11月30日(月曜) 深夜
ついに行ってしまいました、京都駅東の第一旭。学生時代は決して食うものかと目の敵にしていたのに。
特製ラーメン800円なり。相当な不味さを期待していたのに、あろうことか相当美味しくて、ああやっぱり客の期待を裏切る邪悪な店じゃ…と心を新たにした本日。
敵を喰らうということで、今後しばらくは我らの新福菜館よりも頻繁に通うことになりそうです。
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小学生の頃は貸マンガ、中学生の頃はレンタルCD、高校生以降はレンタルビデオ、急な葬式のときは貸衣装。
…という具合に、レンタル業界にはひととおりお世話になってきたつもりだったけれど、井の中の蛙でした。
「今週末ヒマだし、工場とか借りてみよっか?」
「あー、それ楽しそう!!」
みたいな会話が世間では当たり前のように繰り広げられているんでしょうかねえ。
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そして、近所のスーパーでかき揚げを購入。
こういうのを買うとき、なるべく大きいやつを選ぶのはよくあると思いますが。ぼくなどは隣のかき揚げをこっそり剥って、小えび一尾ほどセルフ増量して購入してしまうときがありまして。
帰宅してから、ああなんとさもしい人間なんだ! と自己嫌悪にさいなまれるわ、小えび一尾分カロリーオーバーするわで、けっきょく損ばかりしています。
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個人的な連絡で恐縮ですが、知人・友人のかたへ。
いままで普段使っていたメールアドレス<nagura@alpha.ocn.ne.jp>は本日をもって使用不可となります。
<otearai@yahoo.co.jp>はそのまま使えるので、こちらのほうにご連絡いただいてもいいのですが、スパムメールに紛れてしまう可能性もあるので、なるべくケータイもしくはmixiのほうにお願いします。
一人ひとり連絡するのが面倒なので、こんな場を借りてアナウンスさせてもらってますが、知人・友人ってここ、あんまり読んでくれてないんだよなァ…。
11月27日(金曜) 夜
いま住んでいる伏見の伏見桃山城界隈は、京都でも屈指の高級住宅街と言われている。
噂によると、企業の社長さんや病院の院長さんといった面々がそろって居を構えているらしく。実際に足を運んでみると、そりゃもう立派な大邸宅がずらりと並ぶ別世界のような一画になっているのだった。
ただ気になったのが、大邸宅ばかりで近辺に店がひとつもないこと。この区域は当初から高級住宅街として開発された都合で、最も規制が厳しい「第一種低層住居専用地域」に指定されており、そのためスーパーはおろかコンビニすら建てられない区画になっているんである。
おかげで歩いても歩いてもひたすら豪邸ばかりで、最寄りのコンビニまで徒歩30分近くかかったりする。ちょと買い物にいくのも大変で、お金持ちの人たちはこんな苦労をしていたのか! ああ、お金持ちなんかにならなくてよかった!! と悔し紛れに思ったり。
でも考えてみたら、お金持ちの人たちは自分で買い物なんぞに行かず、じゃんじゃん出前とか取ってるのかもしれませんな。ピザハットとか。
…てなことを同僚に話したところ、「金持ちはクルマで移動するから、あんまり関係ないんじゃないですか」と言われてしまった本日。
そうか、クルマがあったか。完全に死角でした。
11月26日(木曜) 深夜
人から気を遣われて、かえって困ることが結構ある。
たとえば同僚が言ってくるわけである。
「名倉さんって大学で心理学やってたんだってね。だったらメラビアンの法則とかって詳しい?」
