2002年8月のプチ日記

8月31日(土曜) 深夜

 京阪電車の駅に「ご自由にお取りください」コーナーがあるんですが。

 入っているのはいつ見ても使用済みティッシュやカードばかり。タダなら何でももらうことにしているつもりだが、これではさすがに躊躇してしまう。こんなものを「ご自由にお取りください」と言われてもなァ。

 …と呆れていたら、ホームレス風の男性がつかつかと来て、使用済みカードを当然のように取っていきました。このボックスも意外と、需要と供給がバランスが成り立っているのかもしれませんな。

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 さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京大」。京都の代表的な大学である京都大学に潜伏してみたレポートです。たまにはアカデミックなテーマにしよう、とか思ったのがそもそもの間違いだったか。

 よろしければご覧ください。

 

8月30日(金曜) 夜

 勤務先の会社に新しい営業所がオープンすることになった。

 というわけでレイアウト組みや掃除などを手伝いに行ってたのだが、その際、ぼくの油絵作品を持参した。「新営業所に飾る絵画などをお持ちのかたは是非ご提供ください」という連絡が事前に回っていたので、恥ずかしながら飾ってもらおうと思いついたんである。

 だが、営業所に行ってみて愕然とした。部屋には既に有名画家のレプリカが飾ってあったのだ。うわー、なんだよこれ! オレの絵を飾るスペースなんてないじゃねえか!

 絵を提げて呆然と立ち尽くしていたら上司に声をかけられた。

上司:「キミ、絵を持ってきてくれたのかね」
ぼく:「ええ…。でも、もう飾るところなさそうだしいいです」
上司:「まァそんなこと言わずに。どんな絵なのかね? …おっ、いい絵じゃないか!」
ぼく:「いいですよもう」
上司:「そうだ! ちょうどトイレに飾る絵がなかったんだよ。これ飾ろう!」

 …というわけで、ぼくの絵はすぐさまトイレの壁にかけられた。上司や同僚たちからは賞賛の言葉の数々。「いいねえ、ピッタリだよ!」「トイレに合うよねー」「トイレにピッタリだよこれ!」。ぼくの絵はトイレにピッタリだったのか。

 東山魁夷もきっと「先生の絵、トイレにピッタリですよ!」なんて言われてたに違いない、と自分を納得させてみる。

 

8月29日(木曜) 夜

 今朝、ベランダに洗濯物を干してから出社したところ。

 午後になってものすごい雨が降ってきた。うわー洗濯物が! 頭の中はパニックになり、仕事も手につかなくなる。考えるのはもう洗濯物のことばかり(いくら考えたって同じなのだが)。

 そうこうするうち1時間ほどで雨はやんだ。ん? 夕立のようなものだったのか!? 職場は家から離れてた場所にあるから、ひょっとすると我が家は雨に降られていなかった可能性もある。

 そんな一縷の望みを持って一目散に帰宅したところ、洗濯物はすっかり乾いていた。ああヨカッタ!!

 …と舞い上がったのも束の間、これが「雨が降らなかった」からなのか「雨に濡れたあとに乾いた」ものなのか、皆目判断がつかないんである。ぼくは妙に神経質なところがあって、雨に濡れた洗濯物はもう一度水洗いすることになっているのだ。

 いくらつぶさに生地を観察してみても分からない。においを嗅いでみても分からない。天気予報をつけてみるも、我が家の界隈で夕立があったかどうかなど放送していない。くわー。

 おかげで現在、乾きたての洗濯物たちを目の前にして茫然としております。「分からないんだったらいいじゃないか」と言われそうですが、洗濯物に妥協は禁物であるとはぼくの言。

 仕事には妥協しても洗濯物には妥協しない。これがオレのライフスタイル。

 

8月28日(水曜) 夜

 缶ジュースを買うたびに、いまだに罪悪感を抱いてしまう。

 なんだか無駄使いしているなァと。一日に2本とか飲んでしまったときなどはもう、自分が人の道から外れた堕落人間であるような気がしてくる始末。こんな浪費生活してたらいつか身を滅ぼすんじゃないかと思うと、いても立ってもいられないような焦燥感にかられるんである。

 そんな日は少しでも罪悪感を軽くしようとカップラーメンだけで夕食をすませたり。堕落しないのも大変です。

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 毎朝ひとりで選挙の宣伝をしてる人が近くの駅前にいる。

  で、「市民の視点にたった税制改革とはなんでしょうか!」とか「景気対策の抜本的問題について提案したいのです!」とか声を荒らげておられるのだが、悲しいかな、通行人はみな前を素通りしていく。それでも精一杯声を張りあげ続ける彼の姿は、哀愁を漂わせながらもどこかシンパシーを感じさせるものだった。

 ところが最近、「固定客」がつき始めた。近所の小学生がもの珍しいのか、いつもじっと演説を聞くようになったのだ(小学生のくせにまったく妙な趣味であるが、ぼくも子どもの頃は盆栽に凝っていた時期があるので他人のことは言えない)。

 毎朝、小学生と対面しながら「税制改革とはなんでしょうか!」「景気対策の抜本的問題について〜」なんて声を張り上げる中年男性。それをじっと聞き入る小学生。オジサンの声が荒くなればなるほど、おかしな違和感が周囲に充満しはじめる。

