11月30日(金曜) 深夜
出勤の道すがら四条通を急いでいたら、紙束を抱えた見知らぬ男性から声をかけられた。
「号外です! 号外!!」
差し出された誌面には大きく「号外」の文字が躍る。うわっ、一体なにがあったんだ!? オシムさんか天皇陛下か??
胸を躍らせながら急ぎ足で電車に飛び込んだのち、はやる心を抑えつつ誌面を開いてみたところ。
ビール飲み放題で980円!!! …コスプレパブのチラシだった。こんなのアリかよ。
今月に入って一番のガッカリでした。そして周囲の乗客からは、「朝から車内でなに読んでんだよ」という冷ややかな視線。
11月29日(木曜) 深夜
いまだに「スカートの中を盗撮」とかで逮捕されている御仁が絶えないようでありますが。
パンチラといえば小学生の頃、ミラーシューズというのを開発して、クラスメートの男の子たちから人気を博したことがある。
こんなイメージ(再現画像)
要は靴の上に鏡を装着しておき、女子生徒が近くを通ったら「足元を見る」わけである。
いま街中でこんな真似をしたら、迷惑条例にて一発逮捕となってしまいそうだが、そこは小学生。ぼくが考案したミラーシューズは瞬く間にクラスで流行し、最盛期には男子生徒の約四分の一が自分の靴に鏡を付けて学校生活を送るまでになったのだった。
担任の先生もよく注意しなかったものである(今だったら教員までもミラーシューズを穿きかねないご時世だけど)。
もちろん女子生徒からは呆れられると同時に嫌がられ、敵からは「スカートの下には必ずブルマーを穿く」という自衛策を講じられることになった。こういうのがお互い「冗談」で済まされていたのだから、つくづく牧歌的な時代である。
とはいえ当時も、男女間のルールはあった。
なので、植草教授のようにスカートの下に手鏡を差し出すとかは当時もNGだった。もっと「日常生活であり得る」アクションでなければルール違反だったのだ。そこでぼくらが採用したのは、
いま思えば、これのどこが自然なんだ!? というアクションばかりだが、こういう流れの一環として上述のミラーシューズが登場したわけなのだった。「ボクらは靴をカッコよくするために鏡を付けてるだけだモンね!」「たまたま女子生徒が近くを通ったとき、自分の靴を見るだけだモンね!」というのが我々の言い分である。
こんな言い分が大人の社会で通らないのは自明だけれど、植草教授の報道なんかを聞くと今でもつい考えてしまう。
「ピカピカの銀色の靴を履いて満員電車に乗るとかだったら犯罪にならなかったのでは?」
…こういう輩をきっと、パブリックエネミーと言うんでしょうな。いつも銀色の靴を履いている大学教員なんてねぇ。
11月28日(水曜) 深夜
月末が近づいてきたので、なんとなく自分で恒例にしている「今月のごはん」でも。
ちなみに今回は、食材の経費もおおざっぱに計算して載せてみました。
「ローストビーフと非仲間たち」
冷まさないほうが美味かったけれど、れで総額250円なのでまァいい。
「ごまかしヤキソバ」
豚肉を買い忘れたので目玉焼きを載せてごまかした。計100円くらい。
「半玉使うためオムソバ」
ヤキソバはいつも1.5玉使うので、どうしても連日メニューになる。「玉子と納豆のぶっかけ饂飩」
総額50円で一食になるのだから、人類はすごいなと思う。
「鯛のあら汁・ブッシュ大統領風」
手間をかけた割に、旨いのは汁だけだった。160円なり。「半額なので買った男前豆腐」
こんなモンはどうせ…と思って食べてみたら意外と旨かったので悔しい。「頂き物の柿 on 男前豆腐容器」
洗い物は極力減らす主義で。もちろん、これだけで一食ではないです。
「手作りドンカツ&千切ギャベツ」
総額280円。でも揚げ油の温度を測るために二千円の温度計を買った。「煮込みハンバーグ2個定食」
ミンチを買いすぎて6個も作ってしまった。これは一皿分180円くらい。「残り物キャベツのパスタ」
原価60円なり。安いけど美味しいので、突然の来客にもピッタリ!!
