2008年2月のプチ日記

2月29日(金曜) 深夜

 電車の隣席で、学生風のカップルが喋っていた。

男:「アメリカで逮捕された人って誰だっけ? ロス疑惑の人」
女:「えーと、三浦和義!」
男:「そうそう。あの三浦容疑者って、俳優のナントカっていう人に似てるよね」
女:「ナントカって誰よ?」
男:「ええっと、名前忘れたんだけど、ほら、背の高いオヤジで……」
女:「もしかして奥田瑛二??」
男:「そうそうっ!!」
女:「ぜっんぜん似てないよっ! 意味分かんないしー!!」

 ぜっんぜん似てないと言いつつ、「背の高いオヤジ」というだけで真っ先に奥田瑛二の名を出してるのは女性のほうである。

 絶対、ちょっとくらい似てると思ってるはず。でなきゃ、あなたこそ意味分からないしー! と申し上げたい。

 

2月28日(木曜) 深夜

 さっき母から電話があって、ふと思い出したこと。

 ぼくが子どもの頃、母はときどき、「私は昔、タンコウシャで働いていたのよ」と言っていた。

 それで高校生くらいまで、「母は炭鉱の会社で働いていたのか!」「全身真っ黒けになりながら苦労してたんだなァー」と密かに尊敬していたのだが、しばらく経ってから、タンコウシャは「淡交社」という茶道専門の出版社であることを知った。

 炭鉱労働者と思っていたのが、実は茶道専門の出版社勤務だったという逆衝撃。なあんだ、そうだったのか……。

 こういった幻滅体験を通じて、子どもは親との間合いを育んでいくのでありましょう。

−−−

 そういや学生時代も、ブトウを習っているという知り合いがいた。

 それを聞いたぼくは、てっきり空手かなにかの「武闘」をやってるんだと思って密かに恐がっていたのだが、後から聞いた話では、彼は「舞踏」を習っているとのことだった。なあんだ舞踏かよ、密かに恐がって損こきさらしたわ!!

 ならばぼくもこれからは…と考えて思いついたのが、「オレも若い頃はドンファンだったよ…」と言いつつ実は丼ファンだった、というどうしようもない感じで。

 そもそも、元ドンファンというのが格好いいのかどうか皆目分かりませんが。

 

2月27日(水曜) 深夜

 職場にどうでもいい感じの若い研修生(女性)がやってきた。

 今日が研修初日ということで、上司(男性)が付きっきりで案内していたのだが、ウチの部署に回ってきた上司が突然言い放ったのだった。

 「こちらが名倉君。まだ独身らしいから…お互い独身同士、いいご縁になるかもしれないね!」

 もうカンベンしてよ…と内心思いつつ、精一杯はにかみ笑いしてその場をしのいでいたら、さらに追い打ちをかけるようにして、

 「あらら名倉君、顔が赤くなってるよ。ハハハ!」

 あまりにベタな展開が恥ずかしすぎて、本当に顔が赤くなりそうになった。思わず顔を伏せてしまったのだが、これじゃあますます勘違いされるパターンである。で、こういう自分がますます恥ずかしくなってきて…という悪循環。うわー、やめてくれえ。

 こういうときのために常日頃から上手な切り返しを考えておかなきゃなあと、危機管理の必要性を改めて痛感した本日でした。

 やはりここは、「ぼくなんかでよければ美人局になってくださいっ!」くらいベタな応酬をしておくべきだったか。

 

2月26日(火曜) 夜

 しばらく更新があいてしまいました。

 たまにしか更新しないと、相変わらずのことを書いていても、「選りすぐりのネタがこれかよ?」と思われそうで恥ずかしい。

 そうでないことは、読んでいただければ一目瞭然なので。

−−−

 ウチの職場は、忘れ物があると全ての部署にFAXが送られてくる。

 以前にもひとつ紹介したかと思うけれど、本日のFAXはこれ。

 カギの忘れ物である。物品をいちいちコピーしてくれるのはいいのだが、なにを写してもぼやけた影にしかならないから、いつもよく分からないことになっている。担当者はいったい何のためにコピーを載せてるんだろう。それともコレを見て、「あっワタシのだ!!」と思う人がいるんだろうか。

 誰かがサイフを落としたら、きっと長方形の黒い影とともに、素敵なFAXが送られてくるんでしょうな。

−−−

 その一方で、自分が持っているカギの写真をブログなんかに載せている人も時折見かける。

 これって大丈夫なんだろうか。写真をもとに合鍵を作った読者に侵入されたりしないんだろうか。

 ご当人のブログに、「帰宅したら部屋のパンティーが全部なくなってました!」なんていう記事がアップされる日が来ないことを祈るばかりです。

 

