2003年5月のプチ日記

5月30日(金曜) 深夜

 夜8時頃から居眠りしてしまい、目が覚めたら深夜3時。

 いくら週末とはいえ、なんて不規則な生活なんだ。…と反省しかけたところで気がついた。これってものすごく早寝早起きなうえ、7時間も寝ている。まるで老人のように規則正しい生活じゃないか。おお、なんて偉いんだ。

 自分への褒美として、また早朝5時から正午くらいまで寝る予定なんですが。

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 というわけで、近所で見かけた看板です。

 犯罪者のイラストがあまりにベタなのはさておき、言いたいことはただ一つ。ひったくりとかチカンとかは、「困ったときは110番!」なんて言わないんじゃないか。

 それとも過去のデータを集計すると、こういう事例が多かったのか。

 「オラッ!」
 「きゃっ!」
 「ねえちゃん、なかなか豊穣なオッパイしとるやないか」
 「や、やめてーっ! 助けてー!!」
 「ええやないけ…。減るもんやあらへんやろ…」
 「キャーッ!! 誰かァー!!」
 「困ったときは110番やがなっ!」

 こうして彼は、模範チカン犯として府警から表彰されましたとさ。

 チカンの間にもモラルが行きわたるといいですな。

 

5月29日(木曜) 夜

 めっきり暑くなってきたおかげで、いろいろ困ったことが起きている。

 その一つが台所の洗い物である。使い終わった皿やフライパンに水を張ったまま放置していると、数日後にはえもいわれぬ臭いが漂いはじめる。すると洗い物に着手する気などますます失せ、そうこうするうちに耐えがたい惨状へと至ってしまうんである。うわー、もうダメだ!

 …と絶望の奈落へと突き落とされていたとき(まあ洗えば済む話なんですが)、たまたま読んだ微生物学系の著書に一筋の光を見いだしたのだった。それによると、

  1. 放置した洗い物は細菌によって腐敗を始める。
  2. その結果、数週間にわたって悪臭を放ち続ける。
  3. しかし三ヶ月ほど経つと、すべて養分が分解される。
  4. さらに細菌同士が共食いし始める結果、清潔な無菌状態に戻り、悪臭も消失する。

 おお、そうだったのか! 臭い汚いと騒いでいたのは近視眼的な愚考だったのだ。洗い物を放置するというのは、長期的に見れば非常に衛生的かつ合理的な対処であり、ぼくは目先の快適さのみにとらわれすぎていたのだった。

 短気は損気と言われるとおり。みなさんも是非、大局的なものの捉えかたをしてほしいと思う。

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 なお、洗い物を放置してもほとんど臭いを発せずに養分分解させる方法があるらしい。

 数週間にわたって悪臭が漂うのは、嫌気性菌(酸素を嫌う細菌群)がゆっくりと養分を腐敗・分解するからであるらしい。同じ作業を好気性菌(酸素を好む細菌群)が行うと、百分の一程度の時間で分解が終了する。好気性菌に腐敗をお願いすれば、イヤな臭いは一瞬にして消え去るんである。

 そのためには酸素を供給し続ければいいとのこと。ってことは、水を張った皿やフライパンの一つ一つに酸素ボンベを連結するか、もしくは大きな水槽に洗い物を放り込んで、底から酸素を放出させるシステムを作ればいいのである。おお画期的!!

 …こんなことするくらいだったら食器洗浄機を買いますか。そうですか。

 

5月28日(水曜) 深夜

 ウチのトイレットペーパーが残り少なくなってきた。

 おかげで街を歩いていても、「トイレットペーパーを安売りしてる店はないものか」ばかり考えていた。心の中が見える機械があったら、ぼくの頭の中はきっとトイレットペーパーでいっぱいである。

 ただ、どんなときも自己相対化を忘れないのがぼくの特徴である。このときも内心、「オレって今、トイレットペーパーのことばかり考えてるよ…」と思っていた。おお、我ながら客観的じゃないか。

 しかし心の中が見える機械に映し出されるのは次の通りだろう。

「トイレットペーパーの安売り店」
「トイレットペーパーのことばかり考えてるよオレ、と思ってる自分」

 結局トイレットペーパーのことばかりである。なにをしてもスケールの小ささは変わらない。

 

5月27日(火曜) 深夜

 最近暑いので、会社でも半袖シャツを着始めているわけですが。

 この時期になるといつも決まって同僚から指摘される。「名倉さんの腕って貧相だよな」「なんとかしたほうがいいんじゃない」。ぼくより腕の細い男性などいくらでもいると反論すると「そうじゃなくて頭とかの大きさに比べて細すぎるんだよ」とまで言われる始末。くー。