相手はおそらく、心理学を学んでいた人にはこういう話題がいいのかな、と気を遣って話しかけてくれたのだろう。でも、これがまた聞いたことすらない法則だったりして、「いやー、全然分からないっすねえ」などと口ごもって、気まずい雰囲気になってしまうことが多々あったりする。
広く知られている「心理学の法則」は、そもそも自己啓発だとかビジネス戦略だとかの分野で言われ始めたモノが多いため、学問としての心理学とほとんど接点のない場合が多いんである。後になって知ったのだが、上述のメラビアンの法則にしても、ビジネス研修などで取り上げられることの多いトンデモ系っぽい法則(オリジナルの研究を曲解している)みたいだったし。
当の同僚にとっては、相手が詳しそうな話題を振ったのに、会話が続かないどころか気まずい雰囲気になって、さぞかし踏んだり蹴ったりだっただろう。
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ただ、こういうのはぼくの不勉強にも一因があるわけで、メラビアンの法則くらいは周辺知識として知っておくべきだったかもしれないと反省しつつ、そのままウヤムヤにして会話を終えるというのが常だった。
…のだけれど、本日はさらに困る事態に陥ってしまったわけでして。
ぼくが大学で心理学をやっていたことを聞きつけた別の同僚が、こんなことを話しかけてきたんである。
「やっぱり人と喋るってのは大切なんだってね。喋ることがいいカタストロフィーになるんだって?」
これもおそらく、ぼくへのサービスとして話を振ってくれたのだろうけれど、どう考えても「カタルシス」(浄化)の勘違いである。「カタストロフィー」は大変災とか破局、破滅といった意味の言葉であって、喋ることが破局につながったら大変ではないか。
気を遣ってもらってるのに相手の誤りをしたり顔で指摘するのも無作法な気がするし、でも実際、いま相手の喋りによって会話がカタストロフィー(破局)に向かっているのが妙に滑稽だしで。
笑いをこらえるのに必死で、どうにもこうにもならないまま苦悶の時間を過ごした本日でした。
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ま、かくいうぼくも、野球用品を販売しているという人と初めて話したときに、気を遣って「グローブとかってどうなんですか?」と喋りかけて、たいそうキョトンとされたことがあるクチなんですが。
相手:「え? グローブがどうっていうと??」
ぼく:「いや、その…革ですけど、いろいろありますよね?」
相手:「まあ、そうですね。いろいろあります」
ぼく:「どういうのがいいとか、キャッチしやすいとか、あるいは丈夫だとか、どうなんですかねえ」
相手:「ハハハ…。ま、一概には言えませんですね」
野球用品を販売してるんだったら、グローブとか詳しいかなと思ったんです! キーッ!!
11月24日(火曜) 深夜
ご近所の散策写真でも。
◆となりのトトロです。どういうことかと言うと→
◆こういうわけなのでした。マンション・トトロ。でもよく考えたら、これってたぶん「つつじ」と読ませたいんでしょうね。
◆タカラ酒造の工場がありました。巨大なタンクの中には焼酎やらチューハイやらが詰まってるんでしょうか。ああ、浸かりてえー。
◆やっぱり工場萌え! おまけにパイプの中を流れてるのが酒だと思うと、ますます萌え!! …でもやっぱり、酒じゃないんだろうなァ。 ◆これは全然関係のない工場。ドラム缶って大量にあると、それだけでワクワクいたしますな。
◆こちらは古紙処理の工場。津波のような古紙に圧倒されるばかりだけれど、ついエロ本を探してしまうのが我ながら悲しい性じゃ。
◆ま、どこの地域も、落書きといえばこんなもんでしょう。「おめこ」は関西圏の言葉ですが。
◆…と油断していた折に遭遇して、思わず噴き出してしまいましたの一枚。ちちもみ。牧歌。 ◆よーく見ると女体が浮かび上がってきます。まるでマグリットの絵のような。「おめこ」「ちちもみ」と書いてるうちに、辛抱たまらなくなって描いてしまったに一票!