2月22日(金曜) 深夜

 焼酎をロックで飲み終わったあとの氷。

−−−

 以上で本日の日記を終了するのもいいかと一瞬考えたけれど、奇を衒ってると思われるのも恥ずかしいので続きを書くと。

 こういう氷って勿体ないので、いつも食べることにしている。で、あまり大きいやつは食べにくいので、小さめのやつにターゲットを絞るのだが、どうしても大きいやつが手前に来て、いつまでたっても目当ての氷を食べられずイライラする。気がつけば数分間くらい、コップをぐるぐる回して格闘していたりする。

 ああ、どうして小さい氷を食べれないのか! 私は小さい氷を食べたい!!

 …という話を知り合いにしても分かってもらえたためしがないので、こんなところに書いてみたという次第です。

 誰にも分かってもらえない悩みって、しょうもないことでもストレスたまりますわ!

 

2月21日(木曜) 深夜

 職場の飲み会で先日、重役クラスの上司から長々と説教を垂れられた。

 その内容というのは、要するに「笑いは健康にいいらしいから、諸君も積極的に笑うように!」みたいなことである。

 重役クラスの上司が厳かに話すものだから、我々としても雑談で盛り上がりたいのをグッとこらえて、静粛に聴きつづけるより他ない(だいいち「笑いが健康にいい」なんて何十年も前から言われてることだ)。で、ひとしきり説教が終わったのを見計らって、我々は精一杯の相槌を打つことになる。

 「分かりました! これからは笑うことを心掛けます!!」
 「なるほど! 笑いの絶えない職場にするべく邁進いたします!!」

 …でも、こんな厳かな雰囲気で「笑うように!」と説教されてもなァ。むしろ緊張して胃の粘膜が薄くなった気がする。

−−−

 さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「タバコ吸ってなさそうな男」。こんな風に言われたことが何度かあることについて、いつものごとくアレコレと御託を並べております。

 よければご覧いただけると嬉しいです。

 

2月20日(水曜) 夜

 ゴミ収集場所にて。

 ぼろいスニーカーの傍らに、「この物品は、ごみかどうかわかりませんので収集できません」。

 どう考えてもゴミだろう。これがゴミでなくて、たまたま収集場所に置き忘れていたスニーカーだったら、それこそびっくりである。そもそも、路上にスニーカーを置き忘れることなどあるだろうか。

 百歩譲ってあるとしても、「ごみかどうかわかりません」扱いされたら、逆にショックを受けるにちがいない。オレの靴って、ゴミかどうかも分からないような代物だったのか! と。どっちに転んでもだめなパターンである。

 同じ書くなら、「ゴミと判断できなかったため収集していません。もしゴミであればそのように明記してください」くらいのほうがいいと思うんですがねえ。

−−−

 ま、こんなことで清掃局に文句言ったらクレーマー以外の何者でもないので、なんにも言いませんけれど。

 日記に書いてるのって、最近こんなことばかりですな。

 

2月19日(火曜) 深夜

 本日の郵便受けです。

 手前に設けられた鉄柵にもペイントが施されている芸の細かさ。だったら最初からちゃんと考えて設置しようよと言いたくなるが、こういう「イイカゲンさと繊細さの融合」は見ていて非常に心地いい。

 どうしてこんなに心地いいんだろうと考えてみたところ、根本的なズサンさを後から細かく取り繕うというのが、自分の人生に重なるからだと判って非常にがっかりしました。こんなもんがオレの人生の縮図なのか。

 なにかある度に立ち止まって考えてしまう習性をなんとかしたい。心地いいだけで終わらせたいんだよ兄さん! 兄はいないですけど。

 

2月18日(月曜) 夜

 東京から友人が来たので、京都タワーを灯して歓迎しました。

 その後せっかくなので、タワー内をみんなで散策。「たわわちゃん」というゆるキャラ(京都タワーのマスコット)の塗り絵コンテストがあったので、舐めるようにして鑑賞してきました。

ほとばしる激情。…の割には、傍らに描かれた長方形がテキトーすぎて涙を誘います。
 
着物は丁寧に塗られているのに、顔部分のズサンなこと。作者にいったい何があったのか。 ウケ狙いの「つまらなさ」満開。ゆるキャラ本来のイタさがよく表現できている作品と言えますか。
おそらく子どもが描いたんだろうが(そうでなかったらヤバい)、ぼくの中での最優秀作品に決定!!
 