 といって鉄アレイなど買うのも莫迦らしいので、広辞苑でウェイトリフティングをやっている。これって文系なのかマッチョ系なのか。

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 アトピーが悪化して以来、アトピー関連の本をよく読んでいる。

 情報収集しているというわけではなく、自分の身に関係しているだけに興味をそそられるのだ。正直に言えば読んでいてとても楽しい。どんどん読み進んでしまうこの感覚こそ、読書本来の快楽ではないだろうか。

 いやまァ、こんな呑気なこと言ってられるはぼくのアトピーがそれほど重篤でないからであって、本当に熾烈な症状に悩んでいる人たちはそれこそ、藁にもすがる思いで関連著書を読み漁っているのかもしれない。ただ、個人的にはたまに感じるんである。

 「自分に関連したことは、たとえ病気であっても読んでて楽しい」

 最近あまり面白い本がないという人がいるが、ぼくはそんなことちっとも思わない。なぜなら楽しめる本がたくさんあるからだ。

 悩みや病気をたくさん貯めているぶん、たまには利子だってある。

 …とか悔し紛れに書いてますが、ずっと「超低金利」なのも事実です。

 

5月26日(月曜) 深夜

 ここ数日、持病のアトピーが悪化している。

 心当たりはいくつかあるのだが(飲み会が続いたことやそれにともなう不規則な生活など)、同じようなことがあっても全然悪化しないこともあり、自分でも原因が皆目分からない。

 アレルゲンとしてよく指摘されるジャンクフードや卵を食べないようにしても特に変化はみられなかった。どころか逆に、ラーメンばかり食べてたときのほうが調子がよかったりする。粗食になったのが幸いしたのかもと思って低カロリーを心がけてみたこともあるが、ひもじくてイライラして余計に痒くなっただけだった。

 ハウスダストが悪いのかと思って掃除と洗濯をまめに心がけてもダメなときはダメ。かといって洗濯をサボるとてきめんに悪化する。まったくタチの悪いアレルギーである。

 実家に住んでいた頃は母が面倒くさがりだったので、シャツなどは最低二日着ないと洗うのを拒否されたのを思い出す。出した洗い物がそのまま「返却」されてくるのだ。おまけに風呂は二日に一度。ぼくは幼少時からアトピー持ちだったのだが、これでは治るものも治らない。我が子のアトピーのために何十万円もする浄水器を買ってしまう親もいるというのに、えらい違いである。

 アレルゲンテストなんてのもあるらしいが、いろんな物質を皮下注射して反応を調べて…という手続きが面倒臭そうで今ひとつやる気にならない。それにアレルギーにも「プラセボ効果」があるそうで、たとえば卵アレルギーの人に「これは卵成分です」と言って生理食塩水を注射したら強烈なアレルギー反応が出たりするらしい。被暗示性が強いぼくなどは全てのテストに反応してしまいそうで、どうも気が進まない。

 精神的ストレスが原因との説もある。だが、ストレスのない生活をしようと思ったら山奥に隠居でもするより他ない(これはこれで寂しくてすごいストレスになりそうだけど)。神経質な性格を変えればいいのかもしれないが、いままで30年近くかかって形成されてきた性格を変えるには同じく数十年の年月がかかるだろう。こんなことしてるうちに死んでしまう。

 アトピーの特効薬であるステロイドももちろん持っているけれど、これまた「使ってはいけない」「いや使わないとダメ」と諸説入り乱れていてワケが分からなくなる。仕方ないので悪化したときだけ使っているのだが、今度は「ダラダラ使うのが一番悪い」とか言われて余計に混乱する。ちなみに近所の皮膚科は、ごく普通のステロイドを「適宜使いなさい」と処方してくれるだけである。

 うーむ、一体どうすればいいのか。ポリポリポリ。

 そういやアトピーの語源は「原因不明」なのだった(ギリシャ語由来で「奇妙な病気」の意味)。こんなに的確な病名をチョイスする現代医学にはまったく頭が下がります。

 

5月25日(日曜) 夜

 知人宅で久しぶりにワインを飲んだ。

 そういや日本を代表するソムリエの一人(田崎真也だったか)は、ワインの味を形容するときに独特の表現をしていた。

「古い干草のような芳ばしさですね」
「濡れた犬のような香りですね」
「体育館の匂いを彷彿とさせるテイストですね」

 干草まではまァ分かるが、濡れた犬とか体育館とかいうのはどうなんだろう。体育館の匂いと聞いて連想するのは、マットに染みついたほこりとカビの臭い、そして男子更衣室のワキガと性欲が混じったような熱気である。こんなワインなど飲みたくない。