なかなか愉快な街に引っ越してきたなァと改めて。
11月23日(月曜) 夜
新居に引っ越してきてから、屋内での喫煙を自粛している。壁紙がヤニで黄色くなってしまうからである。
したがって、たばこを吸うときには換気扇の下かベランダで、ということになるのだが、今度は以前耳にした「マンションのベランダでたばこを吸われると迷惑だ」みたいな意見が頭をかすめる。
たばこ嫌いの人たちからすれば、漂ってくる煙のにおいはたしかに不愉快なのだろう。集合住宅を承知で入居しているんだから、ある程度の騒音だとかにおいだとかはお互い寛容にならないとダメだろうとは思うものの、こんなことでご近所さんから睨まれるのもぞっとしないので、なるべく換気扇の下で吸うようにしていた。
でも、さっき見てみたら、換気扇の排気ダクトがベランダから出ていることを発見。
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今さらながら、引っ越し祝いということで親戚数人が我が家に来て、昼間から飲んでドンチャン騒ぎ。
せっかくの珍しい来客なので、いちおう料理など用意して出迎えることに。ちょうどボジョレヌーボーの時期なので、ワインに合いそうなメニューと考えて、トマトソースとアンチョビのパスタ、ミックスサラダ、得体の知れない煮込み料理という無難な取り合わせで臨んだところ、親戚の面々からタコヤキやら天ぷらやら中華料理やらが差し入れられて、非常に家庭っぽい雰囲気に落ち着いたのでありました。
それにしても、昼間っから飲んでると、一日がアッという間に過ぎ去りますな。ずっと飲んでたら、人生ないのとあまり変わらないかも。
11月20日(金曜) 深夜
京都の老舗ラーメンといえば、なんといっても京都駅東で肩を並べる「新福菜館」と「第一旭」だろう。
この二軒、文字通り隣同士で肩を並べているのだが、京都原住民の間でも好みが二分されることで有名である。「新福菜館」は濃厚しょうゆと焼豚の真っ黒スープであるのに対して、「第一旭」はあっさりしょうゆと鶏がらの薄口スープとなっていて、 たがいに相容れない風味なのだ。
ちなみにぼくは、学生時代からもっぱら「新福菜館」派で、第一旭なんぞは澄まし汁の成れの果てじゃい! くらいの気概をもって過ごしていた(自分で作ってるわけでもないのに)。新福菜館側の行列に並ぶと、ちょうど反対に並ぶ第一旭側の連中と対峙する形となるから、お互い(心の中で)メンチ切り合い罵倒し合いで、一発触発の状態にまで気持ちを高めつつ、自分側のラーメン店で麺をすするというのがいつものやり方だった。
そして本日、久しぶりに我らが新福菜館のラーメンを食べようと思い立ち、昼休みに職場を抜け出して行列に並んできたのでした。
自陣より敵陣をのぞむ
敵陣より自陣をのぞむ(やっぱり違和感あり)
来ました来ました、新福ラーメン(大850円)
数年ぶりに食べた新福ラーメンはもちろん美味しかったんですが、そういや第一旭のラーメンなんぞはかれこれ15年くらい食べてないなァとふと思った本日。
いや、もちろん敵側のラーメンなど食べるわけにはいかないのだけrど、食べちゃダメだと思うと無性に食べたくなってきて、ひょっとすると近いうちに食べてしまいそうな勢いです。というか、ここはひとつ「敵を喰らう」と考えて…とかなんとか、自分に言い訳までし始めている情けなさ。
蛇足ながら、巷にあふれているラーメン店「元祖第一旭」(丸っこいフォントで書かれている)は、本家第一旭とはちっとも関係のないチェーン店らしく。こちらのほうは本家第一旭の何十倍も、比べ物にならないくらい不味いので、不味いのを追究したいマニヤのかた向けだと思います。
11月19日(木曜) 深夜
貯金ってなかなか貯まらない。
先月の引っ越しでそこそこお金を使ったうえ、大学院時代に借りた奨学金の返済と現在の家賃とが毎月あるわけだから、仕方ないといえば仕方ない。
思い返せば、大学院時代の奨学金など大半が飲み代と余計な本代に消えたようなもので、そもそも大学院なんぞに進んだこと自体が無駄以外の何物でもない。それでも無駄には無駄のいいところが多少はあって、おかげで時間を一人でつぶす技術にだけは長けられた気がする。飲み歩いたり、本を読んだり、ウェブで日記を更新したりといった行為は、少なくとも当時のぼくにとっては、とりもなおさず余った時間を効率よくつぶす手段に過ぎなかった。
その代償として、安月給で奨学金と家賃に追われるというショボい暮らしが約束されたわけである。といって、別段それほど後悔もしていないのだけれど、働いても貯金の残高がちっとも変わらないというのは、自己効力感の面で精神衛生にあまりよろしくない。やはり毎月、少しずつでも増えていく通帳残高を見続けていたいではないか。
…というわけで本日、一念発起したのでした。
思い返せば一事が万事、こんな調子で乗り越えてきたような気がします。
11月17日(火曜) 夜
昨日の日記でお尋ねした「赤い実」、数名の方からご教示をいただきました。ありがとうございます。
どうやら、この実は「マムシ草」(サトイモ科テンナンショウ属)と呼ばれる多年草のようです。見た目に違わず毒を持っており、手で触れただけでも皮膚炎を起こす場合があるうえ、誤って食べると舌が激しくただれるだけでなく、嘔吐や心臓マヒを起こすこともあるんだそうで。
さくらんぼとか言って食べなくて本当によかった。
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「結局さァ」が口癖のX君という同僚がいる。
なにを言うにも、いちいち「それって結局さァ」とやるわけである。それが簡にして要を得た指摘ならまだしも、決まってちっとも的を射ない個人的意見だったりするから、聞いている側としてはすこぶる鬱陶しい。こっちまでつられて、「それって結局さァ、X君の意見でしょ!」と茶々を入れたくなってくる。
ただ、当の本人は「結局さァ」と付けるのがキレ者っぽくてかっこいいと思っているような節があり、一向に直そうとする気配がない。
そもそも「結局」って、そんなにカッコイイ言葉だろうか?
