6月29日(金曜)
本日の豆知識。
落語なんかのオチのあとに言い添えられるセリフ、「お後がよろしいようで」。
これって、自分の話がうまくオチて「後味よろしゅうございますやろ」みたいな自画自賛だと勘違いして、内心ひそかに感じ悪いなァと思っていたのだけれど、実はぜんぜん違って、「自分のあとに出番を控えている咄家の準備が整ったようなので、私めはそろそろ引っ込みますわ」的な意味であるらしい。
いままで感じ悪いなァと思っていた蓄積が、一転して感じよくなった一件。自分内オセロゲームみたいな感じと申しましょうか。
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例によって本日のダイエット食です。
明日は飲みに行く予定なので、昨日の残り物をやっつけなければ! というのもあったんですが。健康のため野菜をたくさん食べようと思ったら、全体的に量が多くなりすぎて、かえって食べ過ぎになってしまいました。
ちなみに丼は、焼き納豆の半熟たまご丼です。
6月28日(木曜)
いつものように満員の通勤電車に揺られていたら突然、近くにいたおっさんの怒号に空気が張り詰めたのでした。
「こらァ! 何やっとんじゃあ!!」
相手からの反応は何もなく、しかしその後も、「何したか分かっとんのかオマエ!!」「逃げんなよオラァ!!」とドスの利いた怒鳴り声が立て続けに聞こえてくる。うわ、ナンだ何だ!? 朝っぱらから酔っ払いが乗客にからんでるのか、それともちょっとアレな人が騒いでるのか。
しばらく聞いているうちに事情が分かってきた。
「知らんやとォ!? オレはこの目で見てたんじゃ!!」
「それに見てみぃ、この子かわいそうに泣いとるやないか!!」
(近隣の乗客に)「…すいません、ちょっと警察に証言してもらえます?」
「おい、とりあえず次の駅で降りるぞ!」
痴漢である。
そして次の駅に到着し、サラリーマン3人がかりで取り押さえられながら電車から引きずり出される「容疑者」と、傍らにいたOLさんに肩を抱きかかえられながら降車する女子中学生とが目の前を通り過ぎていったのでした。
痴漢といえば世間的には、「ガハハ風の顔テカテカのおっさんが、タイトスカート姿のムチムチプリン女性のお尻を弄ぶ」みたいなイメージがあるような気がするけれど(って単にぼくの先入見でしょうか)、実情はもっと陰湿でイヤ〜な気分にさせられるものでありまして。
十数年前に痴漢を目撃したときもそうだったけれど、今回も同じく、加害者の男性はいかにもオタク風というかショボくて冴えない感じの学生or浪人生という風貌。一方の被害者の女性はといえば、これまた輪をかけて根暗っぽくて地味で陰気でおとなしそうな女の子だったのでした。
弱者がさらに弱者を狙って食い物にしようとする構図からそこはかとなく漂うプリミティブないたたまれなさ。
でもまァ、とりあえず周囲のおっさんやOLさんがちゃんと対処してくださって本当にヨカッタ。…と、自分がたとえ証言する立場であっても当事者にならずに済んでヨカッタという、いささか自分勝手な本音とともに思った本日でした。
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本日の48分クッキング夕飯。
痴漢とは関係なく、ひさしぶりに出汁巻きを作りました。
6月27日(水曜)
インフォームドコンセントの名のもとに近年、医療業界では説明&合意がやたらと行われている気がする。
ぼくが鎖骨の手術を受けたときも、全身麻酔をかけるとそのまま死亡することがあるけれど同意します、みたいな文書にサインさせられた記憶がある。そんなことになる可能性はゼロに近いくらい低いのだろうけれど、それでも万一の事態に陥った場合、「だから説明&合意してましたでしょ」と病院側が責任を問われないようにするための事前防衛策なのだろう。
ちなみにぼくの知り合いの医者は、素人目からしても大したことなさそうな患者さんであっても、「治療を行うと亡くなる可能性があります」と告げて説明&合意をとりつけているらしい。案の定というか、そういった患者さんが実際に亡くなったケースは皆無とのことだけれど、これも同じく事前防衛策なのだろう。