 …と今まで疑問の念を抱きつづけていたのだが、今日先輩が差し入れてくれたワインは公衆便所の臭いがした。 

 そのまま言うのは憚られたので、「せっぱつまってるときに開放感をもたらしてくれるような、そんなテイストのワインですね」とコメントしたら、みんなからキョトンとされました。

 

5月24日(土曜) 夜

 週末なので酔っ払いが多い。

 さっきも河原町の裏道を歩いていたら、飲み終わった男女数人のグループが次の店を探しているようだった。そしてしばらくすると、酔っ払った男の1人が「ちょっと小便してくるわ」とガレージのほうへと歩いていった。

 それはまァいいのだが、数分後、男はハンカチで手を拭いながらグループのもとに戻ってきた。えっつ!? 立小便なのに手を洗えるわけなどないだろう。

 おそらく彼は、トイレに行ったときいつも「ハンカチで手を拭くふり」をしているんだろう。それでつい、立小便のときもハンカチを取り出してしまったものと推察される。

 それとも本当にハンカチを使っていたのだとしたら、手を濡らした液体は一つしかない。うわー汚ねえ!!

 ハンカチがポイントダウンになることだってある。

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 さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京三千院」。京都を代表する観光名所のひとつである大原・三千院を訪ねてきたレポートです。実はここに行ったときまで便秘続きでして、三千院のトイレで3日分くらいのうんこをしてきたんですが、そういうことには一切触れず、清いレポートとなっております。

 そのあたりもくみながら、よろしければご覧いただけると嬉しいです。

 

5月22日(木曜) 深夜

 残業で帰宅が遅くなったので、夕食はペッパーランチのハンバーグ定食。

 ここのペッパーランチはたまに利用するのだが、いつもガランゴロンにすいている。今日も客はぼくだけで、店員同士がタメ口で私語を交わしていた。

 だが、ぼくのハンバーグ定食がオーダーを通ると、とたんにマニュアル言葉になるのでおかしかった。

 店員A:「最近おまえ、クルマ乗ってんの?」
 店員B:「それがあんまり乗ってなくてさー」
 店員A:「もったいないなァ。だったらオレに貸せよ」
 店員B:「それだけは遠慮しとくわ」
 店員A:「なんでだよー。…あ、えーと、こちらお願いします」
 店員B:「はい、かしこまりました!」

 マニュアルが体にしみついている点ではプロだと思うけど、プロというのはこういうものなんでしょうか。

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 それはさておき、近所でみつけたプレート。

 いったい何にどう注意したらいいのか分からない点で、下の日記のハチと同じです。

 とりあえずぼくは気を引き締めておきました。

 

5月21日(水曜) 夜

 勤務中、同僚がハチに刺された。

 すぐに近くの診療所で手当てを受け、元気な顔で帰ってきたので一同ホッとしたのだが、ぼくはちょっと心配だった。ハチ刺されは一度目は大丈夫でも、二度目にはショック症状を起こすことがあると聞いていたからである。

 そこでありったけの知識を動員して、帰ってきた同僚に教えてあげたわけです。

「今回は大丈夫でも次に刺されたときは注意したほうがいいよ。君の体内には抗体ができているから、次にハチ毒が体内に入るとアナフィラキシーショックっていうのが起こる可能性があるんだって。すると全身がショック状態に陥って、呼吸困難とか心肺停止とかで下手すりゃ数分で死んでしまうらしいよ」

 そしたら相手にものすごく嫌な顔をされてしまいました。なんだよ、おまえのこと思って教えてやったのに。

 ちなみに帰宅してから調べてみたら、ハチ毒のショックで死ぬのは年間数人とのことです。

 それによく考えたら、数分で死ぬときに何をどう注意すればいいのかという問題もありますが。

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 ちなみに別の上司は昔、足の裏をハチに刺されたことがあるそうだ。

 どうやったら足の裏を刺されるのか不思議に思って訊いてみたところ、「洗って干してた靴下の中にハチが入ってたんだよ」と。うわー恐ろしい。

 どうせならパンツの中に入ってたらよかったのに、と少しだけ思いました。

 

5月20日(火曜) 夜

 久しぶりにいろんなサイトを見て回ってました。

 近ごろのページは動画をちりばめてるところが多い。それはいいのだが、アクセスしたら再生ソフトのアップロードを求めてこられて閉口する。たとえば突然、こんな画面が出現するんである。