 我々はいまこそ、「小学生」の危険性について考え直すべきなのかもしれへんですね。 

 

8月26日(月曜) 夜

 久しぶりにカラオケに。

 受付にいくとドリンクのコースをどうするか尋ねられた。単品でも注文できるが、2時間千円で飲み放題がお得ですよとのこと。

 いつもなら迷わず飲み放題コースを選ぶところだが今日は平日。あまり無茶飲みもできないから、ここは損得をじっくり計算しなくてはならない。うーむどうするべきか。飲み放題か否か、それが問題だ。

 で、メニューを見ながら「生ビールが262円だから5杯飲めば千円か…」「梅酒は221円かァ…」などと一人でつぶやきながら、頭をフル回転させて考えていたわけですが。

 そしたらいきなり店員から失笑された。「それって値段じゃなくて番号なんですけど」。えっつ!?

 よく見たら確かにその通り、注文するときの通し番号だった。というか、262円とか221円とか、ドリンクがこんな半端な値段なわけがない。スーパーのパック肉じゃあるまいし。

 あまりに恥ずかしかったので、せいいっぱい豪快な声で「飲み放題にします!」と注文してそそくさと場を立ち去りました。

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 おまけに最近の曲をほとんど知らないので、しかたなくゴダイゴとか歌ってる始末。

 しなび加減にはむっさ自信あります。

 

 

8月25日(日曜) 夜

 さっき食器を洗っていたら、乾いたそうめんが爪の間に刺さって飛び上がった。

 おかげで爪の中に血がにじみ、痛くてたまりません。そうめんってこんなに危ないものだったのか。

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 先日、飲み会の席で「自分の部屋がいかに散らかってるか」という話題になった。

 そこで同僚のA君は「オレの部屋なんて壮絶な散らかりかっすよ!」と口火を切った。おお、頼もしい同志である。こういうヤツがいると、ぼくも気がねなく発言できる。ゴキゲンなアシストだぜA君!!

 …と一人で喜んだのも束の間、続く言葉に幻滅させられた。

「生ゴミとかじゃなくてCDとかジーンズとか無機的なものが散乱してて。ほらオレ、自炊とかってしないですから」。

 なんだよオマエ。それって結局、「散らかってるけど清潔なオレん家」をアピールしてるだけじゃねえか。

 男ならここでビシッとキメろと言いたい。「散らかってるっていってもCDとかじゃなくて、食べ残しが腐ってたり、ブリーフにカビが生えてたりですけど」「風呂場にも異様な臭いが充満したまま消えないんですよね」と。正直に申告しろよ馬鹿。そこまでしてモテたいのか畜生。

 おかげでずっとムカムカしてたんですが、いま振り返ると、いったい何に対してそこまで激昂していたのかよく分かりません。

 そして「男」というのをなにか勘違いしてるような気もしてきました。ぽいーん。

 

8月24日(土曜) 夜

 長年使っているソバガラの枕が破れてきたので、思い切って新しいのを買った。

 自分で枕を買うのは初めての経験である。よほど寝具に拘泥のある人をのぞけば、枕を買い替えるのなんて人生で数回なのではないだろうか(バスマットも同じ傾向にあり)。生涯で数度の経験なのにスーパーで580円。

 というわけで売り場を見て回っていたのだが、最近の枕シーンの主役はソバガラではなく、パイプチップ(ストローを細かく刻んだようなやつ)に移行しているようだった。なるほど、このほうが衛生的かつ経済的なのだろう。

 しかし現状に甘んじていてはいけない。より優れた枕素材を開拓していく必要性を実感している。

 個人的には最後のやつがオススメです。何十年も昔の精液を枕にして就寝する毎日。当の精子もまさか自分が枕になるとは思ってなかっただろうが、間接的ながら子作りに貢献できるのだから本望と言うべきである。

 風邪ひいたときは冷蔵庫で冷やしてどうぞ。

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 さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京びわこ」です。友人に海水浴に誘われたものの、海はいやなので無理やり琵琶湖にしてもらったのがコトの発端。なんとか「海」に馴染もうとするぼくの姿を感じ取っていただければ幸いであります。

 まるでリハビリ奮戦期のようなコラムですが、よろしければご覧ください。

 

8月23日(金曜) 夜

 帰りの電車で、サラリーマン風の男性2人組が喋っていた。どうやら会社の先輩と後輩のようで。

先輩:「おまえももっと自分の意見を言わないと損するぞ」
後輩:「やっぱそうですよね」
先輩:「上司だからって言いなりになる必要なんてないんだから」
後輩:「分かりました!」
先輩:「ときには反論する意気込みで食らいつかなきゃ」
後輩:「ハイ!」

 後輩君はやっぱり、とことん従順だなあと思いました。

 もし彼が反抗タイプの人物だったら、会話は次のように進行していただろう。

先輩:「上司だからって言いなりになる必要なんてないんだから」
後輩:「いえ、オレは言いなりになります。自分の意見なんて言いませんよ!」
先輩:「でもやっぱり、反論するくらいの意気込みが必要だと思うよ」
後輩:「反論なんてもってのほかですよっ! オレは絶対しません!」

