2007年4月のプチ日記

4月30日(月曜) 夜

 本日は、ベトナムは「開放記念日」でした。

 短い旅行なのにこれはラッキー、どんなイベントが行われたりするんだろう”? …と心を躍らせていたら、単なる国民の祝日とのこと。むしろ、いろんな店が閉店していたりで、ちっともラッキーじゃなかった。

 それでも現地の人に「なにかやってないんですか? パレードとか」と食い下がってみたのだが、「うーん、小さいパレードならあるかもしれないけど…」と大層歯切れの悪い返事。

 日本の建国記念日に、外人観光客から「何かやってないのか!?」と詰め寄られても困るようなものか。

−−−

 というわけで、本日のベトナム。

 やはり目が行くのは電線。なんだかんだ言って、ベトナムには電線を見にきたような感じであります。
 それにしても、このワサワサ加減には感服。
 
 電信柱にはこんな警告がいたるところに。ベトナム語は読めないのだが、おそらく「感電死するから電線に近づくな」みたいなことなのだろう。
 そういや日本でも、凧の糸を電線に引っ掛けて感電死してる人がときどきいますからねえ。
 
 …と思ったら、こんなに垂れ下がってる電線が。地上50センチ。
たくさん電線があれば、いくつかは垂れ落ちてくるのかもしれないけれど、これはどうなんだろう。
 デジカメでギリギリまで寄って接写するのに手に汗をかきました。いま風が吹いたら終わりだ!
 
 こちら、ベトナムのケンタッキーフライドチキンであります。海外に来てもチェーン店に入るのが「自分流」。
 こうしてみると、ごく普通のケンタッキーに見えるかも知れませんが。
 
 カーネルおじさんの人形はこんなことになってました。メガネが羽生さんみたいなやつに。
 これも何故なのか皆目分かりませんが、きっと理由があるんでしょうな。

 それでは失礼いたします。

 

4月29日(日曜) 夜

 珍しくベトナムはホーチミン市に来ております。

 こちらに来てまず目にとまったのは、電線のワサワサ加減。

 まとめて一本にすればいいようなものだが、そうもいかない事情が何かあるのだろう。

−−−

 あと、こちらにはコンビニというものが見当たらない。

 せっかく宿で飲もうと焼酎(ネプモイ)を買って帰ったのに、氷なしというのは少々キツい。

 そこで宿のフロントに「ここらで氷売ってるところありませんか?」と尋ねたら、「それならタダであげますよ」との返答。

 もちろん嬉しかったのだが、ベトナムの氷は衛生上危ないと聞いていたので、咄嗟に尋ねてしまった。

 「それってセイフティな氷なんですか?」

 間髪いれず「セイフティです!」と返ってきたが、思い返せば失礼なことを訊いてしまったと反省。こうやって地味に、反日感情が芽生えていくのかもしれません。

 そもそも、自分たちが提供する氷を「セイフティではないよ」なんて言うわけない。

 …というわけで、今夜はタダの氷でネプモイを飲んでおります。明日の腹具合はどうなるか。

 

4月28日(土曜) 夜

 珍しく連休ということで。

 明日からちょっと旅行にでかけるので、4〜5日のあいだ更新できないかも知れませんのでご了承ください。

−−−

 ところで、旅行で困るのが出発日前の食事である。

 冷蔵庫の中身を片付けないといけないので、どうしてもよく分からないメニューになってしまう。

 今回もそうだった。冷蔵庫のなかを恐る恐る覗いてみると…

 こんな取り合わせで、一体どんなメニューを作れというのだ。

 そして今夜の夕食。

 まさに多国籍料理だが、よく見れば、いつもより健康的な食事である。

 それでは行って参ります。

 

4月27日(金曜) 深夜

 昨日の日記に書いた店の名前は「タゴト」だそうです。

 ご教示いただいた方々、ありがとうございました。またひとつ、馬鹿がマシになりました。

−−−

 読者の方からのメールなんて普段ほとんど頂かないのだが、この店名についてはたくさんの方々からメールが届いた。

 自分の知っていることを相手が知らないと教えてあげたくなる、という「性善説」的なところを人類は持っているのかもしれない。

 そういや、他所のブログなど読んでいると時折、「誰かコメントくださーい!」みたいな訴えをしている作者を見かける。でも、読んでみるとそれも納得。いいことばかり書いてあると、いくら読んでもコメントのしようがないんである。