「キャベツとジャガイモのパスタ」
先のメニューにジャガイモを加えてみたら一層美味しかった。80円。「巨大ジャーマンポテト・オムレツ」
勢いに乗ってたまごを3個も入れてしまって明らかに食べすぎ。280円。「イエローカレー・リバース風」
タイカレーペーストを使って鶏肉やインゲン豆など入れて。500円なり。「和風きのこボンゴレ」
あさりを2時間砂抜きしたら、砂が全然なくて物足りず。180円なり。
…こうして書いていて、ランチョンマットが一度も変わっていないことに気づきました。
それだけ汚さずに使っているということなので、キレイに使っている証拠です。はい。
11月27日(火曜) 夜
来年の手帳でも買うかと思い立って、文具コーナーを見ていたところ。
昨今はこんなものまであるんですねえ。システム手帳「ブログの種」。こんなもん日々のカレンダー欄の片隅にでも書けばいいと思うのだが、世の中にはなんでもきっちりシステマティックにやりたい人々が存在するようである。
ちなみに別の棚には、システム手帳用の「日記」と「雑記帳」も置いてあった。几帳面な人の手帳はきっと、
みたいな構成になっているのだ。ところで雑記帳には何を書くのだ??
−−−
ちなみにぼくも、学生時代はじめてシステム手帳を購入したとき、嬉しくて「メモ帳」ファイルを買い揃えたクチである。
もちろんメモ帳はほとんど使わないまま経過。
これが勿体なくて、本来スケジュール帳に書くべきことをときどきメモ帳に書くようにしていたら、書いたこと自体を失念して大切な用事をすっぽかしてしまった苦い経験が何度かあります。
11月26日(月曜) 夜
ロボットの時代だ。
自動車などを組み立てる工業用ロボットを筆頭に、屋内を掃除してくれるロボット、介護用ロボット、災害救助ロボット、二足歩行ロボット、人との対話ができるロボットなどなどが開発されているという。そういや数年前、コントや漫才をしてくれるロボットが開発されたという報道もあった。
人間のやることをこうやってロボットに肩代わりさせることには、もちろん賛否両論があるだろう。 効率のいい工業ロボットの普及によって雇用が大幅に失われいることは従来から指摘されている通りであるし、身近なところでも、計算機やパソコン、携帯電話の普及によって 基礎的な計算能力や語彙力が下落しつつあるという指摘もある。 これまで人類は創意工夫の積み重ねで進展してきたのに、ロボットがなんでもやってくれるようになったら努力する必要がなくなり、これ以上の進歩がなくなってしまうと危惧する声もある。
ただ、我々人類は進歩するために生きているわけじゃあないんだし、それでもまったく構わないんじゃないかと個人的には思う。たとえばオオツノジカという鹿が絶滅したのは、「ツノが大きいオスほどモテる」という生殖淘汰の結果、どんどんツノが肥大して身動きがとれなくなったからだと言われているが、人類の進歩だってオオツノジカにとってのツノみたいなものかもしれないのだ。これ以上進歩しないことが、人類という種を長生きさせる結果につながることだってあり得る話だろう(そもそも人類の存続がいいことだとも限っていないだけれど)。
だったら面倒なことはなるべくロボットにさせて、我々は 楽チンな人生を過ごせばいい。ぼくの場合、まだロボット化されていない「嫌なこと」と考えて思いつくのは、子どもの頃から苦しめられた体育の授業、嫌いなセロリが出てきたときの学校給食、勉強などなどである。
これらも全部まとめて、ロボット化してしまえばいい。
そういやチェスやオセロは、すでにロボット(人工知能)が人間のチャンピオンを負かしていると聞く。競技などで優勝することもタイヘンな苦行を強いられることだから、今後は積極的にロボットを導入して我々人間は楽をすべきだろう。
とりわけ座禅ロボットなどは、ごくシンプルな作りで済むから開発するのも楽だろう(ぼくでも紙とハサミだけで作れそうだ)。
いかに生きるか? みたいなことを自分で決めなくちゃいけないのも考えてみたら面倒なので、ロボットに任せてもいいような気がしてきました。
11月23日(金曜) 深夜
商店街が好きで、休日は散歩がてらブラブラすることが多い。
本日は久しぶりに三条商店街をブラついてきたので、その写真でも。
アーケード入り口。「365日晴れの街」というのはアーケードがあるというだけの話です。
ハンモックからブルドッグまで、何でも揃うのが商店街の魅力。ベティちゃんもいます。
キャプションが付けられてるのも楽しい。ところで「買って得する品」はコレだけですか?