 これはこれで、余計におかしなことになるわけでありますが。

 「もっと反論しなくちゃ!」という類の説教は、相手を袋小路に追いつめる妙な迫力があって楽しいですな。

 

8月22日(木曜) 深夜

 帰宅してパソコンを起動したら、読者のかたからたくさんメールが届いていてビックリした。

 なにかと思えば「プチ日記の日付まちがってるんですけど」とのご指摘。またやってしまいました。

 ありがとうございます。ぼくの時間見当識はみなさんによって支えられております。まるでアルツ。今までいただいたメールで一番多いのは、日付間違いに関するご指摘です。

 関係ないが、アルツを発見したのはドイツのアルツハイマー博士らしいですね。Dr.アルツハイマー。

 業績うんぬんはともかくとして、こんな風に呼ばれるのはイヤだなァと思いました。

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 メールアドレスを「メルアド」と省略する風潮が高まっている昨今。

 これがどうも小っ恥ずかしい。でも世間に迎合したい気持ちもある。その結果、どうも中途半端なことになってしまって余計に情けないコトになってしまう。

 「えーとじゃあ、ぼくのメールアドレス書いときますから。っていうか、メルアドっていうか」

 省略してる意味が自分でも全然分かりません。

 

8月19日(水曜) 夜

 宝くじをよく買う知人がいる。

 ぼくは根っからの現実主義者(=悲観主義)なので宝くじなんてまず手を出さないのだが、買ってる人を非難する気は毛頭ない。ロマンがあるのはいいことだと素直に思っている。

 で、この知人に「一等賞が当たったら何に使う?」と訊ねてみたところ、間髪置かず答えが返ってきた。

 「駐車場を経営して気楽に暮らしたいね」

 夢があるのかないのかさっぱり分かりません。

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 関係ないが、一度でいいから「イヤよイヤよも好きのうち」という言葉をキメてみたいと常々思っている。

 といって、ヘタなとこで言ってセクハラで訴えられてはかなわない。ここはひとつ穏便にいこうじゃないか。

「この菓子パン、賞味期限すぎてるけどよかったらどう?」
「いやですよー」
「イヤよイヤよも好きのうち、だろ!? なっ!」

 ダメだダメだ、こんなデカいこと言えるわけがない。

 

8月18日(火曜) 夜

 職場にモノスゴク大嫌いなWさんという人がいる。話してるだけで反吐が出そうになる。

 でもどういうわけか、用件もないのに喋りかけてしまう。そのたびに一人で不愉快になっている。

 痛くてたまらない口内炎を舌先でグリグリして痛さを確認してしまうのと似ている。ちょっとヘンタイっぽい。

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 部屋で音楽を聴きながら、気がつけばギター弾くまねをしている自分に気づいて赤面。

 ギターを全く弾けないくせに「空ギター」してるのも小っ恥ずかしいが、部屋にあるアイテムを使ってしまうのがさらに恥ずかしい。ちなみに最近もっぱら愛用しているのは籐の布団たたきである。

 ぼくは毎晩コイツを抱えて、気に入りのナンバーを「プレイ」しまくっておるわけです。ブルースなら顔をしかめながら、フレット押さえて泣きのギター。ロックンロールなら激しくリフを刻みつつ、走り回るぜオゥイエー!!

 で、そうして興に乗ってるとふと、窓ガラスに映る自分の姿が目に入るんである。布団たたき抱えて顔をしかめてるオレ。布団たたき抱えて走り回ってるオレ。

 あまりの情けなさに「ギター」を叩き割りたくなるが、布団たたきを壊すともったいないので気を取り直して。静かに咳払いとかして。

 これではみっともないので、せめてボディを黒く塗ってネックストラップくらいは付けようかと考え中です。

 ところで、オレのマシンって源氏パイに似てるよね。もへえ。

 

8月18日(月曜) 夜

 なんとかプロ野球に興味を持とうと何度もチャレンジしては失敗している小生でありますが。

 「珍プレー特集」の類の番組はわりと好きでたまに見る。いちばん楽しいのは乱闘シーン、死球を受けた外人選手なんかがピッチャーに殴りかかる例のやつである。

 なにしろ、「大のオトナが誰かをポカリと殴る」なんて場面は日常生活でそうそう見れるものじゃない。それもボクシングのような「競技」としてではなく、ふつうに殴っているのだ。これが楽しくないわけがない。あー胸がスッキリするぜ。

 そういや暴力行為におよんだ選手はたいてい退場を命じられているが、どうせ退場で済むんなら、もっとカジュアルに殴り合いしてほしいものだ。乱闘シーンがもっと増えれば、ぼくだってもっとプロ野球を観戦したいと思う。

 スポーツマンシップなんていうつまらない制度は頼むからやめてほしい。誰に頼めばいいんだ?

 

8月17日(日曜) 深夜

 ここのところ、クレイジーケンバンドの新曲ばかり聴いております。イイネ!