 …というわけで、コメントがほしい御仁におかれましては、読者に教えを乞うような文章をかけばいいのではないかト。それも、なるべくたくさんの人が知っているような事柄のほうが、より多くのコメントが期待できましょう。

 たとえば、こんな感じで。
 

□川辺の鳥たち  2007/4/25
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鴨川べりで、不思議な鳥を見かけました。

一体なんの鳥なんだろう…。
 


■コメント

*****
それはアヒルです!! かわいいですよー。
 comment by 通りすがり

*****
アヒルではないでしょうか?
comment by ひとつの丘

*****
アヒルです。
comment by まらながおじさん

*****
アヒルだと思います。
comment by いちげんさん

*****
答えはずばり、アヒルでしょう。
comment by 流星☆

*****
白鳥だと思うのですが…。
comment by モノシリック博士
 

 

□なぞの夕食  2007/4/24
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今夜は久しぶりに自分で夕食を作ったのです。

…でも、自分で作ってみたけど、なんていう料理なのか全然わかんないし。

なにコレ!?
 

*****
おそらく「焼きそば」ですね。意外と美味しいですよ。
 comment by 米押し達磨

*****
私も、ヤキソバだと思います。
comment by 通りすがり

*****
わー、コメントありがとう!!
そうなんだー、ヤキソバなんだね。聞いたことあるよ〜
comment by 管理人

*****
遅ればせながら、この料理は焼きそばです。
comment by いちげんさん

*****
ヤキソバなり。
comment by 流星☆

*****
私見で恐縮ですが、ヤキソバかもです。
comment by モノシリック博士
 

 なんか、こういうのホントにやりたくなってきて困っております。

 

4月26日(木曜) 深夜

 本日の京都。

 この店、わりと有名な蕎麦屋らしいのだが(みうらじゅん氏もたまに行くらしいと聞いてぼくも一度入ったことがあるのだが)、店名をどう読むのかいまだに知らないまま現在に至っている。

 で、こういう店に限って、関東から来た知人から訊かれたりする。「この店、なんて読むの?」

 そのたびに返事に窮して「タボト…かなァ」と答えている。すると判で押したように軽侮の視線を投げかけられる。

 いやまァ、自分でも絶対違うと思っているんですが。

 人生ってやつには、間違っていると分かりつつも言わざるを得ないときがある。男のロマンを自分に感じるひととき。

 

4月25日(水曜) 夜

 「スパイダーマン3」のポスターが、どうしても「スパイダーマンヨ」に見える。

 

 スーパーヒーローのスパイダーマンが戻ってきたと思ったら、今度はスパイダーマンヨ。

 いろんな可能性が考えれますな。

 個人的には、スパイダー万代さん(57歳女性)の暮らしぶりを観てみたいものです。

 この際、『万代のクモの巣が取り除かれるとき…』というマニヤ向けのエロ映画でも文句は言いません(というか、もとはスパイダーマンなんだけど)。

 

4月24日(火曜) 深夜

 中学生の頃、メガネをかけるのが非常にダサいことだった。

 コンタクトレンズがそれほど普及していない時代だったので、近眼になったらメガネを作るしかなかった。でも、せっかくメガネを新調しても恥ずかしがって、みんな授業中しかかけようとしなかった。

 中には、いくら近視が進んでも、決してメガネをかけようとしない猛者もいた。といっても授業中は黒板の内容をノートに書き写さないといけない。

 そこで彼らがとった手法は、

 今から思えば、授業にわざわざオペラグラスを持ってくるほうがかっこわるいと思うのだが、そこはまァ中学生である。なので当時の教室は、いたるところに目を細めてる奴やら指で輪っかを作ってる奴やら、オペラグラスを覗き込んでる奴やらがいたのだった。