「新柄。可愛い」と自画自賛。ものすごく可愛くない字で書かれているのがなんとも。
女子供用だそうです。婦人団体の方々が目にしたら卒倒しそうなポップですな。
妙に色っぽいマネキン。しかし、こんな格好で誘惑されてもねえ…。
「巻線香あり」の掲示。この商店街では巻線香の有無が大切な情報なのだ。
ちょっと今っぽい雑貨屋にて。でもこれじゃあ、単なる犬嫌いみたいだ。
いつも通るたびに「あみたいつ」だと思ってしまう。「海鮮・あみたいつ」…あり得ないですね。
油断するとついつい撮ってしまう「FUZEI写真」。ま、芸術ということでひとつ。
ただの民家が一軒だけ存在する。商店街で民家。このゼイタク感がいい。
販売戦略の変遷が垣間見られるような、味わい深い看板です。今は「新品ブーム」のようで。
誇大広告ならぬ誇小広告。Tシャツショップなのにコートまで売られている。
このくらいは書いてくださらなくても分かります。親切心と軽蔑心は紙一重。
商店街に進出したスーパー・フレスコにて。こういうのは嫌だけど、実際に買うのはスーパー。
猫がいたのでついカメラを向けてしまう。カメラを携えていると、動くものを撮りたくなる。
安いので大人気を博している(ぼくに)細切れ肉。ここの細切れはおいしいですよ。
よくある自己矛盾、「車庫につき駐車禁止」。いやまァ、言わんとすることは分かるんだけど。
光が味方してくれた、これまた「FUZEI写真」。でも天津甘栗なので気が抜ける。
味わい深い書体のポップ。この力の抜け加減は嫌いじゃないです。
当然のようにバケツの水を飲んでいる犬。まるで遠慮というものがありません。
ちょっといい光景だなと思って撮ったら、直後、手前のおばあさんに気取られた。
安いというだけで楽しい一例。家まで持って帰らず、道すがら食べるのが作法でしょう。
うなぎ屋だけど、商品は4匹のみ。こういう店でアルバイトしたい。
…ショウガの皮に油性ペンで!! 皮ごと摩り下ろす派としては言語道断。
11月21日(水曜) 夜
本日の「善いこと貯金」。
…塵も積もれば〜と言われるけれど、このぶんだと1ポイント貯めるのにあと50年はかかりそうです。
−−−
そして、本日の刷毛。
" Nisu / Penki Hake " どうしてこうもローマ字にしたがるんだろう。
外国人が見たって、こんな英文字など分かりっこないと思うのだが、我々はつい横文字にしてしまう。「なんとなくカッコよさそう」という誘惑に負けてしまうのか。それとも、日本語の発音を外国人に知ってもらいたいという余計なお世話か。
逆にイギリスとに行ったら、刷毛には「ヴァーニッシュ ペイント ブラーッシュ」と書いてあったりするんでしょうかねえ。
ほんとに書いてあったら、なんか腹立ちそうですな。 Shousei Kokoro Semai Desukara Ne!!