たとえば、高い言語センスが求められる領域のひとつとして、ソングライティングなどが挙げられると思うが、歌詞や曲名に「結局」がそう多用されているとは思えない。今までに名の知れた曲だって、「結局」が付いたらどうなるか?
…と書いてみたものの、こうして見ると、意味的には結構そのまんまかも。
11月16日(月曜) 深夜
昨日は職場の同僚たちと比良山に登ってきました。
そんなに大したことのない山なんですが、それなりに険しい場所もあり、ロープが張ってあったりもするんですが。
「ロープにたよるな!!」。いやまァ、ロープを張った人にとっては、ロープが切れたせいで人が怪我したりしたら気が悪いでしょうからね。 滝が大好きである。ザーッと鳴り響く音のおかげで、同行の面々に気兼ねなくおならをこけるから。滝を見るとおならが出る体質になってます。
山にくるとつい撮ってしまうFUZEI写真。…とかなんとか、つい照れ隠しに書いてしまうけれど、これって普通の写真ですやんけ!! ウサギ岩。同行の面々が「これのどこがウサギなんだろうね」と訝ってましたが、きっと手前の大きな岩のことだと思います。
食べたら何か悪いことが起こりそうな実。たとえ毒がなくても、「こんなものを口にするなんて」と気持ち悪がられることうけあいです。
最後の朱色の実ですが、何の実かご存知の方がおられましたら、お教えくださると嬉しいです。サクランボですかね。
11月14日(土曜) 夜
飲み会があったが、久しぶりにほどほどの飲みかたができた。
ビール2杯+冷酒1合、快挙である。自分で自分をほめたい。
…ので、帰宅してから自分へのご褒美として、ひとりでチューハイ飲んでます。
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同僚が静岡みやげに買ってきたお菓子。
「夜のお菓子、うなぎパイ」のメーカーが最近売り出しているらしい。夜のお菓子といえば、うなぎパワーで夜の生活をハッスル! みたいなイメージがあるだけに、昼のお菓子といわれると、ええーっ昼からおっ始めるんですか!? …とつい連想してしまうけれど、よく考えたら昼のお菓子って当たり前である。
「夜のお菓子」の由来が繁殖行動ではなく夜の一家だんらんであることは、メーカーの告知もあって広く知られるようになったようだけれど、これだけヒット商品になったのは、やはりどこかに淫靡な雰囲気があったからだろう。
そもそも以前から、夜のお菓子を精力剤がわりに頬張るような殿方はいなかったわけで、このあたりの絶妙なさじ加減がヒットにつながったのだ。たぶん。
ま、「夜のお菓子」が悪役のヒールとするなら、「昼のお菓子」はさしずめ正義のヒーローになるのかもしれないが、だいたいヒールのほうが気になるのはどんな世界でも同じなのかもしれまへんですな。
11月13日(金曜) 深夜
催眠術なんかには絶対かからない! と豪語している知人がいる。
催眠状態におちいると、相手の言うがまま腕を上げたり、秘密にしていることを喋ったり、からだに針を刺しても痛くなかったりするらしいが、オレはこんなことには絶対ならない! というわけである。