 アップテンポな曲が多いので、気がつけば興に乗って、ステップを踏んだり頭を振ったりしている体たらく。これがドライブしながらとかなら多少はサマになるのかもしれないが、クルマを持ってないぼくは仕方なく、

 なにをしてもモッサクなる人種というのは確実に存在します。

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 そういや先日、友人に誘われてちょこっとドライブに行った。

 国道を走っていたら道に迷った末、渋滞にも巻き込まれてしまった。おまけに地図さえ持っていない。うわーどうするよ。

 そこで何か情報はないものかと、鵜の目鷹の目で道路標識を探していたら、50メートルくらい先に青い案内プレートが見えた。だが近眼のぼくは文字が読み取れない。といって、渋滞中なので車は一向に進まない。

 で、なんとか案内プレートを読み取ろうと、顔を精一杯フロントガラスに近づけて凝視していたわけですが。

 結果はなにも変わらなかった。当たり前である。50メートル先のものに対して20センチくらい近づいたところで、いったい何が変わるというのか。

 学生時代も、黒板の字が見えないときなど、頭を前のほうにグーッとしていたのを思い出す。

 莫迦はいつまでたっても変わりません。エターナルバカ。

 

8月17日(土曜) 深夜

 口元からバキュームカーのにおいがするお兄さんは好きですか?

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 同僚からよく指摘される。「名倉さんって自分に興味のない話には猛烈にゾンザイな返事しますよね」。

 たとえば昼休みにアイスクリームを買い食いしている同僚から言われたとする。「このアイス、100円のわりに濃厚で美味しいっすよ!」。そこでぼくは「へー」の一言ですませてしまう。これがゾンザイだと言うのである。

 確かに分からないでもないが、逆に、なんでもかんでも大げさに返事するのも考えものだと思う。

 そういや昔のバイト仲間のA子さんという女性がそうだった。

 ぼく:「さいきん蚊が多いですよねー」
 A子:「そうですよねー!! ホッント多いです、多すぎますよっ!!」
 ぼく:「というか、きのう昼寝してたら三ヵ所も蚊に刺されちゃってねえ…」
 A子:「エーッ!! 三ヵ所もですかっ!! 信じられないですよねーっ!! 大丈夫ですか!?」

 蚊に刺されたことを喋っただけで、目を丸くし、息を大きく飲み込み、全身運動を交えながらビックリしてくれるのだった。愛想よくしてくれる気遣いは嬉しいのだが、こういうのってどうなんだろう。

 A子さんはきっと、ぼくが交通事故で植物人間とかになっても、同じトーンでビックリしてくれたんだろうなァ。

「エーッ!! 植物人間になったんですかっ!! 信じられないですよねーっ!! 大丈夫ですか!?」

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 さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京FUZEI」。ここのところあまりにも暑く、外出する気力がでなかったので、過去に撮った「なんていうことのないポエジー写真」を集めてお茶を濁してみました。どうもすみません。

 本当の意味で恥ずかしい画像ばかりですが、よろしければご覧ください。

 

8月16日(金曜) 夜

 知人と喋ってたら案の定、トイレ芳香剤の話になった。

 トイレ芳香剤といえばジャスミンやラベンダーの香りが一般的であるが、花などちっとも興味のないぼくにとっては、いずれもさほどいい匂いとは感じられない。むしろ「また花かよ…」とゲンナリすることのほうが多い。

 トイレは汚物の空間として忌み嫌われる存在である。が、だからこそ、こういった「汚い側面」を快適に保つことこそが大切なんである。文化として分明として。

 こう考えると新しい芳香剤の登場が待たれるところだ。より個人のニーズに対応した商品を考案すべきではないだろうか。たとえばぼくはカニみそやマグロが好物なので、個人的には「カニの香り」や「マグロの香り」の芳香剤を売り出してほしいと思う。

 …てなことを知人に意見したところ、「たしかにカニもマグロも美味しいけれど」と前置きしたあと一蹴されました。「においだけあっても全然嬉しくないと思うんだけどなあ」。

 ぐっ。確かにそうかもしれない。カニのにおいだけ嗅いだところで満足感など得られるんだろうか。それもトイレで。

 というか、カニの香りなんかを芳香剤に使ったら、カニを食べるたびにトイレを舐めてるような気分になって吐きそうになるかも。自分の好物が一瞬にしてトイレの味に。南無阿弥。

 

8月15日(木曜) 深夜

 最近こちらに引っ越してきた友人宅に来ております。

 彼の部屋に来るのはこれで2度目なのだが、方向音痴のぼくは、駅からどうやって行けばいいのかさっぱり自信がなかった。そこで最寄り駅から電話したわけであります。

  「いま××駅にいるんだけど、迎えにきてくれない? オレもそっちに向かって歩いてるし」

 彼の住居は駅から徒歩2分ほどの距離だが、行きかたに自信がないから「直接お邪魔するから」とは言いにくい。かといって、駅でぼんやり待っているのもヒマである。そこで折衷案として、おたがいに接近するという画期的なアイデアを提出したんである。

 が、これが間違いだった。極度の方向音痴なぼくは案の定、あらぬ方向に足を進めてしまい、住宅街で迷子になってしまった。といって、お互い携帯電話を持ってないので連絡のとりようがない。

