなくても、こんな風邪っぴきの店員が作ってるモノなど食いたくない。どんな風邪をうつされるか分かったものではない。

 店頭の日記を見て、他の店で食べることに決めました。おお、なんだか役に立ってる日記じゃないか。

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 ええと、余所でもちょこっと書いた話なんですが。

 巷で話題になっている「血液型占い」問題。信じる信じないも個人の勝手なので、ぼくがとやかく言う筋合いはないんだけど、ひとつの事実として、血液のタイプは「ABO型」だけで決まるわけじゃないというのがあるわけです。

 「ABO型」は赤血球のタイプで血液を分類する方法のひとつ。その他にも、広く知られている分類としては、Rh式血液型(40種類以上あるがプラスとマイナスに大別される)、HLA型分類(白血球中の抗原タイプによる分類。数千種類ある)などがある。実はこれ以外にも、ケル型、ダフィ型(いずれも赤血球型)など300種類以上の分類方法が現在確認されているらしい。

 となると、きちんと「血液型占い」をするためには、最低でも「赤血球タイプ」「Rhタイプ」「HLAタイプ」の3種くらいは調べたうえで、総合的に判断しなくてはいけないんじゃないか? というのが個人的な意見であります(臓器移植などの際、この3つがクリヤされればだいたい大丈夫みたいですので)。

 これらの血液型情報を知るためには、専門の医療機関で検査してもらう必要があるだろう。そうすることによって初めて、正確な占いができるようになるんである。占いが好きな人は是非、今すぐ調べてもらうといい でしょう。

 あなた:「私の血液型、分かりましたでしょうか…」
 ドクター:「最も重要なHLA型はA2403-B703-Cw5-DR51-DQ4-DPw6。赤血球型はABでRhはプラス、ケル式はK-k+だ。ディエゴ式やP式は割愛しよう」
 あなた:「そうなんだー。これってどういう性格なんです?」
 ドクター:「"A2403-B703-Cw5-DR51-DQ4-DPw6/AB/+/K-k+"の人は、『おっとりしてるけど実はおっちょこちょい』と言われておるね」

 結果に不満があるようなら、ドクターに掛け合ってみることだ。

 あなた:「おっとりしてるけど実はおっちょこちょい、なんて私イヤです!」
 ドクター:「じゃあ、骨髄移植してみるかね? そうすりゃ赤血球型なんかは変えられるよ」
 あなた:「えっ、どうするんですかそれ!?」
 ドクター:「君の骨髄を抜いてドナーのやつを入れてやると、ドナー由来の赤血球が君の体内で作られるようになるんだ」
 あなた:「そうなんですか! 私、A型がいいなー」
 ドクター:「うむ。ABOがA型に変化すれば、性格は『おっちょこちょいだけど実はおっとり』になるだろう」
 あなた:「先生、お願いします!!」
 ドクター:「オーケー、可能だよ。ただ、そのためには一旦、白血病になってもらわねばいけないんだが…」

 ええと、いろいろ面倒くさいですね。

 だったらいっそ、Rh式で血液型占いをやったらどうか。これなら簡単である。

 ・Rhプラスの人:「自分がどう見られているかを気にするタイプ」
 ・Rhマイナスの人:「どこかで自分に自信がないタイプ」

 だいたい、当たらずとも遠からず、なのではあるまいか。

 これを差別というなら、ABO型による占いだって同じでありますよ。

 

12月19日(日曜) 夜

 ようやく歯の痛みが落ち着いてきた。ロキソニン(鎮痛剤)の威力を実感。

 で、少し元気が出てきたので床屋に行ってきたわけでありますが。

 散髪してもらった後、いつものように顔面マッサージが始まった瞬間、飛び上がるような痛みが下あごを駆け抜けたのだった。

 「…うぐっ!!」

 抜歯した歯茎の部分を力強く揉まれたものだから、再び傷口が開いて出血してしまったのだ。あまりの痛みに言葉も出ないまま、口の中に広がる生暖かい血の感覚だけがドクドクと。反射的に洗面台に吐いてしまい、洗面台が赤く染まる。