ぼくもどちらかというと被暗示性が低いほうなので、催眠術にはかかりにくいハズと自負しているのだけれど、気がつけば相手の言いなりになってしまうという意味では、たやすく催眠術にかかってしまうんではないかとも思う。
たとえば、こんな風に暗示されたらどうだろう。
「あなたは今、呼吸をしていますね…呼吸を意識してもいいし、しなくてもいい」
「でも、あなたは呼吸を意識を集中しはじめる。…ほうら、意識しはじめる」
呼吸をしていますね、なんて言われたら、そりゃあ誰だって、普段は無意識にしている呼吸を意識してしまう。それにつけ込んで、「意識してもいいし、しなくてもいい、でもほうら、意識しはじめる…」と、それがあたかも催眠効果のように述べられると、もうお手上げである。ここで、「呼吸のことなんて絶対意識しないぞ!!」と念じれたところで、ますます呼吸のことを意識してしまうのがオチだから。
ちなみにぼくは、「あなたは眠〜くなる。ほうら寝てしまう」という催眠を、ほぼ100%成功させる自信があります。それもたった48時間くらいで。
11月12日(木曜) 深夜
百貨店の受付窓口で長年勤めていたという取引先の女性と、仕事がらみで打ち合わせをしてきた本日。
それにしても、さすが一流の百貨店である。社員に対する接遇教育が徹底されているようで、挨拶のしかた、言葉遣い、座っているときの姿勢などなど、どれをとっても一部の隙なくカンペキで、まるでこっちが客になったかのような錯覚に陥ってしまうほどなのだった。いやースゴイ!!
で、打ち合わせが終わったのち、この冷めやらぬ感動を同僚たちにさっそく報告したわけですが。
ぼく:「お客さんの○○さんやけどな。前に百貨店で勤めてはったらしくて、挨拶とか言葉遣いとか身のこなしとか、もうカンペキでスゴいねん!!」
同僚:「へえー、どんな感じだったんです?」
ぼく:「たとえばな、『おはようございます』にしても、こうやって『おはようございます』って」
同僚:「…よく分かんないんですけど」
ぼく:「だから、『ありがとうございました』って帰らはるときも、こうやって『ありがとうございました』って!」
同僚:「それ、いつもの名倉さんじゃないですか」
ブラウン管のアナログ放送で、デジタルハイビジョン放送がいかに美しいかの画像CMを映すようなものだったかもしれません。
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そういや同じようなことが以前にもあった。
浅井忠という油絵画家が割と好きで、そのことを知人に話したところ、「どんな絵を描く人なんですか?」と訊かれて。
とっさにボールペンを取り出して、「こんな感じの絵…」と言ってしまった自分に気づいて赤面したことがありました。そんなもん、描けるわけないがな!
11月11日(水曜) 深夜
本日は職場で火災避難訓練が行われる予定だった。
…のだけれど、悪天候と強風を理由に順延となった。雨が降っていると訓練も大変だし、強風だとハシゴとか使うのが危険だというわけである。
だったら、もし悪天候や強風のとき火災になったら、一体どうするのだ。そもそも火災って強風のときこそ広がりやすいんではないか!?