11月20日(火曜) 夜
いつも威勢のいい男性Fさんという同僚がいる。
学生時代に体育会クラブに所属していたこともあるのか、とにかく時間の節目節目に気合をお入れになるんである。
たとえば朝、出勤してきたら「おはようございますっ!」と大きな声であいさつした後、「ヨシッ! 仕事するぞっ!!」と一言。新しい仕事が入ったときは「ヨシッ! やるぞっ!」と一言。外回りに出る前は「ヨシッ! 出かけるぞっ!」と一言。そしていつも、決まって自分の太ももをピシャッとお叩きになる。
普段からボヤーンと仕事しているだけのぼくにとって、Fさんの仕事っぷりは非常に清々しいと同時に、身の引き締まる思いをさせられるものだった。こういう風になりたいなァと、漠然と考えることも多かった。ないものねだりなのだけれど。
そんな、いつも爽快なFさんなのだが、本日は昼休み前にも気合を入れてらっしゃった。
「ヨシッ! 休むぞっ!!」
休むときも気合ですか!? 休むときは猛烈に休むという、よく分からない気迫だけは感じるけれど、それって一体どんな……。
Fさんはきっと、温泉に入る前には「ヨシッ! 入るぞっ!!」、マッサージしてもらう前には「ヨシッ! もんでもらうぞっ!!」、昼寝する前には「ヨシッ! 昼寝するぞ!!」と気合を入れながら、自らの太ももをピシャリと叩いておられるのだろう。
そしていつしか老齢になったFさん、最期は「ヨシッ! 死ぬぞ!!」とポックリ。これはこれで、かなりカッコイイかも。
11月19日(月曜) 深夜
今回は頼もしいヤツを紹介しよう。
その名は "E.T.FLASHER"。アメリカ生まれの非常点滅警報灯なのさ。
人命尊重のコンセプトから開発された「ハイテク非常警報灯」。まったく頼りになりすぎるぜ!
箱から取り出してみたら、この通り。ハイテクっぷりが一目瞭然だろ!?
ゴキゲンな説明書。「予備の電池さえあれば何時間でも〜」って当たり前なのがスゴいだろ?
おまけになんと、ONとOFFが一つのスイッチで簡単に操作できるなんて! 当たり前だ!! 「小さな灯台」ってのは言いすぎだけど、ポパイパワーは単三電池4本分だったってわけさ。
みんなもよければ、生き残るために30個くらいまとめ買いしておいてほしい。お願いするぜ!!
11月17日(土曜) 深夜
「一を聞いて十を知る」ということわざがある。
物事の一部分を聞いただけでその全貌を理解できるような聡明さを指す言葉であるが、実生活で出会うこの種の人は「一しか聞かないのに十を知ったつもり」になっている場合が多いから難儀する。
たとえば、裏に数字の書かれたカードが一列に10枚置かれていて、めくるのをなるべく少ない枚数に抑えて全ての数字を当てましょう! というクイズがあるとする。で、一枚目のカードをめくってみると「0」、二枚目のカードをめくってみると「1」だったと。
ここで「一を聞いて〜」の人は、即座に理解してしまう。「なるほど。0、1、2、3、4、5、6〜って並んでるのね!」
そういうものじゃないだろうと思う。「0、1、0、1、0、1〜」という繰り返しかもしれないし、「0、1、2、3、5、8、3〜」てなルールで配列されているかもしれない。せめてあと2〜3枚は裏返してみないと分からないと思うのだ。
「一を聞いて〜」の人の多くは、自分の経験に基づいて万事を類推する力に長けている。ただ厄介なのは、たとえ経験が「一」であっても、その人にとってはそれが全てだということ。人は自分が知っていることしか知らないから(当たり前だ)、本当は100枚あるカードの5枚程度しかめくっていないのに、もう5枚中の5枚ともめくってるんだ勘違いしてしまったりする。
そして知識は、高きから低きに流れる。これは実際の知識の多さではなく、主観的な知識量である。
「メガネっていうものはね、左のレンズから傷ついて、それが原因で買い替えなきゃならなくなるから要注意だよ」
「人っていうのはね、オムライスを食べるとガードが甘くなるものなの。これは憶えておいたほうがいいよ」
…それってお前だけだろう。一を十にするな。
だったらぼくも伝えたい。「地球っていう惑星はコンビニの前の段差でつまずく地質構造を有しておるからね! つまずくよ!!」
無知の知の無。
11月16日(金曜) 深夜
どんなものも、目立たせるためにはカラフルにするのが原則でありますが。