 旧バージョンのままでいいのでキャンセルしたいのだが、ご覧の通り選択肢は「今すぐ」か「後で」しか用意されていない。「閉じる」ボタンもない。

 仕方ないので表示されるたびに「後で」ボタンを押しているわけですが、これって考えてみると実生活でのやりとりと同じである。何かをすすめられて「また後で」とか「じゃあ今度」とか答えるときは、やる気など毛頭ないときと相場は決まっている。

 それともQuickTime社は、日本人の機微にここまで配慮して「後で」という選択肢を用意しているんだろうか。

「日本人だったらNOとは言いにくいでしょうから、“後で”ということにしておきますよダンナ。でもその意味は十分承知してます。後でアップグレードするって言っただろテメエ! なんて野暮は申しませんから」

 ただ、実生活においても、「また後で」と口にしたときは多少の罪悪感を抱くのが常である。やっぱりちゃんと断っとくべきだったかなァ、なんて逡巡することが多いのもまた事実。QuickTime社は今後、このあたりの機微を汲みとる必要があるだろう。

 そこで、こういうのはどうだろうか。

 「厚顔ながら今回は遠慮させてください」。こう答えることによって、相手も自分も傷つけずにやんわりと断ることができるのだ。まずは自分を貶めなければ、我々は落ち着かないんである。

 しょせんは外国の企業である。プラグインごときになぜこんなに気を遣わなきゃならないのかはさておき、そう思う。

 

5月19日(月曜) 深夜

 知人F君に新しい彼女ができたらしい。

 それは別にどうだっていいのだが、問題は彼の態度が最近トゲトゲしくなってきたことだ。以前は人当たりのいいやつだったのに、彼女ができるのと前後して急に口が悪くなってきたんである。ぼくもその被害者で、ちょっとしたことで「頭悪いんじゃねえの」だの「死ね」だの言われる始末。

 恋人とかできたら心が丸くなるように思うのだが、F君の場合はまるで正反対なのだ。これはどうしたことかと不審に思って関係者にさぐりを入れてみたところ、おおよその事情がつかめてきた。新しい彼女というのがどうやら非常にアグレッシブな人物らしいのだ。

 さらにF君自身の口からノロケ話が飛び出したこともあるのだという。「俺って最近、彼女の喋りかたに似てきてねえ。好きな人の口癖とかって伝染るよね」と。

 ここまで言われたらポカーンとするしかないが、続く話を聞いてちょっと安心した。「Fのやつ、おかげでいつも彼女と壮絶な口論になってるんだって」「別れ話に発展することもよくあるって」。よっしゃ、そうこなくっちゃ!! F君はやっぱりいいやつだ。

 これからも恋愛を通じて、相手の悪いところをどんどん吸収していってほしいと、ささやかながら願う昨今であります。愛があればきっとできるさ!

 そして最後に愛が勝って終わる。

 

5月18日(日曜) 深夜

 デパート地下の食材コーナーに立ち寄ることが多い。

 夕方6時頃になるといつもタイムセールで値引きされるのだ。で、今日も「特売始まりましたー!」という店員の声につられて冷やかしてみたところ、こんな特売品が並んでいた。

 奥のなす田楽(2個入り)は500円→400円なのだが、手前の品(1個入り)は250円→400円になっている。たしかに「特別販売」かもしれないが、こんなのはごめんである。ここの店員は莫迦なんじゃなかろうか。

 …と憤慨しながら見ていたら、OL風の女性がこの「タイム値上げ品」を買い物かごに入れて立ち去っていった。金持ちな人は食べ物にも金に糸目をつけないみたいです。

 

5月17日(土曜) 夜

 子どものころテレビドラマを現実のものと勘違いしていた、という人がたまにいる。

 こういう話が出ると「そうそう!」「あーオレもそうだった!」と結構みんなが共感するのだが、自分の幼少時を振り返ると決してそんなことはなかった。ぼくは当時から、テレビ番組のほとんどは虚構の世界であると思っていたのだ。

 …なんて書くと、早熟だった自分をアピールしたいみたいで非常に感じ悪いと思いますが、まァ続きを読んでくださいな。

 ぼくがテレビ番組を作り物だと考えた根拠は「話し言葉が違うから」だった。テレビの中の登場人物は自分たちの喋り言葉と何か違う、だからこれはウソもの=演技だと判断したのだ(当時は番組のほとんどが関東弁だった)。したがってテレビドラマも映画もドラえもんも、ぜんぶぜんぶ作り物なんだと。

 結果的にはこれが正解だったわけだが、唯一、作り物なのか現実なのか迷ったのが「じゃりんこチエ」だった。アニメだから何となく作り物だとは思うのだが、登場人物がみんな関西弁だからどうも実話くさい。うーん、一体どっちなんだ!?