いきなり店の宣伝をしはじめる作品も。ゲンナリ感大賞を進呈したいと思います。 男子中学生のようなシモネタ。こういうのを堂々と展示している京都タワーの懐の深さに感服です。
 
黄一色でなく、ほのかに添えられた緑色が趣きを感じさせますな。はい、適当なこと書いてます。 本当の意味で「気持ち悪さ」があって痛快な作品。この配色をマスコットに正式採用するのがいいと思います。  

 

2月15日(金曜) 深夜

 異性にボディタッチする第一歩として、「手相見ていい?」というのがある。

 ぼくも学生時代は、手相のことなど全く知らないくせに「にわか手相見」になったことのあるクチである。ただ、あまりにもベタな手法なので、「そういうことなんだな」という甘酸っぱいコンセンサスがそこはかとなく漂っていたような気もする。

 しかしコンセンサスになると、裏切りたくなるのが人の常。いちど冗談のつもりで、「手相…見ていい?」と尋ねて相手からOKをもらった後、自分の手相をしげしげと見つめてみたことがある。「うーん、やっぱり生命線が短いなァ」とか呟きながら。

 その直後、期待していた笑いの代わりに、凍てつくような気まずい沈黙がおいでなさりまして。

 結局そのままお開きとなってしまったことを、実は今でも深く後悔している。

 あのままでは、あまりにも中途半端だった。別れ際にせめて一言添えるべきだったと。

 「さっきはごめん…。腕、組んでもいい?」

 そして相手からOKをもらえたら、自分で両腕を組む。

 

2月14日(木曜) 夜

 所用あって珍しくスーツを着て職場に出向いたら、同僚から言われた。

 「そのスーツ…買ったの?」

 そりゃあ買うさ。買う以外にどうやって手に入れるというのか。景品で当たったとか、道端で拾ったとか、自分で作ったとか、そんなことがよくあるのか?

 …とまァ、このように反論したところ、「名倉さんがスーツ持ってるとは思わなかったから」とこれまたよく分からない返答。おかげでまわりの人からも怪訝な視線を浴びてしまった。

 なにしろ、こんなやりとりだったのだ。

 「そのスーツ…買ったの?」
 「そりゃあ買いますよ! それとも景品で当たったり、どこかに落ちてたり、自分で作ったりするっていうんですか!?」
 「いや、なんていうか、名倉さんがスーツ持ってるとは思わなかったから…」
 「持ってなかったから買う。これって当たり前じゃないですか」
 「そんなに怒らなくてもいいじゃない」
 「怒ってないですよっ!!」
 「ほら、怒ってる」
 「あまりにも当たり前のこと訊くからですよ!」
 「当たり前のこと訊いたら悪いわけ!?」
 「当たり前にも限度があります」
 「あら、そう。限度を超えた当たり前って、もはや当たり前とは言えないんじゃない?」
 「そういう屁理屈を言ってる場合じゃないでしょ!」
 「じゃあ、どういう場合なのよ」
 「もういいです! とにかく、このスーツは買ったものですから」
 「それくらい分かってるわよ!」

 世の中、なにが口論の火種になるか分かったもんじゃあないですな。いま思えばぼくのほうが大人げなかったですが。

−−−

 でも、こういう当たり前のことって、油断するとつい口にしていたりする。

 たとえば、iPod聴いてる人に「iPod持ってんの?」と尋ねてしまったり、うどん食べてる人に「うどん食べてるんだ?」と言ってしまったり。これで「いやァ、そういうわけじゃないんですけどね」などと返ってきたら、そのほうがビックリである。

 そういやこの前、デパートでフライパンを見ていたときも、店員から「そちらフライパンですね」と言われました。知っとるわ!! 

 さすがにデパートで店員に反論したらチンピラみたいなので、言いませんでしたけど。

 

2月12日(火曜) 深夜

 同僚女性と二人きりでデスクワークに励んでいたとき、なんだか分からないが突然気が緩んで、普通に屁をこいてしまった。

 ブリッ。

 とっさに「今ここで自分はどう行動すべきか?」と超高速で頭を回転させたことは言うまでもない。1秒ほどの間にいろんな選択肢が脳裏をよぎった。

 幸いニオイはほとんどない、という追加情報を得た結果、3番目の選択肢を採用することにした。同僚女性はチラッとこちらを一瞥したが、同じく何事もないかのようにデスクワークへと戻っていった。

 その後しばらくは、屁の「ブリッ」という音に似た音を鳴らそうと、キーボードを動かしたり、靴を床にこすりつけたりしていたのだが、まったく思うようにいかず、「キキッ!」だの「キューッ!」だの無意味な音が響くのみだった。

 こういうときのため、今後はメールの着信音を「ブリッ」というサウンドに設定すべきかどうかで悩み続けて、今日は仕事になりませんでした。

 

2月11日(月曜) 深夜

 連休なのでどこかに行かなくては! 