ぽかぽか陽気でみんな機嫌よく冷静なときにだけ行われる避難訓練。効果のほどもたかが知れようというものだけれど、こんなことで上層部に楯突いて目をつけられるのもナンなので、とくになにを言うでもなく過ごした本日だったわけですが。
実際のところ、職場の防災を本当に心配していたかというとそうでもなく、避難訓練で日常業務をサボりたかっただけなので、ま、これでいいのかなと。
11月10日(火曜) 夜
社員食堂でお昼を食べるときは、いつも同じ部署の人たちでテーブルを囲むのが通例となっている。
あまり知らない他部署の人と一緒になっても話すことがなくて気まずいし、相手も気を使うだろうというので、自然発生的にこのような風習が培われてきたわけである。
しかし本日は、先陣を切って食事にありついたウチの部署の後輩Y君が、あろうことか他部署のXさんが一人で食べていたテーブルに同席したものだから、なんともおかしなことになってしまった。
Y君につられてウチの部署の同僚Sさんもそのテーブルに座り、流れ的にぼくもそのテーブルに座らねばならなくなったんである。
さりとて他部署のXさんとはほとんど面識がないから、なにを喋ればいいか分からない。一方でぼくら3人は同じ部署だから、いくらでも雑談することがある。その結果、他部署のXさんのテーブルに3人で押しかけた末、Xさんのことは無視して3人で喋り倒すという、なんとも非人間的な展開になってしまって。
この流れを図示してみると…
とまァ、こんなワケだったんでありまして。
その後どうなったかというと、Xさんは猛烈な勢いで食事を平らげると同時に、「お先です!」と足早にテーブルを去っていかれたのでした。そりゃそうだ。
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Xさんが立ち去ったあとは当然のことながら、ぼくとSさんとで後輩のY君に「教育的指導」を行うことに。
ぼく:「ところでY君、なんでXさんが一人で食べてるテーブルに座ったん? おかげで地獄のランチになったわけやけども」
Y君:「いえ、その…。名倉さんとXさんって、同じ委員会だし仲いいのかと思って。あと、SさんとXさんも知り合い同士かと思って」
Sさん:「そういう勝手な思い込みが地獄への第一歩になったわけだよね」
Y君:「そう言われればそうなんですが…。でも、こうやって他部署の人たちと交流するのも大切かな、とかも考えまして」
ぼく:「うーん、なるほど。ま、Y君なりにいろいろ考えてたんやね」
で、これでひと段落ついたかと思ったら、Sさんが最後に一言。
「Y君あのねえ、そこまで考えて座ったんやったら、最後まで考えて場をフォローしなさいよ!」
ぼくはまだまだ後輩に甘いのかな、と勘違いしそうになった本日でした。
11月9日(月曜) 夜
本日のマンション。
ずいぶんと立派な石碑だけれど、書かれているのは「ジョイフル」。味わい深いですな。
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コンビニでおにぎりやサンドウィッチを買うとき、今までなるべく奥のやつを取るようにしていた。
たいてい奥にある商品のほうが新しいし、場合によっては消費期限が1日くらい違っていたりするからである。店員に見られると気が引けるから、タイミングを見計らって、店員がレジ対応に追われている隙に、奥の商品に手を伸ばしたりしていた。
なにも考えずに手前の商品から取っている他の客を見るにつけ、「ふふふ、このお莫迦さん…」と心の中で嘲笑していた。
しかし先日読んだ本に、意外なことが書かれていて驚いた。新しい商品は、酸化防止剤や防腐剤などの「毒」も新しいから、注意が必要だというのだ。言われてみれば確かに、多かれ少なかれ毒性のある添加物の活性も、新しいほど高いことになる。
なのでそれ以降、コンビニで食材を買うときは、できるだけ「真ん中」から取るように心がけているという次第。古すぎず新しすぎず、中くらいのものが一番いいんではないか、と。
ここまで気にするんだったらコンビニなんかで買わなきゃいいのにって話ではあるんですが、やっぱり便利ですからねえ。だから真ん中のやつ。
11月6日(金曜) 深夜
ホースを見るとひそかに興奮している自分に気づいて、ちょっぴり春を感じた本日。
サーバ容量が増えたのをいいことに、無駄に大きな画像を貼ってみました。興奮しますでしょ??
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そして本日の住宅。
まだありました、文化住宅です。
「文化〜」という言葉は、昭和時代に「新しい」「進んだ」という意味で使われていた流行語で、他にも文化包丁とか文化鍋とか文化物干しとかがあった。AM局の文化放送も同じような由来で命名され、いまさら改名できずそのままになっているのかもしれない。
そういや昭和よりも以前には、「電気〜」という言葉がハイカラでモダンという意味で流行していたと聞く。「電気ブラン」などもそのひとつで、「最先端のブランデー」を標榜してのネーミングだったはず。
もし文化放送がもっと以前に誕生していたら、「電気放送」になっていたんだろうか。おそろしく当たり前な放送局である。でもこれが「電気住宅」だったら、オール電化住居みたいでちょっとかっこいい。
文化住宅とか文化包丁とか、現代からみると古くさくて可笑しいけれど、でも当時は紛れもなくカッコイイ言葉だったわけで。昨今で言えば、「i〜」とか「e〜」とか無節操につけられているけれど、これらの言葉もあと10年くらいたてば噴飯物になっているんでしょうな。今の感覚でいえば「文化モバイルって!(笑)」みたいな。
新しいものほど腐りやすいのは、食べものも言葉も同じなのかもしれまへん。
教訓:後年になっても古くさくない文章を残すためには、「本日は曇りです」とか「私は犬が好きです」とかいった文面が無難ですぞ!!