 いま考えると、テレビドラマを現実と思っていた奴らよりもずっとバカだったと思います。

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 さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京PL」。大阪・富田林にあるPL教団の中枢、PLタワーを訪ねてきたレポートです。今回はちょっぴり宗教色の強いコラムになってしまったかな、と反省しております。

 よろしければご覧いただけると嬉しいです。

 

5月15日(木曜) 夜

 以前よく通っていたラーメン屋に数ヶ月ぶりに行った。

 この店のラーメンはスープが濃くて基本的には美味しいのだが、日によって味がまちまちだという特徴もあった。塩辛さが全然違うんである。めちゃくちゃ薄味だったり、しょっぱ過ぎたり。どうしてこうも味が変わるのか。

 …てなことを思い出しながら数ヶ月ぶりのラーメンを食べてみたら、異様に塩辛かったので安心しました。

 「味がコロコロ変わる」のはやっぱり変わってないんだなァと。

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 それはさておき。トヨタの乗用車に「カリーナED」というのがある。

 かなり前からある車種のようで、発売当初はそれなりにかっこいいスポーツカーだったように思う。だが、ある日を境に時代は一変した。ED(勃起障害;Erectile Dysfunction)治療薬、バイアグラの登場である。

 以来、我々はEDと聞くとまずインポテンツを連想するようになったのではないか。

EDは治療可能な障害です

 当然のことながら、カリーナEDのテールランプに輝く「ED」のエンブレムも運命には抗えなかった。以前のスポーティーなイメージなど雲散霧消し、代わりに「走るインポテンツ」というイメージを醸し出すようになってしまったのだ。

 車のオーナーもさぞショックだったろう。自分の愛車にこのようなレッテルが降りかかろうとは想像もしなかったに違いない。

 そしてカリーナEDは今日も街を疾走し続けている。

 そういや和歌山カレー事件のとき、知人の「真須美」さんがえらく落ち込んでいたのを思い出した。

 

5月14日(水曜) 深夜

 帰宅後、テレビ見ながらゴロゴロしていたら3時間もうたた寝してしまった。

 夢うつつの中、テレビの音声だけがぼんやり聞こえている状態だったのだが、次第に頭の中にテレビの画像が見えてきた。要は夢の世界のほうに落ちていったのだった。

 こういうとき、外界からの情報が夢に反映されやすい。今回も正にそれで、テレビの中のナレーターが妙なリアリティを持って語りかけてきた。

 「この番組では、一人の人間の生きかたを通じて、人生とは何かを考えてみたいと思います」

 そして番組はさらに進行した。

 「さて、それまで平凡な結婚生活を送っていた関根勤は、小説家を目指して出家したのでした」

 へえー、そうだったんだ。関根さんって出家してたんだー。

 …と、ここでふと目が覚めた。現実のテレビでは瀬戸内寂聴の半生が紹介されていた。いったんは結婚して主婦になったものの、小説家への夢をあきらめきれず、家庭を捨てて出家してどうのこうのと。

 夢の中でぼくは瀬戸内寂聴を関根勤と聞き間違え続けていたのだった。なんだこれは。最初の「せ」しかカブってないし。というか、関根勤が小説家を目指して出家していた、なんて話を何の疑問も抱かず聞いていた自分もイイカゲンすぎ。

 こういう夢を「夢分析」とかしたらどうなるんだろう。結婚願望の現われとか言われてしまうんだろうか。関根さんの出家。

 

5月13日(火曜) 深夜

 そういえば高校時代、異様にさみしがりなK君というクラスメートがいた。

 とにかく四六時中、誰かそばにいてくれないと気がすまないという性分なのだった。彼が一人でいるところを目撃した者はいないというほどの筋金入りで、学内でも「キングオブさみしがりや」の名を欲しいままにしていた。

 そんなK君はトイレに行くときも連れションを切望した。で、ぼくもしばしばそのターゲットとなっていたわけですが。

 ぼくは当時から排尿困難恐怖の気があった。他人がそばにいると小用を足せなくなるのだ(要はおしっこが出なくなる。神経症の一種)。なので、誘われるたびに「今はしたくないから…」と断っていたのだが、すると決まって言われるのだった。「トイレ行ったらしたくなるって!」。