だったらいっそ、風邪で受診した患者さんにも念のため、「死ぬかもしれませんよ」と言っておけばいいと思う。実際、風邪をこじらせて肺炎で死亡する可能性だってゼロではないのだし、幸いそんなことにならず治癒したなら、死ぬかもしれないと言われていたのにちゃんと治してくれた名医の先生! てなことになってお互いハッピーなわけで。
ま、どんな症状で受診しても例外なく「治療したら死ぬかもしれません」と言われる世の中になったら、少しは医療費抑制になっていいかもしれませんね。
6月26日(火曜)
本日の銀杏。
ご近所への迷惑を考えてか、枝がすべて刈り取られているんですが、それにもかかわらず葉っぱボーボーで。
紅葉の季節になると一層、素敵な光景になります。
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すっかり恒例の、本日の食卓。
時間のあるときはだいたい、ごはんを作ってるか庖丁を研いでるか、テレビもしくはDVDもしくは映画を観ているか、寝ているか、酒を飲んでいるかという感じなんですが。
どれもこれも、なんのためかといえば、「余計なことを考えないため」のような気がいたします。
6月25日(月曜)
一部のあいだでちょっとした話題になっている、ウィンフォード・ジョンストンの本を立ち読みしてみたんですが。
今の世の中の森羅万象(物理現象から人間関係から経済動向から……)を全て、「宇宙の生命活動」という一貫した視点から説明してみせた切り口には感嘆させられたものの、それを人類が起こしているさまざまな些事にまで適用しようとするのは、ちょっと無理があるなーというのが素直な感想でしょうか。
そんなわけでいつものように、本日の過酷なダイエット夕食です。
近所のスーパーで1袋100円の万願寺とうがらしを購入したところ、半分くらい「当たり」(めちゃくちゃ辛い)でした。
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ちなみに、薄々お気づきかもしれませんが、上に書いたウィンフォード・ジョンストンなんて著者は存在しません。
というわけで、ウィンフォード・ジョンストン占いでした。貴殿はどのタイプでしたか?
…それにしても、今の世の中、テキトーに思いついた外人の名前でググッてみると、たいてい何かで活躍してたりするんですねえ。それっぽくて、なおかつ全くヒットしない名前を探すのに少し苦労しました。
6月22日(金曜)
はい、ただの食べ物Web日記です。
毎晩ほんとにダイエットするつもりで、決死の思いで臨んでいるのですが、どういうわけか品数が多くなってしまうのが我ながら不思議でなりません。
ちなみに今晩の感想は
・スーパーの安売りで買った鱧の落としはションボリする
・鰹のたたきに刻んだミョウガを載せたら美味しかった
・男前豆腐おいしい
・小松菜は茎より葉っぱのほうが美味しい
・プチトマト美味しい
…自分の用の日記って、きっとこんな感じになるんだと思います。10年前ならもっと人の悪口とか書いてた気がしますが。
6月21日(木曜)
ぼくが学生時代、「日色なる」というAV女優がいた。
といっても、別にファンだったわけでもなんでもなく、出演作を見たことすら一度もない。にもかかわらず妙に印象に残っているのはどうしてかと言うと、その芸名の由来である。たしか週刊誌か何かのインタビュー記事に載っていたのだけれど、この芸名、本人が自分で命名したらしく、
「AV界のヒーローになる! っていう気持ちを込めてネーミングしました!!」
つまり、ヒーローになる→日色(ひいろ)なる、というわけである。
その後どうなったのかは詳しく知らないながら、それほど有名になったという噂は聞かない。つまるところ、ヒーローにはなれなかったのだ。
…というか、どれだけ美貌や才能があろうと、そもそもヒーローになれるはずがなかった。なんとなれば女性だから。こんな基本的なところに気付かなかった周囲も周囲だと思うけれど。
そんなわけで、彼女の芸名は「披露淫なる」にすべきだったのではないかと、十余年にわたって頭をかすめ続けておるのです。
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カロリー控えめの夕食にて。
それより何より、四合瓶が数日にわたって無くならないという事実に、自分で自分を褒め称えている昨今です。マジ、パねぇ!!