11月5日(木曜) 深夜
旧サイトから来てくださった皆さま、ありがとうございます。お手数をおかけして申し訳ありません。
今回は住まいの引っ越しに引き続く形で、サイトのほうも引っ越しすることになりました。調子に乗って独自ドメインを取ったりしてますが、もちろん諸事情あっての話なので、どうかご理解いただければ幸いです。
で、どういう諸事情なのかと申しますと、これまた住まいの引っ越しと同じようなことでして…。以下に説明しますので、お時間に余裕のあるかたはご一読ください。ちなみに読まなくたって、なーんにも困りません。むしろお時間の無駄になると思いますので、お読みにならないことを強くおすすめします。
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ええっと、何から申し上げればいいのか逡巡しておりますが、とりあえず思いつくまま書き連ねてみます。…って、なんだか高校生のラブレターみたいな書き出しですね(高校生が逡巡とかオッサンくさいこと書かしまへんですか。そうですか)。
で、"http://www5.ocn.ne.jp/~otearai/"ドメインの旧サイトは、実を言うとOCNのフレッツなんたらというプランでサーバ契約していたもので、ホームページを置ける容量がデフォルトで15MBだったのです。月額2,000円払って今どき15MB。
当然のことながら15MBなどアッという間に使い果たしてしまい、やむなく追加料金を支払って25MBくらいまで増設して対応していたんですが、これまた当然のことながらアッという間に容量オーバーになってしまって。
この調子で増設→追加料金というのを重ねていくとエラい金額になってしまうのは明らかだったので、とりあえずは25MBで打ち止めにして(この時点で月額3,000円くらい)、オーバーする分についてはジオシティーズ の無料サイトのサーバに置かせてもらうという、なんとも貧乏臭いサイト構成になっておったわけです。つい昨日までプチ日記の過去ログの一部が広告の入るジオシティーズ・ページになっていたことをご存知だったでしょうか。
開設当初から読んでくださっているかたはご存知と思いますが、当サイトの創設期はジオシティーズのサーバを利用していたので、アカウントとホームページスペースをそのまま再利用できたのです。
というわけで、今まではこれで当座を凌いできたわけですが、だんだんジオシティーズの容量(100MB)も逼迫してまいりまして。
さらに追いうちをかけるように、今回引っ越したアパートは「EO光」と契約しないとインターネットを利用できない仕組みになっているのでした。そうなると、OCNのサーバ代も支払わないといけない、EO光のプロバイダ代も支払わなければいけない。つまり、月額6,000円近く払っているのに、こんなテキストと写真だけのスカスカサイトのホームページ容量すら確保できないという、なんとも不条理なことになってしまい、さすがに「もう限界じゃあ!」と心の中のちゃぶ台をひっくり返すに至ったという次第。
そこで調べてみたら、旧来より利用していたジオシティーズが、月額500円くらい支払うだけで1GBのホームページ容量を提供している、おまけに独自ドメインも無料で取得できる、広告も出ないとあったので、迷わずOCNを解約してこちらを選ぶことにしたのでした。
そんなわけなので、実を言うと"http://www.geocities.jp/otearai/"ドメイン、ならびに"http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/4983/"ドメイン(我ながら懐かしい!)も復活しているのですが、せっかく独自ドメインが無料で取れるならということで (貧乏性!)、今後はこの"http://www.otearai.net/"ドメインに一本化させてきただきたいと思います。
しかし考えてみると、10年間で100MB。1GBあればあと100年大丈夫という計算になるので、このままいけば、本ドメインが「終(つい)の住まい」になりそうですな。終の住まいがジオシティーズの転送独自ドメインかァ…。
11月3日(火曜) 深夜
今回引っ越したのには、もうちょっと台所が広い部屋に住みたい! もっとゆったり料理したい! という気持ちがあった。