 誰かと一緒だと出るものもでなくなってしまう身としてはまったく理不尽な話なのだが、あまり強く断って怪しまれるのもいやなので、さいごは仕方なくトイレに同行していた。当然のことながらおしっこは出ない。でも「自分の分」のおしっこはまた別に出る。

 というわけで「つきあいトイレ」と「自分トイレ」とのかけもちの結果、一日にものすごい回数トイレに通うことになった。周囲からはよほどのトイレ好きと思われていたような気がするが、そうじゃないんである。連れションと排尿困難の組み合わせが水と油ほどに不相性だったのだ。

 ちなみにウンコなら誰かと一緒の空間でも出せるように思うのだが、幸か不幸かそういう機会は今のところない。いろいろうまくいかない世の中だな、とたまにポエムな気分になる。

 

5月12日(月曜) 夜

 昨夜は急に東京から友人がきて、またもや飲みにいってたので更新できず。

 数年ぶりに会う奴だったので、とりあえず「あ、散髪したんだ」と挨拶しておきました。

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 高校生の頃といえば、親や先生に隠れてこっそり飲みに行ってたのを思い出す。

 ぼくは酔いがあまり顔に出ないほうなので、酒臭い息さえ悟られなければ親にバレることはあまりなかった。だが当時のクラスメートF君は、「酔うと目が垂れてくる」という体質の持ち主だった。おまけに彼の家はとても厳格で、高校生なのに酒など飲んで帰ろうものなら両親に激怒されるとのことだった。

 でも、みんなが飲んでたら自分も飲みたいものである。F君もついつい杯を重ねてしまい、「おまえ目が垂れてるぜ」と指摘されてはオロオロする、というのを繰り返していた。

 そしてある日、いつものようにみんなで居酒屋で飲んだ帰りのこと。

 ふと見ると、酔ったF君がずっと指で顔面を固定していた。なにをしてるのかと思って尋ねてみたところ、「垂れた目をつりあげてるんや」とのことだった。帰宅するまでに垂れた目をなんとか戻そうと必死に努力していたのだ。「指で目をつりあげながら歩いている男」、これは誰がどうみても単なる酔っ払いか、ちょっとヤバい人である。

 ちなみに翌日F君に訊いてみたら、その日は飲んできたことがあっけなくバレてしまったらしい。渾身の力で目をつりあげ続けた結果、顔が赤くにじんでしまい、かえって怪しまれてしまったんである。

 そもそも、垂れた肉が指で元通りになるわけないだろう。だったらセロテープで固定したほうがまだマシだ。

 

5月10日(土曜) 夜

 昨日は朝まで飲んでたので更新できず。

 今日は土曜なのに研修会があったので、二日酔いの頭を抱えながら出席してました。最悪である。

 研修会の会場では靴を脱いでスリッパにはき替えることになっていたのだが、たまたま同じテーブルに座っていた人の靴下がぼくのと全く同じやつだったので驚いた。相手もどうやら気づいて意識していたようだった。

 ちなみにその靴下は3足千円の代物。今月に入ってから一番気まずいハプニングである。ますます最悪。

 おかげで研修の中身などまったく頭に入りませんでした。

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 さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京奈良」。…と書いただけでツマラナサがびんびん滲み出てきますが、奈良の現況を報告すると言う名目で、奈良公園の鹿にエサをやったり、東大寺の大仏様を見物したりしてきました。

 よろしければご覧いただけると嬉しいです。 

 

5月8日(木曜) 夜

 脳内快楽物質。

 エンドルフィンやエンケファリンといった物質の総称で、脳内で分泌されると、最終的にはドーパミンの過剰放出を起こして個体に多幸感をもたらす。いわゆる「ランナーズハイ」なんかの機序がこれにあたるらしい。

 有名な学説だからこんなところに書かなくても皆さんすでにご存知と思うが、それはさておき話を進めると、このメカニズムが人類の進化に大きく貢献してきたのだという。極端な疲労や痛みを受けた人体はそのままでは正常に機能できなくなり、死へと至る確率が高くなってしまう。それを防ぐために、苦痛を緩和する快楽物質が一時的に大量放出されるようになった、というわけである。

 で、歴史上の偉人たちについて検証してみると、脳内快楽物質の分泌が一般人よりも活発だったのではないかと考えられるらしい。我々一般人には耐え難いような過酷な冒険やハードワークも、脳内快楽物質が大量に分泌されれば乗り越えられる。また、過酷な経験を乗り越えたあとに強烈な至福体験がもたらされるからこそ、辛酸をなめるような挑戦に自ら身を挺していったのだと。