本日の駐車禁止です。
いや、気持ちは分かる。
普通の看板だけでは十分な効果が得られなかったものだから、ここはひとつ目立つ色を! と思い立って黄色く彩色してみたのだろう。そうしたら目立つどころか、ものすごく地味なことになってしまい、もうひとつの看板は急きょそのまま使うことにしたト。おそらく、そんなところではないか。
黄色い看板のほうに猛烈なシンパシーを感じますわ。人生の。
11月15日(木曜) 深夜
地球温暖化問題。
そのせいで北極の氷の面積が減少している結果、さらなる地球温暖化がもたらされているという。なんとなれば、氷は白いから太陽光を反射して宇宙空間へと返しているけれど、溶けて海水になってしまうと太陽光の熱を吸収してしまうからだとか。
だったら、今ある道路やビルをすべて白くすれば、温暖化防止に貢献できるのではないか。反射率の高さでいえば、白いものよりも鏡にしたほうがいいかもしれない。
道路もビルもすべて鏡張り。こうすることによって太陽光の多くを宇宙へと跳ね返すことができるのだ。
こうなったら、かのハンドミラー植草教授も地球温暖化問題に全力をあげてくれること間違いなしだから、非常に心強い。エロとハサミは使いよう。
−−−
本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「タバコ広告の不可解」。 タバコ広告の規制が厳しくなっているのは世の風潮でありますが、だからといってこれはどうよ!? という素朴な疑問についてしたためております。
よろしければご覧いただけると嬉しいです。
11月14日(水曜) 深夜
通勤電車の中、言っちゃあ悪いがバカそうな女子高生が大きな声で喋っていた。
「○○先輩からこんなメール来てん。ちょっと読んだってえや」
<しばらく携帯をのぞき込む彼女たち>
「…うわー、すごいやんこれ! マジ!?」
「やろ? マジ!? って感じやろ??」
「うん、マジでマジ!? って感じ!」
「今からウチ、返事するわ」
「しとき、しとき!」
「…あ、いちおう先輩やし、『マジ?』って聞いたらヤバいやんなァ」
「それアカンやろ」
「マジって敬語でなんて言うん?」
「…私も分からへん」
「……」
<30秒ほどの沈黙>
「…あ、『マジですか?』とちゃう?」
「なんかそれって違うくない? だって『マジ』のままやん」
「うーん…」
<再び20秒ほどの沈黙>
「分かった! 『ホンマですか?』や!」
「あー、それやんそれっ! ありがとー!!」
そして彼女たちは協議の末、「ホンマですか?」としたためた丁寧メールを先輩に出したのでありました。
おそるべし本物たち。こっちは傍らで笑いをこらえるのに必死で、一人で肩をブルブル震わせてました。
11月13日(火曜) 深夜
ペンキって漢字で書くと「番瀝青」なのか…。さっき広辞苑でたまたま見つけた。
いつか職場で「ペンキ」って書く機会があったら、さらっと漢字で書いて不気味がられることにしよう。
−−−
日帰り出張の仕事で、日中から電車を乗り継いで出かけることになった。
初めて行く場所なので時間には余裕を持って出たのだが、乗り換え駅で不安になってきたので何となく小走りしてみたら、ぼくの周りの人たちがつられて一斉に走りはじめたので驚いた。
そしてそのまま、大勢で小走りしながらプラットホームに到着したわけですが。
ホームには電車など停まっていないばかりか、近づいてくる気配すらなかった。静寂のなか、カラスの鳴き声だけがカァーカァーと響いていた。
ただただ漂う気まずい雰囲気。
周囲からの非難めいた視線を一身に感じたけれど、そんなもんしらんがな。勝手についてくるほうが悪い。
11月12日(月曜) 夜
今まで黙ってましたが小生、いまだにシラフではカラオケ歌えません。
だから、飲まなくても歌っている人をみると尊敬する。自分ができないことを平気でやれるのって単純にすごい。
ちなみに、マイカーを持ってる人と、結婚してる人も陰ながら尊敬しております。
−−−
そして本日の隣室です。
唐突に出現した「カニ」。何の前触れもなく、突然セロテープで扉に貼ってあったのだ。
あまりの唐突さに思わずのけぞりそうになったが、考えれば考えるほど全くワケが分からない。ちゃんと肉が入っているのにどうして食べないのか? どうしてそれを扉に貼り付けるのか?