6月20日(水曜)
本日の注意。竹田駅ホームにて。
利用客に注意させるくらいだったら、頭上の鳥をなんとかしたらどうですの!? …と思いましたが、もちろん思うだけで何もせず、こんなところにチマチマ書いて憂さ晴らしといういつものパターンです。
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ビーガン食に感銘を受けて、本日の夕食は野菜を多くしてみました。
でも肉じゃがには、もちろんのこと牛の屍を幾ばくか混入しておりますし、焼き大根には鰹のミイラみたいな代物からとった汁を使っています。
昨日の残りの菊姫を空けました。
6月18日(月曜)
本日のご近所。
胡散臭さただよう健康器具メーカーの事務所&販売スペースになっていたのが、地元の人たちの「強い要望にお応え」して引っ越していったのでした。めでたしめでたし。
この調子でいくなら、暴力団事務所なんかも「ご近所の強い要望にお応えして移動しました」となるんでしょうな。
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鬼鯖の鯖寿司と、いただきものの水茄子で晩酌。
水茄子は切ってそのまま、わさび醤油で。お酒は石川県の菊姫(山廃仕込の純米酒)です。
6月17日(日曜)
ビーガンレストランを営んでいる人が出している、ビーガンのススメみたいな冊子を拝見しておったんですが。
いやー、いいですねえ。ビーガン。
◆ビーガン(Vegan)=純粋菜食主義者、だそうです。 ◆とにかく地球にやさしいんだとか。
現代の日本みたいな文明社会に住んでいたら、それだけでアスファルトの道路を利用していたり、コンクリの上に造成した家屋に住んでいたり、発電所経由の電気を利用していたり 、動物実験の犠牲の上に製造されているさまざまな薬を服用したりして、多かれ少なかれ自然を犠牲にしているにもかかわらず、そういった「細かいこと」には目をつぶって、動物の肉さえ食べなければクリーンで偉いと考えられる寛容さがすばらしい。
野菜なら食べていいという思考も恣意的で、一貫してかっこいい。店頭に並んでいる野菜なんて、農薬散布による尊い「害虫」の虐殺のうえに成り立っている商品なのだし、自家栽培の野菜にしたって放置しておけば虫に食われて跡形もなくなってしまうから、虫がついたら駆除しなければならない。それとも虫がついたら、隣の農家の畑に「生きるんだぞ〜!」と放り投げたりしておられるんでしょうか。オレが法律!
そもそも野菜だって自らを守って子孫繁栄しようとする生命なのだし、そうなると食べていいのは、自らが食べられるためになっている果実だけということになる。それも人工的に大量栽培した作物から果実だけ収穫するのは、その作物に対する詐欺 ・搾取であり冒涜にあたるだろうから、自然界になっている果物しか食べてはいけないことになる。
そうなれば地球が維持できる人間の数など今の何十分の一になるだろう。地球の寿命のためを考えればそのほうがいいのかもしれないけれど、ビーガンの方々はおそらく、自分たちがその何十分の一に該当するとなんの葛藤もなく思っておられそうな気がする。
そもそも「生命」自体が他の犠牲のうえに成り立っている利己的な存在であることを、自覚するほうが大切だと思うんですけどねえ。
…なあんてコトを柄にもなく熱く考えてモッサーとしてたんですが。
気を取り直して冊子をパラパラめくってみると、そこにはビーガンレシピの数々が。
◆ホイコーロー風
◆酢豚風
◆スクランブルエッグ風
◆肉炒め風
◆オムライス風
◆豚のしょうが焼き風
◆シュウマイ風 ◆ブロック肉風、ミンチ肉風、細切り肉風、手羽先風…
ええと、あのう。純粋菜食主義を標榜しておられながら、頭の中は肉のことでいっぱいなんじゃないですか!?
ちなみに、先日このビーガンレストランに行ってみた知人によると店内、冷房ガンガンにきいていたそうです。最後までコントみたいで、ビーガン最高!!