 こう聞くと確かになるほどと思うが、自分の経験に照らし合わせるとささやかながら反論せざるを得ない。

 なぜなら、ぼく自身も脳内快楽物質の分泌が多いような気がするんである。恥ずかしいのであまり人には言っていないが、クスリなどなにもやっていないのに突然ものすごく気持ちよくなってきて、独りでしみじみ恍惚としていることがよくあるのだ。

 このような状態になる状況としては、前日6時間しか寝てないというときや30分ほど残業したとき、駅から小走りで帰宅したときなどが挙げられる。ぼくは心身ともに軟弱であるため、このくらいのストレスで過負荷となり、それを打ち消すべく脳内快楽物質が出動してくれるようなのだ。

 だから、べつに過酷な冒険とかしなくても、駅から小走りして帰っただけで十分に快楽を得ることができる。これが歴史上の偉人への第一歩かと言われると、なにか違うような気がしてならない。というか駅から小走りするだけで充分だったら、これ以上の進歩など考える気にもならない。

 同じ至福体験を求めるために新大陸発見に命を賭ける人もいれば、駅から小走りで帰宅する人もいる。

 いやまァ、スケールの小さい人間はなにをやってもスケールが小さいという当たり前の話ではあるんですが。

 

5月7日(水曜) 夜

 ものすごい高温多湿ですな。

 とくに職場はまだ冷房が入ってないうえに通気が悪いので30℃近くになっていた。ウチの部署には虚弱な人が多いので、みんなずっと「ダルい」だの「しんどい」だの「死にそう」だのと言っていた。愚痴をひとつも言わなかったのはぼくだけというありさま。

 あまりにもしんどくて愚痴る気力さえも出なかったんである。

 もしも自分が野生の世界に生きていたら、まっさきに淘汰されて消えていた個体だろうなとつくづく思う。まずヒナの時点で、鳴き声が小さくてエサをもらえず死んでそうな気がする。

 いやまァ、人間の世界でもある意味淘汰されてるんですが。

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 それはさておき、駅ホームで見つけた落書きです。

 アレを描いているのは一目瞭然なのだが、それにしてもこのヘタクソは何なのだ。「女性」の頭は妙にでかくてイガグリみたいだし、胸と腕も判別しがたい描画である。「男性」も腰部分だけしか描かれておらず、これだけでは何なのかさっぱり分からない体たらく。

 いったい誰が何のために描いたのか、考えれば考えるほど分からなくなってくる。

 それとも宇宙人の手による落書か。地球外生命体の交尾がこんな代物だったら、NASAの職員もさぞがっかりだろう。

 

5月6日(火曜) 夜

 昨日は軽いSARSっぽかったので更新できませんでした。そういやもうすぐ会社の健康診断。

 あまり関係ないが、学生時代、学園祭で出店をだしたことがある。で、食品を扱うので検便を提出しなくてはならないことになったわけですが。

 大学側が言うには代表者二人分の便を提出せよとのことだった。そのとき店をだそうと言い出したのはぼくだったので(なぜか部長をしていた)、一人分は自分のを提出すれば済むが、問題はもう一つである。

 副部長と会計(いずれも女性)に協力を頼んでみたのだが、冗談じゃないわよと一蹴されてしまった。ぼくが「悪用」すると心配したのかもしれない。

 そこで仕方なく、自分のうんこから二人分の検便サンプルを提出したのでした。会計の子の名義だけ無断で借りて。

 寄生虫とか出て本人に連絡がいかなくて本当にヨカッタ、と今になっても思います。

 

5月4日(日曜) 深夜

 タイに海外旅行してきたF君という知人がいる。

 なにごとにも用意周到をモットーとしている彼は、タイ旅行の前にもいろんな準備をしていったらしい。

 たとえば、タイは日本に比べると衛生状態が悪い。生水を飲まないよう気をつけていてもお腹の調子を崩す旅行客が多いと言われている。そこでF君は、旅行の1週間前から、少しずつ「抵抗力をつける」ことにしたのだという。

  抵抗力をつけるというより単なる「汚い人」だと思うが、本人は自己鍛錬にいそしんでいるつもりだから世話がない。で、その効果のほどを尋ねてみたところ、予想通りの答えが返ってきた。

 「いやー、向こうに着いた翌日からすごい下痢になっちゃってねえ。やっぱりタイは手ごわいよね」

 F君はきっと、旅の直前までに免疫力を使い果たしていたんだと思います。

 