 あわてた店員、「ど、ど、どうされたんですかっ!?」「救急車呼びましょうかっ!!」。うずくまりながら、ただただ頭を横に振り続けるぼく。

 ひと段落ついてから店員に事情を話してようやく分かってもらえたのだが、店員いわく「もうパニックになっちゃいましたよ…」。そりゃそうだろう、顔面をマッサージしたら客が飛び上がって血を吐いたのだ。パニックになるのはどう考えても店員のほうである。

 そして店員は付け加えた。「今後は気をつけます。申し訳ございませんでした」。ええと、次に来るときはきっと治ってます。

 悪いのは、事前に説明しなかったぼくのほうなんですけどね。

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 そして、本日の「子どもの絵」です。四条通に展示してあったもの。

 なんですか、この腕は!? 

 まず2人の体を描いたものの、うまく肩を組ませられなくなったたのだろう(気持ちはよく分かる)。ここでオトナなら、人物からもう一度描きなおすところだが、そうはせず、手の長さでなんとかしようと考えるところが子どもの素敵なところであります。

 こういう「子どもの発想」を大切にしなくてはいけないなァ、と自分の身を反省しました。肩が組めないなら手を長くするがいい。

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 さて本日、某ポータルサイトに連載しているコネタ記事がアップされております。

 今回のタイトルは「暗黒のお米『古代米』を食べてみる。〜古代人バーチャル体験」。真っ黒なお米(古代米)をなるべく古代っぽく食べてみようという、体験レポートであります。こうしてどんどん世間から見放されていくのかなァと思います。

 羞恥心で寿命をすり減らしながら取材したので、よければご覧いただければ幸いです。

 

12月17日(金曜) 夜

 歯の手術を受けてきました。銀杏が丸ごと入るくらいの「洞窟」が歯茎にポッカリと。

 麻酔を大量に打ったので、顔半分が麻痺する感じで術後しばらくはちょっと楽しかったんですが。麻酔が切れてくるとズキズキとものすごい痛みがやってきて、さきほどからのたうち回っております。

 おまけにずっと血を飲んでいる状態なので、しょっぱくて仕方がない。これで酒が飲めれば、自然に湧き出る「おつまみ」として非常に具合がよさそうなのだが、数日間は禁酒を言い渡されているので、まったく勿体ない話である。

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 ちなみに手術は会社帰り、夕刻7時前から受けたわけですが。

 歯医者からあらかじめ言われていたのだった。

 「当日は食事できなくなるから、夕食は済ませて来てくださいね」
 「満腹だと途中で気分が悪くなりやすいから、腹7分くらいでお願いします」

 腹7分と言われてもよくわからないので、とりあえず歯医者の近所にあった王将で「餃子+ライス」を注文したのだが、これがいけなかった。おかげでその後、口がすっかりニンニク臭くなってしまったのだ。

 「ニンニク臭が立ち込める部屋で手術」

 まァぼくには、こういうのがお似合いなのかもしれません。

 ええと。痛くてどうしようもないので、今回はこれにて失礼します。

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 …と思ったけれど、これだけだとナンなので、手術中にふと思いついた俳句をひとつ。

 「お母さん 邪悪なタネを まきとうござる」

 歯を砕かれてる間ずっと、この句をリフレインさせておりました。お母さんっ! 邪悪なタネを まきとうござるっ! ガリガリガリガリッ!!

 ますますナンですね。すみません失礼します。

 

12月16日(木曜) 夜

 明日、歯の手術(親知らずを砕いて取り除く)を受けるのでナーバスになっております。

 術後しばらくは固いものを食べられなくなるらしいので、今夜は贅沢しようと思ってビーフステーキを焼いて食べた。あと、固いものも堪能しておこうと思って、センベイを買ってきてほおばっておいた。

 手術前夜の晩餐がステーキ&センベイ。なんだかますます悲しくなってきました。

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 さて気を取りなおして。街はもうすぐクリスマスじゃないか!!