 というわけで結局、30分強さまよい歩いた挙げ句、わけのわからない路地裏で偶然出会うことができたのでありました。

こんなことなら初めから、ぼくが駅で待ってればよかった。へんなところで見栄をはるとエラい目に遭う。

 

8月14日(水曜) 夜

 会社帰りに駅から歩いていたら、前にいた男が歩道脇の排水口めがけてタバコをポイ捨てした。

 …が、タバコは排水口から外れて歩道の上に。男は転がるタバコを拾い上げて排水口に入れていた。

 モラルがあるのかないのかさっぱり分かりません。

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 翌日も朝から仕事だと分かっていても、飲みに行くとつい深酒してしまう。

 気分よく飲んでるうちに5杯、6杯と重ねていて、気がつけばすっかり酔っ払っている。朦朧とした頭で「明日の朝も早いんだった…」と後悔するころには時すでに遅く、翌日は案の定二日酔いというのがパターンである。

 こんなときいつも、「アルコールの拮抗薬はないものか」と考える。

 たとえばモルヒネには、ナロキソンという拮抗薬が存在するらしい。いくらモルヒネ打ってラリっていても、ナロキソンを服用するとあら不思議。アッという間に麻薬作用も副作用も消失するというのだ。これと同じく、瞬時にして酒の作用を打ち消すようなクスリはないものだろうかト。

 服用すれば、それまでいくらベロベロに酔っていてもシャキッと素面に。これさえあればぼくも真人間になれるだろう。

 …と勝手に想像しているんですが、考えてみたら、素面になった途端にまた飲みたくなるのは目に見えている。「酔っ払っては拮抗薬を飲み、また酔っ払っては…」を際限なく繰り返すうちに身も心もボロボロになり、財布の中も空っぽになってしまうこと請け合いである。

 飲みすぎると悪酔いして翌朝しんどくなる。これがあるからこそ、まだなんとかなっているような気がしてきました。

 

8月13日(火曜) 夜

 続けて読むと楽しい名前について、「知人にこんな人がいます」メールがぽつぽつ。

 せっかくなので、今さらながらまとめて紹介させていただきます。

  募集もしてないに連絡くださったみなさま、どうもありがとうございました。

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 今日の駐車場。

 桂駅付近で見かけたものだが、事情あって駐車場から駐輪場に変更となったらしい。

 でも、「車」を「輪」に変えるのはちょっと無理があるだろう。せめて白く塗りつぶしてから書き直そうよ。

 ちなみに、黒字部分の「車」はスペースがないのであきらめたものと思われる。こういう「あきらめの早さ」にはシンパシーを感じます。

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 そういやぼくも、数字の「2」の下にヒゲをつけて「3」にすることがよくある。

 でもこの前、職場の手書き書類で「4」を無理やり「8」にして提出したら、上司にバレて叱られました。そりゃバレるか。

 

8月12日(月曜) 夜

Hi, Everybody!!

Kyou shokuba no toire de oshikko wo shimashita. Sono ato chakku wo age-nagara toire kara detara douryou ni hachi-awase shite shimai-mashita. Te wo aratte nai koto ga barete shimai kyuuchi ni oikomarete orimasu.

Roma-ji de nikki wo kaku to tottemo interijento desune!!

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 たまには知的な日記を書いてみました。英検3級の実力をいかんなく発揮。

 関係ない話だが、上司のH氏は、ぼくが職場のエレベータを使うと決まって「健康のためにも階段歩けよ!」と注意してくる人だった。ご高齢であるにもかかわらず、ご自身は階段を歩いているかただったので、まァ説得力はあるなと聞き流していたわけですが。

 そのH氏が先日、階段で転んで足を骨折された。

 健康のためにも是非、エレベータをお使いになったほうがいいかと思います。

 

8月11日(日曜) 夜

 休日なのでどこか出かけようかと思ったものの、あまりの暑さで断念。

 というわけで結局、一日ずっと部屋で過ごしてました。当然ながらずっとエアコンつけて。そのうち温度が下がりすぎて手足が冷えてくるので(冷え性なんである)、ベランダに出て暖を取ったり。まったく無駄の多い生活をしているなァと思う。

 今月の電気代の請求書が来たら、かなり涼しいことになれそうです。

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 知人が働いている高級料亭に先日、ガイジン客が数人でやってきたらしい。

 これがまた騒々しい連中で、料理が運ばれてくるたびに「オゥ、カイセキ!」だの「オゥ、ジャパニーズフード!」だの(当たり前である)と叫ぶ。これには周囲の客も閉口していたんだト。

 そうこうするうちにコースの終盤にさしかかり、「筍のお吸い物」が出された。直後、ガイジンの一人が興奮して絶叫した。

「オーウッ! バンブーベイビー!!」

 なぜタケノコにここまで興奮するのかもよく分からないが、それが「バンブーベイビー」と呼ばれていることにショックを受けたとは知人の言。たしかに気持ちは分かる。懐石料理をいちいち英訳されたら、周囲の者はたまったもんじゃないだろう。