5月3日(土曜) 深夜

 大阪・富田林に住んでいる友人のところに遊びに行ってました。京都から2時間もかかる。

 というわけで待ち合わせ時間に合わせて家を出たのだが、駅に向かう途中でふと気がついた。「電車のなかで2時間。いったいどうするよ」。文庫本の1〜2冊でもないと、退屈で死にそうになってしまうのではないか。

 そこで急きょ本屋に立ち寄ったのが間違いでした。1時間くらいかけてじっくり選んでしまい、友人に多大な迷惑をかけてしまった。

 持ち帰りの仕事が立て込んでるときなんかだと2時間くらい平気でボーッとできるのに、何もしなくていいとなると途端に耐え難くなるのはどうしてなんんだろう。

 さては悪魔の仕業か。とてつもなく地味な悪魔だけど。

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 で、富田林ではPL教団のネグラなどを散策したのち、マス釣りにでも行こうということになった。のどかですな。

 だが現地に着いて絶句した。

 「次はァ〜。ますつりばァ、ますつりばァでございまーす」。

 バス停の名称が「鱒釣場」なのだ。これは地名ではないだろう。それともここ富田林では、土地の特徴がバス停の名称になっているんだろうか。

「次はイモ掘り場、イモ掘り場でございまーす」
「次は日光浴場、日光浴場でございまーす」
「次は毛虫の多い所、毛虫の多い所でございまーす」

 まるで観光バスのガイドである。考えようによっちゃあ贅沢な話なんですが。

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 さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京ブリキ」。京都市内の真ん中にある有名マイナースポット「ブリキのおもちゃ博物館」に足を運んできたレポートです。名目上はブリキ玩具を大量展示しているということなんですが…。

 どうしてぼくは、「ショボいもの」にこうも惹かれるんだろうと、我ながら頭をひねっております。ショボさだけが人生さ。

 よろしければご覧いただけると嬉しいです。

 

5月2日(金曜) 深夜

 自宅にいるとき、玄関ドアに付いている防犯用の「のぞき穴」を見るのが好きだ。

 なんて書くとヘンタイみたいだが、同じ階の住人の行動が分かって楽しいんである(これもヘンタイっぽいけど)。

 たとえば今朝も、廊下でバタバタ足音がしたので穴からのぞいてみたら、二つ隣の住人(男子学生)が大きな紙袋を抱えて階段を降りていくところだった。その紙袋はアパート出入口に無造作に捨ててあり、中身は数十冊のエロ本だった。

 そしてさっき(深夜1時前)、またもや足音がしたのでのぞいてみたら、今朝エロ本を捨てていた彼が女性と一緒に部屋に入るところだった。ぬっ、カップルなのか! 

 と思ったが、それにしては女性の挙動がおかしい。しきりに会釈しながら「お邪魔しまーす」とか言っているんである。さては付き合って初めての部屋デートなんだろうか。

 …なるほど、そうかっ! 

 彼はおそらく、初めての部屋デートにそなえてエロ本を処分していたのだ。意外なところでつながる「「点と線」。って言っても、エロ本とデートなんだけど。ああ、なんてセコい点と線なんだ。

 でもなんだか悔しいので、今から、捨ててあるエロ本袋を抱えて彼の部屋を訪れてやろうかと思う。「すみませーん。これ出すのゴミの日まで待ってもらえますかー」とか言って。ついでに縄とかロウソクとかバイブとかも一緒に入れて。

 いやまァ、ほんとに実行する勇気などないのでただ妄想するだけなんですが。

 こうしてぼくは日々、自分を追い込んでおるわけです。これでも自分に厳しいつもりです。

 

5月1日(木曜) 深夜

 『免疫学問答』(河出書房新社)という本を読んだ。

 東北大学医学部出身の教授と僧侶との対談集なのだが、その趣旨は「薬物による化学療法や手術は病気を悪化させるだけ。本当に病気を治すには自己免疫力を強くするしかない」というもの。

 この教授は「世界的免疫学者」とのことらしく、200本以上の論文を世に出している研究者であるらしい。これは素直にすごいと思うのだが、氏の膨大な研究は極論すれば、今までの医学・薬学には意味がないということを実証するためのものではなかろうか。

 今までの学問の蓄積をすごい情熱でもって無意味化していく。研究って素晴らしいな、と久しぶりに感じております。

 そういや芸術家の赤瀬川原平氏が、がんばって「自動ガム噛み機」なるマシンを開発したことをふと思い出した。

 


   2003年4月のプチ日記 

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