 というわけで、本日見かけたサンタさんであります。

 「トナカイ+プレゼント袋」ではなく「荷台+ダンボール」なのが若干気になるが、赤い帽子に上下の服を着ているさまは、紛うことなきサンタさんである。赤いズボンがずり下がって生尻が半分見えているのも、サンタたちの間でルーズファッションが流行していることの証左であると思われる。

 鼻をつくような異臭を周囲にふりまいておられるのは、きっと彼一流のサービスなのだろう。鮒寿司やクサヤといった高級珍味は、その臭いゆえに根強い人気を集めているんである。おお、なんて贅沢なサンタさんなのだろう。

 「なぜサンタさんになろうと思ったのですか?」と訊ねてみたかったけれど、なんとなく失礼に当たる気がして訊けませんでした。

 …というか。クリスマスフェアで使い終わった気ぐるみを安直に捨てるから、こんな悲劇が起こるのだ。楽しいからいいんだけどさ。

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 さて本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「シークレット・シガレット」 。小顔がもてはやされている昨今、頭や顔を小さくみせるタバコ・テクニックとはどんなものか? について考察してみたレポートです。頭の大きい者の論理、とでもいいましょうか。

 よろしければ読んでいただけば幸いです。

 

12月15日(水曜) 夜

 勤務中、会社の受付経由で電話がかかってきた。

 ぼく: 「はい、○○部の名倉です」
 受付: 「あのー受付ですけど、××さんという方から名倉さんにお電話が入ってます」
 ぼく: 「じゃあ取り次いでください(ガチャ)。…あ、もしもし名倉ですけれども」
 ××: 「どうもお世話になります。××と申しますが、先日メールで依頼させていただいた件で〜」

 ××さんというのは新しい取引先の人だったのだが、用件を聞いてみると、ウチの部署では対応できない注文内容だった。

 ぼく: 「申し訳ありませんが、その件については弊社の受付を通して発注していただけますでしょうか」
 ××: 「あ、はい…」
 ぼく: 「弊社の受付の電話番号はご存知でしょうか?」
 ××: 「ええと、ちょっと分からないです。お願いします」
 ぼく: 「では今から申し上げますので〜」

 …と、ここで突然、同僚から指摘された。「ちょっとちょっと! それって今、アンタらが喋ってる電話番号やないの!!」

 しかし時すでに遅く。××さんはぼくが言った電話番号をメモして、もう一度同じ電話番号におかけになったのでありました。

 こういうのは二人とも莫迦なので、そんなに悔しくない。

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 そういえば、と思い出した。

 ぼくが敬愛しているSさんという人が以前、自分のネットラジオをやってらしたときのことである。

 レンタルの無料サーバを使っての放送だったため、聴取者数が多くなるとサーバがダウンして、一部の人々が放送を受信できなくなる事態に何度か陥った。そして焦ったSさん、そのたびに何度もラジオでおっしゃっていたのでありました(そのときぼくは、運よく全て聴取できていた)。

 「サーバの調子が悪くて受信できない人が出ているようです! このラジオが聞こえないという方はメールか掲示板でご連絡ください!!」

 ええとSさん、ラジオが聞けない人にいくら力説しても、効果のほどはいかがなものでありましょうか?

 

12月14日(火曜) 夜

 ワオキツネザルって、「輪尾キツネザル」のことだったのか。

 「ワオ!」と驚くキツネザルだと思っていたことは、自分の胸の中だけに秘めておこうと決意。

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 ところで先日、「ひょっとすると将来、京都で大規模な直下型地震が起こるかもしれない」という話を聞いた。うわあ。

 それ以来、ちょっとした地震でも、今まで以上の恐怖にかられているわけですが。

 ウチのアパートは全体がヒョロ長い構造なので、直下型地震が起こったら建物ごと倒れるんじゃないかと不安になる。で、アパートの左側には大きなビルが建っているのだが、右側は空き地である。ということは、右側に倒れたら一巻の終わりではないか。

 …と、このように考えてですね。地震が起こるたびに「少しでも左側に倒れやすいように」と思って、左側の壁を押す習性がついてしまったんであります。

  心底の莫迦というのは本当にいるのだ、ということをお伝えしておきたくて。はい。

 

12月12日(日曜) 深夜

電器屋を冷やかしていたら突然、背後に駆け寄ってきた店員から大声をかけられた。

 「お客さま! 申し訳ございません、1.5キロでしたっ!!」

 うわっ、なんだなんだ!?