 「筍のお吸い物」=「バンブーベイビーのお吸い物」

 ぼくもタケノコは好きだが、「バンブーベイビーづくし」はちょっと遠慮したいかもしれない。

 そもそも「バンブー」という発音自体がマヌケすぎるのだ。「ベイビー」との相性は抜群なだけに。

 

8月10日(土曜) 夜  

 愉快な知人と焼肉を食べに。

 彼の話を聞いていたら、この年末に彼女と結婚するとのこと。くそー、いいなァ。

 「祝」と「呪」の字が似ていることを再認識しております。心より祝い申し上げとうございます。

 それはさておき、焼肉屋で「しじみ汁」を飲んだ。

 しじみ汁を飲むときにいつも迷うのが、しじみの身を食べるかどうかである。自宅ではいつも全部平らげるのだが、パブリックな場ではどうするのがマナーなのかよく分からない。だってそうだろう。

 さんざん苦悩した挙句ぼくがとった方略は、「しじみの身を半分だけ食べる」。これならどちらに転んでも大丈夫だろう。どのような状況にも臨機応変に対応できるポジションをとることが、人生をうまく乗り切る秘訣なのである。

 …と自画自賛しながら彼らの反応を待っていたんですが、けっきょく、しじみ汁については何もつっこまれませんでした。ションボリ。

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 上記の知人は酒を飲まない人なので夜10時頃にお開きとなった。

 そのあとヒマなので一人でコーヒーでも飲もうかと思い、四条烏丸南にあるスターバックスに立ち寄ってみたら、知り合い(なぜか浴衣姿)を見つけたので逃げるようにして退散してきました。

 「知り合いに出くわしても声をかけないほうがいいときもある」というのは、今までの人生で学んだことのひとつです。

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 さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京東9条」。京都のマイナースポット紹介ということで、在日朝鮮人や韓国人、そしてホームレスも多い、京都は東九条の界隈を取材してきたレポートです。

 マイナーすぎて、京都以外のかたにはよく分からないかもしれませんが、よろしければご覧ください。

 

8月9日(金曜) 深夜

 ぼくは口唇期欲求まっさかり人生を送っているので、部屋に飲み物がなくなると不安で仕方がなくなる。

 ビールがなくなると不安になるという点ではアル中街道まっしぐらなのだが、平日は酒を飲みすぎないようにしているつもりだ。その代わり、ビールの後のトマトジュースやパイナップルジュースがなくなると、どうしたらいいのか分からないような焦燥感にかられるのであります。

 …ということを友人A(ヘビースモーカー)に話してもいまいち共感してもらえなかった。「自宅でタバコが切れたときのことを想像してみてよ」と振ってみたのだが、「だって近所にコンビニあるし」とつれない返答。

 そこで究極の場面をAに突きつけてみた。

 「じゃあ、もしも無人島の洞窟に深夜に迷い込んで、タバコの自販機も11時過ぎて販売停止になってたらどうするよ!?」

 そしたら、「自販機のある無人島の洞窟なんてちっとも恐かねえよ」と一蹴されました。もへえ。

 タバコ中毒者は自分の非を認めず、それを洞窟のせいにするので厄介千万である。

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 それでは、やや中途半端でありますが、一人で飲んで酔ってるのでこの辺にて。

 

8月8日(木曜) 夜

 先日の日記で「葬式のときは黒い生理用品を〜」と書いたのに関して、読者のかたからメールをいただきました。

おじいさんがなくなったとのこと、謹んでお悔やみ申し上げます。ところで先日旅行した台湾には黒いナプキンが売られていました。お土産用にひと箱購入したので、とりあえず写真送ります。

 祖父を亡くした悲しみも吹き飛ぶ嬉しさです。こういう読者のかたは、ぼくにとって宝のような存在です。

 それにしても黒ナプキン。いったい何のためのモノなのだろう。

 やはり葬式用だろうか。たしかに喪服の下に純白ナプキンだと色が浮いて目立つのかもしれない。「黒いショーツを穿けば事足りるんじゃないか」とおっしゃる向きもあろうが、和服の下は襦袢しか着ないのが本式と聞く。作法を重んじてショーツを穿かないご婦人たちはノーパン状態でナプキンを股に挟むことになるから(ものすごい体勢になりそうだけど)、黒いナプキンは必需品といえるだろう。

 うっかり床に落ちたナプキンは故人へのなによりの供養である。

 ただ、葬式用のナプキンなど商売として成立するのかという疑問も出てくる。一箱に何十枚も入っているが、そんなに葬式ばかりあるもんじゃあない。となるとやはり、普段にも活用されていると考えるのが妥当だろう。

 黒い色が保護色として人気を博しているのかもしれない。血がついてもよく分からないから、あまり頻繁に換えなくても気にならず経済的なのではないか。その気になれば乾かして再利用することだって可能というエコ商品である。

 あるいはセクシーさを強調する商品という可能性もある。「黒い下着はセクシー」という風潮がある昨今(個人的には白が好きだけど)、生理中だって女の魅力を醸し出そうという魂胆である。ミニスカートの下に「見せパン」を穿く女性がいることを考えれば、「見せナプ」があったって不思議ではない。

 そのうちヴィトン柄なんかの「勝負ナプキン」が登場することを願ったり願わなかったりしつつ、今日はこの辺で。

 