 …かくいうぼくも実はその一人だったのだが、オペラグラスには抵抗があったので、自分なりの秘儀で近視を克服していた。

 「あくびをしたときの涙によって屈折率を変える」

 実際これがよく見えた。眼が涙で満たされるとアラ不思議、それまでぼやけていた視界が妙にクリヤーになるんである。

 あくびをしたときしか黒板が見えないのが難点といえば難点だったけれど、困った記憶はあまりない。ずっとあくびしていたのかもしれません。

 

4月23日(月曜) 深夜

 小生もOLのブログっぽい感じにしたいなァと思ってました。

 本日のカフェにて。

  どうこう書くようなことはとくにありませんが、それなりに美味しかったです。600円+消費税。

−−−

 先日、テレビ番組で「バイオエタノール」という新しい燃料を知った。

 ガソリンに代わる自動車の燃料として期待されているもので、生ゴミを発酵させることによって純度の高いエタノール(エチルアルコール)を抽出する技術が確立されつつあるんだとかで。

 ここで咄嗟に思ったのは、当然ながら「生ゴミからでも酒が造れるのか!」。蒸留すれば、それこそ生ゴミ焼酎の出来上がりである。もし製品化されたら、「こんなもんで酔っ払ってる自分」という背徳感から、めくるめく快楽におぼれてしまいそうですな。

 しかし考えてみたら、糖分と酵母菌さえあればアルコールができるんである。我々の胃や腸のなかでも生き続けられる酵母菌が開発されたら、普通に食事するだけでそのうちの何割かが自然とアルコールに変わって、半永久的に酔っ払っていられるんではないか。

 老後は是非、こんな酵母を体に住まわせながら生き永らえたいものであります。

 

4月22日(日曜) 夜

 「ビオトープ」という言葉を最近になって知った。

 なんでも"Bio"(生物)と"Tope"(生活する場所)を合わせたドイツ語の造語なんだとか。意味としては、「自然環境が破壊されつつある現在、生き物たちが暮らしやすい生活空間を我々の手で作ろうじゃないか」みたいなことらしい。

 で、自宅に庭に池を作って水草や魚を飼育したり、場合よっては森林伐採してまで人工飼育環境を作ったりしているとのこと。なんでこんな面倒なことをするかといえば、「自然に触れ合うことで癒し(ヒーリング)の効果があるから」。結局は人間のためである。

 そういや学生時代にバイトしていた飲食店の厨房では、生ゴミや残飯をめぐって、いろんな動物が出入りしていた。

 立派な食物連鎖が成立していたのだ。正しくビオトープである。

 ときおり、場をわきまえないネズミやイタチが客席を通り抜けて大騒ぎになっていたけれど、自然と共存できてありがたいと思うべきだったのですな。

 ちなみに我が家は、カツオブシムシ専用のビオトープとして自室を開放しております。不本意ながら。

 

4月20日(金曜) 夜

 「常々から心の準備はしていても、いざ遭遇すると圧倒されてしまうこと」というのが世の中には存在する。

 本日のスーパーにて。

 唖然としたまま数秒間立ち尽くしてしまった。

 チンゲン菜に関しては、普段からこのようなイメージトレーニングを積み重ねているつもりだった。しかし現物を目の当たりにすると、そんなものは何の役にも立たなかった。このマイナスの破壊力を前にして、イメージトレーニングは完全に無力だった。

  実家時代、ほんとうに布団が吹っ飛んだ光景を見たときの衝撃をふと思い出した。

 

4月19日(木曜) 深夜

 ヤシの木といえば、壮大な南国の海辺に連なる高々とした樹木を思い浮かべるわけですが。

 本日の社員食堂にて。

 どんなものでも、「テーブル」と冠されると一挙にアカン感じになりますな。

  その点、「テーブルテニス」は頑張ってるなと思います。

−−−

 さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「ホタル族の愉しみ」。 たいそうオッサン臭いタイトルになっておりますが、内容のほうもタイトルに負けずオッサン臭い感じであると、今回はとくに胸を張って断言できます。要は、ベランダでタバコを吸うのはいろいろ楽しいね、というだけの話なんでありますが。

 よろしければご覧いただけると嬉しいです。

 

4月18日(水曜) 夜

 韓国と聞いてふと思い出したこと。

 昨年、韓国に旅行したとき、ガイドブックでいくつかのカタコト韓国語を覚えて現地に臨んだ。

 たとえば、「ありがとう」なら「カムサムニダ」もしくは「コマオョ」、「美味しい」なら「マシッソョ」という具合。なにか困ったときに「すみません」(excuse me)と声をかけるときは「ヨボセョ」とのことだった。

 実際、道を尋ねるときに「ヨボセョ」と声をかけると、みんな親切に話をきいてくれた。おお、便利な言葉じゃないか。

 そしてあるとき、街を歩いていたら突然、猛烈な吐き気に襲われた。…マズい、このままでは吐いてしまう! 