 ということで、京都は二条木屋町にある、島津製作所の創業記念資料館に足を運んでみました。

島津さんの銅像。一体化した銅像でメガネを表現するのは、ちょっと無理があると思います。
 
大正12年に作られた「季節による昼夜の長短説明器」らしい。世界の中心で棒をあげる。
 
15項目にわたって列挙された「事業の邪魔になる人」。ぼくは5項目ほど当てはまりました。
 
今度は「家庭を滅ぼす人」。島津社長、まことに単刀直入で豪快です。
 
イセエビの標本。あの憧れのイセエビがこんなあられもない姿になって。
 
やったー、レントゲン祭だァー! 祭りだワッショイ! レントゲン祭りだよー!!
 
 
帰りに遭遇した、四つ葉のヤサカタクシー。何人もから写真撮られて照れてらっしゃいました。  

 

2月8日(金曜) 深夜

 最近、とんとシモネタを書いてないことに気づいて静かに焦っております。

 そういや先日、久しぶりに「スケベ映画」という単語を雑誌で目にした。

 ポルノ映画とかピンク映画とかいう表記はときどき見かけるが、スケベ映画である。いいなあ。何の気取りも衒いもないこの感じ。

 でも最後のイーストウッド主演のスケベ映画はちょっと観てみたい。きっと、イーストウッドが無言で女子大生のスカートをめくったり、階段で靴紐を結ぶフリしてミニスカートの中を覗いたりするのだ。

 イーストウッド監督のAVが潮吹き作品だったら、いい意味でびっくりですな。もちろん社会風刺としての潮吹きでしょうけど。

 

2月7日(木曜) 深夜

 本日の「名は体を表す」。

 種田産婦人科。なんだか受診しただけで妊娠しそうな雰囲気である。

 医学生時代の種田さんは産婦人科を志すとき、どんな心境だったのだろう。級友から「種田のやつ産婦人科に行くんだって」「やっぱりなァ」みたいな、ベタな感じになっていたんじゃないだろうか。

 看板をよく見れば、種田(おいだ)とルビが振ってある。やはり、漠然とした照れというか、一抹の負い目があるのかもしれませんな。

−−−

 さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「taspo について二言、三言」。今年から順次、"taspo"(自販機でたばこ買うときに必要となる成人識別ICカード)が導入されることをうけて、思うところをアレコレ書いてみました。

 よければご覧いただければ幸いです。しかし"taspo"って、つくづく莫迦らしいからおもしろそう。

 

2月6日(水曜) 深夜

 中国製品に対する嫌悪感情がブワーッと広がっているようでありますが。

 一昔前まで、「中国産」には何となくありがた味があった。たとえば「中国の酢」というだけで、「中国四千年の歴史を経た、医食同源の考えに基づく、不老効果があるとされる、科学では解明できない健康作用があって〜」みたいな幻想を抱いていたのではなかったか。

 それが今や、「中国の酢」と聞くだけで、「農薬だらけの穀物から作られた、残留薬物たっぷりの、発ガン作用のある得体のしれない液体で〜」みたいな偏見で頭が一杯になる御仁も多いことだろう。

 この落差はいったい何だ!? と思う反面、幻想も偏見も先入見という点では同じであるから、どちらも本質は変わらないような気もする。それまで北を向いていた風見鶏が容易に反転して南を向くように、正反対のポジションへの変化は意外とカンタンだったりするものだ。東とか西とかの中間ポジションを保つほうが実は難しいのではないか。

 もちろんこれは、中国という国の特徴であると同時に、評価が極端に揺れ動く我々の特徴でもある。

 ただ、皆が一斉に風見鶏みたいになるのもどうかと思うから、今後はむやみに中国産を買うのは控えるとしても、まぁニンニクくらいは中国産を買い続けようかと心に決めたのでありました。

 中国のニンニク。これを毒ニンニクとみるか、本場四千年のニンニクとみるか。答えはいずれでもないのだ、きっと。

−−−

 …と申しますか、安い中国産ニンニクを買う理由づけのためだけに、自分に対してここまで大風呂敷を広げてしまいました。恥ずかしい。

 なにが風見鶏だ。赤面。

 