8月7日(水曜) 夜

 明日はもう木曜なのか。驚くようなスピードで日々が過ぎ去っていく。

 週末にグダグダするのだけを楽しみに暮らしている身としては、こうやって平日が過ぎ去っていくのは大歓迎である。いつも週末のビジョンを思い描きながら生活しているぼくは、「未来志向なライフスタイル」の親分みたいな存在と言えるだろう。

 数年先のことは何にも考えてないけど。休日さえ来ればそれでよし。

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 友人のM女史が最近、スポーツジムに通っているらしい。移動しない自転車こいだり筋トレしたり。

 こんなことしてるヒマがあるんだったらもっとゴロゴロしろと言いたいところだが、本人は「ダイエットできるし」とご満悦の顔。まったく莫迦はこれだから困る。そんなにダイエットしたいんだったら、毎日深酒して吐いてたら5キロくらいすぐ痩せる(ぼくの経験談)。

 …と親身になって忠告したところ、「名倉くんももうちょっと筋肉つけないと情けないよ」と逆に説教されてしまった。ぐっ。たしかに一理あるかもしれない。こう言われると、ちょっとやってみようかという気になったりならなかったり。

 でも全身運動はしんどそうだし、とりあえずは指だけでも鍛えてみようかと思う。指先で鉄アレイを持ち上げたり、「フィンガー・ブルワーカ」を独自に製作してトレーニングに励んだり。これなら毎日続けられそうである。

 数ヶ月後には三島由紀夫もビックリな筋骨隆々の指先になることだろう。強靭な鋼のように盛り上がった指、硬く引き締まったしなやかな造形美。そしていつしか「人間グローブ」の異名をとるほどのものすごい指先に。

 全身はヒョロヒョロなのに指先だけはムキムキの筋肉。こういう筋トレならやってみたい。アームレスリングは異様に弱くても、指相撲なら世界大会でランクインできるかもしれない。

 いま実行すると「オナニーもほどほどにしとけよ」と心配されそうなので、老後の趣味にとっておこうと思います。

 

8月6日(火曜) 夜

 たまには手の込んだ夕食を作ろうと思ってアボガドを購入。

 で、「なるべく新鮮そうなものを」と選んで買ったのだが、いざ食べてみたらカチコチで激マズでした。あとから知人に聞いてみたところ、アボガドはぐにゃぐにゃに柔らかくなった頃に食べるのが常識とのこと。

 選りすぐった末に一番まずいやつを買う。「これがオレ流」と自分をなぐさめる。

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 先日、祖父の葬儀があったので久しぶりに実家に帰ったら、家の庭がたいへんなことになっていた。

 通路に珍妙なバリケードが出現して、庭から玄関に通り抜けできなくなっていたのだ。

 いったい何ごとかと思って父に訊いてみたら、悲しそうな顔をして答えが返ってきた。

 「最近、ネコが庭を通るようになったんや。これに逆上した母さんがね…」

 大のネコ嫌いな母が、庭を通り抜けるネコに辛抱たまらなくなって築き上げたらしい。

 しかしちょっと待て。たしかにネコは通れなくなるかもしれないが、人も通れなくなるので不便極まりない。なんでネコのためにこんな目に遭わなきゃならないのか。

 「自分の生活を犠牲にしてまで誰かに復讐する」という人物はたまに耳にするが、相手はなにしろネコである(復讐といっても、ただ通れなくしているだけだし)。なのに住んでる我々は不便千万の思いをしているありさま。

 …とただ唖然としていたら。

 コンクリート塀から飛び降りてきたネコが、そのまま庭を走り去っていきました。猛烈にポカーン。

 

8月5日(月曜) 夜

 昨夜の焼肉屋でビールを飲みすぎたので二日酔いです。

 そもそもは「夏バテを吹き飛ばそう!」との理由で焼肉を選んだのだが、結果は飲みすぎてヘロヘロ。どうしていつもこうなるのか。

 アイデンティティというのはこういうことの積み重ねによって培われていくんだろうなァ。明日の自分も今と同じだという確信。

−−−

 帰宅してメールを開いたら、見知らぬ読者のかたからのメールにおどろいた。

「名倉さん、昨夜××(焼肉屋の名前)にいませんでしたか?」

 …図星である。20人くらいしか入れない小さい店なのに目撃されていたとは。

 そういや客の一人とチラチラ目が合ってた気がするが、てっきり「オレの顔がそんなに変なのかよ!?」と一人で被害妄想をふくらませておりました。でもその場では声をおかけにならなかったところを見ると、きっとヤバそうな雰囲気をプンプン漂わせていたのでしょう。

 それにしても、どこで誰に見られてるか分からないと思うと難儀でしかたがない。たとえば本屋に行っても、『モテるための100の秘訣』など手にとれるはずもなく、代わりに『六法全書』を立ち読みしてしまったり。

 今後、アダルトビデオを借りるときなどは、周囲の人全員に「読者のかたじゃないですよね?」と確認することにしよう。そのうち警察に通報されるかもしれないが、平和な市民生活を送るためにはやむを得ない。