 …と一瞬のけぞってから思い至った。そういえばさっき、見ていたノートパソコンの重量を店員に尋ねてみたら、「1.7キロです」との答えが返ってきたのだった。どうやらそれが店員の勘違いだったようである。

 それにしても、いきなり「1.5キロでした!」と言われてもなァ。周囲の客から一斉に視線を浴びてしまったじゃないですか。

 ぼくも街を歩く見知らぬ人に、突然声をかけてみようか。「1.5キロでしたっ!」

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 知人の某君が先日、"5meo-dipt" という合法ドラッグを買って試してみたという(12月6日のプチ日記参照)。

 "5meo-dipt"は向精神物質の一種であり、セロトニンなどの脳内伝達物質を増幅させることによって、多幸感を得られたり、エネルギーがみなぎるような感覚になったり、性的な興奮が高まったりするのだという。いわば、覚せい剤の弟分といったところか。

 で、この"5meo-dipt"、アメリカなどでは麻薬として所持が禁止されているが、日本ではまだ規制されていない(もうじき規制されるとの政府発表があったばかり)。だから某君のように、こうやって自由に購入できるというわけである。

 で、「どうだったか」を尋ねてみたところ、その効果をつぶさに語ってくれたのでした。

 つまり、某君にとってのドラッグの効果は、掃除と洗濯、浴槽みがき(だけ)だったことになる。えらく平和なドラッグもあったものだが、人によって作用は異なるから、実際はこんなものであっても不思議ではない。掃除がはかどる"5meo-dipt"。

 マニアの間では、トリップ具合の自慢大会が繰り広げられてるんだろうか。

 「オレ、5meoでトイレも浴槽も磨いちゃったよ」
 「まだ甘いね。俺なんてキッチン回りもレンジ台もピカピカにしちゃったもん」
 「…おまえら、まだまだだな。オレなんかになると布団も全部干しちゃうからねー」

 

12月10日(金曜) 夜

 「隣の庭の芝生は青く見える」ということわざがあるだろう。

 これは一般に、「同じモノであっても自分のより他人ののほうが良く思える」という意味に解釈されているが、実は大間違いなのである。

 つまりこういうことだ。緑系の色彩は通常、物体との距離が遠くなるほど青みを帯びて見える。絵画技法で学んだ人もいると思うが、たとえば手前に生えている草木は濃い緑色で描くのに対して、遠景の山々などは淡い青緑色で描くといいと言われる(色彩による遠近法効果が出る)。

 この法則は芝生の場合にも当てはまる。我が家の芝生は「近景」であるのに対して、隣家の芝生は「中景」である。隣の芝生のほうが「青く」見えるのは色彩学的に当然の話なのだ。

 したがって上述のことわざは、「隣の庭の芝生は青く見えるんだよ」という色彩法則を指摘したものなのだった。

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 …なんていう真っ赤なウソをどうして書いてしまったと申しますとですね。ええと本日。

 電車で隣に座っていた人の携帯電話がすごくカッコよくて、「隣の庭の芝生は青く見えるのかねえ」なんて思ってたんですが。よく考えたら、自分の携帯はデジカメ機能さえついてない0円機種だったことに気づいて、己の厚かましさとさもしさに赤面してしまいまして。

 で、これまでの人生を振り返ると、そういやこんな風なことばかりだったと心底なさけない気分になってきまして。

 そうすると今度は、「隣の庭の芝生は〜」っていうことわざ自体が憎らしくてたまらなくなってきまして。

 ああ、隣の携帯電話は本当に高級なんだよ! はじめからモノが違うんだよ! でも、言ったって同じ携帯電話じゃねえかウンコ野郎めがっ!!

 …と、貧乏人をどん底に突き落とすことわざにキレながら思いついた「新説」が、色彩による遠近法うんぬんだというわけでした。我ながら、さっぱりよく分からない着地地点でありますが。

 ごくろうさまです、と自分に言っておきたい。

 

12月9日(木曜) 深夜

 小学生のお子さんを持つ女性社員がこんな話をしておられた。

 「以前、家の近くでイモムシを見つけたことがあってね。子どもが観察するのにいいかなと思って飼いはじめたわけよ」
 「でもそのイモムシ、なんか元気がなくて。子どもと一緒に心配してたんだけど」
 「ある日、イモムシを食い破って別の幼虫が出てきたのよ!」
 「子どももすっかりビックリしちゃって…。心の傷になってないかと心配で」