似たような風習としては、節分の日にイワシの頭を玄関に飾るというのがあるにはある。しかしこれには、「魚の臭さによって鬼を退散させる」という、それなりの理由が存在する。しかし、カニである。それほど臭くもないから鬼が嫌がるとも思えないし、鬼にとってもカニは、むしろ好物の部類に入るのではないか(よく知らないけど)。
それとも、カニというご馳走によって、鬼やら悪魔やら宇宙人やらといった邪悪なものを呼び寄せようというカルト的な儀式なのか。しかし、カニにつられてやってくる悪魔などちっとも迫力がないし、そもそもウチのアパートはオートロックである。カニを飾るまえにオートロックをなんとかすべきだろう。
ワケが分からない悔しさ紛れに、カニの下にカナブンを貼っておこうかと思ったけれど、ご近所さんと険悪なムードになりたくないのでやめておきました。
11月10日(土曜) 夜
近頃テレビなんかでよく聞く、「涙する」という言い回しが妙に癇にさわる。
たとえば「国民100万人が涙した!」とか「この感動に全世界が涙する」とかそんなやつ(よく憶えてないけど)。ほら最近、よく耳にしますでしょ。
いやまァ、新しい言い回しが流行する度にいちいち目くじら立てるのはオッサン臭くて嫌だし、ましてや「正しい日本語を!」なんて主張するつもりも毛頭ないのだけれど(そんなことしたら自分の首を絞めるようなものである)。
ただ、「涙する」に関してはそれ以上の破壊力を感じるのだ。猫も杓子もみんなそろって、ちょっといい話があれば「涙した」。桜と見れば「咲き誇る」と言ってしまうみたいな、あまりのベタさ加減が心底恥ずかしい。
おまけに、「感動した」「泣いた」と普通に表現するよりも、ちょっとうまいこと言ったような「ポエム感」というか「したり顔感」というか。
本来動作を表さない名詞に「〜する」をつけて、そのまま動詞化する風習があることは知っている。「お茶を飲む」が「お茶する」になったように、「メールを出す」が「メールする」になったように、「涙を流す」が「涙する」になったところでとりたてておかしな話ではない。ぼく自身、「飲み会する」とか「科学する」とか、普段から平気で口にしているこの種の言葉は山ほどある。
しかし「涙する」。これだけ手垢がついた言葉をしたり顔で提示されると、なんとも居心地の悪い恥ずかしさがこみあげてくるんでありまして。
それともなんですか。いまのご時世、こういう表現のほうが感動的でカッコイイってことになってるんでしょうか。
せっかくの「涙する」シーンも、こんな風だとズッコケること必至ではないか。
…とか、こんなとこで書いてても埒があかないので、今夜は我が家のトイレを便所タワシでもして寝ますわ。
11月9日(金曜) 深夜
職場の用事で他部署に行った。
同じ社内とはいえこちらは訪問者なので、遠慮して持参していたカバンを床に置いたところ。
その部署の人があわてて飛んできた。
「おカバン床に置くなんて汚いですよ! 誰がトイレ行った靴で歩いてるか分からないんですからっ!!」
そう言いながら彼は、ぼくのカバンをひょいと掴むや否や、そのまま近くの机の上に安置してくれたのでありました。
ああ、これで机の上もトイレまみれになりましたね、と口をつきそうになって、あわてて言葉を飲み込んだ。
11月8日(木曜) 深夜
小生、英語などまったくもって喋れないんですが。
我ながら流暢に喋れるフレーズがひとつだけある。それは、"Fuckin' shit!"。
中学の頃、好きだったハードロックバンドのメンバーがこの言葉を連発していたのに影響されて、なんとなく真似し始めたのが発端である。さすがに誰かの前で言うのは恥ずかしいから、自宅などで一人で過ごしているとき、気が向けばちょくちょく口にしていた。