 いやまァ、いままで節操なく顔写真を公開してきたぼくが悪いんですが。申し訳ありません。自分にあやまっておく。

 

8月4日(日曜) 深夜

 学生時代の友人たちと焼肉を食ってました。

 みんな1〜2年ぶりに顔を合わす面々だったので、昨日買ったばかりのズボンを張り切ってはいていったのだが、誰からも気づいてもらえずガッカリした。さりげなく足を組み替えたりしてアピールしてみるも反応はゼロ。

 おいおいみんな。学生時代からの知己なんだから、おニューのズボンくらい分かってくれよ。

 …と憤慨しかけてようやく気がつきました。これって2年ぶりに会う連中に期待することじゃあないですね。

 そういや以前、数年ぶりに会った知人から「散髪いったんだ?」と言われたのを思い出した。そりゃ何年も過ごしてりゃ散髪くらいする。

−−−

 今日の友人たちはみな既婚者だった。こういうとき、ついひがんでしまうのでいけない。

 たとえば、ミノを食べて「こういうのも変わってて美味しいよねー」というMさん。ぼくはあまりミノが好きじゃないんだが、そこでつい思ってしまうわけである。「ミノも変わってて美味しいとかって、結婚してるからこそ言えるんだろうなァ」。

 でも自分の心に手を当てて考えてみると、本当に結婚したいのかどうか全然分かりません。

 

8月3日(土曜) 夜

 ベージュ色のズボンを買いました。

 以前からこの手のやつが欲しかったのだが、気に入るのが見つからず往生していた。ジーパン会社の製品はあまり店頭に置かれていないし、ショップ系ブランドのものはデザインが今っぽくて(股上が浅かったり生地が風変わりだったり)どうも照れくさい。

 あまりもっさい格好もイヤだが、着るものにこだわっていると思われるのもイヤなのだ。それで「ありふれていて」「無難で」「どうでもいい感じ」な製品を探すことになるのだが、これがなかなか見つからず、けっきょく何軒もの店を奔走することになる。

 「衣類にこだわらない」ことにここまでこだわってるぼくは莫迦以外の何者だと言うのですかっ!?(唐突な逆ギレ)

−−−

 さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京目玉焼き」。手軽なメニューとして親しまれる玉子焼きについて、いろいろな作り方を検討したレポートです。6つの人格を設定して、各人の作りかたを書き分けてみたんですが、発想力と文章力の貧困さが余すところなく出ております。

 よろしければご覧ください。

 

8月2日(金曜) 夜

 昨日の日記はセンチメンタルだよね。我ながらお似合いです。

 そういや火葬場で、祖父を見送りながら祖母が言っていた。

 「ワタシは葬式なんて大層なこと、してもらわんでええわ」
 「火葬もめんどうやろうし、テキトーに水葬でもしておくれな」

  ちょっと待て。現在、水葬はたしか禁止されていたはずだし、遺灰を海にまくのとかも「海上保安庁に申請して許可を得て…」という七面倒くさい手続きが必要だったはず。もし気まぐれでこんなことを言い遺されたりしたら、我々遺族は大変な目にあう。

 周囲もあせったようで、「おばあちゃんにはちゃんとしたお葬式しますよ!」と必死になだめてました。

−−−

 全然関係ないが、職場で耳にした会話。

Aさん:「Bさんってホントにいつも謙虚ですよねー」
Bさん:「いえいえ、そんなことないですよっ!」

 Bさん、それが謙虚なんですよ。

 

8月1日(木曜) 夜

 今日は葬式でした。疲れた。

 葬式の接待もしんどかったが、あまり知らない親戚の中で過ごすのがとにかく疲れる。なにしろ10年くらい会ってない人たちに囲まれて控え室でお茶したり、会食したりしなくちゃならないのだ。会話もおのずとぎこちなくなる。

 たとえば顔さえうろ覚えのオジサンから「お父さんに似てきたねえ」なんて言われるわけである。ぼくの親父はハゲなので、着実に似てきているのは事実なのだが、10年ぶりの会話がこれとはまったく失礼千万である。

 また、20年ぶりくらいに会った人からは「よっちゃん(幼少時のぼくの呼称)もすっかり大きくなったねえ。ビックリだわ」。これが28歳の男に言うセリフか? 小学校の頃から身長が変ってないほうがビックリだろう(というかアンタッチャブルな話題になってる可能性のほうが大)。

−−−

 とか言ってても、いざ出棺となると柄にもなく涙があふれてしまった。

 祖父の死が悲しいというのもあるが、それよりも、亡き祖父に泣きすがる祖母の姿がなんともいじらしくて。

 落涙を悟られるのが恥ずかしかったので「あくびしてるフリ」をしようかと思ったんですが、余計にまずいことになりそうなのでやめておきました。出棺のときにあくびしてるのはさすがにヤバいだろう(葬式に出ると必ず笑ってしまう蛭子能収さんのようである)。

 でも、坊さんがフットペダルを駆使して木魚を叩いている姿には思わず笑ってしまった(まるでドラムス!)。噴き出してしまった後、急速に顔をしかめて「涙をこらえるフリ」をしていたことはみんなには内緒。ポクポク。

 


   2002年7月のプチ日記 

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