2月5日(火曜) 深夜

 京都の裏通りをほっつき歩いていたときに見かけた看板。

 「右側駐車やめましょう」と当たり前のように書かれているが、唐突にこんな風に言われても。

 「も」という助詞は通常、「○○やめましょう。××やめましょう」もしくは「○○××やめましょう」といった形で使われるべきものである。しかし、この看板の場合そうではない。いきなり「○○やめましょう」とだけ注意されるのだから、右側駐車以外に何をしてはいけないのか気になって仕方がないのだ。

 同様の例を挙げてみよう。下記の場所に次のような張り紙がしてあったらどうだろう。

 さっぱりワケが分からず、???となってしまうこと請け合いである。

 しかしまァ、上の写真の場合は「右側駐車」とあるから、きっとどこかに「左側駐車」の看板があるに違いない。ようし、こうなったら探してやるぞ!!

 …というわけで、ますます激しくほっつき歩いてみたところ、ようやく見つけたのがこれ。

  思わずへたりこみそうになりました。合掌。

 

2月4日(月曜) 深夜

 本日の緊急告知(近所のコンビニにて)。

 いったい何事だ!? と思って見てみたら、「おにぎり全品100円」だった。それも数日後スタート。おまけに「160円以上の商品は除きます」とのこと。

 この調子だと、「お弁当100円引きセール」なんかが行われる日には、店中にスモークを焚いて打ち上げ花火連発、くす球まで割られる大騒ぎになるんでしょうな。もちろん関係者一同からは山のような花束、「100円引きおめでとうございます!!」てな電報も続々と届いて。

 でも…おにぎりに「緊急」はやっぱり似合わんよ。

−−−

 緊急といえば、こんなものも。

 緊急メガネ。事情を知らないと何のことかさっぱり分からないだろうが、タネを明かすと、運転免許の更新場の近くにある店である。更新するときに視力検査でNGが出てしまった人のために、その場でメガネを売ってくれるというわけだ。

 それでも…メガネに「緊急」は似合わないと思います。どうせなら他店を出し抜くために、「緊急おしゃれメガネ」くらい売り出せばいいのに。

 あと、緊急ざぶとんとか緊急絵画とかあるといいですね。

 

2月2日(土曜) 夜

 「どうしてみんなコレが大丈夫なわけ!?」という事があるだろう。

 自分にとっては吐気がするほど苦手なのに、周囲の連中は平気な顔をして過ごしているというような。食べ物やニオイ、触感、音……何かひとつくらいは、そんなものがあるんじゃあなかろうか。

 ぼくの場合、それは「金属同士がぶつかる高い音」だ。

 といっても、すべての金属音がダメというわけではない。ドラムスや鉄琴の音は決して嫌いじゃないし、風鈴の音だって大丈夫。さらには、仏壇に置いてあるチーン! と鳴る鐘だって静かな心で聴くことができる(なんか自慢げに書いてて恥ずかしいけど)。

 しかし、どうしても耳が受けつけないのが、たとえば

 などなどである。どれもこれも、こうして列挙しているだけでオエッと嗚咽しそうになるくらいなのだ。

 トライアングルは小学生の頃にはさんざん悩まされた。音楽の授業のときなど、周囲で何十人という生徒が一斉にかき鳴らすものだから、もう気が狂いそうになりながら頭をかきむしっていたのを思い出す。

 おまけに友人たちが面白がって、ぼくの耳元でわざとトライアングルを鳴らしまくるからたまったものではない。とうとう耐えかねて相手を殴りつけたところ(今でいう逆ギレというやつ)、数人がかりで反撃されてボコボコにやられたこともあった。泣き面に蜂、とは正にこのことである。

 洋食レストランには今でも悩まされる。ファミレスなら割箸も用意されているからまだいいが、ちょっといい店でコース料理なんかを取ることになったらもう最後。料理が入れ替わるたびにウェイターがナイフやらフォークやらをチャラジャラいわせるものだから、食べた料理が喉元までせせり上がってくるのを必死にこらえつつ食卓に臨むこととなる。

 金属むき出しのハンガーも天敵のような存在だ。実は現在いつも行っている美容院の上着用ハンガーがこれで、店員がかけるたびにチャラチャラチャラ〜と地獄のような甲高い音が響きわたる。初めて店に行ったときは思わず「ウッ!」と叫んでしまい、店員から「大丈夫ですかっ!?」と駆け寄られた。

 以来この店では、店員から「上着おかけいたします」と言われても、頑なに「自分でかけますっ!」と自己主張して怪訝な顔をされている。

 みんなどうして、こんな恐ろしい音が平気なのだろう。黒板を爪で引っ掻く音は、そんなに気にならないんだけどなァ。

 


およそ番目です。   

2008年1月のプチ日記 

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