洋画のビデオを見ているときなども、登場人物が "Fuckin' shit!" と言っているとなんだか嬉しくなってきて、その部分だけ繰り返し再生しながら、発音を練習したりしていた。何度も口にしているうちに、妙な向上心が出てきたんである(いま思えば、映画の悪役 が吐き捨てた言葉がはからずも "Repeat after me!" になっていたわけで、当の俳優氏にはなんとなく申し訳ないのだけれど)。
学校の英話の授業は覚えなくちゃいけない単語が多すぎて嫌いだったのだが、"Fuckin' shit!" だけなら練習するのも楽だし、上達も自分で実感できる。上達が実感できると嬉しくて、ますますがんばるという良循環の結果、高校に上がる頃には「 Fuckin' shit の発音だけは英検1級レベル!」と自負できるまでになっていた。心底の莫迦。
喋れるようになると、つい口にしたくなるのが人の常である。高校のトイレで小用を足しながら、誰もいないと思って "Fuckin' shit!" と何度もつぶやいていたら、とつぜん背後の個室から同級生が出てきて非常に気まずい空気が流れたりしたのを思い出す。
…と、まるで過去のことのように書いておりますけれど。
習慣とはおそろしいもので、実は今でもコトあるたびに口にしてしまう。たとえば洗濯機を回そうとして、洗剤がなくなっていることに気づけば"Fuckin' shit!"。テレビをザッピングしていて、面白い番組がなければ"Fuckin' shit!"。鼻をかみ終わったあと投げたティッシュが、ゴミ箱に入らなかったら"Fuckin' shit!"。
日本語などロクに喋れない普通のガイジンが、ハンバーガーのピクルスを床に落としただけで、妙に流暢な日本語で「ちくしょう!」とか言ってる感じでしょうか。もうどうしようもないな と、自分がほとほと情けななくなってくる。
正に Fuckin' shit! です。わ。
11月7日(水曜) 深夜
本日の京の都です。
貴船神社の「御火焚祭」に参列する神職者だろうか。昔の衣装に身を包んでいるのはいいが、よく見れば一人だけ大きなデイパックを背負っている。
いにしえのバックパック神職者。
たしかにデイパックはいろいろ入って便利なんだろうけれど。もしも平安時代にノースフェイスのザックがあったら、みんなこぞって使っていただろうとは思うのだけれど。
これじゃあ街中でタバコ吸ってる「エセ舞妓さん」(レンタル衣装)のことも、とやかく言えしまへんですな。
−−−
そういや以前、なにかのイベントのとき、侍の格好をした団体がスターバックスのカフェ席でくつろいでいたのを思い出しました。
おまけにその中一人は、「SPA!」を読みながら。
11月6日(火曜) 深夜
ソフトパッケージのたばこ箱を、空になったと思って握りつぶしたら、まだ一本残っていた。
本来なら地団太踏んで悔しがる場面であるが、こういうときこそポジティブシンキングである。いくら悔しがったところで、たばこを一本無駄にした事実は変わらない。だったら、いいように考えたほうが得ではないか。
「これでタバコを一本、吸わなくて済んだ!」
そういや以前、酔っ払って現金を落としたときも、ポジティブシンキングで乗り切ったのを思い出す。
「お金があったらウイスキーとか買って寿命を短くするところだった! まったく危ないところだった」
どう考えてもこじつけであるが、こういう風な「無理矢理ポジティブシンキング」を心がけていると、かえって精神的に参ってくるから一層好都合である。
「自分みたいな穀潰しの寿命がこれで縮まったら世のためになる!」
真のポジティブシンキングが「殺されるのもいいよね」という精神だとすれば、ネガティブシンキングとどう違うのかよく分かりませんな。
ま、どちらも似たようなものかもしれませんが。
11月5日(月曜) 深夜
本日のスパム。
英語のスパムって、何が書いてあるのかよく分からないまま捨てているけれど、ひょっとしたら面白いんじゃないか?