 すっかり動揺したぼくは、咄嗟に手で口元を覆うジェスチャーをしながら、「ヨボセョー! ヨ、ヨボセョーッ!!」と必死に声をかけまくった。そして、身振り手振りでトイレの位置を尋ねた。死に物狂いだったから、どんな風に尋ねたかの記憶も定かでないが、それでも何とか意図は通じ、近くのトイレに案内してもらえたのだった。

 結果的には助かったのだが、帰国して随分経ってから、このエピソードを韓国籍の知人に話したら笑われた。なんでも「ヨボセョ」という言葉は、電話に出るときの「もしもし〜」の意味なのだそうで。

 ってことは当方、せまりくる吐き気と戦いながら、必死の形相で「もしもし〜! も、もしもし〜ッ!!」なんて話しかけていたのか。

 銃を乱射する韓国人もいれば、鬼気迫る「もしもし〜!」に真摯に応じてくれる韓国人もいるということで。ケンチャナヨ、ケンチャナヨ。

 

4月17日(火曜) 深夜

 アメリカの学校でまた銃乱射事件。

 で、今さらながら銃規制の意見が再燃しているようでありますが。

 おそらく大半の米国人は「自分だけが銃を持っている」というのが最も好ましい状況だと考えているんではないか。だとしたら、国内に出回っている銃をいくら回収しようとしたって、そりゃあ無理な話だろうと思ってしまう。

 「自分の身は自分で守る権利がある」というのが銃社会の根底にあるなら、当然ながら多くの人が銃を持つ状況になる。相手が銃を持っていたら、銃を持ってるだけでは自分の身を守れない。だったら手榴弾なんかも個人所持する権利を認めればいいようなものだが、そうなったら「さらに強い武器を〜」というインフレが起きるのは目に見えている。

 人間たくさんいりゃあ、おかしな奴も現れるのが自然の摂理。人間ひとりあたりの破壊力が大きくなれば、こういう事件が起こるのも当たり前といえば当たり前である。アメリカ開拓時代に銃が出回ってしまったものだから、引っ込みがつかなくなってしまったのかもしれないけれど。

 ただ、歴史も文化も違うアメリカで起こった事件についてあれこれコメントするというのが、実は一番小っ恥ずかしいのかもなァと思った本日でした。それこそアメリカを他山の石として。銃乱射する社会があったっていいじゃないか、人間だもの。

 今夜は、追悼の意味を込めてカレーを食べました。

 

4月16日(月曜) 深夜

 アメリカ以外の国の人が作ったベトナム戦争映画を観たいと思い、韓国映画の『ホワイトバッジ』を借りてみた。

 ベトナム戦争に派遣された韓国軍の実情を描いた作品なのだが、ひとつだけ脱力するシーンがあった。「女性のショーツを身につけると弾除けになる」という迷信が韓国軍兵士たちの間にあって、実に多くの兵士が迷彩服の下にショーツを着用していたんである。

 「ベトコンの野郎、殲滅させてやる!!」なんて叫びながらマシンガン乱射していても、ズボンの下は女性用ショーツ。捕虜になっても女性用ショーツ、戦死しても女性用ショーツ。…悪い冗談としか思えないけれど、映画を観たかぎりでは、本当にこのような信仰が広まっていたようなのだ。

 そういや日本でも戦時中、女性の陰毛を身につけていると弾除けになると信じられていたという。そのため独身男性などは、知り合いの女性に頼んで陰毛を譲ってもらったりしていたんだとかで。

 といっても身につけるのはせいぜい数本で、多けりゃいいというわけではなかったのがまだ救いですな。多いほど効果があるなんてことになっていたら、どの兵士も何千本という陰毛の塊をワッサワサ背負って大変なことになっていたはず。これでは戦闘に差し障るというので、陰毛を運搬するための装甲車まで出現していたかもしれません。

 そして本土の女性はみなパイパン。戦争反対!!