 カリウドバチがイモムシの体内に産卵していたのが孵化したものと思われるが、こんなことでいちいち「心の傷」なんて心配するのもどうだろう。カリウドバチの産卵なんてファーブル昆虫記にも紹介されてることである。子どもさんにとってもきっと、いい経験になったと思うのだけど。

 いくら大事に育てたってダメなときはダメ。…という自然の掟を実体験で学ぶことは、余計な万能感を早いうちに摘み取る意味でもいいことではあるまいか。そのそも人間なんて、原始時代は家族を猛獣に食い殺されたりしていたのだ(知らないけどたぶん)。

 いやまァ、なにか事件が起こるたびにメンタルケアチームが駆けつける昨今、イモムシが食い破られるのを目の当たりにしたお子さんにも「心のケア」が必要なのかもしれませんが。ああ、一刻も早くお子さんを精神科へ!! 「イモムシ外来」の専門医へ!!

 こう考えると現在、さまざまな「心の傷」への介入が性急に要されていると言えるだろう。危機感の薄い世間には猛省を促したい。

 …などと書いてはみたものの。

 ちょっと紙で手を切っただけで抗生物質を使ってしまうぼくなどには、何を言う資格もないことに気づきました。

 まァ、人間の自然治癒力なんて、さっさとなくなったほうが医療業界も儲かるでしょうから。これでいいのですきっと。

−−−

 ついでに言えば、こんな「もっさり風刺日記」を書いてしまった不安にも、なにか向精神薬を処方してください。

 

12月8日(水曜) 深夜

 医薬品についてネットで調べ物をしていたら、ある掲示板でこんなやりとりが。

投稿者:○○
ノイローゼ気味で心療内科に行ってみたら、「デパス」という薬を大量に出されました。これは一体なんの薬なのでしょう…。とても不安です。どなたかご教示いただければ幸いです。

投稿者:××
「デパス」というのは抗不安薬です。飲むと不安感が緩和されるので、不安でも飲んだほうが楽になると思いますよ。

 ちょっと気に入ったので書いておきます。

−−−

 そういえば今日は、学生時代、友人A君が交通事故で死んだ命日である。

 日頃は冷淡なぼくも、こういう日はちょっぴりポエムな気持ちになる。で、ポエムな気持ちは、ポエムな出来事を呼び寄せるものでありまして。

 というのも本日、帰宅してトイレで用を足そうとしたら、便座の中にカメムシが死んでいたのだった。はうっ! ひょっとして…キミはA君の生まれ変わりだったのかい? ぼくに会うために、わざわざカメムシになって来てくれたのかい?  とても偶然とは思えないポエミー・シンクロニシティ。

 心の中で「またいつか会おうね」と呟きながら、水洗レバーを引いたのでありました。ジャーッ。南無阿弥。

 ポエムな気持ちの恐ろしさを痛感した一件です。ポエムは人をカメムシにする。

 まァ、詩人はカメムシよりは無害だからいいか。

 

12月7日(火曜) 深夜

 ときどき洋服を買う某店にセーターを買いに行った。

 で、気に入った商品を手にとって見ていたら、すかさず店員がやってきて一言。

 「そのセーター、いまお客様が着ておられるシャツにピッタリですよ! こういう上品な色目のシャツにもよく合うんです」

 そのとき着ていたシャツは以前、同じ某店で購入したものだった。持ち上げてくれるのは嬉しいけれど、自社製品をこんな風に褒められても気分は複雑である。「謙遜」という我が国の美学は一体どこにいったのか!? 自社製品であればこそ、もう少し卑下してもいいのではないか。

 …と一瞬思ってしまったのだが、考えてみれば、あまり露骨に謙遜されるのもどうだろう。

 「あ、お客様が着ておられるシャツ、ウチの製品ですね! 野暮なデザインですみませんホント。着てるだけで恥ずかしいですよねー」

 そんなモン客に売りつけるなよ、であります。

−−−

 そういや先日、ぼくの勤務先に新しいビルが建った。

 で、取引先の人たちに案内したりしていたわけですが。

先方:「へー。きれいなビルですねえ」
ぼく:「いやァ、もう趣味の悪い内装で」
先方:「そんなことないですよー。素晴らしい」
ぼく:「だったらいいんですけど…見た目だけですよウチは」