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というわけで今回は、ちょっぴり皮肉屋さんを気取ってみました。
はい、自己客体化しておけばたいていのことは許されると思っている莫迦ですぼくは。…という余計な一文も自己客体化なんですが。……という余計な一文も自己客体化なんですが。…(以下、永遠に続きます)
6月15日(金曜) 夜
だしをとって和食を作るのがめんどくさかったので、夕食をスパゲティー定食にしました。
フライパンにオリーブオイルを入れて、にんにくと唐辛子を熱してベーコン、そしてスーパーで100円だったズッキーニとマッシュルームを入れて、黒オリーブ、塩こしょう。最後に茹でたスパゲティー&茹で汁を入れて絡めれば出来上がり。
案の定そう美味しいわけでもなく、まずいわけでもなく、ふだん食べるのにちょうどいいような感じでした。
ワインはイタリアの赤、Velenosi Rosso Piceno。…とか書くとそれっぽくてワイン通みたいですが、正直ワインのことなどちっとも分かりません。
ちなみにこのワイン、デパートのセールで千円ぴったりで購入したんですが、味とかどう表現していいのかさっぱり分かりません。強いて言うなら、あー赤ワインという感じで、そこそこ濃くて、千円〜千二百円くらいな感じの風味。
6月14日(木曜) 夜
本日の朝、いつものようにギュウギュウ詰めの通勤電車に詰め込まれようとする直前のこと。
自分のショルダーバッグの底から水が滴り落ちて、腰のあたりが濡れていることに気が付いたのでした。うわ!? なんだなんだ??
慌ててかばんを開いたら原因が判明した。中に入れていたミネラルウォーターのキャップをちゃんと閉めていなかったせいで、中身の水がほとんど漏れてしまっていたんである。
もちろんすぐにキャップは閉めたものの、底からは水が滴り続けている。このまま満員電車に乗るのはどうかと思うけれど、この電車に乗らないと会社に遅刻してしまう。
それで結局、水も滴るショルダーバッグを両手に抱えながら、なるべく周囲の乗客に触れないよう気を遣い遣いギュウギュウ詰めになっておったわけですが。
当然のことながら、滴り落ちる水がどうしても周囲の乗客の靴や足元に付着してしまう。おまけにかばんが密着したところには、クッキリと水の跡が残ってしまう。ぼくはその中身がミネラルウォーターだと知っているからいいものの、液体の素性を知らない乗客にとっては心底不気味だったことだろう。ほんとうに申し訳なかったと思う。
なにしろ雨天でもない快晴の朝、通勤電車に詰め込まれてみたら、近隣の乗客から得体の知れぬ液体が滴り落ち、それが自分の衣服やら足元やらに付着するんである。汗なのか弁当の汁なのか、それとも体液!? ひょっとして農薬とかサリンとか!!
申し訳なさと恥ずかしさとで、じっとうつむいて目を伏せていたんですが、ひょっとすると周囲の乗客からは、おしっこ漏らししてしまったアンタッチャブルな人だと思われていたかもしれません。
後から冷静に考えると、せめて液体の素性が水であることを乗客たちに周知するべく、さりげなくかばんを開いて一瞬驚く演技をしたうえで、ミネラルウォーターのペットボトルを掲げるように取り出しつつ、これ見よがしに「うわ、キャップが開いていた…」とつぶやいた上で、「す、すみません!!」と謝罪すべきだったかなァと。しかしその場では、そんな機転は一切利かず。
せっぱ詰まると、ただでさえ利かない気が、ますます利かなくなることを実感した本日でした。
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しかしながらというか、だからというわけでもなく、夕食には味噌カツを食べました。
反省の意は、トンカツを食べることで示すのが自分流です。
6月12日(火曜) 夜
本日の大転身。
当初は赤色で書かれていた禁止マークが退色したおかげで、非関係者から一転、関係者に。
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コレステロール値が高いのを実は気にしているので、あっさりメニューを心がけています。