以前に住んでいたワンルームは換気扇がおそろしくショボくて、強火で中華料理を作ったりすると部屋が燻されて、そりゃもう大変なことになっていたんである。
たとえば麻婆豆腐を作ろうとして、強火で熱したゴマ油に豆板醤とタカノツメを放り込んだら、強烈な唐辛子スモークがあっという間に充満し、呼吸ができない、目も開けられないという、懐かしのTV番組『ザ・ガマン』のような憂き目に遭うのが通例だった。
これでは敵わないので、玄関のドアに靴をはさんですき間を作って部屋の外に煙を出したところ、こんどは共用部の火災探知機が反応して、「キンコーンッ! キンコーンッ! 火災が発生しました! 火災が発生しました!」と大音量で鳴りひびいて。ビックリして飛び出してきた住人たちに平身低頭、「すみません、麻婆豆腐を作ってたら煙が出てしまいまして…」と、これまた間抜けな釈明をするハメになったのだった。
当然のことながら管理会社からも連絡がきて、これまた「麻婆豆腐を作ってたら煙が多めに出たようでして…」「でも火事にはなってないというか、普通に調理してただけなので大丈夫です」と、こっけいな弁明を重ねるしかなく。
そういったことがあって、激しい料理は涙を飲んで自粛せざるを得なかったのだけれど、今回引っ越した部屋はキッチンが割と広いうえ、換気扇のレンジフードもしっかりしている。おまけにバーナーのひとつが強火力タイプになっていて、標準の1.5倍くらいの炎が出るから頼もしい。
これは正に、麻婆豆腐を作ってくれと言っているようなもんじゃないか! アパートがオレに麻婆豆腐をリクエストしやがるんだよ!!
…というわけで本日、盛大に炎をあげながら麻婆豆腐を作ってみたところ。火災報知機こそ鳴らなかったものの、キッチンはおろかリビングまで煙だらけになった挙句、床という床が油っぽくベトベトになってしまったのでした。
こうなってくると、もしかしたらぼくの調理スタイルのほうに問題があるのかもしれません。どうすればいいんでしょうかねえ。
11月2日(月曜) 深夜
新しいアパートに引っ越してきて半月程度になるわけですが。
いま最もうっとうしいのが、換気扇フィルター業者のしつこいセールスである。一度だけチャイムに出たことがあるのだけれど、フィルターを換えないと大変なことになるだの、取り返しのつかないことになるだのと恐喝まがいのことを言われ、心の底から嫌気がさしてお断りしたのだった。
「ウチは自分でネットとかで買いますから結構ですんで。それに今、ちょっと手を離せないもんで(←これはウソ)」
手を離せないのでというウソが功を奏したのか、そのときは「じゃあ今日は失礼しますわ」とすんなり引き下がってくれたのだが、逆にこれが相手に希望を与える結果になったような節があり(だったら手が離せるときなら買ってくれるかも、と)、以降2〜3日に一度はセールス が来訪する憂き目に遭っているというのがコトの次第でありまして。
ただ、今回引っ越したのは新しいアパートなので、インターホンに相手の画像が表示されるから心強い。顔を見れば「フィルターのセールス野郎だ!」と一発で判るから、そのまま無視すればいいんである。
そんなわけで、ここしばらくは「チャイムの相手がセールス野郎だったら応答せず、防犯カメラに映り続ける間抜け面を嘲笑しながらじーっと観察する」というのが日々の密かな愉しみとなっていて、我ながらイヤラシイ人間だなあと思いつつも病みつきになっておったわけですが(相手からこちらは見えないのに、こちらから相手は見える、という優越の構図に喜びを感じている品性が我ながら甚だ卑しい!)。
昨日、久しぶりにチャイムが鳴って、誰だろうと思ってインターホンのカメラ画像を見て瞠目した。一瞬誰だか判らなかったのだが、よーく見ると、あのセールス野郎なのだった。どうやらこちらの意図と居留守がバレたらしく、なんと「変装」しておいでなすったんである。これまでの作業服みたいなのから一変してジャケット姿になっていたうえ、メガネとカツラまで付ける凝りようで。
あまりにも予想外なベタさに思わず吹き出してしまった一軒。変装前と変装後の画像を写真に収めておかなかったのが悔やまれるところです。
しかしあのセールス野郎、変装してチャイムに出てもらったとして、それで肝心の商品が売れると本気で思ってたんでしょうかねえ。ぼくなら、こんなヤツの商品は、たとえマトモであっても買いまへん。