 しまった、謙遜しすぎた! …と思ったが時すでに遅し。

 同行していた上司から、こっぴどく叱られました。「内部の実情をバラしてどうすんだ莫迦っ!」

 謙遜から出たマコトでしたか。

 

12月6日(月曜) 夜

 5meo-dipt という合法ドラッグがもうじき、違法として規制対象となる。

 …という政府発表をニュースで読んだ知人が、「そうなのか!」「今のうちに買っておかなくては!」と騒いでいる。聞いてみればこの知人、それまで5meo-diptの存在など知らなかったらしいが、ニュースで読んで調べてみたら興味が出てきたのだという。こういう人たちはきっと、他にも大勢いるんではないか。

 寝る子を起こす、とはまさにこのこと。日本政府もなかなかオツなことをしてくれますな。

 ちなみに個人的には、合法ドラッグはとくに賛成でも反対でもない。メリットとデメリットを十分に知ったうえで自己判断すればいいと思っているし、そういう意味では、今回の政府発表も「個人の選択肢を増やした」という点で一定の評価をしてしかるべきだろう。

 ただし、5meo-dipt という代物は、おおまかな作用機序(脳内のセロトニン量を増幅させる)が分かっているだけの新しい試薬である。ちゃんとした臨床試験など行われていないから、長期的なデータ蓄積が一切ない。アヘンやマリファナのような古典的薬物なら、短期作用のみならず長期作用もほぼ解明されているが、歴史的な蓄積のない薬物はこのへんが全くの未知数だけに、一抹の不安が残るのも事実でありまして。

 自ら無償で「治験」に参加している人々を見ると、こういう人たちこそ、ボランティア精神あふれる人間の鑑なのかもしれないなと思ったり。

 とりあえずは知人の無事を祈りたいと思います。使用報告には興味津々ですが。

−−−

 さて昨日、某ポータルサイトに連載しているコネタ記事がアップされております。

 今回のタイトルは「全国屈指の骨董市、東寺の弘法市・探検レポート」。毎月21日に京都・東寺で開催される、ばかデカい骨董市を見て回ってきたレポートです。いやァ、予想以上に楽しい市でした。ガラクタ好きにはたまらないスポットです。

 よければご覧いただければ幸いです。

 

12月4日(土曜) 深夜

 土曜出勤でした。

−−−

 事務課の人にデスクマット(机の上に敷くグリーンのマット)を注文していたのだが、二週間以上経っても届かないので、担当者を突っついてみた。

 「あのー、ずいぶん前に発注したデスクマット、まだですかねえ」

 そしたら、担当の事務の人から逆ギレされたのでした。

 「ああ、アレね! 名倉さん、ハードタイプのを頼むから、業者さんが持ってくるときに落として割れちゃったんですよっ!
 「だから業者さん、もう一度デスクマットを持って帰ることになって。納品はもうしばらくかかりますね!」
 「ハードタイプなんか注文する人、いまどき珍しいですよ。まったく!」

 たしか昨今は、ハードタイプのデスクマットではなく、ソフトビニールのものが主流ではある。しかし、ぼくはハードタイプが好きなのだ(ボールペンなどで字を書きやすいから)。こんなことで逆ギレされてもなァ。

 というか、それって単に業者がドジなだけだろう。

 …と心の中で思ったけれど、デスクマットごときで人間関係を壊すのもナンなんで黙ってました。

 こういう鬱憤がたまると癌になったりするんだ。きっと。デスクマット起因性癌。

 

12月3日(金曜) 深夜

 会社から帰宅して、部屋で気持ちよくウトウト仮眠していたら。

 ものすごく都合のいい夢を見た。内容はおおよそ次の通り。

 目が覚めて、心の底から情けない気分になりました。

 ぼくの人生の「夢」はこんな仕事に就くことなのか。プロの仮眠屋。…って、いったい誰が給料出してくれるのか。

 でも現実に仮眠が仕事になったら、これはこれでつらいかもしれない。いくら好きなことでも、仕事になるとイヤになる自信がある。

−−−

 そういや中学時代、担任の先生が「自分がほんとうに好きなことを仕事にしろ!」と力説していましたが。

 こんなコトをみんなが実践しはじめたら、それこそ世の中の大半が仮眠屋とかAV男優とかになってしまうんじゃないでしょうか。

 