…というわけで、下手くそながら翻訳してみました。
やって損しました。今年になってから一番の損です。
11月3日(土曜) 深夜
ツタヤが半額レンタルだったので、ぶらぶら見回っていたところ。
以前何かのTV番組のキャスターが、『The 有頂天ホテル』を「ざ・うちょうてんほてる」と発音していたのをふと思い出した。おいおい冗談キツいぜ! ボインの前の"the"は、「ザ」じゃなくて「ジ」になるって中学で習っただろうベイビー!? それともおいらのケツを舐めてえのか??
…と、当時は静かに憤慨していたのだが、だからといって『ジ・有頂天ホテル』というのも間が抜けるから難儀な話である。
しかしながら、本日見かけたコレはどうなんだろう。
ちょいと待ってくれハニー。こいつは「ジ・アンドロイド」だろ!? それとも地獄へのハイウェイを突っ走りてェのか??
ったくクレイジーな話だぜ。ポクポクッ!!
−−−
ところで、普段はあまりレンタルされないのに、半額になると急に人気の出る作品というのがある。
たとえば『不都合な真実』。定価でレンタルするほどでもないんだけど、ちょっと気にはなっていて…という客の心理がよく分かる。ぼくが半額レンタルで借りてみようと思う映画はたいてい全て貸し出し中なので、少々悔しいながらも、世の中とズレてないんだと思えて安心できる。
もちろん、半額でもまったくレンタルされない作品というのもある。通好みの名作か、どうしようもない迷作かのいずれかという印象。
写真の作品などは後者の親分格でしょうな。
ちなみに本日は、『ビデオドローム』と『パプリカ』を借りました。自分なりには半額時っぽいチョイス。
11月1日(木曜) 深夜
四条の高島屋で学生時代の知人とバッタリ遭遇した。
何年かぶりに出会ったのだが、もともとそれほど親しかったわけでもないので、とりたてて立ち話するネタもない。「おー元気にしてんの?」「いやーまァ」と、ひとしきり無難な挨拶を交わし終えたら、あっけなく会話がひと段落してしまった。
かといって、このまま「じゃあ!」と言って別れるのも気が引ける。なにか喋ることはないものかと思いあぐねていたところ、ちょうど相手のデパート袋が目に入った。そうだそうだ、こういうときはとりあえず、なにを買ったか訊いときゃいいんだ。
ぼく:「ところで今日は何買うたん?」
相手:「いや、まァ、ちょっとバッグとか」
ぼく:「へー、どんなやつ!?」
相手:「一応Coachやけど…小さいから安かってん」
ぼく:「コーチかァ。いいなァー」
ここで会話が終わっていればよかった。が、向こうも気を使ってか、逆に訊き直してきたのだった。
相手:「名倉くんこそ何買うたんよ?」
ぼく:「あ、これ!? ええっと、そんな大したもんじゃなくて……」
相手:「またまた〜。ひょっとして女の子へのプレゼントとか??」
ぼく:「ちゃうって。ほら、コレ!」
ぼくが本日購入したのは、ボールペンの替芯だった。あなたCoachのバック、わたしボールペンの替芯。
相手は一瞬押し黙ったのち、「ちゃんと替芯使うなんてえらいねぇー」と言い残して、「じゃあまたね!」と立ち去っていきました。
悲しい世の中じゃ。
−−−
さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「女たばことチラリズム」。 タイトルだけ見るとなんとなく面白そうですが(そうでもないか)、内容のほうは、真面目そうな女性が実はたばこを吸う人だったことが判ったときのよもやま話です。すみません。
よろしければご覧いただけると嬉しいです。