 

4月15日(日曜) 夕方

 昨日、飲み会で酔っ払って、膣けいれんの話題になった。

 結合しているときに膣けいれんが起こって陰茎が抜けなくなる、なんてことは本当にあるのか? あれは都市伝説じゃないのか? みたいなことを喧々諤々と議論しておったわけでありますが。

 そこでつい、うろおぼえの知識で妙なことを言ってしまった。

 「でもほら、小説の『失楽園』のラストって、膣けいれんのまま男女が死ぬじゃないですか。渡辺淳一って医者だからウソは書かないんじゃないかなァ」

 周囲の反応は「え?」という沈黙。あれ? 失楽園ってそんな話じゃなかったっけ!? 膣けいれんで抜けなくなったまま死体で発見された男女が、結合した状態のまま警察によって搬出される、みたいなストーリではなかったか。

 「そんな話、聞いたことないですよ!」
 「TVドラマにもなったんですよ。そんなラストシーン、TVで流せると思います!?」

 最近、物覚えが悪くなっている自覚はあるったけれど、いよいよ作話まで生じるようになったか…と少々ショックを受けた一件でありました。


 ※ちなみにこの「膣けいれん」、調べてみた限りでは実在しない症状のようで。膣痙(Vaginism)という症状はあるけれど、陰茎は抜けるみたいです。

 

4月13日(金曜) 深夜

 横浜近辺で起こった錠剤配布事件。

 水道局員を装った犯人が家庭を訪問して、「水道水が濁ったらこの薬を入れて飲んでください」みたいなことを言い回っていたんだとかで。

 テレビでは「平成の帝銀事件か!?」みたいな扱いだったけれど、そんなわけないだろう。普通に考えたら、こんなこと言われて素直に錠剤を飲む人などいないだろう。犯人だってそのくらい分かってて実行したんじゃないか。

 ぼくの予想では、あの事件は単なる現代芸術ではないかと。「よく分からない」&「ビックリさせられる」、どちらも現代芸術と考えれば納得がいく。

 配布された錠剤を実際に飲んだ人がいたら、今頃テレビ界のヒーローだと思うが、幸か不幸かそのような人はいないらしい。

 もしほんとに飲んだ人がいたとしても、恥ずかしくて、飲んだと言い出せないのかもしれませんが。

−−−

 あまり関係ないですが。

 ぼくは幼稚園の頃、黄土色の丸い小石をキャンディーの包装紙にくるんで、近所の保育園児たちに配ったことがあります。

 悪魔がささやいたんでしょうな。

 

4月10日(水曜) 夜

 職場の近くの桜が満開を迎えたので、昼休みに同僚たちと写真を撮りに出かけた。

 …のはいいんですが。

 撮り終わったあと、お互いに「自信の一枚」を見せ合うことになっていたものだから、ついつい邪念が渦巻いてしまい。

 そんなわけで、本日ぼくが撮った恥ずかしい軌跡を。

逆光で撮ると上手に見えると未だに思ってます。でもこんな写真、みんな撮ってるに違いない。個性を出さなくては、個性を!!
 
個性的な写真=接写。ばかの一つ覚え。そして、おしべとめしべ。なんかヤラシイのう、ウヒヒヒ。ちなみにこのカットだけで10枚くらい撮りました。
 
やっぱ退廃的なのが芸術なんだよね…と分かったようなことを思いつつ、落ちた桜の花にカメラを向けてみる。なんとか皆と違う写真を撮ろうと、ただそれだけ。
 
桜ばかり撮っていては個性が没するんじゃないかと危機感を覚え、あわてて他の花も撮る。オオイヌノフグリ(=でかい犬のキンタマの意)。
 
しかし冷静に考えたら、花のアップ写真なんて小っ恥ずかしすぎる!! というわけで急きょ、クモの写真を撮影。、これを皆に見せることに決めたのでした。 

 
 ほかの同僚たちが桜並木の写真なんかを披露しあってる中、ぼくはクモの接写。ふふふ、どうだ個性的じゃろう。

 そして礼賛を期待しながら写真を見せたところ、「気持ち悪ーい」「昆虫図鑑みたい」と言われただけでした。

 高尚すぎて凡人には理解できなかったか。

 