12月2日(木曜) 深夜

 ひどい風邪が治り、その後のひどい口内炎もようやく治ったと思ったら。

 今度はとてつもない真打ちがやってきた。十年来の持病である「滅茶苦茶な方向に生えている虫歯の親知らず」がとうとうパックリ砕けて、歯の内部が露出してしまったんである。

 実はこの親知らず、十年ほど前から歯医者に警告されていたのだ。

 「こういうおかしな生え方をしてる親知らずはね、今はよくても、この先きっと問題を起こすから」
 「虫歯になったときは抜歯しかないから。そのときは少々厄介だからそのつもりで」
 「そのままじゃ抜けないから、歯茎を切開したうえで、顎の骨を削って歯を取り出す手術になるだろうね」
 「三日間くらいは普通の食事ができないし、手術の翌日は喋れないかもしれないよ」

 うわわああー。今になってよみがえる、当時の脅し文句。

 …ますます病気の話ばかりですみません。近日中に歯医者に行ってきます。ああ、猛烈に行きたくない。

 ちなみにウチの上司によれば、ぼくの病気はたいがいが心因性だろうとのこと。今回の歯が砕けたのもきっと、「仕事したくない!」という精神的な症状に違いない。

 歯をも砕く精神力。こんなすごい力があったら、今ごろもっと大人物になってますよ。

−−−

 さて本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回のタイトルは「衝撃的な勘違い」。シガリ口というタバコについて、おおいなる誤解をしていたことに先日気付いて赤面したレポートです。

 よろしければ読んでいただけば幸いです。

 …というか、もう歯のことで頭がいっぱいです。

 

12月1日(水曜) 深夜

 愛子様、3歳におなりになったニュース。

 テレビを見てるとさすが皇族。「もう自分で歯をお磨きになるとのこと」「木にもお登りになるそうです」なんて風に、そのお姿が紹介されておるわけですが。

 木に登った云々を尊敬語で紹介されても、まるで(以下略)。

−−−

 昨日、ウチのアパートの隣人が部屋を引き払って出ていった。おかげで現在、隣室はがらんどうで出入り自由になっている。

 で、こっそり忍び込んで、「へー、こんな間取りになってたのか」と感心したり、「ウチより浴槽がでかい!」と憤慨したりしていたのだが、そこでふと思い至った。今のうちに試せることを試しておこうと考えたのだ。

  1. 自室のステレオ音量、どこまでなら隣室に音漏れしないか
  2. エロチカビデオの音量、どこまで大きくしても声が聞こえないか

 実際にやってみた結果、今までぼくが気を使って設定していた音量なら、隣室からは全く聞こえないことが分かった(壁に耳をつけても聞こえない)。それどころか、これまでの倍の音量にしても音漏れは全然感じられない。

 なあんだ。これまで妙に気を使って、ロックを聴くときはシャカシャカ小音量にしぼり、エロチカビデオを見るときはヒソヒソ話のようなあえぎ声に落としていたのは、まったくの無駄骨だったわけだ。

 というか、これまで結構すごい音を漏らしていた隣室の住人は、どれだけデカい音でステレオを流していたのかという話。

 こりゃあ一本とられてました。おそらく隣人は、ぼくがあまりデカい音を出さないものだから、自分の漏音にも気を留めることが今までなかったのだろう。

 今後の教訓は、「隣室に誰かが引っ越してきたら初日に大音量をお見舞いする」こと。ここのアパートは壁が薄い、と敵にまず思わせるのだ。こうしておけば、この先もきっと音漏れに注意して生活してくれると期待できる。

−−−

 ちなみに隣人は学生風の若い女性だったんですが、トイレを見てみたら便器にウンコがこびりついていたことを付記しておきます。

 ざまみろ隣人、今まで大音量で音漏れさせていた罰じゃ! …て、こんなモン見てるぼくへの評価が下がるだけですか。

 


 

   2004年 11月のプチ日記 

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