筑前煮、揚げなすのごま和え、きゅうりと大根の豆板醤和え、麦ごはん。お酒は招徳の花洛、そんなに高くないわりにクセがなくて飲みやすく、でも風味はちゃんとあるので、非常に「ちょうどいい」清酒です。
寝る前に小腹がすいたので、ポテトチップスを頂きました。
6月11日(月曜) 夜
恐ろしくどうでもいい身辺雑記ですみませんが。
京都・中書島の居酒屋「右左ギ乃厨」に。おそらく今シーズン最後となる、山菜のこしあぶらとタラの芽を天ぷらにしてもらいました。
かおりも食感もよくて旨〜い! 清酒は坤滴、英勲などを中心に6合ほど頂戴いたしました。
「非売品の酒」という清酒が売られているそうです。貼り紙一切禁止!の貼り紙みたいなものでしょうか。
店を出る頃にはすっかり酔っ払って、こんなFUZEI写真ともなんともつかない写真を上機嫌でパシャパシャ。
先日購入したばかりのデジカメ、高さ1.5mから落としても大丈夫というスペックを試したくなって、実際に試してしまうのが酔っ払いのおそろしいところです。翌朝、さっそく傷だらけになったデジカメを見て茫然としました。
6月8日(金曜) 夜
本日の大中華フェア。
売られていたのは、ピーマンと西洋人参、タマネギ、ニラ、そしてチンジャオロースの素だけでした。羊頭狗肉ならぬ、大中華フェアピーマン人参タマネギニラチンチンジャオロースの素。
でも実は、こういうのを見ると心のどこかでホッとします。
6月7日(木曜) 夜
本日のそろばん。
同僚の所蔵品を触らせてもらいました。ズシリ。裏面に24Kと刻印してあったので……。
バブル時代のそろばんかもしれません。
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金のそろばんを拝見した後は、いつもどおりスーパーにて買い物。
どれにするか3分ほど考え込んだ末、ど真ん中の一番大きそうなやつを選びました。
同じ値段で大きいということは、何か裏があるんじゃないかとか一瞬考えて、でもけっきょく大きいのを選ぶのが常です。
6月5日(火曜) 夜
本日のフェンス。
囲わなくても、誰も入らないと思います。というか、囲ってあるから入りたくなる。
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そして日々の夕食です。
いつも変わり映えのしない献立なので、もう載せなくていいよと言われそうですが、自分用の記録も兼ねてきているのでどうかご理解ください。
鯛のたいたんを食べるたび、駄洒落っぽくて照れくさくなります。そして付け合せのごぼうに、牛肉とごぼうのきんぴら。最近ごぼうに激ハマリ♪
6月4日(月曜) 夜
本日のスーパーにて。
もう6月なので、こんなものであったまらなくても、じゅうぶんにあったまってます。
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…といいつつ興が乗って、自宅で熱いラーメンを作りました。無化調の鶏がら醤油にて。
豚肉の茹で汁(チャーシューを作る過程で最初に油抜きをしたときの残り汁)の中に、鶏がら2羽分を入れて、ネギとショウガを加えて圧力鍋で1時間。
麺だけは既製品です。 悔しいけど仕方ありません。でも、ここの麺(グリコの麺好亭)は割と美味しい。
前日から仕込んでいたチャーシューと煮卵をトッピングして完成!です。あったまりました。
6月1日(金曜) 夜
メニエール病などでめまい持ちの人はほんとうに大変そうだなァと思う。
なにしろ、地面がゆれているようなフワフワした感覚にしょっちゅう襲われたりするらしいんである。
それだけでも大変なのに、「あ、地震!」と感じても、それが実際の揺れなのか、それとも単なる自分のめまいなのかが本当に分からないらしい。
なので、けっこう強い地震の揺れを感じても、「あ、地震!」と叫びたくなるのをグッとこらえつつ言うのだと。
「今の…地震? 本当に揺れた?? あ、揺れてなかったらごめんね」
地面が揺れたかどうかすら、おそるおそる訊かないといけない気の遣いよう。そしてさらには、そういうとき咄嗟に言ってしまうひとことが
「めまい持ちなもんで、地震かどうか自信なくて」
そして、それがなんだか駄洒落になってしまっていることに気づいて精も魂も尽き果ててしまう、という話を聞いて涙をもらいそうになったのでした。