4月9日(火曜) 深夜

 ここ数年、筆箱を使っていない。カバンの内側に差しているボールペン一本ですべて事足りてしまう。

 そういや小学生の頃、ジャンボな筆箱が流行したことがある。表裏がそれぞれ開く「2段タイプ」の登場を皮切りに、5段、7段とエスカレートしていき、とうとう14段なんていう代物までが登場したのだった。

 ちなみに当時、ぼくは親にせがんで10段タイプの筆箱を買ってもらったのだが、その数ヵ月後には憧れの14段タイプが登場した。おまけに14段タイプを持っているのは、クラスで人気者のヒロセ君ただ一人である。

 ああ、14段のやつがほしい! どうしてもほしい!!

 そこで早速、両親に頼み込んでみた。

 ぼく:「このまえ買った筆箱やけどな…やっぱり使いにくいねん」
 母親:「ほーら、やっぱり。あんなゴチャゴチャした筆箱買うからや」
 ぼく:「そんでな。新しい筆箱、買うてほしいねん」
 母親:「はァ? この前買うたげたばっかりでしょ!?」
 ぼく:「今度のやつは使いやすそうやねん」
 母親:「そんなもん買えへんでっ!!」
 ぼく:「ええー。今のやつ使いにくいし、勉強でけへんねんって!」
 母親:「そないやったら勉強なんてせんでええわっ! 勝手にしィ!!」
 父親:「まあまあ聞こうやないか。今の筆箱、どう使いにくいんや?」
 ぼく:「10段しかないし…14段のやつやったら鉛筆もたくさん入るし…」
 父親:「10段もあったら十分やろうが」
 ぼく:「でもペンとかも入れるし…。それに今、みんな14段のやつ持ってるし…」
 母親:「そんなもん、誰が持ってるんや?」
 ぼく:「ヒロセ君とか……みんな」
 父親:「アカン。そら買えへんわ」

 実のところ10段でもスペースを持て余していて、仕方なくティッシュペーパーを折り畳んで入れたりしていたのだが(それに段が多くなると一つのスペースが薄くなるのでペン類など入らなくなっていたのだが)、それでも買ってもらえなかったショックはしばらく尾を引いたのを覚えている。

 さらにしばらく経つと、15段モノが登場した。ボタンを押すと、鉛筆削りがシュッと出てくるんである。うわー欲しい!!

 あれは一体なんだったのだろう(いやまァ、ノートパソコンなんかにも似たようなものを感じるけれど)。

−−−

 その数年後、マーブルチョコの空箱(円筒形のやつ)を筆箱代わりにするのが大流行したのでありました。

 

4月8日(月曜) 夜

 昨日はお花見に来てくださった皆さま、ありがとうございました。

 桜を観たのは最初の5秒間くらいで、あとはずっと酒のカップの底ばかり見てました。

 重いのに七輪を持参してくださったかたもいて感謝感謝。

 そこで素直にお礼を言えばいいものを、冗談のつもりで「人生思いつめてらしたんですか?」などと口走ってしまい、一瞬空気が凍てついたりもしましたが。

 ともかく楽しゅうございました。

行列の出来る女性トイレ

 あと、山口県からはるばる来てくださった方もいて恐縮恐縮。

 で、その方は終電の新幹線で帰られたのだが、翌日こんなメールが届いた。

 「おかげさまで無事に帰山できました」

 え? 山に住んでいたのかあの人は!? …と一瞬たじろぎましたが、よく考えたら「帰京する」とかの山口バージョンですね。

−−−

 昨日飲みすぎたせいで、今日はナイヤガラの滝のような下痢に見舞われているので、この辺にて。

 酒デトックス。

 

4月7日(土曜) 夜

 小学生の頃、担任の先生の提案でこんなゲームが行われることになった。

 「班対抗・本読みリレー大会」

 教科書に載っている小説を、間違えたり詰まったりせずにどれだけ音読できるかを競うというもの。6人からなる班ごとにリレーをして、最初の生徒が読むのを間違えたり詰まったりしたら次の生徒が引き継いで……というのを繰り返した末、6人全員でどこまで音読できるかを比べるわけである。

 いくつもの班が一斉に音読しはじめたら審判できないから、ひと班ずつリレーを行う。そして最終的に一番長く読んだ班が優勝、という仕組みだった。

 この大会に向けて、クラスの生徒の大半が一丸となって燃えていた。それこそみんな、放課後に集って音読の練習をやったりして。

 でもぼくは、一人で鬱々とした日を過ごしていた。小学生の当時は今に輪をかけて吃音(どもり)がひどかったので、みんなの前で音読するなんて、とてもじゃないけど考えられなかったのだ。おまけに6人ごとの班対抗リレー、まるで江戸時代の五人組制度ではないか。

 そして大会当日。

 他の班が次々とリレーを繰り広げ、それぞれ気負って読み進めるものの、漢字の熟語が読めずに詰まったり、早口になりすぎて舌を噛んだりして終了していった。

 そうこうしているうちに自分たちの班の番になった。

 「名倉は…最後に読んでくれるか?」

 ぼくの音読がダメっぽいことは班友たちも知っていたので、読む順番は最後ということになった。それまでに皆でたくさん読み進んでおいて、ぼくに気を使わせないようにしようという、班友たちの心優しい気遣いだった。

 …はずなのだが、結果としてはこれが大裏目に出た。あと1ページ少々を音読すればクラスのトップになれる、という箇所で5人目が倒れ、ぼくにバトンが回ってきてしまったのだ。うわあー。

 クラス中の視線が集まる中、ぼくは慎重に慎重に続きを読み始めた。

 「そっ、そ、そそ……」

 1秒でケリがついた。あまりにもあっけない幕引きにシーンと静まり返る教室。

 半泣きになりながらふと担任の先生を見ると、「ズッコケる姿勢」をとっていた。人の無神経さがこれほど嬉しく感じたのは、あのときが最初で最後である。

−−−

 この担任の口癖は、「本は音読しないと本当に読んだことにならない」だった。

 先生自身は通勤電車の中、岩波新書なんかを音読しておられたんだろうか。

 

4月6日(金曜) 夜

 勤務先のホームページをリニューアルするので、製作業者と一緒に作業を進めている。

 先日、ホームページ用の原稿を書いて業者に提出したら文句を言われた。

 「原稿量が多すぎます! これじゃあ1ページに収まりません!!」

 え? サイトなんて1ページにいくらでも入るんじゃないのか。

 せっかく書いた原稿をボツにするのも勿体ないので業者に食い下がってみたところ。

 ぼく:「ページを少し長くすれば全部入るんじゃないですか?」
 業者:「縦にスクロールさせるのは読者にストレスをかけるから避けるべきです」
 ぼく:「マウスのリングをくるくる回せば容易く読めると思うんですけど」
 業者:「このページだけ縦長になるとデザインの統一性も崩れますし…」
 ぼく:「だったら横に長くするというのは?」
 業者:「無理です」
 ぼく:「じゃあ奥行きを長くするといのは?」
 業者:「…ブラウザの画面って、二次元ですよね?」
 ぼく:「だからほら、スターウォーズのオープニング画面みたいにするとか」
 業者:「お言葉ですが、ここは現実的に考えましょう」

 …このトンカチ頭め!! このプチ日記だって1ページに収まっているというのに。

 

4月5日(木曜) 深夜

 昨日見かけた看板。

 普通なら何も考えず「水曜は5時半に閉鎖します」と書きそうな文面が、この意表をつく文章である。こんな言語センスを持っている人がちょっとうらやましい。一体どうやったら思いつくんだろう。

 「5時半」という点を強調したかったのかとも思ったが、それにしては「閉鎖」の文字が赤で強調されているから、ますますよく分からない。

 ためしに看板の文章をいろいろ入れ替えてみると…

 やはり看板の文章が出色の不自然さである。もはや天性のセンスとしか考えられません。

 それとも、こうやって皆の注目を集めるために、あえてこのような語順にしてあるんだろうか。だとしたら座布団一万枚! 埋もれて死ね!!

−−−

 コラムが更新されてます Go smoking に連載しているさて本日。

 「不動窟でタバコを吸う」 テーマは今回の。 タバコを吸ってきた 奈良県は不動窟という鍾乳洞に 出向いて レポートです。いやー、鍾乳洞はやっぱりですねえ楽しい。ガッカリ感わくわくするような。

 ご覧いただけるとよろしければ嬉しいです。

 

4月3日(火曜) 深夜

 「あるある大事典2」の捏造問題についての自己反省番組が放映されてましたですな。

 基本的にこんなものは信じる視聴者のほうも悪いと思っているのでまァいいんですが。

 こちらもつい疑心暗鬼になって、反省番組そのものがヤラセじゃないのかと勘ぐってしまう。担当ディレクターへのインタビューもでっちあげだったりして。で、ひょんなことからそのことがバレて、今度は「あるある大事典2やらせ問題の究明番組はなぜデッチあげられたのか?」なんて放映がなされたりして。

 この調子で番組を作ればネタに困らないから、テレビ局も安泰ではないか。

−−−

 捏造問題はマスコミに限ったことではなく、学界でもしばしば取り沙汰されていることである。

 ぼくも大学院にいた頃は、データを取ったり実験をしたりという世界に身を置いていたから、その内実については否応なく目にする機会があった。自分の身辺にはそれほど悪どいコトをやっている連中はいなかったけれど (知っている限りでは)、それでもちょっとどうだろうと思うことは日常茶飯だった。

 ポジティブデータ(ある事柄と別の事柄に因果関係が認められるなど)は審査論文に通りやすいけれど、ネガティブデータは通常あまり評価されないから、存在しても日の目を見ることはほとんどない。

 そしていったん審査論文になってしまえば、それは「科学的事実」として扱われ、引用文献としてどんどん世に広がっていくことになる。

 科学論文の分野では「再現性」(同じ研究を行ったら同じ結果が出るという一般性)が重視されるから、一応、捏造データには歯止めがきく仕組みになっている。ただ、データがそれほど画期的な発見でもない場合、先行研究者と同じ実験をやったところで何の業績にもならない ので、他の研究者によって追試されることはほとんどない。

 こうしてどんどん、グレーゾーンな「科学的事実」はそのまま積み重なっていくわけである。

 極端な話、露呈しないまま科学的事実として扱われている捏造データだって、どれだけあるか知れたもんじゃあない。 ポジティブデータで論文を書けば出世できるという研究者側の事情がある一方で、捏造がバレるような「淘汰システム」がほとんど存在しないんだから。

 ぼくは今のところ「科学教」を信じているけれど。

 科学だからといって鵜呑みにするのもまた危険なので、このあたりに世のオモシロさがあるのかなと思います。 だって、人間だもの。

 

4月2日(月曜) 夜

 折れた歯の観察日記にて。

酔っ払って自転車で転倒して、前歯を折る。「八重歯みたいでかわいいじゃん」と言われてちょっと気分をよくする。
 
折れた歯の神経を殺して、歯根に金属の柱を埋め込む。カッコイイのでこのままにしてほしいと少し思う。
累計約1000円
 
金属柱のうえに「仮歯」を被せる。なんか頼りないけど、生活上とくに問題なし。
累計約4000円
 
ちゃんとした差し歯が完成したので被せ替える。
累計約10000円
 
差し歯の裏はメタリック! つるつるした舌触りが気持ちいいので、一日中ずっと舐めております。酒の肴にもピッタシ。

 差し歯だけ周囲より白くてキレイなので、この歯しか見えないような微笑みかたを研究している昨今です。

 

4月1日(日曜) 夜

 近所の公園にて、本日の土管です。

ドラえもんのようなノスタルジー
 
いやー青春ですねえ
 
かわいらしいクマさん
 
数学の勉強してるマジメ君も
 
本気なのかネタなのか!?
 
自分と向き合う土管
 

 …というのはウソです。エイプリルフールですから。

 


  2007年3月のプチ日記 

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